目が覚めた。おはよう。清々しい朝だね。
昨日は一日中移動で疲れたけど温泉入ったのとたくさん寝て完全回復したので元気いっぱいだ。今日もいい碁と出会える一日になるといいな。
女中さんに身支度を手伝ってもらって広間に行くと『おはよう』と言う周軒と昨日の10倍くらい顔色が悪くて生気を感じない鳴良と頭抱えてブツブツ何か呟いて暗黒を背負っている新羅がいた。鳴良と新羅はどうしたんだろう。
「駄目、無理、気持ち悪い。みず」
「僕が、この僕がまたしても女に負けると言うのか。嘘だ。そんなことがあるはずがない」
「2人は妓楼に行っていたのだろう?その様子ではあまり楽しめなかったのか?」
周軒がそう尋ねると鳴良がゆるゆると口を開く。
「いえ、えっと綺麗なお姉さんが隣に座ってくれて話しかけてくれたり楽器を弾いてくれたりしてくれて、なんか人生初めての春って感じだったんですけど、凄く緊張して水ばかり飲んでたら記憶があまりないです」
「鳴良、お前が飲んでいたのは酒だ。鳴良は完全に二日酔いだな。そのまま石になるんじゃないかと思うぐらい緊張していたようだから酔いが回るのも早かったんだろう。あまりああいう場に来たことがなかったんだろ?それほどしんどい思いをするならば次は行かない方が良いかもしれないな」
「え、やだ。それが俺の命日になろうとも次も連れてって下さい。女の子との出会いの場が欲しいんです」
しくしくと顔を覆う鳴良に新羅が水を差し出す。取り敢えず2人は妓楼に行ってきたらしい。
「それだけ聞くと普通の妓楼に聞こえるが」
「僕らが行ったのは花院楼という妓楼です。街の者に『棋士ならば行くべきだ』と強く勧められたので訪れました。他の妓楼と同じように酒を注がれ、料理に舌鼓を打ち、歌と踊りで目と耳を楽しまされたのですが、違いがひとつ。ここの妓女は全員碁が打てるのです」
新羅の話を聞いて驚く。女性が碁を打つと色々と文句を言われるこの世界ではそれはすごいことなんじゃないだろうか。女の子でも囲碁を打てる場所があるんだね。
新羅が続きを話す。自分の酌をしていた
周りの妓女達に『蘭玲はかなりの腕前ですのよ?』『打っていただけるのであれば、新羅様が勝たれれば本日の花代はなかったことにさせていただきますわ。その代わり、負けたら蘭玲への心付けとして花代を倍額頂きますね』と言われ勝負した。が、見事負けてしまったとのことだ。
「有り金全部毟られました。僕が負けるなんてそんなことが。くそう、きっと酒だ。酒を飲んでいたから負けたのだ。そうでなければ僕が負けるなんてそんなことは」
新羅は負けたことがよほど悔しかったのかさっきからずっとうーうー唸っている。だけども何かを決意したようでバッと顔を上げる。
「周軒様、納得できないので今晩も花院楼に行こうと思います。こんなところでつまずけばこの先の本戦で迷いが出ます。蘭玲にはきちんと勝っておきたいです」
「なら私も付いていくね」
新羅が行くなら是非とも私も連れていって欲しい。お酒を飲んだことで実力を発揮しきれなかったのかもしれないが、それでも私は新羅の強さを知っている。油断ならない強さと硬さが新羅の碁にはある。それを倒した人が花院楼にはいるなら戦いたいと思うのは当然のことだ。
「なっ、だから外聞が悪いからやめておけと言っているだろ!女が妓楼に行くなんてどれ程お前の礼節に響くか。そんな評判が広まれば全く縁談が来なくなるぞ」
「嫁の貰い手がなかったら周軒がもらってくれるから大丈夫だって」
『え゛』と言って鳴良が顔を上げたがすぐに『オロロロ』言って顔を伏せた。鳴良はもう今日一日安静にしてないとダメかもしれない。
「周軒様、本当に星天を嫁にするつもりなんですか。本当に?これを?」
「流石に今はするつもりはない。そこまで成熟しているとは思えないからな。だか彼女が成長してそれでも相手がいないようなら求婚しようと思っている」
新羅が私と周軒をバッバッと交互に見てくるので自信を持って胸を張っておく。ほらね。周軒様がもらってくれるから嫁ぎ先は大丈夫だよ。これで妓楼に行けるね。
「ちょっと意味がわからないくらいの玉の輿だぞ。実は名家の令嬢ってことはないよな?こんな良縁、他に絶対にないから逃しては駄目だぞ」
「囲碁を打っていいって言ってくれる旦那様は貴重だよね」
「いや、そっちじゃなくて周軒様は藩の跡取りだから将来星天は藩主の妻になるってことだ。藩主の妻は有事の際に藩主と同じだけの権力を持つこともある。こんなのが藩主の伴侶で本当に大丈夫なんですか?奎宿藩の未来が僕は心配でならないです」
新羅は頭を抱えている。そっか、周軒はいつか藩主になるんだよね。藩主って藩の中で一番えらい人だから藩主の奥さんも権力者?おお、じゃあ私が周軒の奥さんになったら奎宿藩中に大きなお風呂屋さん作ろう。
取り敢えず問題は解決したので花院楼へは行く。『星天が来るならせめて昼見世にしよう』と新羅がいうので今から周軒と新羅と3人で出かけることになった。鳴良は体調が悪いのでお留守番。めっちゃ来たそうにしていたけどどう見ても大丈夫な様子ではないのでお宿でいい子にしててね。
