花の武者に魔王は蕩け   作:飴玉鉛

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決戦前に

 

 

 

 

 

 

 松平広忠という男がいた。

 

 三河国額田郡岡崎城主であり、安祥松平家第四代当主である。

 

 広忠の生涯は苦難の連続で、幸多からぬ不運なものだった。特に後半生は三河に侵攻する織田信秀との戦いに費やされ、織田信秀は広忠にとって疫病神に等しい苦難の象徴となる。

 天文9年(1540年)に織田が安祥城へ侵攻したのが始まりであった。第一次安城合戦により、城代である松平長家が討ち死にし落城。広忠は水野忠政の娘と婚姻し、人生で唯一穏やかな時を過ごしていたが、長家の討ち死により戦国乱世のうねりに呑まれていくこととなる。

 天文11年(1542年)の頃、駿河と遠江を領する大名の今川義元は、三河から織田を駆逐せんと大軍を発した。信秀は兵を率いて安祥城に出陣し両軍が激突し、織田信秀が勝利した。戦乱の気配に神経が張り詰めだした広忠だったが、翌年、嫡男となる竹千代が誕生し……広忠は落涙する。

 

 嗚呼、竹千代よ。斯様な時代に、不甲斐ない父の下に生まれてきたか。哀れなり――と。

 

 広忠は優秀な部類の男だった。しかし領国の立地が最悪で、全盛期の尾張の虎と、太原雪斎を擁する今川に挟まれ、足元には野心多き一門衆、纏まりに欠けた三河武士に囲まれていた。

 精強さで知られる三河武士達には小領主が多く、農業が盛んではあったが生産高は低かった。お世辞にも土地は豊かではなく、信秀と義元に挟まれ独力で対抗できなかった為、松平氏を盟主にして対抗していたのだ。つまり広忠は三河の盟主ではあっても決して抜きん出た存在ではなく、横並びの団結だった為に強権を振るうことは能わなかったのである。

 加えて始末に負えないことに、広忠は親族の一人である松平信孝を重用していたが、彼は増長して我こそが松平の棟梁であるとばかりに振る舞った。広忠はこれを憎み、信孝を今川氏への年始の使者として派遣して不在とした隙に、彼の妻子と家臣を岡崎から追放したのだが……これが不味かった。信孝は卑劣な遣り口に逆恨みし、信秀と通じて織田に寝返ったのだ。更に広忠が愛した妻の兄までもが今川と絶縁して織田へ寝返り、広忠はやむなく今川との関係を保つ為にも妻と離縁する羽目になる。

 

 苦難は終わらない。天文14年に織田が支配していた安祥城に侵攻したが敗北し、忠臣だった本多忠豊が身代わりになって討ち死に。織田へ対抗できないと悟った広忠は今川に付き、安祥城奪還の悲願のため一人息子の竹千代を人質として差し出さざるを得なくなったのだが、またしても家臣の裏切りで竹千代が織田へ拉致されてしまう。

 

 そして、天文18年。

 

 織田家で政変が起こり、信長が信秀を隠居させ家督を奪うと、信長は広忠へ使者を送った。使者として参上したのは美濃斎藤氏の家臣、竹中家の元嫡男である半兵衛重治だった。

 半兵衛は織田が今川と雌雄を決さんが為、松平と盟を結びたいと願っていると伝え、誠意の証として竹千代を無償で返還すると言った。対して安祥松平氏は、宿敵にして怨敵である織田からの申し出に激怒。いまさら虫が良すぎる、こんな馬鹿な話があるかと一蹴していたが――棟梁の広忠はこの話を呑んだ。

 この頃の広忠は、もともと体が強くなかった上に積年の労苦で衰弱して、心も体も弱っていた。息子を取り戻せても、どうせ今川へ人質として送り直すだけであるが、愛する一人息子と一目会いたかったのだ。故に裏で一旦盟を結んだふりをして息子を取り返し、今川へ息子を送った後で盟を破棄すればよいと家中を説得し、強引に織田と仮初の盟を締結したのだ。

 

