アウラの冒険 作:鼻炎ファイター
勇者ヒンメルの死から二十八年。
北側諸国グラナト伯爵領、郊外。
夥しい数の甲冑の軍勢。
そのいずれにも首は無く、その最前列には角の生えた軽装の少女が一人。
左手には天秤を掲げている。
魔王直下の大魔族、七崩賢の一人、『断頭台のアウラ』である。
グラナト伯爵領へ侵攻するべく、領内を覆う防護結界が無力化されるのを待っていた。
和睦の使者として送り込んだ三人の配下、『首切り役人』の工作により結界を解除させるという算段であったのだが、『邪魔』が入ったらしく計画は失敗。
結界の解除は武力行使による強行突破へと移行していた。
アウラの読みが正しければ、もう間も無くその『邪魔者』がこちらへやって来る頃だ。
その名は『葬送のフリーレン』
かつて魔王一行を打ち滅ぼした勇者一行の一人であり、歴史上で最も多くの魔族を葬り去った魔法使いである。
しかしそれは八十年近く前の話である。
勇者と僧侶はこの世から去り、戦士ももはや衰え、現役を退いたと聞く。
残すは魔法使いただ一人。
いくらフリーレンが悠久の時を生きるエルフであり、仮に以前出会した時から更に魔法の研鑽に時間を費やしていたとしても、アウラの魔力量には到底及びはしないだろう。
不死の軍勢をもってすれば、魔法使い一人屠る事など容易い事だ。
溢れ出る五百年分の魔力が、アウラの揺るがない自信を物語っている。
勇者一行の残党の到着を今か今かと待ち侘びていた。
「……あら?」
グラナト伯爵領の方角から人影が一つ、ゆっくりとこちらに向かってくる。
少々怪訝に感じたのも束の間、その姿を見るや否やアウラはくすくすと笑みを浮かべながら人影に向かって言い放つ。
「おじいさん。ここがどこだかわかっているのかしら?」
フリーレンではなかった。
白い顎髭に青いとんがり帽子。
背は高く、灰色のローブを身に纏い、木で出来た飾り気の無い長い杖をついた老人であった。
「死人遣いか……」
老人は声を震わせながら言葉を漏らす。
「なぜこんな惨い事を」
首無し甲冑、もとい『不死の軍勢』の事を言っているのだろうか?
アウラの魔法、『
服従の天秤という名の天秤に、アウラ自身の魂と対象の魂を乗せ、互いの魔力量を比べてより大きい方が相手を操れるようにする魔法である。
不死の軍勢とは、服従の天秤によってアウラの支配下に置いた騎士達であった。
この魔法には欠陥があり、強い意志を持った者は僅かではあるが抵抗することが出来た。
しかしアウラは実に合理的な方法で支配下に置いた騎士を物言わぬ、意思を持たぬ傀儡とすることで、その欠陥を克服している。
アウラが断頭台と呼ばれる由縁である。
一目でこの不死の軍勢がアウラによるものだということを察したその洞察力は老人のそれでは無い。
が、そんなことはどうでも良かった。
アウラは薄ら笑いを絶やさない。
「考えたことも無いわね」
「……」
老人は押し黙った。
愚問である。魔族にとって人の命など取るに足らないもの。
そこに罪悪感や悪意など存在せず、ただ人を殺し食らう生き物。
「今なら見逃してあげても良いわよ。引き返したらどう?」
心にも無い嘘を言うアウラ。魔族には慈悲も存在しない。彼女の頭は、目の前の老人をどう弄ぶかでいっぱいだ。
人間という生き物は、目の前にある希望を取り上げられた時、とても良い表情をする。
絶望の淵に叩き落としてから嬲り殺してやるのはとても気分が良い。
「断る。お主をこのままのさばらせておく訳にはいかん」
老人は杖を構える。
「あら、そう」
ぷっ、と吹き出し、くすくすと笑いながら答えるアウラ。
このじじい、自分と一戦交える気のようだ。この断頭台のアウラと。
