織田弾正忠家の後継者争い、そのどさくさ紛れで巻き起こった粛清の嵐。
老臣ばかりでなく、若くとも関係なく。長年の奉公があろうとも、新参で実績が足らずとも。敵対した無能は戦のいざこざで斬り捨て、味方した無能は身の丈に合った役職を回し、敵対していようと柴田権六郎勝家のように能力があるなら重臣として遇した。
中でも道三の命で美濃から移籍させられた、尾張の乗っ取りを行うはずだった役人達は、その道三の命で信長に仕えることに相成り戸惑っていたが、彼らの大部分は元々美濃でも家を継げる立場にない若者ばかりだった。能力はあっても後ろ盾はなく、故に能力重視で取り立てるという方針に感じ入り、懸命に働いて旧来の役人を追い抜く実績を挙げていく。
粛清で空いた席は唸るほどある。実力のある者が順当に成り上がり、そうした成り上がりに文句を言う老害や不正役人は先の戦で粗方死んでいた。残っていた者も容赦なくその座を追われ、今や家中の風通しは非常に良い。信長は幹部格――家老には厳格な実力主義を唱える心積だが、それ以下には最低限の取り決めを守るなら寛容だったからだ。
眼中にないからこその寛容さだったが、言わぬが花というものだろう。ともあれ斯様なまで迅速に人材の再配置が進んだ裏には、酷使に音を上げず期待以上に働く慶次郎利益がいた。
論功行賞にて第一勲とされ、激賞されて終わった場にて。人払いがなされて信長と慶次のみの時間となるなり、信長は破顔して慶次を呼ばわった。
「慶次、近う寄れ!」
「は」
満面の笑みで手招いて、傍に跪いた少年の頭を信長は抱いた。
「おーよしよし! 愛い奴愛い奴! ほれほれどうじゃ嬉しかろう! 我がこうまで褒めるのは其の方ぐらいのもんじゃぞ! 誇れ誇れ! わはははは!」
「は……」
かいぐりかいぐりと頭に頬擦りされ、撫で回される少年の顔は虚無。顔に当たる胸の感触やら何やらに感じるものは皆無。もとより美貌の持ち主であり、第三次成長期で身長が伸び始め、類稀な美形へと成長を遂げつつある信長に抱き締められているのにこの塩対応だ。だが偉丈夫の反応に頓着せず、信長は思う存分に天下無二に信頼する臣を讃えた。
「慶次の言う『りすとあっぷ』とやらは役に立った! あれで能無し共を除き空いた役職を埋め、多少の不慣れはあっても短期で運営を回せる! それ以前にも戦働きも良し! よく我の申し付けを成し遂げたのう! 正直我でも無茶かなと思わんでもなかったが流石は我の慶次よ!」
「は。美濃から贈られて参った役人のリストアップも済ませ申した。この一月での働きゆえ長期的には不確かでござるが、現状の功を纏め文に認めておりまする。後で目を通して頂きたく」
「おお! 相変わらず痒いところに手が届く! 我が命じるより先に我の望みを果たし、結果を差し出すとは遣りよるわ! 其の方ぐらいじゃ、我を煩わせぬのは! やっぱ慶次よな!」
「は。しかし、美濃から役人として参った者の中で……否、尾張旧来の者を含め最も優れたる者は、国許へ帰りたがっておりまする。どうなさりますか」
「あ?」
ぴたり。撫でくる手が止まる。
慶次が淡々と報告すると、信長の声は低くなった。
臣の頭の上に顎を乗せたまま、中性的な美人となりつつある信長は問う。
「其奴の名は?」
「竹中半兵衛重治と申す者でござる」
「どんぐらい優秀で、歳は幾つじゃ?」
「歳は十五、元服したばかりですな。見定めるには時が足りておりませぬが、先般彼の者を訪ね話してみた所感では殿や我と机上での働きは並びましょう。あれは相当な切れ者でござる」
「ほう。我や慶次と、なぁ……」