 しかし広忠の意を不服とした者がいたのだろう。家臣の一人が今川へご注進に走ったらしく、今川は広忠の離反に怒り心頭に発し、織田から送り返されている最中の竹千代を襲撃した。竹千代の身柄を強引に奪おうとしたようだったが、護衛に付いていた尾張兵の抵抗に遭い竹千代は巻き込まれ死亡する。

 これを知った広忠は激怒し、憎悪し、恐怖し、錯乱した。今川の怒りを買い、しかも代わりに出せる人質もいない。最早今川に付いても安泰ではなく、身内の家臣達も信じられなかった。誰が織田との盟を漏らしたのか躍起になって犯人探しに明け暮れ、錯乱した広忠は幾人もの家臣を怪しいと見做し手討ちにしたのだ。果たして松平家の結束は失われ、挙げ句の果てに広忠は家臣の手に掛かり此の世を去ってしまう。享年24歳であった。

 

 ――斯くして竹千代の死を以て和を乱し、偽報を以て何も知らぬ今川との関係に不和を齎し、更に安祥松平氏の三河盟主としての立場を破壊した。竹中半兵衛重治、渾身の謀略であった。

 

 三河は小領主が団結してこそ精強足り得ていた。逆説的に抜きん出た存在なき故、団結を乱してしまえば後は烏合の衆であるということを意味する。松平という盟主を担ぐまでにも、織田や今川などの外圧に対抗する話し合いを含む紆余曲折があった。横並びの勢力が多すぎるが為の弊害だろう、再び皆で担ぐ神輿を選出するのに難儀してしまうのだ。

 三河武士が結束し、新たな盟主を立てる前なら付け込む隙は大いにある。その性質を利用した半兵衛は木下藤吉郎と連携し、小領主の一角にして安祥松平氏の忠臣、本多家と渡りを付けることに成功したのである。藤吉郎は囁いたのだ。三河国を三河人の土地として護り抜くには織田につくしかありますまい、と。手八丁口八丁を尽くすのは彼の本領だ。何せ藤吉郎は昨日殺し合った敵と次の日には終生の友になれる人心掌握の怪物だった。

 本多家当主忠高は、藤吉郎を信じた。織田家の重臣となり、織田に其の人ありと謳われる猛者を養子として迎え入れることを約束したのだ。それこそが今為朝、本多慶次郎利益である。

 

「よくもまあ、そうもトントン拍子に事を運べたものだ」

 

 清洲城本丸御殿最奥の間。人払いがされて、四人の傑物が集うのはこれにて二年ぶり。

 織田家の実質的な首脳会議である。上座に信長が胡座をかき、後は思い思いに正座していた。慶次郎と半兵衛が自然に正座した為、藤吉郎もそれに倣っていたが窮屈そうであった。

 

 ――後は信長の後押しを受け三河を掌握するだけである。仕上げとして今川との戦に勝てれば、労せずして三河を支配できよう。其の際に本多を三河の盟主に担ぎ上げ、忠高に三河を任せて統治に手出ししなければ、三河が揺らぐ事はない。よそ者ではないのだから。慶次郎が本多として三河と駿河を治め、武田と相対する準備は整ったと言える。後は今川を討つだけだ。

 事の仔細を聞いた慶次郎は呆れながらも感心する。半兵衛の謀略は事前の極秘軍議で知っていたが以降の動きは知らなかった。二年、慶次郎は美濃の平定に忙殺されていたからだ。その二年間で半兵衛や藤吉郎が遊んでいるわけもなく、斯様に見事な働きをしていたのである。

 

「妖術でも使ったか?」

「んなわきゃない。寧々は松平に謀略を仕掛けた後は、一夜城建築の下準備をしてくれとった。本多の調略はそれがしが独力で成したもんだぎゃ」

「だが松平広忠の暗殺は都合が良すぎる。流石にその件は貴殿らの手によるものだろう?」

「あちらさんの自滅っちゅうにゃ都合がええんは同意するぎゃ、生憎そっちも関わっとらん」

 

