「ねぇ、なんでそのコウ抜いたの。一手寄せコウだったからもう一手かけてから抜いた方が得だったんじゃないの?」
「一手寄せコウの価値はその石全体の2/3目。今回の価値は黒石が8目で白石が15目、全体の価値は46目。その2/3だから星天に抜かれた時の価値は30目ある。それ以上に大きい手が盤上になかったからコウを抜いたんだ」
「なるほど」
場所は私がお世話になっている周軒の屋敷での一室で鳴良と対局していた。ここにくるまでに鳴良に『2回も負けたのにまだ俺と打ちたいと思ってくれてるの?』と驚かれたけど2回どころか200回は打ちたいよ。鳴良ほどヨセがうまくて形勢判断の的確な打ち手は他にいない。たくさん打って高め合いたい。
対局が終わると検討をする。検討っていうのはどの手が良かったか悪かったか振り返りをすることだ。強くなるにはやはり一手一手良い手とは何か研究していかなければならない。
それで鳴良に打った手の意図を聞いてみたのだけど、なるほどわかりやすい。鳴良は質問に対して全てこれは何目だから打ったというように返答してくれる。数字に換算されるとその手の価値がわかるから理解しやすい。これが鳴良の強みなのだろう。
逆に弱味は。
「いや、驚いたな。中盤鳴良の大石が死んだ時はここまでかと思ったが、終盤で接戦になるとは」
「まるで魔法みたいだよね。私も気をつけていたはずなのに気付いたら距離を詰められている。いつのまにか首元に刃を突きつけてくる暗殺者みたいな碁だよ」
「いやまあ、そもそも俺の石が死ぬことに問題があるんだけど」
はーっと鳴良がため息を吐く。そう、鳴良は石の攻防が弱い。死んだとしても被害が最小限になるようにうまく打ってくるがそもそも死なないならその方が良いに決まってる。
「星天は俺の何が悪いと思う?」
「踏み込みが甘いところかな。中途半端に戦おうとして逆に石を取られちゃっているよね。いっそ振り切って突っ込んで行った方がいいと思うよ」
「その結果が星天みたいな死線を越えた碁になるのか」
俺そこまでいけるかなぁと鳴良がぼやく。鳴良の良さは死活ではないけど一局打ってて一度も戦闘にならない碁はない。石の攻防は強くなるために必須なのだ。
それに鳴良は石の攻防がわからないわけではないのだ。検討中に『この手はこっちの方が良かったと思う』という指摘に対して『その手は思い浮かんだんだけど、後の攻防を想像すると尻込みしちゃって』としゅんとした顔で言っていたから石の形に対する感覚はあるのだ。あとは気持ちの問題だ。最後まで戦い抜くという強い気持ちが石の攻防には必要なのだ。
私は毎回この一戦が人生最後の一局かもしれないと思っているから悔いがないように全力を出し切っているが鳴良はそうではないのかもしれない。
ないというなら経験させればいいんじゃないのかな。全力で自分のすべてを出し切る感覚がわかれば鳴良ももっと強くなるよ。
「周軒、鳴良、出かけようか」
「構わないが何処へ行くのだ星天」
不思議そうな顔で周軒が聞いてくる。囲碁はここでも打てる。でも全力の死闘はここではできない。
だからできる場所に向かうのだ。
「禍旋亭に行こう」
______鳴良視点
星天に打ちたいと言われた。父上に壮家から白棋士が出るのはお前にかかってると認められた。
もうね、うん、すっごい優越感。あの家を出る時の我意と園次の悔しそうな顔。なんで鳴良なんだよってはっきり顔に書いてあったよね。いえーい、星天に認められたのも父上に望まれたのも白棋士になるのも全部俺だよ。みてなよ、今まで壮家のガマガエルとか言っていた奴ら全員見返してやるからな!
と思っていた時代も俺にはありました。調子乗っててすみません。反省してます。俺なんて壮家のアマガエルです。人間、うまくいっている時が危ないっていうけど本当だったんだね。まさかこんな目に遭うとは思ってなかったよ。絶望。
星天に連れられて街外れの碁会所にきた。禍旋亭っていうところらしい。なんか薄汚れていて辛気臭い。めっちゃ怪しげな場所なんだけど大丈夫?