十五といえば、信長よりは下、慶次よりは上の頃。
予想以上に高評価されている者に、信長は静かに思案する。
常人なら身震いする冷気と覇気が漂うも、平然としたまま慶次は補足した。
「彼の者は竹中家の嫡男であり跡取り。尾張で御家乗っ取りの働きをした後、実績を手土産に美濃へ帰還する手筈であったとか。主命に抗し得ず父の命にて参上し、未遂に終わったとはいえ不義の企みにて尾張へ参った手前、己は織田家の殿にお仕えするほど面の皮を厚く出来ぬと申しておりまする」
「なるほどのぅ。額面通りなら筋は通っておるが……なんぞ我に含むもんがありそうじゃな。其の方は件の半兵衛とやらの真意をどう見た?」
「裏を探るには些か急であるゆえ、多分に想像を含みまするが」
「構わん、申せ」
「彼の者は優男な見目に反し相当な気骨の持ち主。単純に主命が腹に据え兼ねていたのが一点、嫡男の身であるゆえ責任がありそれを疎かにしたくないのが二点。後は、此度の殿の弾正忠家継承の争乱にて、殿の企てを正確に見抜いたがゆえ、殿の遣り口が気に食わぬ点が可能性として有り得るかと」
「……我の策を見抜いた可能性がある、それだけで見過ごせんな」
深々と嘆息した信長の顔を、慶次は見れない。しかし慶次がこれまでに分析した信長の人物像からすると、声音と併せて判断するに二つの感情がある。
慶次が知の分野で己らに並ぶと称するほど優秀な者の発見に喜ぶ心。それほどの知恵者なのに自身に服さぬ怒り。覇者である、覇を唱えんとする魔王である。声は剣呑な色に染まっていた。
「我が出向く。供をせよ」
「は」
「臣従するならよし、従わぬなら斬れ」
「御意」
「我が出向く時点で真意を見抜き、仮病でも使って時を稼いで夜逃げするじゃろうが、会わぬと申すなら押し通るまでよ。斯様な知恵者を道三めの許へ帰すなど御免じゃ」
即断即決、即行動。すっくと立ち上がった信長が歩き出すのに、慶次は従順に付き従う。
すれ違う者が畏まって道を空ける。止めてどこに行くか訊ねる者は無視し慶次が外回りと告げる。表に出るなり慶次は指笛を鳴らした。
颯爽と現れるは馬小屋より推参せし黒馬。筋骨隆々、巨大な馬体と灰色の鬣を有した松風。
「松風号、殿の乗機となれ」
『御意』
「おー! 松風か! よいよい、一度乗ってみたかっ――此奴、今喋らんかったか?」
『気のせいでござる』
「なんじゃ気のせいか……」
不機嫌そうに覇気を撒き散らし、周囲を怯えさせていた信長の機嫌が一転してよくなった。
理知的というより無機的な赤目。よく見れば馬体の中心に切れ目があるように見えなくもない。
声は慶次のもの。気のせいかと流したふりをしながら、わくわくした素振りで黒馬に跨った。
松風の手綱を牽いて慶次が歩く。馬上の人となった信長は、他の馬より視界が高い松風を殊のほか気に入ったが、慶次に献上しろとは言い出さなかった。
代わりに思い出したかの如く彼女は言う。
「そういえば慶次よ、其の方は元服がまだじゃったりする?」
「然り。実はまだですな」
「……もう有耶無耶にして実は元服してたってことにしていいかのう?」
「構いませぬ」
「すまん。気が回らんかった……侘びと言ってはなんじゃが、我の妹の市とか嫁にどうじゃ?」
「要りませぬな」
絶世の美女――今は美少女――を、気軽にやると言われても慶次は塩対応を通した。信長としては慶次に血族をあてがい身内に迎えて良いという気持ちで言ったのだが、取り付く島もない。
微かに不貞腐れながら信長は反駁した。
「なんでじゃ? 市は気立てのいいおなごじゃぞ。我に似て美人じゃし」