 怪しげな術でも使わねば無理だろうと思ったが、小鼻を膨らませ得意げに誇る藤吉郎に否定される。

 大したものだ。尋常でない働きである。慶次郎は藤吉郎の能力評価を上方修正した。

 これで謀と調略の実績は十分だろう、後は今川との戦で軍事の才覚を知らしめたならば、織田の家中で重く用いることに反対する声を封殺できるはずだ。

 

 慶次郎は次いで半兵衛に目を向けた。藤吉郎に変わりはないが、こちらは少し変わっている。病的に青白かった肌には赤みがあり、痩身だった体にも肉がつき、健康そうな印象になっている。食生活を変え、慶次郎のアドバイスを参考に栄養バランスを整えたからだろう。弱々しい書生顔に生気が宿っていた。

 

「一夜城なる代物は如何なる仕様だ?」

「魔力炉心を一基、建造したのでそれを用います」

 

 応じた半兵衛は妖術師である。かねてより今川との決戦で用いる為、秘密裏に用意していた城だ。半兵衛は自らが設計した一夜城を解説する。

 魔力炉心を桶狭間の地下に埋め込み、城の基礎となる骨組みを設置し隠蔽。炉心に登録した者の魔力反応――つまり藤吉郎の生体反応に呼応し、急造とはいえ城の役を担える物を出現させる。本格的な城塞である必要はない、防御拠点として機能し、他の戦線と連携できさえすれば良いのだ。

 

「忽然と現れる城、か。敵勢はさぞ驚くだろうな」

「ええ、戦とは局所的に勝利するだけでは足りません。戦略目標を見据え、戦線に配置した各部隊と有機的に連携することで真価を発揮するのが軍というもの。優れた将であればあるほど、派遣した部隊に多くの意味を持たせる。ゆえに想定していない城塞の出現は、敵将の戦略を崩す一手となるでしょう」

 

 将棋で例えるなら、自陣間近に龍の駒が前触れなく現れるようなもの。半兵衛の言は正鵠を射ているだろう、城ごと現れる伏兵など前代未聞だ。しかし、不安材料がある。

 

「海道一の弓取り、今川義元は一夜城だけで崩れる脆弱な将なのか? 彼奴は二年前まで太原雪斎の影に隠れておったからな……この二年、我は美濃に掛かり切りであったゆえ、義元に纏わる情報収集までは能わなんだ。義元がどの程度の力量の持ち主であるか、判断できておるなら結論の共有を要請する」

「そうですね……慶次郎殿の要望通り結論から申し上げますと、現状上総介様に匹敵、ないし優越しかねない大器の持ち主であるかと。資料を用意しておきました、これに目を通して下さい」

 

 この軍議の為だけに用意していたのだろう、一枚の紙の資料を手渡される。びっしりと小さな文字が書き込まれ、殆ど真っ黒な墨で塗り潰されたような文書を読み解いた慶次郎は瞠目した。

 

 ――太原雪斎という大樹を失い、勢いを落とした今川家だが、大樹の影から飛び出た義元の豪腕は雪斎亡き後も衰えなかった。

 

 義元の働きは、北条と武田の両家と水面下で締結しようとしていた同盟を、雪斎亡き後に空中分解させず結ぶのに始め。寄親寄子制度を設けて合理的な軍事改革を実施。軍組織を刷新し再編成を滞りなく完了させ、領国経営に於いても盤石とし、来たる信長との決戦に向け三河への調略も済ませている。

 桜井松平氏を取り込み、安城松平氏の広忠が横死したことで生じた混乱を突いて、自ら三河国人衆を調略して支配下に収めると岡崎城に電光石火で兵を差し向けて奪取。裏で進めていた武田、北条と互いに婚姻関係を結んでの三国同盟を結成し後顧の憂いを断った。

 だが、まだ義元の躍進は終わらない。険悪な関係である武田晴信と長尾景虎が、数年の内に戦を勃発させようとしている流れを読むと先んじて仲介し、両者が争わぬように手を打つと援軍の派遣を要請した。同盟関係の武田が、宿敵である長尾が手出しできない情勢を作っていたことで、武田からの助力を引き出すのに成功してのけたのである。――たった二年で、だ。

 

