第39局 華樂街
「星天、ちょっといいかな」
朝、身支度を整えて皆のいるだろう広間に行くと鳴良に話しかけられた。その後ろでは新羅と周軒もこちらの様子を伺っている。なんだろう、今日の予定かな。それなら朝は次の対戦相手の碁を検討して昼からは六財商の会の碁会所に行きたいけどどうだろう。西都には六財商の会がやっている碁会所がたくさんあるから対戦相手に困らなくて幸せだ。
「どの棋譜の研究からするかの相談なら鳴良の対戦相手からしようか。確か鳴良は7日後、また西都の棋士と当たるよね」
「それもなんだけど、今から皆で出かけない?」
「六財商の会の碁会所に行くってこと?」
朝からいきなり勝負に行こうってこと?考えてなかったけど良い案だ。寝起きでぼーっとしていた頭が覚醒する。いきなり本戦出場を賭けた真剣勝負ができるなんて今日は良い一日になりそうだ。
「そうじゃなくて
ね?ね?と余裕のない表情で鳴良がいう。確かに鳴良はなんか疲れてそう。昨日の西都の棋士との対局すごかったもんね、ゆっくり休みたいという言い分はすごくよくわかる。
「でも西都から一日ってことは馬車に乗るよね?鳴良は乗り物酔いが酷いからそれだとさらに疲れない?」
「うっ」
「それに片道一日なら往復二日だよね。それだけ囲碁が打てない時間があるのは嫌だな」
『疲れているのなら宿でゴロゴロして元気になったらまた碁会所巡りしよう』というと『やっぱり俺に説得役は無理ですよ!星天を西都から離れさせるなんてできないです!』と鳴良が周軒と新羅に向けて叫んだ。すると2人がこちらにやってくる。
「星天、僕も鳴良の言う通り休息は大切だと思う。本戦は長い戦いでまだ半分も終わっていない。試合の日にきちんと実力を出し切る為にも適度な休息は必要だ。体調管理も棋士の仕事だぞ」
「私は元気だから大丈夫だよ」
『むしろ囲碁を打たない方が不調になってしまいそうだ』というと新羅も『この囲碁馬鹿はどうしたらいいんだ』と言って頭を抱えた。それを聞いて周軒が口を開く。周軒も私に休めというつもりなのだろうか。でも囲碁打つよりしたいことはないし何言われても華樂街ってところに行く気になるとは思えないな。
「星天、華樂街には温泉があるぞ」
「温泉!!」
パッと視界が明るくなる。え、温泉あるの?前に棋礼戦した時に大きなお風呂はないって言われてたから諦めてたけど温泉に入れるの?いや待って。私の知っている温泉と違う可能性もあるよね?卵茹でているだけですとか言われたらすごく悲しい。
「手足伸ばしてお湯につかれるの?」
「できるな。温泉のついている部屋を借りるから好きなだけ入って構わないぞ」
「わー!」
わー!わー!わー!ちゃんと温泉だ!おっきいお風呂でゆっくり手足伸ばして温泉につかれるらしい。この世界きて初めてお風呂らしいお風呂に入れるよ。行きたい!すっごく行きたい!
