私は二階堂あやめ。
憲利様にご恩があり、加茂家の一使用人として、お仕えさせていただいております。
私の両親は、呪霊によって殺されました。
家庭は裕福ではないけれど、生活に困るというわけでもない。父母も、時折喧嘩したり、意見がすれ違うこともあるようですが。
なんだかんだで、10年近く連れ添っている二人の姿は、私にとって理想的な夫婦関係のように見えました。
特別でなく、不幸でもない、ただありふれた幸せな家庭。
全て失った今となっては、それがどれほど尊いものだったのか……痛感するばかりです。
両親が呪霊に襲われたのは、4月の頭のことでした。
この時期。様々な理由によって日本では人々の間に社会不安が増大するのだと言います。
不安の増大は、すなわち呪霊の増大。
人の負の感情から生まれ、それを糧とする呪霊は特に人が多く集まる場所に発生しやすいのだとか。
ある日、両親は深夜になってから二人で車で出かけて行きました。
私は寝静まった振りをしながら、随分仲がいい二人だと呆れたものです。
翌日、私の通っていた学校で二人の死体が発見されました。
なぜ二人が学校へと立ち寄ったのかはわかりません。多分、他愛もない理由だったのだと思います。特に用事もないのに深夜にドライブをするような二人でしたから。
だから、そう。きっとこれは事故のようなもの。
そう考えないと耐えることが出来ません。
あんなに優しい二人が……遺品と呼べる物を何一つ残さず、死んでしまうなんて。
……遺体は酷い損壊状態だったと言います。それ以上のことは教えてもらえませんでしたが、最初はその死体が一人なのか複数人なのかさえわからなかった状態だと言うのですから。
私の両親の死は、表向きには“落下事故”ということになりました。
当時は、そのニュースを取り上げたワイドショーの司会者が“子供がいるのに夜中に学校に行くというのも不用心で責任感がない”などと訳知り顔で話していたことを強く不快に思ったものです。
ですが確かに、残された私に身寄りはありませんでした。父方母方ともに、祖父母は逝去なさっていたのです。つまり私が、二階堂家の最後の血筋ということになります。
途方に暮れた私に……帰るべき場所を与えてくれたのがまだ若い憲利様でした。
あの方は、真に他者を思いやることが出来る素晴らしい心をお持ちになっています。
……今は当主としての仕事が忙しいようで、少し大変そうですが。
ともかく加茂家に迎えられた私は、使用人として精一杯働きました。
そうして、呪いという存在を認識することでようやく、両親の本当の死因も知ることが出来たのです。
私は非術師ですが、両親が呪霊によって殺されたことが原因なのか、呪いをこの目で見ることができます。
だからと言って、呪術師になろうなどとは微塵も思えません。
呪霊への復讐心……というものが、無かったわけではないのですが。
すでに憲利様によって両親を殺した呪霊は祓われておりましたし、そうなると、私が命を賭けて戦うことを両親は望んでいない気がしたのです。
ですので私は、加茂家の関係者ではあっても、呪いとは距離を置いて暮らしておりました。
……そんな折。
「ふふっ、私のお腹を蹴ったわ。あやめ」
「えぇ、経過は順調です。水奈瀬様」
「“様”はやめて。呼び捨てにしてっていつも言っているでしょう?」
「……水奈瀬さん」
「もうっ」
加茂水奈瀬。
彼女は憲利様の弟君……加茂憲俊様の奥様です。
憲俊様とは彼が米国に留学中にお会いになったそうで、憲俊様が彼女を妻に迎えると言い出した時は、それはもう大変な騒ぎになったものです。
加茂家は呪術界総監部との繋がりが強いお家柄。慣例として、加茂家の男児はそうした筋から見合い話を持ちかけられ、ご結婚するそうです。
水奈瀬様はとても綺麗な青い目と、金の髪色をお持ちでしたから……加茂家の奥方としては静謐さに欠ける、と。お二人はご実家で後ろ指を指されるようになってしまったのです。
それでも水奈瀬様はご息女を授かりました。
彼女は辛い境遇にも関わらず常に笑顔で、溌剌とした方でした。
「きっと私に似て、美人に育つわね」
生まれてきた美水矢様は確かに将来の器量を感じさせる、水奈瀬様に似て玉のような子でした。
……ただ唯一不可解なのは、憲俊様のものでも水奈瀬様のものとは違う髪色。
皆はそれをして美水矢様を“忌み子”だと気味悪がりました。
加茂家のしきたりに逆らったために先祖の恨みを買ったのだと。気高い加茂の血筋に汚れた血を混ぜた天罰が下ったのだと。
……迷信以外の何物でもありませんが、元々閉鎖的な所ですから噂はすぐに広まります。
水奈瀬様が身籠っていた間、憲俊様と共にお世話をさせていただいた私にも冷えた目は向けられましたが、水奈瀬様が常日頃感じていただろうストレスの方が深刻です。
お腹の美水矢様への悪影響もありますから、妊娠期間中は居住地を移そうかとも思ったのですが……。
「だいじょーぶ。向こうの方が人間関係には気を遣ったくらいよ」
……水奈瀬様は本当に、強い心をお持ちの方です。
私は彼女に、強い尊敬の心を抱き……。
それを伝える前に、彼女はこの世を去ってしまいました。
美水矢様を産んだ直後、水奈瀬様の容態が急変したのです。
つい先日まで当たり前のように言葉を交わし、あんなに元気だった彼女と……もう言葉を交わすこともできないのです。
家の者も流石に思うところがあったらしく、表立って彼女の陰口を叩く者はいなくなりましたが……残された美水矢様に対してはまるで腫れ物に触れるような態度です。
母のことで恨みを抱かれるのが怖いのでしょう。
やはり美水矢様のお世話は私が焼くことになります。
……憲俊様は、水奈瀬様が亡くなられると酷く心を痛め、家に顔を出すことが極端に少なくなりました。
使用人の身分でこのようなことを言うのは不遜極まりないと、重々承知しておりますが……。
不義理なことだと思います。
結果、美水矢様は加茂家から離れることもできず。かと言って歓迎されているわけでもなく……とても不安定な立場に立たされてしまったのです。
幸いなことは、美水矢様が水奈瀬様に似た活発で溌剌な性格であったことでしょうか。
元気に走り回る美水矢様を見ていると、私も救われる思いです。
「ねぇ見て! ねぇ見て! 池に渦潮が出来たわ!!」
……少々、活発すぎる所もありますが。
しかし私は嬉しいのです。美水矢様がすくすくと育っていくのが。
……このままもし叶うなら、しがらみなど何もない、呪術界以外の場所で。
良いお相手と巡り合い、幸せな家庭を築いてもらえれば……私はそう願わずにはいられなかったのですが。
「ねぇ聞いた!?」
「えぇ。美水矢様の呪術……!」
「あの五条家の六眼にも迫る才ですって……!」
運命というのは本当に残酷に出来ているらしく。
美水矢様は呪術に関して、天賦の才をお持ちでありました。
加茂家の鼻つまみ者としての立場から一転。方々からまだ若いのにお見合い話や縁談が持ち込まれる掌の返しよう。
私はつくづく、この世界が嫌になります。
「あやめさんあやめさん。安いキュウリが手に入ったから、お漬物を作って欲しいの」
唯一の救いは、彼女が何も変わらずそのままでいてくれること。
これから彼女の周辺では、様々な陰謀めいた出来事が起こるのだと思います。
彼女がそのような悪意に押し潰されず、自分だけの幸せを掴み取ってくれることを……。
私は心の底から願わずにいられません。