 これら全てを同時進行で推し進め、成功させてみせた義元の手腕は、今の信長を明確に凌駕していると言えよう。たとえるなら今川義元は、今から十年先の実力を持った信長だ。今まで雪斎の影に隠れていたのには、自身の真の実力を隠す計算があったのは明白である。そのように結んだ半兵衛の資料から視線を上げ、慶次郎は厳しい目で半兵衛の目を見た。

 

「今の織田は尾張と美濃、西三河を抑えた大勢力だ。だが今川と比しては国力で劣る。御家の頭である義元が殿を超える練達ならば、織田方の勝機は限りなく低いと見てよかろう。斯くなる上は我が敵陣へ単騎駆けし、義元の首級を挙げた方が確実だと愚考するが、貴殿はどう思う、半兵衛殿」

 

 あまりに乱暴で命知らず、加えて物事の道理やら常識を知らぬ愚者の妄言に聞こえる台詞だ。しかし口にしたのが慶次郎なら重みが違った。

 やると言ったらやる、やれてしまい成功させてしまいそうな凄みがあった。さしもの半兵衛も苦笑してしまうが、笑みを消すと真剣な面持ちに変化する。

 

「ここだけの話、我が竹中家には秘蔵の書がありまして」

「……なんの話だ?」

「まあまあ、最後までお聞き下さい。竹中家が先祖より伝来してきた書物は、今の私が具える妖術の知識の源泉でして。これは魔導書の一種にして平安の頃より伝わる代物なのですよ」

「……それで?」

 

 いきなりなんの話だ。困惑しながら藤吉郎を見るも、彼も訝しむように眉を寄せていて、先程から上座で楽しそうに耳を傾けている信長も沈黙を守った。胡乱な気分になったが、関係ない話を突然する半兵衛ではない。ひとまず言われた通り話を聞くことにして相槌を打った。

 半兵衛は遊びのない眼差しで、慶次郎を見据える。

 

「それには私も用いる妖術の他に、格式高い陰陽術に纏わる知識も豊富に記されていましたが、他にも興味深い記述がありました。――ところで以前、私が慶次郎殿に火縄銃の改良、改造を依頼したことを覚えていますね? 私は貴方様の素性を知らなかったはずなのに、なぜ慶次郎殿なら火縄銃という南蛮由来である兵器の改造が能うと見込んだか……分かりますか」

「……言われてみれば、確かにそうだ」

 

 全く気づかなかった。違和感もなかった。自分なら出来るという確信だけがあり、実際に出来たから気にもしなかったのである。呼吸しろと言われて呼吸しただけの感覚だったのだ、疑問など湧く余地は慶次郎にはなく――指摘されてはじめて不自然さに気づいた。そんな反応を確かめ、半兵衛は告げる。

 

「平安の源氏、そして史上最高の陰陽師たる安倍晴明が擁した技術者集団。彼らの遺した知識が記された魔導書こそが私の師なのです。ゆえに、私は初見で気づきましたよ――慶次郎殿が人ならざるモノに憑かれ、人の器を超えた機体となっていることに」

「――――」

「あん? クマは人間じゃなかったんか?」

 

 虚を突かれて絶句するほど衝撃を受けた男を尻目に、信長が反射的に口を挟む。

 すると半兵衛は首を横に振った。

 

「いいえ人です。源氏や安倍晴明の知識にはないのですが……決戦兵装たる摂津式大具足と同じ技術の気配がするものの、慶次郎殿には紛れもなく生体反応がある。奇妙な体になってますが、人であることに疑いはありません」

「子は? 子は作れるんか、クマは」

「作れるはずです。妖術で精査したところ、そういう機能はありますしね」

「なぁーんじゃ、ならなんの問題もないではないか。焦らすでない……そんなことより興味本位で訊くんじゃが、其の方の魔導書とやら、我に貸さんか? 面白そうじゃし」

「残念ながら私の師である魔導書は、読んだ者の脳に直接転写される仕組みでして他者に譲渡することはできません。後世に伝えるには魔導書を受け継いだ者が死する必要があります。そして私が死んだ後、近くに適切な受け皿があれば、勝手に知識が転写される仕組みになっていますね」

