「美水矢様」
私が畳の目を数えてたら、あやめさんに話しかけられちゃってどこまで数えたか忘れちゃったわ。1200ちょっとまでは行ったと思うんだけど。
「なぁに?」
「実は今、憲利様と直毘人様とでお食事の予定がございまして……そこに、美水矢様もご招待されております」
あやめさんは、私に笑顔でそんなことを……。
「ナオビトってだれかしら?」
「……」
あっ、笑顔が固まったわ。
「……禪院家の当主様ですよ。憲利様とは懇意になさっております」
あやめさんがちょっと引き攣った笑顔でそう説明してくれたわ。
ナオビトさんってもしかして、私も会ったことあるのかしら。全然覚えてないわね。
私が覚えてるのはあやめさんと、ここの当主さんと、サトル君と、スグルさんと……。
うん、それだけね!
だってもう私は12歳になるんだもの。
昔だけ会ったことある人なんて覚えてられないわ。
「……」
そう、12歳。
12年よ。日本に転生してから。
とは言っても、私は女神として何万年も生きてきたから、今更10年ちょっとの時間。どうってことないんですけどー??
……。
カズマさんたち、どうしてるかしら。
私のこと、心配してくれてるかしら。
めぐみんはもう大きくなったかしら。なってなさそうね。ダクネス……はカズマさんが貰ってくれたのかが心配だわ。あのクソニート、肝心な時にヘタれるもの。
カズマさんは“ハーレムとか絶対無理だわ”って言ってたけど、あの3人だったら案外なんとかなりそうなのよねー。ダクネスはエリス教徒だから結婚したら祝福するのはエリスでしょうけど、私も特別に祝福してあげてもいいわ。
……エリスは何やってんのかしら。
さっさと私を見つけてくれないと、みんなのこと忘れちゃいそうなんですけど。
女神の時間は永遠だから、記憶が薄れるのも早いもの。
段々、カズマさんたちの声が思い出せなくなってきたわ。
……もしかしたら。
私も死ねば、向こうに転生できるのかしら。
◆
「よぉ、来たな! 憲利!!」
片手に瓢箪酒を持って、快活に笑う壮年の男。
禪院直毘人の相変わらずな姿に、加茂憲利は苦虫を噛み潰したような顔をした。
「なんだよツレねぇな! 俺とお前の仲じゃねぇか!」
「貴様と肩を組むような仲になった覚えはない」
「おいおい、これから飯だってのに、んな飯が不味くなるようなこと言っちゃいかんだろ! うっ、ゲェ〜〜っ!!」
「……食事の前に出来上がってるような貴様に言われたくはない」
「ブッハハハハ!!」
禪院直毘人は呪術界には珍しく、良く言えば快活、悪く言えばズボラな人物だった。
行使する術式、“投射呪法”は繊細極まりない呪術であるのに、一体全体この男がどうしてあんなものを使いこなせるのか……周囲の術師にはそう噂されるほどの大雑把さ。
だが表面上は快活に見えて、直毘人もまた呪術師らしく、笑顔の表情の裏で様々な陰謀を張り巡らせる性分だった。
今回の食事会にしてもその策略の一つ。
禪院家から出席するのは、禪院直毘人、息子の直哉、禪院夜伽。
外部から招待したのは加茂憲利、加茂早見寧、加茂美水矢。
そして……。
「……来たな」
「呼ばれたからな。禪院のジジイ」
五条悟。
その姿を認めた直毘人はニヤリと笑い、憲利は苦い顔をする。
「……おい、聞いていないぞ」
「言ってないからな」
「……」
憲利は何かを言い募ろうとして、諦めた。
「パパ、早く行こうや」
「おぉ、そうだな。直哉」
これを無言の承諾と捉えた直毘人は歩を進める。
「……」
「よぉ、美水矢! また会ったな」
「……」
「? 美水矢?」
五条悟は親しげに手を挙げながら、もはや身内と言っていい存在となった美水矢に呼びかけた。
しかし、いつもなら返ってくる美水矢の軽口がないことに首を傾げ、正面に回る。
「おーい、無視すん……ッ!?」
そうして五条悟が見たのは。
一切の“表情”が抜け落ち、冷徹無比な顔となっている顔見知りの少女の姿だった。
それは、いつもの彼女の能天気な雰囲気とはまるで真逆のもので──。
「……あら? サトル君じゃない。いつからいたの?」
「え……?」
直後。
「っていうか! やっぱり私のことストーキングしてない!? なんで私が行く場所に何度も現れるのよ!」
「……」
美水矢はいつもの調子に戻り、嫌そうな表情で後ずさっていた。
五条悟が知るいつもの美水矢だ。
(……さっきのは、見間違いか?)
