花の武者に魔王は蕩け   作:飴玉鉛

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光陰矢の如しで二年が過ぎ

 

 

 

 

 

 天文21年(西暦1552年)初春。

 

 織田家が設ける年に一度の大評定の時期だ。

 

 家老の各々が自身に与えられた役職で、どの程度の働きをして、今後どれほどの活躍を見込めるかを信長へ報告し、足りない物資の補充を求め、発生した問題への対策や対処案を判断するのに難儀していたなら助言や助力を求める為の会議である。今はまだ大したことはないが、織田家の評定は遥か未来の大企業が行う『経営会議』や『取締役会』を併せた代物だ。

 主立った織田家の家老や吏僚のトップ達が挑むそれは、彼らにとって矛を用いぬ戦である。なんらかの成果を挙げていなければ――或るいは問題を抱えているのに解決できていなければ容赦なく叱責されて、程度が悪ければ免職される。場合によっては追放までされるのだ。戦の時より緊張している者がいるほどで、信長の居城に集まる最中の張り詰めた空気は重苦しい。

 

 信長は、家臣達の声が聞こえるようになった。言葉を認識しなければ組織運営に差し触る為、なんとか全神経を傾け理解しようとする気になったと言った方が正確だろうか。もともと信長が傑物以外の言葉を認識できなかったのは心因性の問題であり、本人が意識したら聞こえはするのである。

 とはいえ、聞こえるからと優しくなるわけではない。むしろどうでもいい輩の言葉を耳に入れるストレスは高く、いつにも増して神経質で怒りやすい精神状態になる。信長が独裁者気質で、能力至上主義の結果主義者だからこそ、なおのこと危険な性質であるだろう。

 他国と異なり対抗派閥になる内輪の者は一掃されており、故に信長の不興を買えば重臣であろうと織田家で禄を食むことはできない。そんな家風で棟梁である信長が――大多数から見て癇癪持ちに等しく激し(おこり)易い性格をしているのは恐ろしいはずだ。

 大うつけだった頃も、そして今も信長は新しいものを好む。古来から続く仕来りなどを無視し、効果的で効率的な仕組みを重んじた。そうした人の情を解さぬ施策を行うものだから、普通の価値観を持つ者にとって理解できない人物となり、ますます恐れられていくことになっているのだ。

 

 しかし慶次郎から見た信長の本質はそうではない。

 

 信長は旧弊や信仰を軽んじる者ではなく、閉塞した世の中を打破する改革者でもない。寧ろ古くからの仕来りや信仰は、自らに関係しないなら許容するし合理的に組織が機能するなら推奨して保護しようとすることもある。銭や食い物、武器などを溜め込む寺社を破壊する一方、清貧に過ごす非武装の寺社を保護するのはそういう側面を分かりやすく示していた。

 

(統治者としての信長様は旧弊を受容する一方、生来の合理主義と能力主義に則り施策する者だ。信長様は一つの時代を終わらせる改革者ではない、現行の世を最終段階へ導く者なのだろう)

 

 人によっては趣きを軽視し、古い文化を破壊する粗忽者に見えるだろう。

 開明的な人には改革者に見えるかもしれない。

 だがどれも信長という為政者が持つ真実を見抜けていなかった。

 

 美濃から帰国する慶次郎利益は、愛馬の松風号の上でとりとめもない思考を弄ぶ。この二年で殆ど顔を合わせる機会がなく、昨年の大評定で事務的に業務――美濃支配の進捗状況を報告した時以来に拝謁するからだろう。二年もあれば人は変わる、主の変化を予測し対応する為のシミュレーションである。

 信長は乱世を終わらせる者だという希望が多分に混じった想定で、本人も主に幻想を持っている自覚はあるが、この幻想は理想と称すべきものだ。それにおそらくこの理想は叶う。信長に仕えてその覇道を完遂すれば、必ず。ゆえにこの理想を大前提に据えてシミュレーションを行うのに否定的見解は無用だ。

 

