初戦、園次に勝った。あと、星天と戦うまで2つだ。
そして、2戦目。……俺は何かに呪われているのだろうか。今日って実は人生最悪の厄日なの?よりによって今日にしなくても良いじゃないか。
「はっ、鳴良かよ。てっきり園次が勝ち上がってくると思ったのによぉ」
「我意
2戦目の相手は我意だった。いやもう本当、神様、俺って何か悪いことしましたかね。なんでこんな苦手な相手ばかりあたっちゃうの。兄さんばっかり対戦相手に選ぶのはやめてくださいお願い。
「園次にはまぐれで勝てたみたいだが、俺には勝てないぞ。お前は俺に勝てた試しがないだろ」
「いや、まあ、その通りだね。俺は我意兄に勝てたことがないよ」
武芸でも碁でも勝てた試しがない。いつだってボコボコのフルボッコだ。試合えば頬が3倍に腫れ上がって饅頭みたいな顔にされるし碁を打てば石をポコポコ取られまくって蓮根みたいな形にされる。散々な目に遭ったことしかない。本当に兄弟?もうちょっと弟に優しい兄でもよかったんじゃない?
我意のいう通り俺は本当に兄達に勝てた試しがない。それでも今日だけは譲れない。
俺を待っていてくれる人がいるのだ。
「でも、今日は絶対に負けられないんだ」
「はっ、いつも負けているくせに何やる気出してるんだよ。おら、いいからニギるぞ」
先攻後攻を決める。俺が先攻だ。『お願いします』と互いに挨拶をし、1手目を打つ。
我意は力技で強引に石や地を取りに行く棋風だ。石の攻防になったら俺が不利になるだろう。
小目にかかって広く開く。右辺は黒模様ができていく。
右上隅にかかられたので挟んで受けて右辺は黒地になった。良い展開だけど上辺の黒が弱くなる。これは守っておかないと。
2間に開くと中央の1石が取られた。これは仕方ない。左下の三々に入り地を確保する。振り替わりで下辺は黒地になったけど左辺に白模様ができたな。飛びを打って白地を減らしておこう。
と、瞬間白が上辺の2間の黒につけてきた。仕掛けてきた。うっ、ここは無理すると黒石が死ぬかもしれない。上から押さえて繋いでおく。ちょっと形勢不利になったかも。
黒は隅に滑って生きる。受けて押さえて切られる。この我意の切りはむちゃくちゃいい手だ。
取ると先手を取られる。今、形勢はほんの少し俺が悪い。ここで我意に先手を取られればはっきりと劣勢に追い込まれる。伸びて繋がれてなんとか先手は取れたが黒は陣地の中に白の切りを入れられている。何か起こりそうな味の悪い形だ。
形勢判断しよう。えっと、今、盤面は7目負けている。コミがあるから正確には13目半足らない計算になる。
普通に打つなら5の十だ。黒地を確保して切られている黒石の補強もできる。なんの欠点もない良手。園次なら絶対にここに打つ。
だけれどもこの手では黒と白の差は詰まらない。形勢は不利なままだ。
いつもの俺ならば5の十に打っていた。安心と安全を買える良い一手、だけど今日は駄目だ。精一杯、目一杯の一手を打たなければならない。
6の十六に押す。左下の白石を攻めたのだ。
4の九に打ち込みを打たれた。手を抜いて薄くなった黒の陣地を攻めてきたのだ。
わかっていた。左辺を守らなかった時点で石の攻防が始まるのは分かっていたのだ。
だけれどもこれくらい捌けなければ星天に勝てるはずがないのだ。
押して押されて戦闘が始まる。切って当てて繋がれて黒地の中で白石に生きられた。左辺だけでいうならば黒は大損している。
だけど左下隅の白地も吹き飛んだ。被害は白の方が大きい。形勢は五分、終盤戦へと移行する。
中央に最大限地を広げ黒地を作る。だが当然我意もそれを阻止しようと中に入ってくる。
中央の領域で最後の戦いが始まる。切って当てて繋がれて、上辺の黒と中央の白の攻防だ。石の攻防は我意や星天ほど俺は上手くない。2人みたいに形の急所を抑え相手の息の根を止めるような一手を打ち続けていられない。
だからいつも逃げてしまう。石の攻防に発展しそうになったら逃げて引いて身を守る。我意の破壊的な碁に恐れを抱いている。
「何迷ってるんだよ。おら、いつもみたいに逃げろよ。今日は割と粘ってるみてぇだが、ここで逃げないならこの下辺の黒は確実に殺すぜ?死にたくないなら早いとこケツまくって逃げるんだな」
「……そうだよ、いつも逃げてた」
それで地合いで大損をして、いつも我意には負けていた。
今形勢は五分、引けば上辺の黒は助かるけど試合には負ける。いつもなら引いていた。戦いは得意ではないし、我意相手に石の攻防で勝てるわけがない。
でも今日は違うのだ。約束がある。この約束だけは絶対に破れない。
「でも、今日は逃げないよ」
「はぁ?何言ってるんだ。下辺の黒が死ぬぞ?」
「そうかもしれない。それでも逃げない」
俺は今日、戦いに来たのだ。
ふくらみを打って当てられてコウに弾く。コウとは黒と白、両方ともが石を取れる形になっていることで取って取られてが永遠に続いてしまう状態のことをいう。
だからコウは一度取ると連続では取れない。別のところに打たなければ次を取ることができないのだ。
上辺の黒と中央の白の生死をかけた大規模なコウを仕掛ける。ただの石の攻防なら俺は我意にも星天にも及ばない。だけど、コウが絡めば話は別、コウを制するのに必要なのは形勢判断能力と正確に石の価値を判断する能力、つまり俺の得意分野だ。
