ギュり、ギゥリリリリリリ……――ッ!
真っ白い積乱雲の浮かぶ青空に響く異音。発生源は撓み、軋り、引き絞られる弦の圧。人越を知らしめる異様な力を発する腕と指に諸将は息を呑む。
得物は大弓。構成材質は機人が体内にて精製したオーバーテクノロジーたる特殊合金。矢は名工の鍛えた剛槍を仮採用。矢玉精製機能の実装が間に合わなかった故の措置だが、今回主の意向にて催されたデモンストレーションで、当該機の性能を誇示するには丁度よい矢玉である。
狙うは鍛えた鎧兜を設えた的、距離は四百歩。常人の武者ならば当てるのも至難、有効な殺傷力を発揮するのは不可となる。だがそれは只人の尺度、人の規格に収まらぬ我に適用できぬ法。
射出。初速から音速を超え、弾速は減じず一直線に飛来した剛槍が標的に着弾する。土煙を上げ跡形もなく弾け飛んだ鎧兜の残骸に、唖然とする諸将とは別にニヤつく主君。
くると振り向く我に向けられるは織田弾正忠家の諸将の畏怖。恐れはあれど厭悪が無きは、強き武を信奉する世の武家であるからか。小さく頭を下げ、デモンストレーションの終わりを示す。
「見事。流石わしが見込み直々に召した
床几に腰掛けていた信長が膝を叩いて喝采を上げ、自らの臣を称賛しながらも――老臣共が雁首揃えて呆気にとられ、間抜け面で声もない静謐とした場に在り信長は俯瞰していた。
明白に人ではない力、明確に人を超えた力、有象無象の者共の取る反応は単純至極。信長の称賛の声を聞いて漸く我に返った阿呆共が口々に言う。
「お、鬼じゃ!」
「ありゃ妖の類いじゃ、人の技ではない、どう考えても妖じゃろがい……!」
「三郎様は鬼を
揃いも揃って馬鹿共だ。相も変わらず声は聞こえぬし、最近は面すら解らぬようになってしまったがどう反応しているかが手に取るように分かる。
確かにあれは何回見ても人間業ではない。信長も最初は慶次の自己申告をある程度信じはしたが、現実味がなく小僧の大法螺吹きだと思っていた。
故に初見の時は度肝を抜かれ、驚愕させられたものだが、そこで思考を停止するから馬鹿なのだ。バケモノだのなんだのと恐れるだけで、遠ざけ排斥したがる心情に支配されるようでは無能だろう。慶次が己に仕える強力な武、戦力なのだと受け入れ運用法を考えるのが支配者だ。
慶次の力は鬼に並ぶ。彼奴にはなぜそれだけの力があるか訊ねていないが、現実にあれだけの力を示したのなら利用しない手はない。今はまず、鬼神も避けるであろう慶次郎利益の武が、己に捧げられているのだと示すのが先決だ。三郎信長と敵対すれば、アレが敵として現れると知らしめるのである。
「わしに仕える
嘯き、床几から立ち上がって呼ばうと、慶次は真っ直ぐに歩む。
――天文十八年、初頭。僅か11歳の小僧に過ぎぬはずの慶次郎利益は、六尺(約180cm)の恵体へ成長を遂げていた。当世の平均身長(約150cm)を優に超す偉丈夫であり、成人する頃にはもう一回り大きくなるであろう少年は、漆黒の当世具足を纏い幼さの残る面貌も独特な面当てと兜で隠していた。
諸将がその偉容に威圧されてたじろぐ中で、信長の眼前で跪いた彼に寄ると激賞した。
「鎮西八郎の如き武の披露、誠に大儀! まさに今為朝よ、其の方を臣に迎えたわしも鼻が高い」
鎮西八郎為朝の再来だと称する信長も、称された慶次も知らぬ。慶次は件の武者と同型ではなくとも起源は同一であり、最盛期となれば慶次も為朝に匹敵する性能を手にすることを。正しく慶次は戦国の世に再来した無双者であり、『今為朝』とは正鵠を射た喩えだった。
「褒美じゃ、わしの具足羽織を賜わしてやろう。ついでに、そうじゃな……わしの馬廻衆、旗本に変わる親衛隊として『赤母衣衆』を新設するゆえ、その長にしてやるかのう」
信長は派手好きだ。自身が今着けていた具足羽織――陣羽織もド派手な真紅物。それをバサリと肩に被された慶次の出で立ちは美事な武者姿であった。
赤母衣衆。織田信長の親衛隊の中でも、特に信任を置かれる傍付きの者共。後に武田の赤備え、徳川四天王などに相当する、織田家屈指の武者達として謳われ後世にも名高き存在となろう。
あからさまな厚遇であり、寵である。信長は示したのだ、慶次こそが己の股肱の臣であると。こうまでされてしまえば、慶次が仮に変心してしまえば彼の名声は地に落ち、忘恩の徒、変節漢と謗られてしまうだろう。つまり他衆からすると慶次が信長を裏切ることは、分かりやすく俗な観点からして有り得ぬということ。名を重んじる武士であれば尚更に。
「彼奴は何者じゃ?」
「たしか前田家の……」
「聞くところによりますと、滝川殿の倅――」
「滝川と前田の繋がりは崩せますまい」
「両家は三郎様につくというわけか」
ざわめき。駆け巡る戦慄と恐懼。
高性能な集音センサーを前にすれば、小声での密談など無意味。慶次は信勝派の老臣共の声を耳にしながらも無反応を貫き、満面の笑みで己を見る信長の目を上目遣いに見上げ小声で囁いた。