(信長様の苛烈な組織運営は腐敗を赦さぬ。だが人は元来、怠け者だ。安定と停滞を好み、乱世の如き現状にも安定を見出してまで変化を厭う。乱世の終わりを拒む。であれば自明だ、信長様の齎す急速な変化に、やがてついて行けぬ者が現れよう。そして不穏分子となり、信長様を害さんとするだろう)

 

 このまま順調に勢力を拡大して、天下統一に迫れば斯様な仕儀となる。人間という種にさしたる幻想を持ち得ぬ桓武式大忍の分析が、慶次郎に冷徹なまでに正確な仮想未来を演算させていた。

 しかし、だ。慶次郎はこうも想うのだ。それでこそ人間であり、そうした人間こそが安泰を築いて天下静謐を保つ人材になるのではないか、と。恒久的な平和は有り得ずとも、少しでも長い平和を維持するのは信長のような人間ではなく、信長が嫌う低俗で無能で怠け者な人間なのではないか?

 腐敗せぬ組織などない。創業時は理想に邁進し、優れた業績を残そうと、代を重ねれば理想は現実に侵され堕落していく。新しい世を作るには人の堕落を受け止められる、粘り強く頑丈な組織を築かねばならないだろう。限界を迎えた先で変化し、あるいは別のものに取って代わられるのは是非もないことだ。

 

(信長様は無能を嫌い、淘汰なさる。が、淘汰された者、これから淘汰されると怯える者が結託し信長様の道を阻む公算は高い。歴史が言っている、変革にはそのような作用が伴うと。それはまさしくロスタイムだ、いずれ起こると分かりきっているのに対策を練らぬようでは、まさに信長様の嫌う怠惰な無能であると言えよう)

 

 信長と離れて過ごした二年間だった。離れて見て、俯瞰したから得られた回答でもある。

 自身の主に必要なのは、下の立場の者との間に入れる折衝役。家臣との無駄な摩擦を減じ、無用な叛意を削れる者。慶次郎にその役は熟せない。自身の立場は信長に近すぎるし、示してきた武が家中でも恐れられているのは識っていた。家中でも恐れられる暴力装置、それが慶次郎である。

 適任というか、適役というか、折衝役は藤吉郎が最適だ。性格と能力に申し分なし。だが生まれが賤しく、藤吉郎が信長との間に挟まるのを嫌がる者が多いのは目に見えている。しかも藤吉郎の才覚からして折衝役だけをさせるのは勿体なかろう。藤吉郎は南蛮で言うところの天下の大将軍たる器だ。信長自身も藤吉郎に狭い役柄に押し込めるのを嫌がりそうだ。

 

「慶次郎様、こちらに。殿がお呼びでござる」

「心得た」

 

 信長が本拠としている城に到着すると、畏怖の目を向けてくる下働きの者。見覚えがない貌だ、新入りなのだろう。彼の報せに頷き、下馬して松風号を任せた慶次郎は、のしのしと歩き信長が待つであろう本丸の御殿へ向かった。

 すれ違う者らに軽く目礼すると、その者らは道を開け深く頭を下げる。御殿の奥に一つの魔力反応を検知した。信長のものだ。熱源反応は信長が一人でいるのを示していて慶次郎は嘆息する。

 命を狙われる立場だというのに、なんだこの無警戒さは。苦言の一つでも呈するべきかと真剣に悩みそうになるも、まあよいか、という気分になる。以前の己にはない雑さだ。信長が何も考えないで無防備を晒すわけがないと信じているからだろう、なんてテキトーに結論している。

 

 襖の前に膝をつき、声を張る。

 

「慶次郎でござる、お呼びとあって参上致した」

「おう、クマか! はよう入れ!」

「御意」

 

 弾んだ声だ。ここへ来る途中、殿は不機嫌であらせられる、お気をつけ下さいと忠告を受けていたがそんな気配は一寸もない。虚偽の脅しだろうか?