老い先短い老練された魔法使いが決死の覚悟で己より格上の魔族に立ち向かうというのは、一昔前であれば稀にあった。
だとしてもだ。
「とんだ身の程知らずか、ボケ老人なのかしら。欠片も魔力が感じられないもの」
「魔力じゃと?」
老人は言葉の意味を理解していない様子を見せる。どうやら後者のようだ。
構えた杖は魔法使いの真似事なのだろうか。
実力の大小に関わらず魔法が使える者は体外に魔力が溢れ出るものである。
どんなに卓越した魔法使いが魔力を隠そうとしても、動けば魔力は漏れ出る。
この世に、完全に魔力を消せる生物は存在しない。
この老人からは、先ほどから全くもって魔力というものが見受けられないのだ。
よほど魔法の才に恵まれなかったのであろう。
そんな老人が一体どのようにして魔族を、それも魔王直下である七崩賢の一人を打ち倒そうというのか。
「……良いわ。遊んであげる」
そう言ってアウラは不死の軍勢のうちの一体を老人の元へ向かわせた。
首の無い騎士は老人の方へ歩み寄り、ゆっくりと剣を振り上げる。
「ちょっとは退屈しのぎになると良いのだけれど」
それを合図にするかのように、首無し騎士は剣を振り下ろす。
しかし、刃は老人に通ることは無かった。
老人は刃を手にした杖で受け止め、そのまま棍棒のように振り回し、剣を払い除け騎士を組み伏せた。
「へぇ、驚いた。あなた戦士だったのね」
予想をしていなかったわけでは無いが。
魔法の使えない者が魔族に対抗する手段はただ一つ。直接相手を攻撃する他ない。
それを目の前の呆けた老人がやってのけるとは、流石にアウラも目を丸くした。
剣を受け止めてから組み伏せるまでの一連の動作は老人である事を全く感じさせず、まるで熟練した戦士のようであった。
「何を言うておる。戦う意思のある者は皆戦士じゃ」
「そんな事を聞いてるんじゃ無いんだけど」
アウラは次なる手勢を数体差し向ける。
老人を取り囲み、一斉に襲いかかるも、手に持った杖によって皆殴り倒された。
「見た目に反してなかなかやるわね。不死の軍勢の補充にちょうど良いかも」
目の前にいる老人は、かつて相対したドワーフの戦士や人間の勇者には遠く及ばないものの、老人である事を感じさせない程の膂力と技を持ち合わせている。
腕の立つ兵士程度であれば互角に渡り合える事だろう。
アウラは左手に持つ服従の天秤を老人に向けて掲げた。
「『
そう言い放つと、アウラの黒く澱んだ魂がゆっくりと体を離れ、アウラから見て右の皿に乗る。
当然、天秤は右に傾く。
「それはなんじゃ」
「あなたを服従させる魔法よ。この天秤に魂を乗せて魔力を測って、傾いた方が相手を服従させることができるの。もっとも、これで私より魔力の大きな相手と対峙したことなんてないけれど」
自信に満ちた表情で得意気に説明をする。
「その術でこの亡者達を操っておるのか」
「そ。あなたもその仲間入りってわけ」
そう言ってアウラは首の無い騎士を一体呼び寄せ、剣を受け取る。
「杖じゃ首は切れないものね」
右手に剣を携え、老人の方へ歩み寄る。
一人だけローブというのも締まらないし、使えなくなった死体の甲冑でも着せてやろうか、などと考えながら。
しかし、不可解なことが一つあった。
「…………?」
老人の魂がいつまで経っても天秤に乗らないのだ。
こんなことは初めてだ。今までどんな相手であっても体から魂が飛び出し、天秤に乗って魔力比べが始まった。
(まぁ、そのうち出てくるでしょ)
そんな事を思いながら、一歩、また一歩と老人の方へ歩くアウラ。
「その術は確かに目を見張るものがある。それを使うために相当な修行を積んだ事じゃろう」
アウラは立ち止まる。