老臣共と違ってこちらは他者に聞かれることはない。
「殿、我が弓の威力を晒すのは、些か時期尚早と存じると申し上げたはず。以前交わした約定通りに訳をご開示くだされ」
「其の方の諫言は理解しておる。わしもそう思うしな。で、どうじゃ。慶次はわしの腹を読めるか。意を汲めるなら申してみよ」
質問に質問を返すは非礼。されどそのような一般常識など信長が守るわけもない。臣の諫言を無視して強行したデモンストレーションの真意を、試すような物言いで探れと慶次に命じた。
若干の呆れを秘め、慶次は命じられるがまま思案する。
「我が武は殿の敵を撃滅せんが為のもの。家中の膿を出し切る殿の方針に変更がないとなれば、おそらく殿は――信秀様に隠居を迫るおつもりですな」
笑みが深まる。意味は肯定。早い話が武力での世代交代、軍事クーデター。
信長は「流石じゃ」と称賛したが、彼女の目はまだ先を促していた。
慶次は主の意がどこにあるか、引き続き思案しながら言葉を紡ぐ。
「……我の武を背景に家督を得た後、家中に大鉈を振るって殿に権勢を集め、従順な者へ再分配なさるおつもりか。殿の風評、不満を煽る手法……隠居させられた信秀様、あるいは信勝殿を神輿に担ぎ上げ謀反を起こそうとするのは自明。家中の暴発を招いてこれを撃滅し、一挙に弾正忠家を掌握なさると」
「完璧じゃ。正しく其の通りよ」
信長は歓喜した。やはり、やはりだ、やはり慶次は話が分かる。自身と同等の次元で通じ合える。
この方法であれば、尾張の勢力内で混乱は起こる。信長に従う者が少ないだろうことは自明、謀反を鎮圧した後も消えない傷跡が残るだろう。
だが慶次がいる、この一事で収支は上向くのだ。内戦も、外戦も、慶次の運用次第で問題ない。彼は戦略兵器だ、投入した戦場での勝利は約束されているも同然だと信長は確信していた。
「家督継承後の混乱、要らん奴らの整理、滅茶苦茶な領国支配の整頓、わしの意を反映する政策の策定と根回し、全て親父を隠居させてから同時進行じゃ。わしと其の方ならできる。じゃろ?」
「御意」
「銭じゃ、銭が要る。何かにつけても銭がほしい。じゃがその前に、わしの領国をわしの体じゃと仮定した場合、血の巡りを阻害し病の元になりそうな輩は一掃せねばならん。そうじゃろ? もし違うと言うなら代案を申せ、特別に聞いてやる」
「ござらん。が、補足させていただくなら、流石に手と脚と目と耳、ついでに口が足りませぬ。早急に弾正忠家を掌握する方針は心得ましたが、その前に広く人材を集めるのが急務かと」
手、脚は人手を意味し、目と耳と口は代官を意味する。
言われてみればその通り。信長がやろうとしていることは、家中の役割の大部分を担う者達を粛清し人材を枯らせる自殺行為に他ならない。知識層やらなんやらがまるっと欠けてしまえば、領国の運営にすら支障をきたし勢力の弱体化は避けられないだろう。
慶次の指摘に、信長はニヤリと口角を上げた。
「心配には及ばん、宛てはあるし手配も済んでおる故な」
「流石の深謀遠慮。左様であるならば、我から申し上げる儀はござらぬ」
「よいよい……あ、その『我』っていうの、わしも真似していい? 家督奪ったら『上総守』自称するし、合わせて自分のことそう呼んでみたいし」
「……御意のままに」
茶目っ気を込めた目と声に、慶次はほんの一握りの苦笑を覗かせる。
主が何やらやる気を滲ませ、覇道を歩みはじめようとしているのは察した。だが、覇道を歩まんとするのに稚気を捨てない姿に、なんとなく好感を覚えたのだ。
――主に仕えるだけの戦闘機械が……好感?
ノイズ。しかし、不快ではない。慶次は疑義を懐きながらも、小声の遣り取りを終えて立ち上がろうとする信長に、おまけの諫言をしておいた。
「殿。自称なさるなら
「あん? なんでじゃ」
尾張の
頂点に立つ気でいる信長に、慶次の諫言は意味不明である。訝しむ乙女の顔は少し不満そうだ。
「他の国はどうであれ、『上総守』は親王――天皇の嫡子、嫡孫――にしか赦されぬ慣例がござる。廃れた慣例であれ、これを守らねば殿にとって無駄に不都合がございましょう」
「えぇ……なんじゃそれ……こわっ」
くだらぬ慣例だ。信長は呆れるも、確かに慶次の言う通り無駄なしきたりを重んじる輩が、無駄な手間を取らせてくるだろう。それを避ける為と思えば、仮名の一つや二つ訂正しても良い。
信長は嘆息した。だが、表情は明るい。慶次の諫言の底に、自身が歩もうとする覇道への理解があるのを感じ取ったからだ。ますます深まる寵の心のままに、信長は前言を訂正する。
「是非もなし。事が済めば、わしは織田上総介信長じゃな」
「そして、我はただの『慶次郎利益』になるのですな」
「うむ! 前田家は犬千代にやるって約束してしもうてるしな! すまんが、其の方は別の名をやるゆえ勘弁してネ!」
肩をどつくように叩き、呵呵っと笑いながら立ち上がった信長の背を、跪いたまま慶次は見つめる。
まったく――面白い御方だ。