『星天』   作:空兎81

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第10局 来生

 

「君が星天か。僕は来生(らいせい)。序列10位の白棋士だ」

 

ついに棋礼戦の日となりやってきたのは私より背の高い目付きの悪い男の子だった。

 

2回目の棋礼戦は奎宿藩の藩主の屋敷で行われることとなった。向こうは藩地を持っているわけではないのでどこかに移動する必要はないとのことだ。

 

藩主の屋敷には白礼堂という真っ白な建物があり扉には金色の虎が描かれている。1回目の棋礼戦が行われた所と同じような作りで、白礼堂は大きな町ならば必ずひとつはある正式な試合場らしい。

 

「どうも星天です」

 

「噂には聞いていたが本当に女なのか。先日の棋礼戦で元序列8位の残句に勝ち、怕蓮殿に白棋士になるように勧められたそうだが、僕は女が白棋士になるのをけして認めない。それを賭けて戦おう」

 

来生は懐から袋を取り出す。ゴロゴロとしてそれなりの数の物が詰め込まれているようにみえる。なんだろう、お金?

 

「僕の持ちうる全ての白神石(はくしんせき)を賭ける」

 

「白神石?」

 

「白棋士の序列を決めるための石だ」

 

来生(らいせい)が話し始める。白棋士になると白神石を与えられる。白棋士はこの白神石の持っている数で序列が決まるのだ。

 

白棋士は序列1から10位までの位に振り分けられている。同じ位の者に勝てば1つ、1つ上の位の者に勝てば2つ、といった具合に上位の者を倒した方が得られる白神石の数は増える。

 

序列10位の者が序列10位の者を倒しても1つしか白神石を貰えないが、序列9位の者を倒せば2つ、序列8位の者を倒せば3つ白神石を獲得できるわけだ。

 

そして1〜9個なら序列10位、10〜19個なら序列9位というような感じで最終的に100個以上の白神石を集めると序列1位という最高位になる。

 

また、立会人をすると黒審石(こくしんせき)をひとつ貰うことができ、それを10個集めると白神石になるそうだ。棋礼戦の立ち合いも無償労働ではないんだね。

 

「物心ついた頃から死に物狂いで囲碁に打ち込んできた。白棋士になってからも身を削る思いで序列戦を勝ち抜いてきた。この9つの白神石が僕の矜持だ。僕は女が白棋士になるなど絶対に許さない。これを賭ける代わりに君が負けたら白棋士の試験を受けないと誓うんだ」

 

来生が静かにいう。声は落ち着いているのに目の奥は何かが燃えている。

 

白神石は白棋士でない私が得たところで何の価値もないものだ。ただの丸くて綺麗な石でしかない。

 

だけども来生が白神石ひとつを得るためには残句との一戦のような戦いに勝たなければならなかったはずだ。そうだと考えると9つはとても重い代償である。

 

来生は真剣だ。自分の矜持を賭けて本気で勝負に臨んでいる。

 

それならば私も自分のプライドを賭けたい。

 

「わかった。負けたら絶対に白棋士にならない」

 

「そうか」

 

「それから私も自分の矜持を賭けるよ」

 

白棋士にならずとも白棋士と囲碁は打てるし棋礼戦にも出られる。私にとって白棋士になることにそこまでの重要性はない。来生が望むから天秤に乗せるが私にとって価値があるものはそれではない。

 

「白棋士への挑戦権を賭けて貰えれば僕はそれで構わないが」

 

「貴方が自分の誇りを賭けるというならば私も同等の物を賭ける。それが対等ってことだ」

 

「そうか。何を賭けるのだ」

 

私の矜持、それは、

 

「名前を賭ける。負けたら“星天”を名乗らない。一度も負けたことのない私の名前を賭ける」

 

1000戦勝ち抜いてきたこの名前を賭けよう。

 

私にとって白神石はいらない物だ。同じように来生にとって私の名前なんてどうでもいい物だろう。

 

だけどもいいのだ。自分にとって価値のあると信じる物を天秤に乗せる、その行為自体が大切なのだ。

 

