それから毎日花院楼に通った。花院楼には囲碁の為の部屋がたくさんあってここは図書館かってくらいぎっしりと棚に囲碁の本が詰まっている。温泉もあるんだって。私もうここに住もうかな。
明玉に『ずっと花院楼にいたい』というと『あら、妓女になりたいってこと?容姿が整っていて頭のいい星天ちゃんならすぐに売れっ子になるでしょうね』とクスクス笑っていた。妓女って確か温泉に入れて囲碁を打つお仕事だよね。白棋士にならないのならなりたい職業だなあ。
皆で次の対戦相手の研究して、対局して、たまにお菓子を食べた。妓楼のお姉さん達に抱っこされて皆にお菓子を貰ったりもちもちと頰を突かれたりしていると、『なんなんだろうこの感情。お姉様に可愛がられている星天が羨ましいというよりはなんかこう、尊いというか。わからないけど何かに目覚めそう』と言って鳴良が胸を押さえていた。また体調が悪いのだろうか。それなら温泉に入るのがいいと思うよ。肩までしっかり浸かってあったまると元気になれるよ。
花院楼の日々は楽しかったけどそろそろ次の対局が始まるから西都に戻らないといけない。明後日には対局だから今日中には華樂街を出るそうだ。大事なのは勝負だから西都に戻るけどまた華樂街には行きたいな。
帰る支度はできているけど最後に明玉達に挨拶をしておこうということで行き慣れた花院楼への道を歩く。
「結局この5日間はほとんど花院楼にいたな」
「うん、楽しかったね」
「これ、俺達どういう風に思われているのだろう。奎宿藩の者達は本戦試験の最中にずっと妓楼に入り浸っているとか噂されてるのかな」
「天に顔向けできないようなことは何もしてない。気にするな鳴良。次の試合も勝てばどんな噂だろうと関係ないさ」
その時、ふと道の真ん中が絵の具をこぼしたみたいに真っ黒に染まったのが見えた。まん丸でマンホールよりちょっと大きいくらいの大きさだ。
不思議な現象だ。この世界ではこういうことがよくあるのかな?と思って周軒に聞こうとした瞬間、何かが飛び出した。黒い体躯、満月のような金色に光る瞳、それが何か認識する前に白刃が煌めいた。周軒が剣を抜いていた。
「黒獣が出たぞーーっっ!!全員逃げろっ!!!」
叫びながら飛び掛かる黒い獣に向けて周軒が刃を振るう。白刃が一閃、真横に二つの金色の目を切り裂かれた黒い獣は『ギャオオッーー!!』と叫び声を上げ黒い煙となり消えていった。
え、黒獣だ。あれだよね、西都来る時に出た全ての命を奪うっていうやばい獣だ。黒い穴から出てきたのは黒獣だったんだ。
「大丈夫か星天!!」
「うん、大丈夫」
「黒獣!?嘘、こんな街中に現れることがあるの!?」
「まずいぞ。この街には何万人という人間がいる。そんなところに黒獣が現れれば」
さらに黒い穴から三匹の黒獣が飛び出した。二匹は周軒が斬った。だけれども一匹は周りにいた人間を襲う。
助けようと周軒が一歩を踏み出す。が、それより先に黒い穴からさらに五匹の黒獣が飛び出した。
「鳴良!新羅!星天を連れて逃げろ!」
「え、周軒様は!?」
「黒地点がある。放っておけば無限に黒獣が湧き、華樂街は死の土地となる。そうなれば西都まで被害が及び国が滅びかねん。誰かが食い止めなければならないのだ」
周軒が剣を構える。そうしている間にも黒獣は増え続け建物を壊し人々を襲う。手前にいた黒獣を斬りながら周軒が吠えるように叫んだ。
「
え、と思う間もなく身体が宙に浮く。方淡は周軒の部下の人だ。身体を抱えられて周軒と目線が近くなる。
顔が近い。目が合って、すると周軒はふわりと笑った。
「好きに生きるんだ星天。世界がなんと言おうと君の思うままに生きるんだ」
「周軒」
「君の幸せを心から祈っている」
瞬間、身体が風を切る。方淡が走り出したのだ。どんどん周軒の姿が小さくなっていく。
「方淡、周軒が」
「あの人は殺しても死にませんよ。ほんと、無茶苦茶に強いんですから。それより星天様は逃げなければなりません。貴方はあそこにいたら死んでしまいます」