何かがおかしい。
「じゃが……」
天秤が動き出す。
「お前はその術を、善い事に使うべきじゃった」
──天秤は。
迷う事なく、最大限まで。
左へ大きく傾いた──
「…………えっ?」
アウラの瞳孔が一瞬、大きく開く。
同時に、体の自由が効かなくなった感覚に襲われた。
状況が理解できなかった。
左の皿には何も乗っていない。
老人から魂が飛び出した様子も無い。
「う、嘘でしょ……? どういう事よ、これ……!?」
「……?」
狼狽えるアウラを見て眉を顰める老人。
当の老人も何が起こっているのか掴めていないようだ。
天秤は未だにみしみしと悲鳴をあげながら少しづつ左へ……否。下へ、下へと動いている。
アウラの左手も、まるで地面に吸い寄せられるかのように下へ、下へ。
「そんなはず……そんなはずは……!」
魔法の発動に失敗したのか? そんなはずはない。普段通り問題なく発動したはずなのだから。
老人の魔力量を見誤ったのか? そんなはずはない。魔力制限特有の揺らぎを観測する必要さえ無い、『無』であったのだから。
ピキリ、と。
甲高い破裂音を立てて、天秤は支点を外れ、地に落ちた。
ごく小さな音であったが、アウラはもはやそれにさえ慄き後ずさる。
左手が軽くなったことで、ふと。
右手に『重たいもの』を持っている感触を思い出す。
「ひいぃああぁぁっっ!!」
さっきまでの威勢が嘘であるかのような悲鳴を上げ、アウラは手に持っていた剣を放り投げた。
幸いな事に、まだ体の自由は効く。
老人はまだ何も命令を下してはいないようだ。
そんな千載一遇のチャンスの中でやることなど、一つしか無い。
「……っ!」
アウラは動かせるだけの不死の軍勢全てを老人にけしかけた。
悍ましい数の首無し甲冑に遮られ老人の姿が見えなくなったかならないかの刹那。
老人がいるであろう場所から突如眩い閃光が放たれ、アウラの目を眩ませた。
無数の不死の軍勢は綿毛でも飛ばすかの如く弾き飛ばされる。
「やめんか馬鹿者が!」
老人の一喝は
同時に、周囲で待機していた不死の軍勢が一人残らずバタバタと、力なく地に伏した。
「ぁ……あぁ……」
目に涙を浮かべながら、情けなく声を漏らす。
指先一つ動かす事さえ敵わない。それはつまり、己には鋼の意志など存在しなかった事に他ならなかった。
目の前にいるのは呆けた老人などではなく、自身の理解が遠く及ばない、得体の知れない『何か』であった事を今、悟った。
五百年研鑽を重ねた魔法が打ち砕かれたという悔しさよりも、得体の知れない『何か』に命を奪われるという恐怖が彼女の頭を埋め尽くす。
断頭台の上で、処刑の時を待つことしか出来なかった。
して、その『何か』はというと──
恐怖で張り裂けそうになっているアウラを一瞥した後、糸が切れた人形のように横たわる無数の亡骸を見遣っていた。
そのうちの一体に近寄れば、亡骸を仰向けに直し、胸の辺りに両手を組ませた。
「何……してるのよ……」
「死者を弔っておる」
老人は次の亡骸へと向かう。
「早く、殺せば良いじゃない……!」
大魔族としての最期のプライドなのか、ぼろぼろと泣き喚きながら精一杯声を荒げる。
「それとも何!? こういうのが趣味なわけ!? このクソジジイが! 早く殺しなさいよぉっ!!」
老人はうるさそうに目を細める仕草を見せる。
二人目の腕を組み終えて立ち上がると、老人はアウラの方を見据え、
「お主も手伝うのじゃ」
「…………………………は?」
これは、一人の魔族が人の心を知る物語。
【登場人物】
●アウラ●
元魔王直下の大魔族、七崩賢の一人。
チキンでヘタレ。
●???●
アウラの前に現れた謎の老人。
杖でぶん殴る。