それが真剣に勝負をするということだ。

 

「君がこの勝負に真剣に向き合ってくれるのは助かるよ。全ての力を出し切った君を倒してこそ意味がある。女が白棋士になるのは無理だって証明できる」

 

来生の目はやはり燃えている。

 

3人の白い服を着た人達が砂時計を持って前に出る。あの人達も白棋士で今日の審判なのだろう。

 

「互いの賭ける物は決まったようですね。それでは序列10位来生と星天の勝負を始めていただきます」

 

「お願いします」

 

「お願いします」

 

挨拶をして始める。私は後攻だ。来生は星と小目に、私はいつも通り星に打つ。

 

来生は一(けん)にしまりか。じゃあ私は三々に飛び込もうかな。

 

内側から抑えられ隅に生きる。伸びて伸びられて一(けん)に飛んで、出て抑えて、そして左下星の斜め上に黒を打たれる。

 

見ない形だ。取り敢えずシチョウ当たりになっちゃうから右上は守らないといけない。

 

右上にコスムと左下を二(けん)に飛ばれた。左下の白にプレッシャーをかけられる。

 

私も飛ぶがつけられて抑えられて繋ぐ。いきなり左下が戦場になった。

 

隅を守れば安全だけどそんな手は面白くない。逆に挟み込んで黒を攻め立てる。

 

つけにハネ、飛びに打ち込み。安全で良い手は他にもあった。だけど来生はどんな手も受け入れず全てに反発してくる。現状をけして受け入れない。

 

これは全て盤上の出来事だ。だけど囲碁は時に話し合いよりも深く相手を理解できてしまう。

 

来生は何かに抗い続けている。

 

おかげで盤面は大炎上だ。左下は混戦しており火種が燃え広がっている。

 

まあでも碁の内容は好きだ。この炎に焼かれるのが私なのか来生なのかはわからないがやることはいつだって同じ、殺される前に殺す。この戦場で相手の息の根を止めるだけだ。

 

 

 

――来生視点

 

この世には思い通りにならないことがある。白棋士になる為の試験を1回で受かったって、序列戦で勝ち続けたって僕はずっと納得なんてできやしない。

 

どんなに叫んだって絶望したって世界は変わらない。そういう物だとわかっていても折り合いのつかない感情がぐるぐると身体を巡る。

 

きまりなのだ。わかっていた。諦めていた。なのに、

 

君は白棋士になるというのか。そんなの許さない。女が白棋士になるなんて、だって。

 

それが許されるのならば何故姉さん(・・・)は囲碁をすることを許されなかったのだ。

 

来柯(らいか)は双子の姉だ。僕らはそっくりで幼い頃は母親も見分けがつかないほどだった。やがて来柯は髪を伸ばすようになり区別されたが、そうでなければ未だに見分けがつかないかもしれない。

 

格家(かくけ)は代々白棋士を輩出してきた家で長子である僕も当然のように囲碁を習いとした。

 

毎日碁の書物を読み先生達の指導を受け囲碁に没頭した。同じ年くらいの子ども達が外を遊び回っている中棋譜を並べていた。

 

だけどもそれを嫌だと思ったことは一度もなかった。白棋士である父上を尊敬していたし厳しかった父上は良い碁を打つと少しだけ褒めてくれた。それが堪らなく嬉しかった。

 

ある日父上から新しい詰碁の本をもらった。それは今まで解いてきた本の中でも圧倒的に難易度が高く苦戦した。

 

もはや1問も解けず頭を悩ませていると来柯がやってきて、『それ、新しい詰碁の本だよね。見せて』と本を覗き込んだ。

 

同じ顔の弟が長時間悩んでいるものに興味あるのだろうと本を渡すと来柯ははらりと項を捲り『これは3目の真ん中だね』とあっさりと解いた。

 

『黒が繋いだらどうするんだよ』『這えばいいんじゃないかな』と言われバッと来柯の手から本を取り返す。

 

来柯の言う通りだった。3目の真ん中に打ち、黒に繋がれたら這えばいい。僕が日が昇ってからてっぺんに来るまでかけても解けなかった問題を来柯はひと目で見抜いたのだ。

 