花院楼は街の東側にあって、赤い建物が多い街中で唯一桃色の壁色をした、たくさんの花が飾られた建物だった。華やかなお店だね。
道場破りではないけど勝負をしに来たのだ。なので入る時の掛け声はこれだね。
「たのもー」
「おかしいだろう!女なんぞにこのわしが負けるなんてあり得ない話だ!貴様ら何かおかしなことをやったのだろう!!」
中に入ると小太りのおじさんが唾を吐きながら喚き散らしていた。なんか私が勝負を挑みに行く時っていつも先客がいるね。このおじさんは一体どうしたのだろうか。
「まあ、何かとは何のことです?」
「不正だ!何かしらの不正をしたのだろう!」
「これは異な事を申します。碁で不正をできぬことを、碁打ちである貴方様がご存知ならぬはずがありません」
目元に赤い化粧をした華やかな垂れ目のお姉さんがにこやかにそういうと、小太りのおじさんはうっと言葉に詰まった。囲碁は黒と白の石を交互に打つだけの遊戯だ。サイコロやカードゲームじゃないのだからイカサマのしようがないよね。
「だが、わしはかつて白棋士の本戦に出場したことのある打ち手だぞ!そのわしが女なんぞに負けるなどあり得ぬじゃろ!」
「最初に申した通り私めは少しばかり碁が打てるのでございます。
「み、認めんぞ!花代を二倍など絶対に払わんっ!わしはこの地域の役人に顔が利く。この店には不正があったと取り調べをさせて潰してくれるわ!」
鼻息荒くおじさんが叫ぶ。取り敢えず両者の言い分はとてもよくわかった。あそこのちょっと垂れ目の綺麗なお姉さんが小太りのおじさんに勝ったけど、納得できないから不正だとおじさんが騒ぎ立ててるようだ。でも碁って可楽みたいに勝負の結果丸ごと捻じ曲げる以外の不正ってできないと思うんだよね。だから美人なお姉さんに負けて逆恨みしているだけだと思うな。
お互いに自分の言い分を譲るつもりはないようだ。ということは今から棋礼戦が行われるんじゃないかな?それなら私にも参戦させてくれないかなぁ。でも言い分が正しいと思うのはお姉さん側だけど戦いたいのもお姉さんなんだよね。困った。
その時、隣をふわりと桃色が駆ける。
耳飾りが揺れる。桃色の髪に黒いメッシュの入った男が隣を通り過ぎ、なんの前触れもなく怒っている男の肩を組むように腕を回した。
「やあ、色男。花街でそんな怒った顔したら駄目だぜ?ここは楽しいことをする為の街なんだから」
「な、なんだお前は!?」
いきなりフランクに話しかけてきた男におじさんが動揺した声を出す。だが桃色の男は気にせず話を続ける。
「まあまあまあ。蘭玲は俺も打ったことあるけどちゃんと実力のある強い子だぜ?お兄さんも女の子に遊んでもらいに来たんだろ?なら払ってあげるのが良い男って奴だぜ?」
「ふざけるなっ!この女は不正をしたのだ!それを許せるわけがないだろう!!」
桃色の男が激昂するおじさんを宥めるもまるで聞く様子がない。やれやれと桃色の男が首をすくめると組んでいた腕を外す。
「そこまで言うなら俺と一局打とうぜ?お兄さんが勝ったら言ってること全部信じるし金も払わなくていいよ。その代わり俺が勝ったら女の子に無茶言うのはやめろよな?」
「ふん、若造が。わしは白棋士試験をあと一歩のところまで行ったのだぞ?身の程知らずが、喧嘩を売る相手を間違えたな」
クククッとおじさんが自信に満ち溢れた顔で笑う。それに対して『あの』と垂れ目のお姉さんが声を出す。
「豪大様、その対局はやめられた方が良いかと」
「ふん、真実が白日の下に晒されるのが恐ろしいか。ならば自らの過ちを認め謝罪をし、花代をなしにすれば許してやらんこともないぞ」
「そうではなく、その人
垂れ目のお姉さんがそう言った瞬間、ピキッとおじさんの動きが固まる。そして顔がサーッと青ざめガタガタと震え出す。
「か、快燕だと?序列四位のあの快燕か!?」
「そうですよ。私達は皆、快燕様に碁を習ったのですから」
『だから蘭玲の強さは知っているって言っただろ?』と快燕が言うと小太りのおじさんは『快燕様の指導された妓女だとは知らず失礼しました。だ、代金はお支払い致しますのでご勘弁を』と言って、ジャラリと重そうな巾着袋を快燕に渡すと慌てて出て行った。
「ほら、蘭玲。これはお前の頑張りだぜ」
「ありがとうございます。あの、このお金は快燕様のおかげで労せず得られたので快燕様にもお礼を」
「俺は女の子に貢ぐことはあってもお金を巻き上げるようなことはしないの。早く借金返して故郷に帰りたいんだろ?そのお金は自分の為にとっときな」
蘭玲は巾着袋をギュッと抱きしめて『ありがとうございます快燕様』とふんわりと笑う。その笑顔は営業用な物ではなく心からの物である気がする。
話が終わったのか、くるりと快燕がこちらを向く。ニィと開いた口元からは八重歯が見えた。
「それで、まだお客様がいるぜ?お前達も何か用か?」
快燕の耳飾りがシャラリと揺れた。棋礼戦はなかったけど良い出会いはあったね。
序列四位の白棋士、快燕。この国のトップ棋士のひとりに会えるなんて今日はとてもついている日のようだ。
序列四位、快燕登場!