「そも女人を迎える心積はござらん。我には殿がおりますゆえ」
「―――」
「………」
「……? ……え、なんじゃ。無自覚?」
「……相済みませぬ、お言葉の意図が汲めませなんだ」
「あぁ、そういう。なるほどのぉ……」
慶次は単に臣として仕えるのに室は無用と言っただけだ。それを察した信長であるが、込み上げる感情で顔面がふやけ、ニヤけるのを抑えられなかった。
外じゃなかったら撫で回してやるところだ。しかし、同時に不満でもある。慶次の胤で生まれる子に興味があったからだ。さぞかし可愛かろうと思うだけに残念であった。
(いっそのこと……)
と、何やら本気で思いかけて。町人なりが道を空ける中を歩む二人の前に、一人の小汚い格好の若者が躍り出て、跪いたではないか。足を止めた慶次と松風の上から見て、信長は眉を顰める。
「あいや、暫く! 暫くお待ちくだされお武家様!」
何者だ。
小柄な背丈でありながら、小麦色の肌には生気が迸り、毛髪は唐人の如く金の色。不快げな目で無礼者を斬れと命じそうになる信長だったが、ふと彼の声が聞こえることに気づいた。
発する異様な生気へ無意識の関心が向いたのだろう。腰帯に差していた刀の柄に手をやった慶次が一喝するのを尻目に反応を見た。
「貴様、我が主の道を阻むとは何事か! 何者であるか、名乗れ!」
「ははぁっ! それがしは木下藤吉郎と申しまする! お武家様! どうか、どうか暫く時をそれがしにお与え下され! 身命を賭してでも、なんとしてもお耳に入れたき儀がありますゆえ!」
「無礼な。こちらにおわす御方をどなたと心得る。直言の赦される御方ではないぞ!」
「よい。聞くだけ聞いて、些事なら斬ればよかろう」
「――は」
信長が言うと、慶次はすぐ引いた。
この者は信長の名を知らぬ。知っている反応ではない。大方、慶次と信長の身なりを見て、高い位に就く者と見做しただけだろう。
だがこうすること自体が命懸けだ。聞く価値はある……と感じた。
勘と言えば勘、当たるも良し当たらぬも良し。今は機嫌がよい、多少は寛大にもなる。
「面を上げよ」
「ははぁっ!」
額を地面に打ち付けるほど平伏していたのか、顔を上げた男の額から砂利が落ちる。真剣な面持ちをしたその男は――お世辞にも色男ではない。しかし、漲る生気は燦々と輝いていた。
歳の頃は信長よりも上か同程度。精悍な顔立ちだが、猿のように剽軽で愛嬌もある。目と目が合うと奇妙なものを感じた。慶次の時ほど劇的ではないが、これは……男も一瞬、戸惑う。
「申したき儀があるんじゃろ。さっさとせい」
「は!
「ふむ。で?」
「……
口にされた仮名に、信長は目を剥いた。正体を知って接近を試みたのか、なんたる蛮勇。慶次が警戒を強める前で、藤吉郎は改めて平伏して強く言った。
「御身は今、竹中半兵衛めの宅にお向かいでは? 彼の者、上総介様の来宅を予期し、お越しあそばれるのに合わせ失火と称して宅を燃やす計を練っておると、危険をお報せ致しました!」
「――ほう。……慶次?」
「御意」
有り得るか、有り得ぬか、思案する気にはならぬ。信長は不敵に笑って臣に言うと、慶次は打てば響く鐘の如く頷いた。当意即妙、慶次は藤吉郎へ寄ると短く命じる。
「木下藤吉郎、貴様の言やよし。真であるか偽りであるか見極めるに言の葉は無用。殿は貴様に我らへ随行を許すと仰せだ」
慶次からの申し付けに、藤吉郎はガバッと顔を上げ、笑顔で応じた。
「はっ! なんなりとお申し付け下され! 文字通りなんでもしますぞ!」
時系列とか年齢とかイベントとか色々おかしい? 魔法の言葉がある。
これFateじゃから…!