もう何年も前の記憶。

先輩が残した最後の言葉は、今も僕の心を蝕み続けていた。

これは、最低な僕と最低な先輩の間に起きた、何も起きなかった話。

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置き土産は呪い

 

「命は消耗品。肝心なのは、その使い道なんだからね」

 

 ──それが、彼女の残した最後の言葉だった。

 

 全てを悟っていそうな雰囲気を事も無げに纏うその少女は、高校の一つ上の先輩。

 そして、恐らくは僕の初恋の相手だった。

 

 いつだって彼女は、僕とは違うどこかを見ていた。

 どんなに目を合わせても、いくら会話を積み重ねても、僕は彼女が掴めなかった。

 ……でも、それでよかった。当時の僕には、それがよかったんだ。

 

「あれ、今日もサボり? ダメだよ? 授業にはちゃんと出なくちゃ」

 

 わざとらしく眉間に皺を寄せて優等生を気取る先輩は、その日もいつも通りだった。

 いつも通り、誰もいない保健室で。

 入り口から一番近いベッドに腰掛けて。

 無邪気に脚をぶらぶらさせながら、柔らかな笑顔で僕を出迎える。

 

 だから、僕もいつものように振る舞った。

 保健室に常備されたくるくると回転する丸椅子。

 それを一脚拝借し、先輩のいるベッドの横に移動させ、彼女と向かい合って座る。

 

 つま先とつま先がぶつかりそうでぶつからない。

 触れようと思えば触れられるが、互いに手を伸ばすことはしない。

 その曖昧な距離感が僕のお気に入りだった。

 

「ねえ、後輩くん」

 

 肩の上で綺麗に揃えられた黒髪。

 その一部を左の耳にかけながら、先輩は少し身を乗り出した。

 その拍子に、甘い匂いが鼻腔をくすぐる。

 ほんのり漂うジャスミンの香りは、僕の心を静かに惑わした。

 しかし、彼女の細く澄んだ声によって、意識は容易く引き戻される。

 

「君の魂は、どこを向いているのかな」

 

 いつもと同じ、唐突な切り出し。

 意味深な問いかけでジャブを打つのが先輩の悪い癖だった。

 相変わらずの突飛な問いに心地良さを覚えつつも、その答えを高校生の僕が持ち合わせているはずもなく。

 暫くの沈黙の末、「私はね」という言葉を頭につけて先輩の方から語り出す。

 それが、二人の間での恒例になっていた。

 

「私はね、『すべき』とか『した方がいい』とか、そういう表現があんまり好きじゃないんだ。なんだか窮屈に感じちゃってね」

 

 頬を指先で撫でながら、先輩はぎこちなく微笑む。

 視線は僅かに下がり、その小さく整った顔に薄い影が落ちる。

 しかし、それも一瞬のこと。

 直後、顔を上げた彼女はすっかり元の調子を取り戻しており、凛とした眼差しを真っ直ぐこちらへ向けてきた。

 

「でもね、自分の気持ちの面倒は、やっぱり自分が一番見てあげる『べき』なんだよ。だって、人は自分が一番かわいいからね」

 

 ……まただ。また、あの眼。

 僕の目を捉えていながら、その実、僕のことはまるで見えていないかのような。

 どこか虚ろで、儚げで。

 その潤んだ黒い瞳の先に、いったい何を映していたのだろうか。

 

 今思い返せば、それこそが彼女なりの救難信号だったのかもしれない。

 しかし、当時の僕はその可能性に気づいていながら、あえて気づかない振りをしていた。

 自分勝手な期待を押し付けて、目の前の現実を直視することを頑なに拒んでいたんだ。

 

 そんな僕の最低な視線に気づいたのか、それともただの気まぐれか。

 彼女は静かに目を閉じると、一度深呼吸を挟んだ。

 その後ゆっくりと目を開けて、仕切り直すように言葉を付け加える。

 

「でも、いつまでも立ち止まっているのはダメだよ?」

 

 それから彼女は嗜虐的な笑みを浮かべると、当て付けるようにその台詞を吐いたのだ。

 

「命は消耗品。肝心なのは、その使い道なんだからね」

 

 

「ぱぱ、ないてるの? こわいゆめ……?」

 

 発音も覚束無い子供の声。

 身体を起こすと、おどおどしながら僕の様子を窺う幼女の姿が目に入った。

 その愛おしい娘の頭をガシガシと撫でながら、僕は涙を拭う。

 

 そして、はっきりと答えた。

 

「うん、怖い夢。とっても怖い、呪いの夢」


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