 ――慶次郎はそう思ったが、事実、信長は直前まで不機嫌だった。いや、機嫌が悪いとかそういう次元ではなく、気に食わぬことをした者は斬り捨てそうなほど殺気立っていたのである。

 だが慶次郎の声を聞いた瞬間に穏やかになった。嬉色すら滲んでいる。この急変を他者が目撃したなら驚愕していただろう。信長の発する覇気が霞んで消えたのだから尚更に。

 襖を開けて信長の居室に入った慶次郎は、顔を伏せたまま距離を置いて平伏しようとする。だがそんな格式張った所作を、信長は鬱陶しそうな声でやめさせた。

 

「ああもぉ、そういうのはいいから(ちこ)う寄れ、ほれ、はよう!」

「は」

「堅苦しい! もうよいわ、我にもっと顔を見せよ」

 

 苦笑いを浮かべて顔を上げ、傍に寄る。だがまだ足りぬのか、信長もまた溜め息を溢して立ち上がると自ら慶次郎に歩み寄り、正座している慶次郎の顔を掴んで満面の笑みを近づけた。

 吐息も掛かる至近距離で見詰められる。様変わりした信長の面貌は、この二年で完全に大人のものになっていた。鋭利で、人間離れして整った顔は、天下に並ぶ者なき美の結晶。超越的な美しさであり人によっては恐怖するだろう。だが何よりも変わったのは、目と髪だ。

 以前まで漆黒だった髪が真紅に染め上がって、紅玉のようだった瞳も更に深まりを魅せている。筆まめな気質の信長からの書状で識っていたが、半兵衛による魔力開放の修練で得た成果だろう。まさしく魔王の如き威風が姿形だけで伝わって来そうである。

 

 笑顔だった信長は、強引に慶次郎の頭を抱き寄せて胸に当てた。慶次郎の頭に頬ずりして……そして震えた声で再会を喜んだ。頭の上から降ってくる声に慶次郎は無表情を保つ。

 

「一年前に見た時から更にデカくなったのう。男前になった。惚れ直したわ」

「お戯れを。デカくなったのは信長様も同じでござろう」

「後半は聞き流したんか? 戯れなんかじゃないんじゃが。……なあ、クマ」

「は」

「もう()()、武家の棟梁辞めたい」

 

 唐突に溢された弱音に、一瞬、慶次郎は返す言葉を見つけられなかった。

 言葉を探す間はない。信長は訥々と、独り言のように漏らす。

 

「周りは馬鹿ばっかじゃし。鈍いしトロいし良い所が一つもないんが多すぎる。こんな馬鹿共を使うんは頭が痛くなってしょうがないわ。そんな輩ばっかじゃから、クマみたいにデキる奴を遠くに出さにゃならんくなった。……クマを手元から離すとか、少し前まで考えもせんかったのにな」

「……」

「美濃支配の固め、大儀じゃった。其の方だけじゃ、なんにも言わんでも我の考えてる通りのことをしてくれる奴は。わしは早くサルとキツネも大手を振って使いたい。なのに馬鹿共は嫌がる。生まれがどうの年齢がどうの、出身が尾張じゃないから信用出来んだのなんだのと……文句ばっかり一人前の無能共が鬱陶しい! これから更に国を広げたら、クマを手元に置けんくなるんは目に見えとるじゃろ? 普通に嫌なんじゃが」

 

 想定していた以上に、信長はストレスを溜め込んでいたようだ。

 本来なら声も聞こえないような奴らの言葉に耳を傾け、なんとか切り盛りしている最中の精神状態は悪化の一途を辿っていたのだろう。今はまだ自制が出来ているが、時を重ねればストレスに耐え切れなくなり、怒りを堪え切れぬ本当の癇癪持ちになっているかもしれない。

 長期間継続される強いストレスと怒りは高血圧に繋がり、脳卒中や脳梗塞などに陥ることが懸念されるようになる。しかも信長は濃い味を好んでいた。甘味も好んでいる為、糖尿病になる可能性まであるかもしれない。過去の高貴な方々が患っていた例もある病だ。ストレス軽減の為にそうした食生活を送り、結果的に早死にする危険性があるかもしれない――と頭の片隅で思い至り対策を練りつつ、慶次郎は信長からの抱擁をそっと振り解いた。