知らなかっただけで来柯は僕の部屋にある囲碁の書物を全て読んでいた。そしてその全てを覚え高難易度の詰碁を一瞬で解いてしまう程の感性も持ち合わせていた。

 

来柯は天才だった。

 

それから毎日来柯と碁を打った。毎日、毎日、毎日、だけども来柯には一度も勝てなかった。先生に習った新しい手筋を使ってもあっさり返されてしまう。石の急所を見抜く能力が抜群に高かった。

 

だけどある日父上に見つかった。父上は来柯をぶって離れに閉じ込めた。望んだのは僕だと言ったのに『女の身で囲碁をするなど言語道断。反省するまでは出すつもりはない』と聞き入れてもらえなかった。

 

来柯は結局三日三晩閉じ込められ、危うく衰弱して死ぬところだった。丸一日起き上がることはなく1週間は粥を啜った。

 

だけども来柯は囲碁を止めなかった。僕の持っていた本を全て読んでいたし父上に隠れて僕らは対局していた。

 

そのうち師匠に『私に互い先で勝てる程の実力なら白棋士になれることでしょう』と言われ白棋士の試験を受けた。

 

都は激戦で多くの教室から強者がやってきたが勝ち抜き、本戦に出て見事白棋士の資格を勝ち取った。

 

そうして家に戻ると姉の結婚が決まっていた。碁の本を読んでいることが父に見つかり囲碁とは無縁の商家に嫁がされることになったのだと。

 

家を出る最後の夜、姉は無言で僕の部屋にきた。そして碁盤の前に座った。

 

僕は白棋士だ。この国の頂点、最高峰と言われる棋士の一人になったのだ。辛く厳しい戦いを勝ち抜いてきたのだ。もう昔とは違う。

 

真剣勝負だった。これまで姉に一度も勝てたことはなかった。だけども今は僕も白棋士、負けるわけにはいかない。

 

打って、引いて、戦って、そして。

 

僕は姉に負けた。結局一度も姉に勝つことはできなかった。

 

瞬間、姉は泣いた。声をあげて叫ぶように泣いた。

 

『ああああっ!!!』と悲痛な声で泣き続ける姉にどうして僕なんだろうと思った。

 

どうして僕が男だったのだろう。

 

双子の姉弟だった。親も見分けがつかないほど似ていたのにただ男と女というだけだったのに、それだけなのに姉は白棋士になれない。

 

来柯は囲碁が好きだったのだ。禁止されても罰を受けても止められないほど愛していたのだ。

 

文字が掠れる程本を読み石が擦り減るほど碁石に触れ、誰よりも囲碁を愛しそして才能に恵まれたというのに女と言うだけで来柯は白棋士になれないのだ。

 

次の日、来柯は赤くなった目のまま嫁いでいった。僕は序列戦を申し込んだ。相手は父上だ。

 

父上は序列9位と10位を行ったり来たりしていたがここ最近は負け続け、白神石も残りひとつとなっていた。

 

それを賭けて勝負した。

 

昔は父上に憧れていた。強くて厳格で囲碁に真摯で、その背中を追い求めいつかこうなりたいと夢想していた。

 

だけど今の僕の中にあるのはこの無常に対する怒りだけだった。

 

太陽が一番高く昇る頃合から始めた勝負だったが月が陰る頃には決着がついた。

 

僕は勝った。父上に勝ったのだ。

 

全ての白神石を失った父は打ちひしがれ一気に老け込んだ。昔の厳格な父の面影はなく老人のようだった。

 

父は引退となった。まだ立会人を10度務め、黒審石を集めて再起する方法もあるが父上には無理だろう。抜け殻となってしまった。

 

それからいくつもの序列戦を受けた。相手は僕より経験があり長い時間囲碁に打ち込んできた者ばかりだった。

 

それでも負けるわけにはいかなかった。来柯はもっと強かった。僕が勝ち続けることで来柯の強さを証明したかった。

 