 

 ――半兵衛の受け継いだ知識の全ては、言うなれば西洋の魔術師が子孫に継承する疑似神経、魔術刻印のようなものだ。そちらとの差異は視覚を経由して直接脳に知識が書き込まれ、ある程度の素養がある者なら誰でも継承できる点と、新たな魔導書として成立する媒体がなければ失伝するという、継承方法に問題がある点だ。魔導書には呪いも付随しており、魔導書の知識を広めようとしたなら呪い殺される仕組みまであるのだという。

 血筋による継承ではなく、実力や才能に依存した継承方法である点に、この魔導書を作製した者の思想が垣間見えそうである。悉くが人智を超えた代物であり、妖術の奥深さも匂い立った。

 

 さりげに自身のルーツを示唆され、動揺しかけた慶次郎だったが、信長がまるで気にしていない反応を見て一気に沈静化する。それを観察していた半兵衛は、効果なしかと内心呟いた。

 

「――つまり私が言いたいのは、そうした物品や知識が日ノ本にはあるということ。私や慶次郎殿が生き証人と言えましょう。素養のある者は無意識にでも魔力を用いることが有り得るのです。超人的な力の持ち主として、一番怪しいのは長尾景虎ですが……それはさておくとしても、慶次郎殿を封殺する術を持ち合わせた怪物が何処かに居るかもしれません。今川にか、武田にか、北条にか……いるかどうかも確定していませんが、慶次郎殿に頼り切るのが危険だと言っているのにはそうした根拠があります」

「まあ……確かにないとは言えんか。彼の鎮西八郎為朝も伝説が真であれば人が敵うとは思えん。にも関わらず一度は捕縛され、最後には自刃するまでに追い詰められておったわけじゃしな。クマが同様の末路を辿らぬ保証はどこにもない……思考停止してクマを突っ込ませておればよい訳じゃないか」

「んー……殿や寧々、じゃのうて半兵衛の言わんとすることは解るんですがね……それなりに各国を渡り歩いてきたそれがしとしちゃ、慶次郎殿みたいなんがそこらにおると思えんですな……」

 

 長々と話し合う三人を見て、慶次郎は両目を閉じる。自らのルーツ、力の源泉が何に由来するのか考え込んだのだ。しかし、すぐにどうでもよくなった。

 そう、どうでもいいのだ。なんであれ己は己である。気にしたとて何かが変わるわけでもなし、考えるだけ脳のリソースの無駄にしかならない。主も追求する気はないようだし、忘れよう。

 

 ――慶次郎に芽生えた人格の、大雑把な部分がプラスに働いた。彼は自身のことでウジウジし、悩み惑い苦しむ繊細さを持ち合わせていなかったのだ。

 

「話を戻します」

 

 脱線しかけたからだろう、半兵衛が軌道修正する。

 

「慶次郎殿の単騎駆けによる義元討伐、これは選択肢として有りです」

「……おう、キツネ。こんだけ前置きして有りなんか?」

「はい。二年前までの慶次郎殿なら、十年研鑽を積んだら私一人で封殺する策も立てられたと思うのですが……ちょっと今の慶次郎殿は手に負えません。この方をどうにかできる者がいるとは想像もつきませんし、普通に有りではあるんです。ですが……それだと上総介様や藤吉郎様が活躍できませんよね」

「あー……まあ、そりゃそうじゃ」

 

 言われてみれば其の通り。なんでもかんでも慶次郎任せで解決していたら、いつまで経っても信長の実力が天下に認められはしないし、藤吉郎が出世する機会も激減する。信長は名声など気にしない性格だが、戦国武士は舐められたら終わりであり、統治自体に差し障るのだ。藤吉郎としても出世できないのは困る。今川という大敵を、自分達が倒したという実績は今後の為にも必須だと言えた。だから、慶次郎の単騎駆けという切り札は安易に使えない。

 

「万が一負けそうになったら慶次郎殿を投入する……そういう形で控えて頂けたら助かります」

 

 そう結んだ半兵衛に、慶次郎は暫しの沈黙を置いて反駁した。

 