 

「クマ?」

「信長様はお忘れなようでござるが……この慶次郎利益、信長様の御為に尽くす者にござる。ゆえに申し上げておきましょうぞ。()()()()()()()()()()()()()()()、と」

「――――」

「織田上総介信長ではなく、ただの女として市井に落ちていくのだとしても、我は地の果てまでもお供いたしまする。ゆえに、我慢は必要ござらん。お望みならいつでもお呼び下され、たとえ日ノ本の果てからでも飛んで参りまする」

「……まことか? いや、其の方は嘘は言わん。まことなんじゃろう。じゃが……其の方は、天下静謐を志しておったじゃろ。無駄に人を斬るんが嫌で嫌で堪らんかった。わしが辞めたら、其の方がこれまで殺めてきた命が無駄になる……いいのか?」

「愚問でござる」

 

 信長は、想像の埒外にあること――たとえば慶次郎が自分を裏切る等――でない限り、よく人を見て観察している。見ているから性格とも合わさり、傑物ではない者を認知しなくなっていた。

 ゆえに、慶次郎が天下静謐を謳った信長に同調したことにも気づいていた。だからその志を投げ出してもよいのか問いかけたのに、愚問だと返され目を瞬く。

 

「志を秘めたるは、我が信長様にお仕えし、その覇業を支える意義とする為。信長様がお役目を放棄し逃げるなら、我もまた志を捨て随行しましょう」

「……」

 

 じっ、と信長は慶次郎を見た。見て、見詰め、見終わる。

 

 やはり此奴だけじゃ、と信長は思った。此奴だけは手放せん、と。武家の棟梁の漏らす弱音も受容し尽くしてくれる。これがこの下剋上蔓延る乱世でどれほど心強いか解るだろうか。弱さを見せてもいい相手が居る、弱みをみせてもいいと思える。心の支えとして天下無二であろう。

 ――此奴と巡り会えたこと、これぞ我が生涯随一の幸運じゃ。

 信長はそう思い、だからこそ寄り掛かり依存し逃げ出してただの女として生きる道を閉じた。そしてフッと口許を緩め、大口を開けて笑う。此奴に対して恥ずかしくない主でいたいから。

 

「……ワハハハハハ! 冗談、冗談じゃ! 我が逃げるわけなかろう? 天下統一なんぞ我に掛かればちょちょいのちょいじゃし? もう朝飯前じゃ。こんぐらいで泣き言漏らすわけない!」

「左様でござるか」

「左様じゃって。ま、そういうわけでな……評定前に其の方を呼んだ訳とか聞いていけ」

「は」

 

 仕切り直すも、直り切っていない。

 緩くなった雰囲気を振り払えぬまま、柔らかく溶けた声で信長は言う。

 

「クマ。其の方は間違いなく随一の働きをした。これに報いんようじゃ、我の器が問われる。そういうわけで其の方に褒美を取らさんといかんのじゃが、なんか欲しいもんとかある?」

「な――」

「何もないとか言うでないぞ。なんか言え」

 

 無欲なのに変わりはないが、そこは変われと切に想う信長である。なにせ信長からしてみれば、ここまでしてくれる慶次郎に何も報いられてないのだ。

 なんとかして、この可愛い臣に報いたい。が、肝心の慶次郎は何も欲しがらない。このもどかしさを解消したくて堪らない信長は、慶次郎に欲しいものを考えろと命じた。

 命じさえすれば考える。そう信じ、信頼した通りに答えてはくれたが、慶次郎の欲した褒美の内容に信長は呆れ果ててしまった。

 

「……では、安祥城を所望致す。来たる今川との戦、我も出たく存ずるゆえ」

「阿呆。美濃から転封するのは前から決めとったわ。そんなもんは褒美にもならん。今川殺ったらクマには駿河くれてやって、武田を抑える役回りにする心積じゃし」

「……」

 