コウ争いをする。お互いにコウ材を打ちながら盤面全体に戦場を広げて行く。
死んでいた左下の黒が逃げ出す。我意は受けず、上辺の黒を殺すことを選んだ。
コウは我意が制した。上辺の黒石も完全に死んだ。
かわりに左下の黒が逃げ延び、その周りにいた白石が死んだ。上辺と左下の振り替わりだ。我意は上辺を白地にすることを選び俺は左下を黒地にするのを望んだ。
我意の選んだ上辺は確かに大きい。黒石が死んだことでその周りも地となり30目程度の価値がある。
だが左下隅は40目以上の価値があった。コウを制したのは我意だが得をしたのは俺だ。
盤上を制したのは俺なのだ。
残るはヨセのみ。ヨセでは我意に絶対に負けない。
1目、2目と少しずつ得をする。最終的には20目以上差の差がついた。
「なんで、コウは俺が勝ったじゃねぇか。下辺の黒石だって殺してやった。なのに、なんで俺が負けてるんだ」
「碁は取った石が多い方が勝つんじゃないよ。地が広い方が勝つんだ」
ジャラリと我意がアゲハマを盤上に置く。投了した。勝った。あの我意に勝ったんだ。
身体が熱くてじんとした熱が駆け巡る。今まで一度も勝つことができなかった兄達を両方とも倒した。
顔が熱い。身体中を沸き立つような感情が駆け巡る。たぶん、俺は嬉しいのだ。今までどうやっても何ひとつ勝てなかった兄達を倒せたことが嬉しくてたまらないのだ。
だけどぼんやりとして実感がない。俺は自分のことを囲碁が強いなんて思ったことはなかった。ただ、人より少し計算が得意で全体をよく見ることができるたげ、それだけの人間だ。
その俺を星天は強いと言ってくれた。本当に俺に碁の才能があるのだろうか。それを知るには星天と戦わなければならない。星天まであと、一戦。次の相手も油断ならない。
3回戦の相手は
千秋はいい奴だ。良家の坊ちゃんで私塾も一緒だったけど俺を馬鹿にしたことはない。『鳴良の詩はガマガエルの声ほど酷くないよ。アオガエルくらいはあるよ』っていってくれたもんな。……これ本当に庇ってくれてる?
「やぁ、鳴良。棋道杯以来だね」
「うん。あの時は千秋に負けて、俺は3位だったよ」
「僕は決勝で玲樂に負けて2位だった。玲樂も勝ち上がってきてるみたいだし今日こそ優勝したい。鳴良には負けないよ」
ほわほわと穏やかに笑いながら千秋がいう。緩い雰囲気に騙されることなかれ。こいつ我意並に攻める碁打ってくるから。笑顔で殴りかかってくる感じの奴だから。こわい。
「俺も決勝で戦うって約束している人がいるから」
「玲樂と?」
「いや、星天と」
「最近噂の奎棋士になった女の子だよね」
『鳴良って女の子に縁があったんだね』とほわほわした笑顔でいわれる。え、待って、毒吐かれている?いや、千秋は悪意ある感じの人じゃないからたぶん普通にそう思っているのだろう。それはそれで酷い。
俺の先攻だ。お願いします、と頭を下げて勝負を始める。小目に打ってしまりを打つ。地を大切にしてなるべく相手に攻められる隙を作らないようにする。終盤まで互角に進めば俺に分がある。
千秋も小目をしまった。あれ?かかってこないのか?序盤は穏やかに進んでいく。悪くない進行だ。互いに互いの地を増やしていく。
中盤、辺や隅に打ち白と黒が混ざり合う。だけれども石同士の接触はあまりない。このまま地合いの勝負になればヨセで決着がつくな、と思ったところで千秋が2間を裂いてきた。ですよね!このまま終わるわけないよね!
そこから盤面が激化する。我意は最初から最後まで殴り続けてくるからある意味わかりやすいんだけど、千秋はこんな何にもしませんよーって顔で急に顔に張り手してくるみたいな棋風だから心臓に悪い。
でも殴られるのは慣れている。物心ついた頃から我意に殴られ続けて最近では星天にも盤上でぼっこぼこにされた。この程度では動じないからな。勝負!
千秋の攻撃を躱し黒の石をなんとか持ち堪えさせる。小石は取られたがその代わり3隅は俺が取った。形勢は俺が有利だ。
そして終盤、ヨセ勝負だ。千秋はヨセもうまい。だけどもここだけは誰にも譲るわけにはいかない。目数の計算は俺が一番得意なのだ。
「鳴良、強くなったね」
「え、あ、本当?」
「うん。正直我意か園次が勝ち上がってくると思っていたけどこの強さなら納得だよ。鳴良は強いよ。優勝できるといいね」
負けました、と千秋が頭を下げる。勝った、俺は千秋にも勝ったのか。棋道杯では手も足もでなかった相手に俺は勝つことができたのか。
ゆっくりとした足取りで決勝卓に向かう。そこには星天が座っていた。反対側の山を駆け上がってきたのはやはり星天だった。
朝会った時は新しい服に喜ぶ可愛らしい女の子だった。だけれどももう雰囲気に甘さはない。全身から闘気が立ち上り目がギラギラと輝いている。まるで獲物を前にした猛獣だ。
これが奎宿藩最強の棋士だ。
背筋が伸びる。誰にも認められることのなかった俺を初めて認めてくれた人。だから君の期待に応えたかった。決勝で戦おうという約束を守りたかった。
だけども今はただ君に勝ちたい。園次にも我意にも千秋にも勝った。だけどもまだ足りない。星天に勝ちたい。
そうすれば俺は自分を認めることができる気がする。
次回、星天vs鳴良!