「では、今から華樂街に行くということでいいな?」
「うん!行く!」
出かける準備をしないといけないからバタバタと自分の部屋に一度戻る。何を持っていこう。研究するつもりだった棋譜とあと読みたいと思っていた本を待って行こう。
『本当に風呂で釣れたな』『あとは勝負の結果には従うから囲碁で勝てば言うことを聞くだろうな』『いやそれは無理無理無理』となんやら三人の話し声が聞こえた気がするけど、皆も早く支度しなよ。私はすごく温泉に行きたいんです。
それから周軒と鳴良と新羅とあとは周軒の部下の人何人かと馬車で華樂街に向かう。途中休憩もしつつ、鳴良のグロッキーな悲鳴も聴きながら向かっていると辺りが暗くなってきた。
華樂街は山の中にあって、本当にこんな山中に街があるのかと不思議に思っていたのだけどいざ着いてしまえばそんな疑問は消し飛んだ。
もうあたりは薄らと暗くなりつつあるのに、そんなことは関係ない、むしろこれからが本番とばかりに建物に明かりが灯り、人が賑わい活気づいている。
赤い提灯が吊るされ、何処からともなく歌や楽器の奏でる音が聞こえる。まるで縁日のお祭りみたいだ。
初めて見る光景にワクワクして馬車の窓枠から外を覗き込もうとすると周軒に『揺れると危ないから座っていた方がいい』と言われ、新羅に『顔を出すな。はしたないと思われるぞ』と言われる。そして鳴良は目をバッテンにして魂が抜けたように脱力していた。相変わらず乗り物には弱いみたいだ。
馬車はしばらくするとひとつの建物の前に止まった。着いたのかな?ついに温泉に入れるんだと思って楽しい気分で降りようとした瞬間、周軒に『これを被った方がいい』とベールのついた帽子を渡される。新羅も『そうだな、顔は隠した方が良いだろう』と頷いている。鳴良は『や、やっとついた』と青い顔で生まれたての子鹿のようにブルブル足を震わせながら立とうとしている。鳴良大丈夫?
取り敢えず理由がわからないけど顔を隠した方がいいならそうしよう。帽子を被ると薄い布の隙間から薄らと外が見えるだけで視界が悪い。でも周軒が手を引いてくれたから歩くのには苦労しなかった。
周軒が何やら手続きをしてくれて部屋に入れた。わーい、温泉どこだろう。
「今更ながら星天をこの場に連れてきたのは恐ろしく外聞が悪いですよね」
「ああ、悪いな」
深刻そうな顔で新羅と周軒が話している。鳴良は別の理由でやばそうで『すいません、手水に行ってきます』とふらふらと出ていった。いってらっしゃい。鳴良の復活には時間がかかりそう。
「それを言うならば、星天が囲碁を打っているのも白棋士試験を受けているのも六財商の会に戦いを挑んでいるのも何もかもが前代未聞だがな」
「言われてみれば確かにそうですね。星天が碁を打っているのが当たり前過ぎで違和感なくなってましたが、女子が囲碁をするなんて本来あり得ない話ですから」
2人はずっと私の話をしている。お湯に入ってのびーっと手足伸ばしたかっただけなのになんでここまで重い雰囲気がでてるのだろう。また女がなんかしたら駄目みたいな慣習があるのだろうか。
「女は温泉入ったらダメなの?」
「そんなことはないさ。ただ、場所が問題なんだ」
「前に大きな風呂があるところはどういう場所か説明しただろ?」
周軒の言葉に前に六財商の甲斐と棋礼戦した時に皆に気まずい思いをさせたことを思い出す。えっと、大きなお風呂は妓楼にしかないんだよね。あれ?
「じゃあここは妓楼なの?」
「この建物は違う。健全な宿屋だ。だが、奥に行けば妓楼街がある」
「華樂街は国最大の温泉街であると共に最大の妓楼街だ。女性があまり来るところではないんだ」
周軒と新羅の説明に納得する。そっか、華樂街って妓楼街なんだ。確か男の人が女の人に会いに行く場所だよね?用があるのは温泉だからそっちはべつにいいか。
その時ちょっと顔色の良くなった鳴良が戻ってきた。『戻りました。何の話してるんです?』と鳴良がいう。えっとね。
「ここは妓楼街で女性はあんまり来ないって話。じゃあ鳴良達は今から行くの?」
「は?」
「え?」
「え、ええええええっ!?」
なんか意味わからないくらい鳴良が動揺している。妓楼って男性が行くところなんだよね?鳴良達はいけるんじゃないの?
