肌を伝い落ちる生暖かい血は、雲の上というマイナスを越えている極寒に、あっという間に冷たくなり黒ずんで固まっていく。肌に引っ付き、動くたびに引き攣るが、珍しく運がいいともいえる。流れ落ちた血だけでなく、腹に開いた穴があふれ出てくる血によって、凍てついてくれた。結構な量の血液がすでに流れてしまったが、もうこれ以上血が流れることはないだろう。
流血というのは、思った以上に厄介だ。体力を削られるし、油断していると死ぬ。しかも本気で動けば動くほど、血が流れ出しやすくなって、体力がさらに早くなくなってしまう。しかし今回は違う。傷口が凍ったことで、体力の消耗は少し抑えられるはずだ。いや、もう流れるだけの血が残っていないのか? 思わず笑みがこぼれる。だとしたら、それはそれでいい。どうせこの体が動ける時間はそう残されていないはずだ。
「死にやがれぇぇぇぇぇ!!」
須佐が雄たけびを上げて、突っ込んできた。濁った光を纏う斧が振り下ろされる。右へ跳ぶ。判断はいつも通り素早かったが、足に力が入り切らず、体がぐらついてしまい、動きが遅くなってしまう。それでも奥歯を力強く噛み、無理やりふらつく体に言うことを聞かせる。本来の体と比べれば、圧倒的に緩やかな、緩慢と言っていいくらいの動き。だがこれ以上の動きができないなら、それで対処するしかない。身を投げ出す勢いで、しかし体勢を崩さないよう足腰を踏んばらせる。頬の肌が削れ、わずかに血が出るが、それもすぐ固まって自然に止血された。
振るう。天羽々斬を左腕だけで掴み、斧を振り下ろしきっている須佐の腰から脇を抜けるようなラインで。そう簡単によけることはできない一太刀だ。
「ぅおおおおお!!?」
しかし俺の斬撃に、奴は体を仰け反り、切っ先から逃れてしまう。あとコンマ数秒で切り裂けたというのに。だが避けられたとしても、それはそれでかまわない。逆袈裟に切り上げていた柄に右手も添え、一歩前に踏み出し今度は頭頂から股目掛け振り下ろす。
「くそっ!」
それもはじかれた。めちゃくちゃに振り回された斧の刃が、天羽々斬の鎬に当ったようだ。顔目掛けて火花が散って降りかかる。だが気にならない。片目がぐつぐつ煮えたぎる音がするが、痛みはない。左半分が暗くなった。しかし高々片目が効かなくなっただけだ。問題はないだろう。
左へ跳ぶ。距離を取りながらはじかれた天羽々斬を脇構えにして、抑え込む。そして霞む視界の中、須佐へ殺気をぶつけながら睨みつける。
「うっ!」
斧を振りかぶり、足に力を込めていた須佐は、慌てた様子で斧を中段へ置く。俺の殺気に、怯えたのだろう。止まってくれるのはありがたい。技はないが、あの馬鹿力と悪運は少し厄介だ。それに先ほどから段々と胸が苦しくなってきた。どうやら呼吸も
「畜生! なんで死なないんだよ! もう、俺が勝つっていうのに! そうすれば俺が望んだとおりになるんだよ!」
「……哀れだな。いや、哀れという言葉ですら、救えない。いまさらながら、そう思う」
「んだと!?」
青筋を立て、唾を吐き散らし喚く須佐。単純な身体能力の高さや、魔力の量からすれば、本来は空恐ろしいのだろう。だがそれでもあいつのしているのは、張りぼてを使ったお遊戯会のようで、滑稽でしかなく馬鹿馬鹿しく映る。
才能にかまけて胡坐をかいた強さで頂点に達したつもりであり、実力があれば好き放題できるとするその心が哀れで仕方がない。強さというものを根本的に見失っているその姿が薄っぺらだ。
強さとは、心だと思う。俺はそれを最初の生で禍津日に見出した。父と母に、同族たちに拒絶され、それでも神として存在し続けた禍津日に。不幸な俺は、それほど多く友達がいたわけではない。それでも理解者はいてくれた。それでも苦しい人生をすごした。俺以上に、いや俺以下の環境にいた禍津日はいったいどれほど苦しんだことか。永久といっても良い長い間。きっと俺だったら耐えられないだろう。それでも彼女は誇り高かった、その姿に憧れ、俺は救いを求めた。
そして救われたことのある俺だからこそ、須佐は救われていけないと分かる。救われるということは、傲慢になるのでもなく、卑屈になるのでもない。努力をして、辛さを耐え抜き、進む意思を見せることだ。その意思で行動したからこそ、力を貸してくれる人を作れる。
カンダタはただ地獄へ落ちるのみ。
「救われないのなら、絶望の果てに黄泉へ行け。それがお前の
残った霊力すべて、そして禍津日に渡されていた神の力を体と天羽々斬に流し込む。出し惜しみはしない。これで終わりにする。
全盛期ほどではないが、それでもありとあらゆる力が強まっていく。ここ数年において最高の身体能力だ。
『奥義 乱れ散々桜』
体を捻る。限界まで、引き絞る。背中を須佐に見せつけてしまうほどに。
「奥義だ!? させると思ってんのかよ!」
体が壊れていく。腹の凍った血が砕け、隙間から血が噴き出してはさらに凍る。筋肉がブチブチと音を立てて引きちぎれ、脆弱な部分が失われていく。骨が捻転に耐えきれない。罅が入り、いまにも砕けそうになる。関節は神経をこすり、失われた痛みが再び襲いかかる。灼熱の痛みが、体の限界を伝えようとめぐりまわる。
だが無視する。
筋肉の筋が完全に切れて動けなくなるその寸前、堪えていたすべてを解放させる。
「……えっ?」
「まずは一刀」
須佐の後ろで背中を向けたまま刀を翻して言う。血振りの必要はない。
続いて振り返りざま右斜めへすり抜けるように進んで斬る。それを繰り返す。次第に三角を刻む軌道へ安定していく。俺は須佐の周りを旋回しながら幾度もその体を切りつける。幾百幾千と繰り返される斬撃の嵐。だが斬りつけたことで赤い筋こそ須佐の体中に切り刻まれていくが、けして血は流れない。当たり前だ。今、時は動いていない。
切り刻むのを終え、俺は跳ぶ。須佐の頭上で天羽々斬を両手で握りしめて突きつける。
「終いだ。六文はないが、せめてもの手向け。代わりに曼珠沙華をやろう!」
空中で俺はそう叫び、須佐の頭部に天羽々斬を深々と刺し貫いた。
硬い頭蓋骨、柔らかな脳、その先にある鼻骨などの骨に筋肉。それらすべてを完全に突き刺したのを確認し、俺は天羽々斬を抜く。
貫いた須佐の穴から、血が噴水のように噴出す。あまりの量に、そう簡単に凍らないようで、ただただ吹き出し続けている。もう、あいつは生きれない。
「どうやら、俺も、か」
ぐらりと体が傾く。もう足が動かない。すまん、禍津日。あと少しのところで。
「やれやれ。まったく。困ったものだ。これくらい独力でどうにかしてもらわないと。しかしうれしかったぞ。我の使い」
「……禍津日」
成長しきった禍津日に落ちるだけだった俺の体を抱き抱えられた。