いっそ別人だったと言われた方が信じられるほどの変わりよう。だが美水矢にそのような二重性があるような素振りは今まで見られなかったし、彼女はそういう性格でもないだろう。
「? 何よ?」
実際、ケロッとしている彼女の表情に嘘の色はない。
「……ふぅ」
五条悟は一息ついて。
“疲れていただけ”……そういうことにして、ついさっきの彼女の表情を忘れることにした。
「美水矢」
「だ、だから何よ……やる気!?」
美水矢の正面に立つ。
すると何を勘違いしたのかその場でシャドーボクシングを始める美水矢。
……五条悟はそんな美水矢を見て、言葉にし難い感情が溢れてきた。
“最強”たれと育てられ、自身もまたその期待に十全に答えてきた。五条悟が最強であることは、もはや目標ではなく義務になっていた。
“あなたがいれば五条家は安泰”と皆が言う。欲しいものはなんでも用意されたし、不自由したことなんて一度もない。
他人から見れば、傲慢に振る舞っている五条悟はどこまでも自由な存在に見えるのだろうが……本人からすれば、その傲慢すら許された、敷かれたレールの上を走っているだけ。
呪術界という特殊な環境は、五条悟の傲慢をむしろ歓迎したのだ。
力を持つ者が我を通すのは当然だと。
だが……。
「シュッ、シュッシュッ!!」
恐らくは五条悟と同等レベル、いや下手をすればそれ以上の呪術の才能。
加茂美水矢は対照的に、あらゆる自由を剥奪されてきた人生を送ってきた。
女だから。海外の血が混じっているから。奇怪な髪の色の忌み子だから。その方が都合がいいから。
実際、五条悟も最初は思っていた。
こんな落ちこぼれ、と。
そんな自分が今は恥ずかしいとさえ思っている。
五条悟が横暴を許されたように、加茂美水矢の我儘も通されて然るべきだ。彼女にはその権利があるのだから。
だが本人にも周囲にもそのつもりはないらしい。
五条悟はこの不条理に直面した時、自分の立場や親の権力も全て使って美水矢の冷遇をやめさせようとした。
だがその訴えは棄却された。
呪術界の上層部は、美水矢が必要以上に力を持つことを恐れたのだ。
このまま美水矢の扱いは変わらず、彼女は死ぬまで奴隷のように酷使し続ける……それが呪術界、そして加茂家の判断だった。
五条悟は、初めて自分の力が及ばない無力さを味わった。
自分に関することなら、その強さと家柄、権力でいくらでもひっくり返すことができた。
だがその力は他者を救おうとした時、あまりにも無力に萎れてしまう。
五条悟に加茂家以上の総監部との強い繋がりはない。そもそも他の家問題の五条が首を突っ込める道理もない。
だからこの場は好機なのだ。
加茂家、禪院家、そして五条家の自分。
無礼講の席とはいえ、ここでの発言は重い意味がある。
「お前……すげぇよな」
「……?」
五条悟は決意を改める。
彼女のことは、俺が必ず……。
「……なんでもね」
「え!? ちょ、ちょっと! 何なのよー!」
その先を言葉にするのは少々気恥ずかしいが。
絶対にやり遂げるのだと。
「……」
そんな二人の様子を、恨めしげに見つめる視線には気づかないまま。
五条悟は密かに、初めて自分が憧れた存在へ報いる覚悟を決めたのだ。