「勝算はあるのだな」

「勿論。義元は強敵ですが弱点があります、今川家には抜きん出て優秀な家臣がいないことです。対してこちらには藤吉郎様、柴田殿、丹羽殿、滝川殿がいる。最近仕官してきたという明智殿も使えるかもしれません。上総介様の考案した長槍隊、数は少ないですが鉄砲隊もある。勝てます、私達なら」

「信じよう。殿は貴殿の策に全賭けすると仰っていた、真に危うくならぬ限りは手出しせん」

「はい。慶次郎殿は武田の援軍を撃退して頂けたら十分です。それに……仮に今川が私や慶次郎殿のような者を擁していたなら、先に出させてしまった方が有利になります。情報あどばんてぇじ、というのですよね? 切り札の切り時を読み合う駆け引きならば、私は誰にも敗ける気はしません」

「了解した。武田より来たる援軍を撃滅する任、しかと果たしてみせよう」

 

 安祥城に向かい、今川に睨みを利かせながら、武田からの介入を防ぐ。容易い仕事だ。

 信長と藤吉郎、半兵衛らと離れていた空白期間での情報共有と、今川との決戦に於ける方針の話し合い、および慶次郎の家中に於ける立ち位置の操作、全て理解した。

 

 頃合いを見計らっていたのか、信長が膝を叩いて閉幕を告げる。

 

「よっし! クマと共有しておらんことはもうないな? ……ならサルとキツネは帰ってよし! 各々でやらにゃならんことを片しとけ、其の方らなら馬鹿な真似はせんじゃろ」

「ははぁ! よし、そんじゃあ寧々、オレらはもう一仕事せにゃならんな!」

「はい、急ぎ帰りましょう。藤吉郎様の栄達の為です、労は惜しみません」

「……失礼致す」

 

 平伏し、打てば響く鐘のように返事をした藤吉郎が、半兵衛と連れ立って退室していく。

 慶次郎も秘密会議が終わったなら用はないとばかりに立ち上がり、さっさと出ていこうとして、なぜか藤吉郎からギョッとした貌で見られた。

 何か言いたいことでもあるのかと貌を見合わせると、慌てた声で信長が呼び止めてくる。

 

「ちょ、ちょっと待たんかクマ! 誰が帰っていいと言った!?」

「殿でござる」

「言っとらんが!?」

「我は早々に美濃から三河に向かわねばならぬ身、ゆえに悠長なことはせず迅速に動けと仰せだったではござらぬか」

「確かにそうした方がいいけども、ちょっと茶をしばく間ぐらいあるじゃろ! 良い子じゃからこっち来て座れ! な!」

 

 何やら背中に慌てふためいた声が叩きつけられているが、無視してしまおうか真剣に悩む。

 しかし藤吉郎が無言で止める仕草をしていて、嘆息した慶次郎は振り返って信長の前に戻った。

 

 藤吉郎のフォローにホッとして、『ないす』じゃとアイコンタクトを送っているのを見もせず、藤吉郎達が立ち去るのを横目に見ながら待つ。

 やがて二人きりになると、数秒の沈黙を流した末に、信長が恐る恐る問いかけてきた。

 

「……のう、クマ?」

「は」

「……なんか怒っとる?」

「いいえ。ただ急いで此処から出立したいだけでございまする」

「なんでじゃ。市との婚儀はどうする」

「先に三河へ送り届けて下され。我が到着した後、略式ながら婚儀を行う心積です」

「……あー、つまり、なんじゃ。クマ……あれ、無理か?」

 

 そわそわしていて、落ち着きがない慶次郎に質問を重ねた信長は、ようやく慶次郎が市を疎んでいるのを察した。念の為、確認を取ると……案の定、慶次郎は渋い貌で応じる。

 

「左様にござる」

「……何があった? 市はちょっとキショイが、我の兄妹の中じゃ一等マシな部類じゃぞ?」

 

 慶次郎なら普通に受け入れられると見込んでいただけに、あてが外れた信長は少し焦っていた。

 しかし主の言葉に忠臣は胡乱な貌をする。正気を疑うような目だ。

 