 全部上手くいかねば滅びは必定。ゆえに今川を倒した先の話もする。空手形だが、いいのだ。今川を滅したら次に面するのは武田であり、武田に対抗できる司令塔は慶次郎のみ。早急過ぎる勢力拡大のツケもある、武田を倒せるとしても倒してはならず、侵略や調略を防ぎ切る者が必須なのだ。

 視線で他に欲しいもんはないんかと問うも、慶次郎は返答に窮して口を噤んでしまった。信長は心底愛い奴じゃと想うが、同時に彼の人間的欲求の希薄さに物足りなさも感じる。

 荒療治だが無理矢理押し付ける他にない。前々から決めてあった儀を信長は実行することにした。

 

「ハァ……是非もない、褒美は我が決める。クマ、其の方に我の妹である市をやる。姓も新たにやるからそれでええじゃろ。我の一門衆になれ、そして一国一城の主になるんじゃ」

「信長様、それは」

「女を抱き子を作れ。そんぐらいしたら多少人の欲が解るじゃろ。ってか我がクマの子を見たい」

「……欲しいものが思い至りました、信長様。ついてはそちらを頂きたい」

「あん? なんじゃ、言うてみい」

 

 信長の私欲も混じっているが、嘘偽りのない要望を伝える。此奴ならこう言えば断るまいと決めつけていたのだが、慶次郎が予想に反して反駁してきたのに意外の念に駆られた。

 慶次郎としては、本気で妻子は要らない。だが客観的に考えるなら、子は要る。家中でも、後々の絵図を想定したなら他国でも、慶次郎との縁を欲する者が出てくるのは自明。何せ慶次郎自身が神武の猛者として知れ渡り、なおかつ信長の腹心中の腹心としても名を成すのだ。いや、既に成している。信長の一門衆になり、子を成せば婚姻外交の弾として使えもする。

 だから子供がいた方がよく、正室として信長の妹の市がいたら大いに助けとなるのは理解できた。しかしそうした諸々の正論やしがらみが、どうにも慶次郎には『合わぬ』と感じてならない。

 煩わしいのだ。言語化できないが、嫌で嫌で仕方ない。だから慶次郎は要求した。

 

「信長様の名で、直筆した免状を頂きたく存ずる」

「免状? 何に対するものとして?」

「信長様の指令なく行動が能うフリーハンド――行動の自由権利、及び認可でござる」

「――ほう」

 

 無意味で無駄な提案などではない。信長は瞬時にふりーはんどなる概念のメリットを理解した。

 信長が否と言っても、信長の立場が赦さなくとも、勝手に行動できる権利。幕府や朝廷を前にしたなら余り役に立たないが、たとえば家中で力関係を考慮した差配をせねばならなくとも、桁外れの活躍をした慶次郎なら文句を言わせず勝手に動ける。この『めりっと』はデカい。極論となるし、実際にされたら困るが、気に食わぬ輩を斬っても信長は罰せられない。つまり治外法権の暴力装置になり、慶次郎はまさに家中へ睨みを利かせる番人になるだろう。『でめりっと』は、慶次郎という前例が出来てしまえば、同様の権利を求める者が出かねないこと。しかし慶次郎が難癖をつけて始末すれば問題にならない――わけがないが、理屈としては信長は赦さざるを得なくなる。

 

 と、一息に肯定的な見方をしてしまっている自分に気づき、慌てて正常な思考で分析した。

 結論は、当然否だ。

 

「駄目じゃ。それはやれん。というかクマの本音は『婚姻したくない』の一点じゃろ?」

「……」

 

 図星だった。この免状を与えられたなら真っ先に市との婚姻を拒んでいた。まさに浅知恵、慶次郎らしからぬ浅慮である。見え透いた要望だった。

 苦笑し、信長は至近距離にいる慶次郎の頭を雑に撫でつけた。

 

