ミールという少女が居候になって、数日が経過した。彼女の予想と違って、彼女を襲ったという犯罪者は一項に姿を現さなかった。まあ、姿を見せないのならそれはそれで喜ばしいのだけど。家で、お爺様とそう話し合っていた。
今僕は、高町家の道場にお邪魔している。所謂出稽古という奴だ。
「違う! もっと重心を落として!」
「はい!」
わざわざ高町士郎さんが僕の面倒を見て下さっている。士郎さんは二刀流だが、一刀流でも素晴らしい実力を持っている。いやむしろ、一刀流であれだけの剣の冴えが無いと、二刀流はできないのかもしれない。実際、二刀流というのは非常に難しいものだ。
元来、刀というのは二つの腕で振り下ろす。それを片腕で実行するとなると、大変な労力が必要だ。筋肉もそうだが、判断力もだ。片腕を動かしている間に、もう片方は如何するか。そういった事を考えなければならないだろう。
「ふっ! はっ!」
ヒュン、ヒュンと竹刀が風を切る。その音は心地よく。だんだんと鋭くなっていく。お爺様の計らいで、こうして出稽古をさせて貰ったが、実にためになる。士郎さんの指導は剣道ではなく、剣術であり、剣道にはない鋭さを学ぶ事が出来る。
一振り一振り、より実践的な動きを教わりながら、僕は有意義な時間を過ごしていった。
夜、客間にいるミールへ交替の包帯などを持ってきた時に、一つ尋ねられた。
「何でそんなに剣道に一生懸命になるの?」
彼女は、痛い思いをする剣道を肯定できないようだ。痛い思いをするのは誰だって嫌だ。其れなのに痛い思いをする剣道を不思議に思っているようだ。
如何やら彼女は家に来てから、僕がしていた稽古を見ていたらしい。というより、お爺様と一緒に道場で体を動かしていたから知っていて当然だ。体は動かしたほうが回復が速くなる。これは我が家の考え方だ。少し早いリハビリのようなもの。動かさなければ、体は鈍るしな。
「それなら君に聞くけど、君は何で考古学をするんだい?」
「それは一族の為よ。そうやって私たちは暮らしてきた」
そう言うけど、彼女の顔は少しだけ違和感がある。彼女自身は気が付いていないようだけど。
「違うよ。その答えは正しいけど、絶対的に正しいわけじゃない。僕が聞いているのは一族じゃなく、君自身が考古学にのめり込んだ理由だよ」
「え?」
「言葉通りだよ。君は考古学が好きだから、古い遺跡などに潜るんじゃないの?」
「う、うん。そうだけど」
「それと変わらないさ。僕にとって、剣道は好きだし、何よりも憧れだしね」
そう、僕にとって剣道はそういうもの。好きでないのなら、そんな事はしない。そして憧れがあるから、頑張れる。
「ふうん。そっか。ありがとう。私は分からない事が有ると、それが気になっちゃって夜も眠れなくなるから」
何というか、彼女の知識欲は凄い。だって以前知ったけど、
「だから、夜中テレビにかじりついていたの?」
「なっ!?」
あ、あれ? 顔が急に真っ赤になって。
「そ、そそそそ、それを何で知っているの!?」
「え、いや夜中トイレに行こうとして、客間の前を通ったらテレビの音が漏れていたし」
く、首を絞められて!
「く、首! 首が!」
「えっ! あっ、ご、ゴメン!」
のどをさすりながら、彼女に気にしないでと伝え、話に戻る。
「まあ、僕は好きだから続けている。それが理由だね」
笑いながら彼女にそう告げて、僕は自室へと向かう。
「じゃ、じゃあ!」
「?」
突然強くなった言葉に、思わず足を止めた僕は彼女の方に体を向け直す。
「それが、それが怖くなったら!?」
「え?」
怖くなったら?
「……ゴメン、何でもない。忘れて」
「ちょ――」
返事を聞きもせず、彼女は客間へと向かっていく。
彼女の言葉は、十字架のように僕をその場に繋ぎ止め続けた。それに今の彼女の顔は……。
何で、何であんなことを言ったんだろう。
あの後、そのまま別れればよかったのに。だけど、とっさに口が動いていた。怖くなったら如何するの?
それは今の私が考えなければならないのに。
『マスター』
「大丈夫、大丈夫なはずなんだよ、ゼウス。だけどね、体がこわばるんだ。遺跡の事を考えると、体が。こんな事今までで一回もなかったのに!?」
『それは心理的な恐怖が原因でしょう。遺跡の発掘中に襲われたという恐怖が、トラウマとなって貴方を縛っているのでしょう。それはゆっくりとカウンセリングを行えば、治ると思われます』
そうなんだろう。でも、でもそれでも怖い。
あの時の事を思い出して。いきなり襲われて、何もかも分からないまま、転移魔法で逃げ出すしかなかったあの恐怖が。
「ねえ、ゼウス」
『何でしょうか』
「私は如何なるのかな?」
『それは?』
「簡単なことだよ。遺跡に潜れない私が、スクライアに戻ったとしても役に立つのかな?」
『スクライアの仕事は遺跡に潜るだけではありません。それに、マスターならもう一度潜れるようになると私は思います』
弱弱しく私はうなずいたけど、その裡は不安で塗りつぶされていた。それに気づいたきっかけは、夜中ふとした拍子に見た番組だ。その中で、多くの学者たちが遺跡発掘をしていたが、それを見た瞬間酷い吐き気と、悪寒が体を襲ったのだ。
「私は、私は」
ゼウスに悟られないようにはできている。でも、体の震えは止められない。きっと、カウンセリングに行ったって、意味が無いだろう。
ふむ。心の傷は深いか。
「あら、貴方。こんな所に突っ立って、如何したんです?」
「いや、何。少々な」
不審がる母さんを尻目に、儂もまた自室へ戻る。
さてはて、心の傷は厄介じゃ。体の傷はそろそろ癒えるだろうが、心の傷はそう簡単には癒えぬ。これから先は、あの娘の心の強さ次第か。和地、お前が一番あの子に近い。上手く支えてやってくれ。
窓から差し込む月明かりを見ながら、儂は目を細める。
それにしても、あんな子が働かなくてはいけない世界か。あまり良い世界とはお世辞にも言えないじゃろうな。いっそのこと、儂らが面倒を見るのも良いかもしれん。実際に襲われて恐怖を感じている今、その集落に戻ったところで、上手く生きていけるとは言えないだろう。
益体もなく、とりとめのない事ばかり考えながら、儂は静かに自室へと引き込む。
せめて、せめて、心に巣食った恐怖だけでも消し去れないものか。