「アレで?」

「あ、()()呼ばわり……」

「どうやらアレが被った猫は化け猫だったようですな。信長様の目をも欺くとは敵ながら天晴」

「敵とまで宣うか」

「敵でござる」

「……えぇい、まどろっこしい! 訳を言え、訳を。何があったんじゃ」

 

 なんぼなんでもおかしい。市が信長に本性を隠していたという事実を悟り、直截に命じた。

 そして聞かされる市の本性に、信長はポカーンと口を半開きにして固まる。

 

「はあ……?」

 

 一体化……? 融合……? なにそれ怖い。

 市と慶次郎の婚姻は決定事項として布告してしまった後である。今更やっぱりなしは通らない。

 信長の背中に冷や汗が吹き出る。斯様な存念があるとは知らなかった。市と慶次郎の初夜で、妹に成り代わる作戦は破棄してしまおう。信長に妹と交わる趣味はない。

 

「うわぁ……我が妹ながら、想像以上のキワモノじゃったか……」

「そういうわけで、アレ……失礼、市姫と交わり子を成すのは極めて困難故、心の準備と整理の為に時間を置きたく存ずる。無礼な態度を取ったこと、平にご容赦を」

「ああ、うん、是非もないわ、そりゃあ……」

「下がってよろしいか」

「うむ……」

 

 頭を下げ退室していく慶次郎に、信長は頭を抱えた。己の妹のことだが、そんな性癖を抱えながら己に隠し通したしたたかさに呆れと驚きを禁じ得ない。

 ついでに気色悪さに拍車がかかり、ちょっと本気で頭が痛かった。

 どうしたものか。まさか今川よりも、実の妹の方が曲者だったとは。

 

「……キツネに相談するか」

 

 慶次郎が立ち去って、一人きりになった空間でポツリと呟く。

 色恋が絡むと深く考えられず、おどおどと迷ってしまう自分に苛立った信長は、そちらの分野でも突き抜けて行動力がある寧々に意見を聞こうと思った。

 後の第六天魔王も、女としてはまだまだ乙女だったのだ。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 




サル
 人心掌握の怪物。地味にチートな働きをしているが、他が目立ちすぎて没個性に。
 これから本気出す。

キツネ(寧々)
 宮本伊織殿の魔導書みたいなのを持つ(脳に)、独学の魔術使いみたいなもの。超絶天才なのだが魔術世界に関しては世間知らずなので、妖術含む神秘は秘匿しなきゃならんって認識がない。加えて慶次郎も隠れてないので実は自分とかは特別ではないと思い込んでるうっかりな面も。
 自分が持ってるならよそにもあるだろう、という心理で自縄自縛しており、過剰な警戒から脳死慶次郎投入戦法に否定的。でも身も蓋もなくぶっちゃけると慶次郎投入戦法を乱用したら今川には確定で勝てる。けど一応、ノッブ(とサル)の武威や権威が上昇せず、統治に支障が出かねないというのは本当。
 慶次郎みたいなバグに対して、越後の龍みたいなバケモンとか、柳生の師匠の剣聖とかが割と対抗できそうなのがおかしい。戦国は魔境なので、警戒は不要というわけでもない。
 ちなみに今は一夜城が限界だが、長じたら秀吉の黄金大魔術城塞、超絶絢爛日輪城の建築まで可能になる戦国一の天才妖術師である。魔術世界の世間知らずなせいではあるものの、自分と同等の存在がどこにでもいると警戒しているのは臍で茶が沸くレベルの勘違いである。
 たとえるならモルガンとかマーリン、ソロモンが「自分に並ぶか格上の奴がごろごろいるかも」と警戒しているようなもの。

クマ(本多慶次郎利益)
 地味に本多平八郎忠勝の義兄になる。後世からはホンダム一号機、二号機と呼ばれるか…?
 半兵衛の話を聞いてアイデンティティが揺らぎそうな気がしたが特にそんなことはなかった。慶次郎が前田慶次だったら「で?」だけで終わらせる。本多慶次も気にしない。

ノッブ
 キワモノな妹を持った乙女な姉。かわいそう。
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