「図体はバカデカいのに、中身は所帯も持ちたがらん小僧のままか、クマ」

「……我は、女を見ても欲が湧きませぬ」

「ああ? 精通はしとらんのか?」

「二年前にしておりまするが、これはと感じた試しがござらん」

「勃たんのか」

「は」

「……自慰とかせんのか? 普通滾るじゃろ、其の方の歳じゃと」

「斯様な雑念、余剰エネルギーとして他に求められるリソースにコンヴァートしておりまする」

「はンっ! 誤魔化したい時に南蛮言葉を使う癖は直っとらんな」

「……」

 

 見透かされ、慶次郎は沈黙した。そんな13歳の小僧の反応に、18歳の若当主は息を呑む。

 そして内心、言い訳じみて溢した。

 確認、これは確認じゃから、と思って。誰に対する言い訳かも曖昧なまま。

 

「試しに、訊くがな? ……わしとかどうじゃ?」

「考えたこともござらん」

「……」

 

 即答だった。

 

 信長は頬に上がりかけた血色を白くして、無表情で慶次郎の頭を叩いた。

 バシン! と強い音がする。しかし慶次郎はまるで堪えない。ただ叩かれたことに不審そうな顔をするだけであり、信長は急に苛々してきた。

 

「……もうよいわ。クマ、其の方は市を娶れ、拒否は許さん」

「……」

「返事」

「……御意」

「話は終わりじゃ、さっさと出て行け」

「は」

 

 いきなり機嫌を害した様子の信長に、慶次郎は頭を下げて立ち上がり退室する。彼の頭には未だ顔を見たこともない市と、夫婦の関係になることへの不平不満がギッシリ詰まって、主が機嫌を害した理由をまるで考えなかった。信長は主である、主と()()()()()()になるという発想が皆無だったのだ。

 

 ――慶次郎利益は赤子の頃、桓武式大忍に寄生された存在だ。

 

 平安時代に未完成のまま封印され、経年劣化により破損して当世に迷い出た桓武式大忍が、慶次郎の潜在能力を感知し人外と誤認して寄生したのがそもそもの始まり。未完成の上に風化していた故に寄生は十全に行われず、桓武式大忍は慶次郎に寄生した瞬間に初期化されている。故に慶次郎は人間のままなのだが、桓武式大忍は初期化されてなお基本機能や知識、使命を残留させていた為に、それに影響され慶次郎は己という人間を規定できていなかった。

 早い話、慶次郎の精神年齢は二年前の合戦の時まで零歳だったのだ。煩悩や人間の欲を知識として学び知り得ているが、自身の欲を持つほど成熟していない。刺激されたら男の部分は正常に反応するだろう、しかし自発的な欲求として湧くことなど有り得ないのである。故に男女の機微など察知不能だ。信長という女が男として見れるのが己だけなどと思いもしない。

 

 慶次郎の正体など知りもしないし知る気もないが、その存在をまるごと独占したい欲がある信長は悟らざるを得ない。寵愛する小姓の情緒が純粋過ぎて、幼子のように無垢であることを。

 実際問題として信長もいい歳だ。いい加減実子を設けねばならぬ。後継者問題もあるし、婚姻外交で使える駒が足りない。経歴『ろんだりんぐ』で養子を引っ張ってくるのは容易だが、やはり血の繋がりのある子供は必須である。だが、どうせ産まねばならぬならせめて相手は選びたかった。そしてその相手は……口にはしないが、慶次郎以外考えられない。

 

 二年離れて実感したことである。荒療治になるが衆道の相手ということにするかと考えを纏めた。

 妹の婿にして一族に迎え関係を作り……その上で、だ。倒錯した関係ではないかと信長は嗤う。

 

(ま、別にええわ。市の奴は絶対クマを気に入るし……クマならまあ、市を()()()()と思わんじゃろうしな)

 

 信長は傑物以外の言葉は、意識してストレスを溜め込まないと聞こえない。だが妹の市はそうした例からは外れる存在だった。

 何せ市は、信長が規定する有能無能の線引きの外側にいる。生まれた頃からずっと女であり、織田家の姫として在った市は、有能でも無能でも構わない存在だったからだ。故に今も自然体で声は聞こえるし顔も解る。もし市が男だったら信勝と同様に扱っただろうが、女であるなら気にしない。

