「………」
評定。
上座にいる尾張の虎、織田信秀の隣に胡座を掻き、頬杖をついて群臣の方をボーッと眺める。
上座に最も近い位置に居る信勝、重臣、その他大勢。左右に別れ陳列する厳つい髭面共。領国支配の為に行う政務に関係する、税収や兵、統治状況、商人の行き交い。隣接する敵味方の動向、互いが行う差配への質疑応答。それらを信秀に報告し、裏を取り、今後の大方針を決定する場。
上の空で全て聞き流す信長を、侮り見下した視線で一瞥する家臣共。頑なに姉に顔を向けぬ信勝や、彼につけられている重臣の柴田勝家やらなんやら。例外は一人もなく、声が聞こえぬ。
興味が持てない。関心が持てない。家臣共の報告内容の真偽等どうでもよく、政務で捌いた文書等で内容は把握しているから聞く気になれない。報告の不備や誤魔化しも掴み、仕事の能率の良し悪しも呑み、コイツは馬鹿でアイツは阿呆、アレは不届き者でソレは害、コレは敵方に通じておると看破済み。
ならばこの評定は不効率の無駄の塊。やるだけ無駄。どうせ上意下達で済ませるなら、信秀があれをしろこれをしろと指示するだけでよく、出来ない遣らない守らない輩は追放すれば良い。信長は頭の片隅でいつものように愚痴を綴るも――あいにく、今はそうした非効率な評定に苛立ってはいなかった。
「………」
信長の様子がおかしいことに、信秀や信勝はおろか、群臣はみな気づいていた。
ボーッとしているのはいつものうつけな様だが、眼差しが変化している。何か、楽しみを控えているかの如く、なんとなしにソワソワしているのだ。
常なら虚無的な目をしている。くだらぬ者を見る目をしている。
人は相手からの視線に敏感だ。侮りには特にと言ってよいほど。群臣も馬鹿ではない……信長が自分達を馬鹿にしていることぐらい気づいている。群臣が信長をうつけと侮り軽んじる裏には、信長側からの無関心と無価値なモノを見る態度にも原因はあった。
だがどうしたわけか今日の信長はボーッとしていても、群臣に向ける虚無の瞳をしていない。別段興味関心を持っているわけでもなさそうだが、公に後継者だとされる者の変化は察していた。
なんというか、雰囲気が軽い。明るい。なにゆえだろうか。
(姉上……?)
特に表向きは対立的な態度を取っていても、本心では姉を敬愛し尊崇する信勝は訝しんでいる。
(いつにも増してお美しい……けど、何があったんだろう。馬鹿な老臣達は関係ないとして、何か姉上の琴線に触れるものを見つけたのかな)
信勝は、此の世で一番自分が姉を理解しているという自負があった。だから姉の才を理解しない無能共を内心見下しており、嫌って、憎んですらいた。
人は他人からの視線に敏感だが、内心を隠す腹芸に誤魔化されはする。信長は隠す気がないからアレだが信勝はきっちり隠していた。内心の軽侮を視線に潜めながらも、信勝は姉を想う。
(いつもより髪艶がいい、肌も瑞々しい……ああ、綺麗だ……いやそうじゃなくて、明らかに姉上に生気がある。なんでだろう。母上は絶対関係なし、父上は嫌われてるからもっと無し、僕も悲しいけど関わりを持たないようにしてるから無しだとして……最近、姉上が自発的に召し抱えた前田家の養子か?)
信勝は優秀だ。信長ほどではないし、図抜けた天才達ほどではないが、秀才ではある。しかし信長に関連する事柄には鬼も引くほど鋭かった。
嫉妬が胸中に湧く。信長の周囲に居る人間は全て信勝の脳に刻まれている。新入りも例外でなく、慶次郎利益の存在もきちんと把握していた。故に、病的な直感で慶次が理由だと感じ取りドス黒くヘドロのような妄執が鎌首を擡げるも……鎮火する。信勝は顔を伏せ密かに微笑んだ。
(よかった……姉上にも、気を許せる味方ができたんだ。それが僕じゃないのは残念だけど、姉上が心を許せる味方を見つけられただけ僥倖だ。本当は僕が直々に、姉上に相応しいか例の奴を見定めてやりたいけど、姉上が気に入ったんなら無粋だし別にいいかな。姉上の心を裏切ったら殺すけど)
強火の思想を腹の底に押し込んで沈黙を選ぶ信勝をよそに、とうの信長は案の定というか完全によそごとを考えていた。
(あー退屈じゃ……慶次めも此処に連れて来たかったんじゃが。彼奴を傍に置いて色んな話をしてた方がよっぽど建設的ってもんじゃろ。文句言う奴がおったら斬ればいいし)
切り捨て御免は流石にやりすぎかと小さく鼻を鳴らす。