入る前に星天に『財布は周軒に預けておいた方がいいよ』っていうので従っておく。なんか治安悪そうだもんな。金目の物は強い周軒に持っていてもらった方が安心だもんね。というか、金銭類を周軒に持っていてもらった方がいい店に入るのがおかしいくない?本当にここ入るの?
なんの躊躇いもなく星天が入っていくので後に続く。うわっ、煙たっ!え、煙草?この人達煙草吸いながら碁打ってるの?もうすでに道徳心が欠けている感じがする。
外装が微妙なだけで実はなんかいい感じの店だったりしないかなーと淡い期待をしながら中に入ったのだけど、中にいたのは顔に傷があったりいかにもな破落戸の集まりだった。ですよねー!もう見た目通りの店ですよねー!本当に本当にこの店であってるのー!?
「おう、星天。なんだ、今日は連れがいるのか」
「うん、鳴良も連れてきた。私と同じ条件で打たせて欲しい」
その瞬間店の中がざわざわと騒めいた。いや、なになに。なんでこんな注目浴びてるの。
「鳴良?鳴良ってあの鳴良か?」
「方円杯で準優勝した鳴良だよな?」
「ちくしょう、俺は我意が勝つことに賭けてたのによぉ。お前のせいで大損したじゃねえか!」
店にいた荒くれ者が一斉に俺の元に集まってくる。いやまって、この人達、何?マジでなんでこんなに人が集まってくるの!?
「確か星天と同じ条件で戦うとか言ってたな」
「俺にやらせろ!こいつのせいで随分と損をしたんだぜ」
「いや、俺にやらせろ。いくらなんでも星天より強いってことはないだろ。稼ぐ絶好の機会だぜ」
なんかわけわからん間に座らされて対局を始めさせられる。何か賭けているっぽいよね?何がかかってるの?
「え、これ負けたらどうなるんですか?」
「なんだ、知らなかったのかよ。一両払うんだよ」
「一両!?え、めっちゃ大金じゃん!俺持ってないんだけど!」
「心配するな。負けたらお前の身柄は対戦相手のものになるだけだ。売られようが殺されようが文句は言えねえ」
「何も安心できないんだが。そんな恐ろしい物賭けさせられてたのっ!?えっ、ちょっと待って星天はっ!?星天は大丈夫なの!?」
バッと振り返ると星天は喜悦の表情で碁を打っていた。いや、どういうこと。めっちゃ喜んでいるじゃん。俺が20目ひっくり返した時もあんな感じの顔になっていたけど。
「星天はいつもあんな感じだぞ。この店きてから一度も負けたことねえのに未だにこれまで稼いだ金と自分の身柄を賭けてやがる。ああいうギリッギリの勝負が好きなんだとよ」
「いや、確かに石の生死を賭けた勝負多いと思ったけど現実的にも命賭けて戦うのが好きとは思わないよ。え、待って本気?負けたらガチで俺売り飛ばされるの?」
後ろで話し相手をしてくれた坊主頭の黄ばんだ歯を持った男が頷く。星天は大丈夫だろう。強いしあんな瞳孔開いたギラッギラの目してたら勝てるでしょ。なんかわからんけどすごい信頼感がある。
問題は俺だよ俺!俺、勝てるの!?日頃から一両賭けて戦っている人達でしょ?絶対弱くないよ!
もうとにかくやるしかない。勝負は始まっているからここから辞退するとか絶対に許してくれないだろう。
穴が開くんじゃないかってほど盤面に釘付けになり必死に盤面を読んでいるこの時の俺はまだ知らない。
『鳴良に足りないのは何がなんでも勝つという意気込みだから今日も禍旋亭に行こう』と星天に連れられてこれから毎日本戦に行くまで禍旋亭に通う羽目になるということを。
死ぬような思いをして碁盤に齧り付く勢いで碁を打つ。ああ、神様。俺って方円杯準優勝しただけだよね?なんでこんな目に遭うのでしょうか。つらい。
鳴良かわいそう