 信長から見て、市はなかなかに倒錯した人間だ。信長としても対応に困る人種である。市は信長に心服している一方で――その、なんだ。

 

(ま、まあ……そこは追々なんとかするとして……クマと市を婚姻させるのは、私欲を満たしながらも実益もある、我ながら『ないす』な妙案じゃろ)

 

 引き攣りかけた頬を、敢えて妹のことを頭の隅に追いやることで無理矢理に緩め、信長は私欲の充足を優先させる。近い将来に実現するであろう……否、実現する未来を思い描き、笑った。

 

 

 

 

 

 

 

 

 大評定の時。

 

 勲功第一位と慶次郎を示した信長の顔と声は、甘美なる未来を想っていた故に緩んでいた。

 

 為に、近年仕官してきたばかり故、下座の奥に座して平伏していた男が顔色を変えてしまう。

 

「……慶次郎殿、か」

 

 ぽつりと漏らす声は、澱んでいた。

 

 

 

 

 

 

 

 




織田信長
 完全に「魔王信長」の容姿に。ただ服装は流石に戦国風。体型を隠すゆったりしたもの。
 どう見てもイケメン女子な風貌で、甲高い声をしていても男で通している模様。普通に無理があるものの、最初から秘密を知っていた人以外は性別とか気にする余裕がないぐらい怖い。
 寧々こと半兵衛――半兵衛こと寧々?――に魔力が開放され、超人と化す。家中で慶次郎に次ぐ武力を獲得した。すごいぞー強いぞー!
 対外的にクマさん以外には滅茶苦茶辛辣。失態を犯したならクマさんにも辛辣になるものの、後からキツく当たったことを後悔してしおらしくなる(裏設定)

慶次郎利益
 二メートルと少しの偉丈夫。肉体面の成長は終わった13歳(!?)
 現代ならまだ中学一年生の歳なのに誰も年齢は聞かない。普通に大人だと思い込まれている。二年前に比べ性能向上著しく、前話までの自分を片手で捻られる。武勇面で最盛期に達したが、本気を出すことは為朝同様に多分無い。おまけとして人間性が育ってきて、割と雑な性格になりつつある。
 主に制御された知恵のある鎮西八郎為朝という、洒落にならん奴と家中で認識されている。慶次郎の存在が信長への謀反を抑止している面がある模様。逃げるんだぁ……勝てるわけがない……!
 後に姓がつく。前田以外で。是非もないよネ……姓がないままとか世間が許してくれないもの。あと妻子なしとか外聞が悪いので、もう妹の市をやるしかねえ! と本気で思われている。

竹中重治
 半兵衛。または寧々。最近元気になりつつあるらしい。手紙で度々慶次郎と遣り取りし、栄養に関して勉強し体質改善を試みていた。念願叶って寧々が子供を宿す日は近い(!?)
 ノッブが魔王ノッブにビジュアル変化した原因。
 なお子供が出来てある程度したら半兵衛は死に、寧々単独になるつもりらしい。困ったら妖術とかいうお話に便利なツールを使って黒田如水になり、秀吉に仕える両兵衛を一人で熟すかも。
 そうなったら本作中でなにげに一番の過労枠かもしれない。病弱なのに。


 信長と信勝の妹。正史というか他の時空だとまだ5歳ぐらいのはずだが、本作時空だと14歳。クマさんの一個上。ちなちにカッツは16歳。追放された時は14歳とかいう波乱万丈っぷり。
 本人の与り知らぬところで婚姻相手が決まったが、ノッブからは心配されてない。どうやら相当な困ったちゃんらしい。
 本作はこの時空で正史扱いになるので、長政とか茶々は知らぬということになるかも。 

最後に出てきた謎の男
 慶次郎に対してあからさまに態度が柔らかい信長に解釈違いが発生しグツグツしてる。
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