評定に間に合うかどうかのギリギリまで信長は慶次と様々な話をしていた。尾張の弱兵を運用するにまず武器を見直して長槍を集めるべし。槍衾で徹底して護り、弓矢で遠くから射殺すのが主戦略となる。されどそれ以外にも武器は必要だ。騎馬隊も、忍も。今、一番熱いのは鉄砲だと軍事を論じて。
座――貴族や寺社、同業者達の組合に金銭を払う必要のない、商売の独占を否定する経済政策の実施で商人達を味方に付け、銭を廻す政治を語り。戦国乱世を終結させる天下静謐の道筋、足利将軍家の室町幕府の再建、新しい世を築く革新ではなく現行社会の最終段階への到達を描いた。
果てに信長は夢を想った。考えたこともない夢を。つまらぬ日ノ本政治の時代終結と移行を完了させた暁には、海を渡り南蛮へ赴くのも一興ではないか、と。日ノ本を渡り歩くのもよしで、南蛮で旗揚げし一から名乗りを上げるのもいいし、何をするでもなく新しいものを見聞するのもよい。うい奴もずっと随行すると言うてくれるし楽しそうだなぁ。
叶うか解らぬ、人の寿命で足りるか不透明、されど実現性が低いからこそ想う空想は愉しい。そうした空想に浸っていると、信長はとても満たされる。息苦しく生き苦しい、閉塞して窒息する日ノ本の現状は忌まわしい限りだ。まずはこの閉塞感を打破してから万事は開始されるとならば、やる気も出る。
かもしれない。
(慶次め、わしの人生に潤いをとほざくか。ほざいて夢を描くのが人であると聞く等と抜かすか。そんでわしに夢を描かせるとは――クハっ、本当に潤ってきおったわ。やる気、やる気な。わしがわしのまま自由になるには天下の統一が不可欠で、後の天下は適当な奴にくれてやればよいんじゃな。乗せるのが上手いわ、始めるなら若い内からでないと間に合わんとは急かすのまで上手い。憎たらしい、愛おしい、わしが先の展望を描き始めるのを
褥に呼んで愛でてやろうか。後継者が必要とほざかれるのは目に見えているし、どうせ産まねばならんなら価値のない胤は受け付けぬ。目につくのは現状だとあの小姓だけ。
なぁに衆道と言い張れば深く相手も追求されまいて、などと考え始めた自身に気づき、信長はらしくもなく先走り過ぎたと顔へ血の上りを感じる。盛りがつき色を覚えた生娘かと自嘲した。
(ま、なんにせよ本当にやるか、やらぬか、やるにしてもどうやるかを決めておくか。此奴らの間抜け面を眺めるのは楽しくない)
以前まで偶に聞こえていた親父の声も、今や完全に聞こえぬ。老臣達の面ものっぺらぼうだ。信長の興味関心が、完全に彼らから切れた証左だった。
――魔王。信長のアライメントが、英雄よりも魔王へ傾いた証でもある。
だが自身の抱える問題が悪化し、小姓如きに依存しはじめているとも言える精神状態を、とうの信長は問題視していなかった。後に興味を持ち、声の聞こえる相手も出てくる可能性は否定できないが、そういうのに出逢えばその時に対応すればよかろう。今考えることではない。
信長は先を見る。遠くを見る。足元は信頼できる者に見てもらえばよい。
「ん……?」
ふと、視線を感じて顔を向けると、のっぺらぼうの一人と目が合った。
不遜にも横目にこの信長を見ていて、目が合うとすぐ顔を伏せる。不敬で無礼だと眦を釣り上げ、腰を浮かせかけた信長だが、顔を伏せたのが席次からして実弟の信勝だと気づき我に返る。
信長は何が不味いか考える前に踏みとどまった。人としての本能、良心という奴かもしれない。
浮かせかけた腰を落とし、気まずさを覚えつつそっぽを向く。
外を見た。
(お空綺麗)
そして、わざと気を抜いた台詞を紡ぐ。そうしないと、大事な何かを失くす気がした。
(慶次め。彼奴はもしや、わしを狂わす毒になるのかもしれんな。ま、毒なら毒で上手く呑んでやればよいだけじゃが。わしが変わるならそれはわし自身の意思でなければならん)
卓越した客観性で己を見つめ直し、自制する。生まれて初めて意思疎通できた、顔も頭も強さも揃う好みの他人、異性を見つけたからとのぼせ上がるのは矜持が赦さぬ。
慶次は全肯定しかしない。信長の望むことを望むまま考え、望む結果に至らぬなら意見はするし否定もするが、根源には肯定がある。心地よかった、だがそれに骨抜きになるのは、違う。
(……本気にならんと、な。何につけても)
手始めに……信勝を切るか、切らぬかを考えて。
(殺すか)
すんなり決めた。
(殺したことにして僧にでもしてやる。彼奴にゃ乱世は向いとらん。わしが天下を静謐にし、安穏とした世でボケた爺にしてやるか。算段は慶次にでも任せたらいいじゃろ。信勝めはわしを見る目がちと気色悪いし、傍に置くのはゴメンじゃしな……)