「え、妓楼!?いや、行かないよ!?いや興味ないわけじゃないけど、むしろあるかもしれないけど、いや、まって、今の違う。えっと、あの」
「落ち着け鳴良。大した話ではないのに動揺するから何かまずい感じになってる」
「なんなら2人で行ってきて構わないぞ」
茹でタコのように真っ赤に染まった鳴良を宥める新羅に周軒が声をかける。瞬間、ピタリと二人の動きが止まる。
「え、あの、妓楼に行くんですか?」
「これからの本戦を戦い抜くためには骨休めも大事だろう。華樂街には棋士が訪れるべきだという店もあるらしい。星天のことは私が見ているから2人で行ってくるといい」
周軒がチャリと音のする巾着袋を鳴良に渡した。お金かな?妓楼の代金は周軒持ちらしい。そんでもって妓楼には棋士が行くと良いところもあるらしい。へー。
「それなら私も行きたい」
「流石に外聞が悪過ぎるからやめるんだ」
「外聞が悪いと何か問題があるの?」
今はあまり言われなくなったが、最初の頃は女が碁を打つなんて外聞が悪いやら礼節を重んじていないやらよく言われた。何がダメなの?
「結婚相手が見つからなくなる。身分のある家ほど評判を気にするから外聞が悪い女は嫁ぎ先が限られてしまう。子どもを産むことが最大の仕事である女にとって嫁入り先が何処になるのかは重要なことなのだが、星天ほど突き抜けた才能があると一般的な常識に当てはめることは難しそうではあるな」
『だが妓楼に行くのはやめとけ』と新羅に言われる。周軒にも『温泉に入るのを楽しみにしていたのだろ?ゆっくり堪能してくるといい』と言われたので、周軒が呼んでくれて女中ぽいっ人に連れられて温泉に入った。
ひとりで入れると言ったのに『お世話させていただくのが私の仕事ですので』といって女中さんに髪や身体を洗われた。ちょっと恥ずかしいかも。
だけれどもそんな気持ちもお湯に浸かった瞬間吹き飛んだ。あー、あったかい。気持ちいい。溶けそう。お湯に浸かるのってなんでこんなに落ち着くのだろう。もっとこの世界にお風呂の文化が広がってくれたらいいのに。
ほっこりして戻ると周軒はいたけど鳴良と新羅はいなかった。言っていた妓楼に行ったのだろうか?周軒に『今日は移動で疲れただろう。先に休もう』と言われた。
確かに一日中馬車での移動は体力使うし温泉入ってまったりもしたのでもう寝るのは賛成だ。
だけども周軒にひとつだけ聞いておきたいことがある。
「周軒」
「なんだ星天」
「私結婚できないの?」
すると周軒が目を丸くする。
「驚いた。星天もそういうことに興味があるんだな」
「できないと言われるとなんか嫌だ」
すぐに結婚したいという気持ちはない。だって今はただ毎日を生きるのに必死で未来のことなんて考えられない。
だけども長く生きて遠いはずの将来が今日この日まで来たら、そうしたいと思える日もくると思う。だから結婚できないと言われると困る。
すると周軒は目元を緩めとても優しい顔をした。
「星天は魅力的だから相手には困らないさ」
「そうかな」
「ああ。もし誰もいなかったら私のところに嫁いでくれ」
言われたことに驚く。結婚できないかもしれないと困っていたら周軒がお嫁にもらってくれるらしい。
「いいの?」
「言っただろう、星天は魅力的だって。私は煌めくような君の強さがとても好きなんだ。君の幸せを心から願っている」
『将来、望んでくれるのなら私のところに嫁に来てくれ』と周軒がいう。結婚できなかったらどうしようと言ったけど、正直結婚についてはよくわかっていない。恋をしたこともない。わからないのだ。だって毎日を生き抜くので必死でそれ以外のことなんて考えたことなどない。
だけどももし、私に未来があると確信できてその時に誰かと生きていきたいと思ったのなら。
周軒と一緒に生きる未来もあるのかもしれない。
『安心したか?』と聞かれたので『した』と答える。うん、すごくほっとした。取り敢えず嫁ぎ先はあるんだね。
じゃあやっぱり外聞なんて気にせず好きに生きていこう。
これをラブコメだと言い張る。