勝ち続けあと一つで序列が上がるというところで師匠が先日立ち会ったという棋礼戦の話をしてきた。

 

『貴方よりも幼い女子(おなご)があの首切り残句を倒したのですよ。人ならざる強さでした』

 

『白虎国全ての人間の運命を担う仕事を女性に押し付けるのは如何なものかと思っていましたので、女性が白棋士になるのには反対なのですが、彼女ならば良いかもしれませんね。命がかかった勝負だというのに平然としておりました』

 

『来年の四神戦の為にも強い棋士は一人でもいた方が良いでしょう』と師匠がいう。なんで、どうして。

 

それならば何故来柯は白棋士になれないんだ。

 

受け入れられない。女が白棋士になるのは、来柯以外の女が白棋士になるなんて絶対に許さない。

 

師匠から話を聞いてすぐ様、星天に棋礼戦を申し込んだ。負けたら白神石を全て失う戦い、だけど当然のことだ。僕は来柯の強さを証明する為に戦っている。ここで女に負けるようなら僕の持っている白神石に価値などないのだ。

 

負けたら僕の積み上げた物を全て失っていい。その代わり勝ったら女の白棋士など許しはしない。

 

白棋士への挑戦権を賭けろというと星天は自分の矜持も賭けると、自分の名前を賭けると言ってきた。

 

正直僕にとって星天の名前に価値はない。だけどもそれが星天にとって大切な物であるとは伝わった。

 

星天にとってもこの勝負が真剣であることはわかった。

 

そして始まった真剣勝負、いきなり右辺が戦闘になる。

 

相手の手を受けるなんてごめんだと反発すれば急所を打たれた。石の命を狙う一手、後など一切考えてない、序盤だというのに殺す気で相手はいる。

 

上等だ。戦闘には慣れている。姉さんもこちらが隙を見せるとすかさず急所に打ち込んでくる攻撃的な碁だった。穏やかな姉さんからは考えられない激しい鍔迫り合いが起こる戦場、僕はそこで戦っていた、戦い続けてきた。姉さん以外の誰にも負けるつもりはない。

 

ぶつかりからの飛びに三(けん)の中を裂かれる。黒も白も分裂し小競り合いが続く。

 

強い。星天は強い。読み合いがずば抜けている。一体何処まで深く読んでいるのか。

 

押されている自覚はある。白の猛攻に受けが続いている。反発できない。何処かに隙はないか。

 

僕は姉さんの強さを証明する為に碁を打っている。白棋士になれなかった姉がそれでも最強だったことを世に知らしめる為に打ち続けているのだ。負けるわけにはいかない。姉さんを負けさせるわけにはいかない。

 

足りない、まだ足りない。まだ、読みが足りない。もっと深く深く深く、

 

盤上に入り込め!

 

瞬間、世界が変わる。気付けば音が消え、欠けた月の浮かぶ夜の世界にいた。

 

目の前には美しい白い虎がいた。輝くような毛並みに金色で波打つ模様が刻まれている。その金色の瞳に僕が映し出された瞬間白い虎は僕に飛び掛かってきた。

 

爪がめり込み牙の揃った口が僕を喰らおうと大きく開かれる。

 

白虎神(びゃっこしん)だ。この世界を作った四神のひとつ、白虎神が目の前にいる。

 

大きな口は僕の喉元に喰らい付いた。命を刈り取ろうと牙を食い込ませる。

 

そうか。君はそうなのか。

 

その白い身体に手を伸ばす。急所を抉られた。まもなく終わるのだろう。

 

それでも思うことはやめられない。ああ、白虎神(かみさま)。どうかお願いです。

 

姉さんが囲碁を打てる世界を作ってください。

 

世界が切り替わる。目の前には星天がいて碁盤の前に向かい合わせに座っている。今見た光景は幻想で、でも現実だ。僕はこの碁盤の世界に入り込んでいたのだ。

 

だからこの状況なのだろう。あの喉元に牙が食い込んだ感覚は夢ではなかったのだ。

 

白と黒が入り乱れる。盤上では右辺の黒が死に絶えていた。

 

 

 





次回から白棋士編


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