鳴良と新羅も近くを走っていた。街の人達も異変に気付いたのか大騒ぎしながら逃げ始めている。街中がパニックになっていた。
「何で黒獣が現れたんだろう」
「わかりません。黒獣は
景色が流れていく。遠くの方では黒い何かに人が襲われているのが見えた。黒獣が人を襲っているのだ。
人々の悲鳴や金属がぶつかる音や獣の叫び声が飛び交う。通りは人がごった返し、皆が街の外に向かって走っている。鳴良と新羅の姿が見えない。逸れてしまったのだろうか。
「方淡、鳴良と新羅が」
「逸れてしまいましたね。でもきっと大丈夫ですよ。新羅様は頭がいいですし、鳴良様はああ見えて武芸を嗜んでおられたのですよ。正直腕の方はそれなりでしたが、避けるのはお上手でした。兄上様達に殴られるのがいやで逃げるのをいっぱい練習したそうです」
茶目っ気たっぷりに方淡がいう。絶望的な状況だからこそ明るく取り繕おうとしてくれているのだ。だけども私の中から不安は消えてくれない。
周軒は怪我をしていないだろうか。鳴良と新羅はどこにいるのだろうか。花院楼のお姉さん達は無事なんだろうか。
その時の衝撃で身体が揺れる。方淡が小刀を抜いていた。隣の男が黒獣に襲われて肩口を噛まれていた。
「ぎゃああっ!!!助けてくれぇぇーーー!!!」
「くっ、こんなところにも黒獣がっ!」
男の肩越しに金色の満月と目が合う。瞬間、方淡が満月に小刀を刺し入れた。獣が悲鳴を上げて倒れる。
「まずいです。黒獣の数が増えてます。このままだと本当にこの街は全滅、っっ!!!!!」
方淡の言葉が途絶えると共に身体が揺れる。見ると方淡の足に黒獣が噛みついていた。
すぐさま方淡は噛まれていない方の足で黒獣の目を蹴り飛ばす。黒獣は『ギャウッ』と呻き声を漏らし怯んで離れた。方淡の足からダラダラと血が流れる。
方淡は私を地面に下ろした。そして剣を抜くと背を向ける。
「もう僕は貴方を抱えて黒獣より早く走ることはできません。せめてここにいる黒獣は僕の命を賭けて食い止めます。なので貴方は逃げて下さい」
「でも方淡が」
周りの黒獣もここに仲間を屠った強敵がいることに気付いたのか、ジリジリと集まってくる。ここに残れば方淡がどうなるかは火を見るより明らかだ。
「我が主君、周軒様は貴方が生き残ることを何よりも望みました。だから僕には貴方を生き残らせる義務がある。走れ星天。
走れえええぇぇーーーっ!!!!!」
瞬間、身体がバネのように跳ねた。足が動き身体が駆け出す。
私は走った。私の人生で走るなんて初めてのことだ。息が上り胸がバクバクとうるさくて呼吸が苦しい。
それでも足を止めてはならない。方淡に走れと言われた。周軒が命を張って今も黒地点を食い止めている。
私は走らなければならない。生きる為に。身体が千切れようが呼吸が止まろうがそれでも走らなければならない。
私に生きていて欲しいと望んでくれた人がいるのだ。
走る。走る。走る。視界が真っ白になって頭が痛い。だけども走る。そして、
「あ」
足がもつれた。口から音にならない声が漏れる。身体が倒れずざーと地面に全身で擦れた。せっかく琳華様に作ってもらった衣装が泥だらけでズタズタだ。
ザッザッと地面を踏みしめる音がする。振り向くと黒獣が四つ脚を地面につけそこに立っていた。死がそこにいた。
私にとって死とは隣人だった。ある意味生よりも近しい存在だった。
いつも隣にいて私を迎えにくる。それが今回は形となっていた。黒い獣の形をしていた。
振り向いたまま立ち上がる。その際地面に落ちていた石をひとつ握り込んだ。
周軒は黒獣の弱点は目だと言っていた。二つ潰せば絶命する。一つでも動きを止めることくらいはできるだろう。
うまくはいかないだろう。運動は得意でないし身体を動かしたこともろくにない。あんな俊敏な獣の目に石を当てるなんてとてもじゃないけど無理な話だ。
だけど
生きるとは戦うことだ。だから無茶だろうが無謀だろうが素直に諦めない。最後まで君にあらがうよ。
それが生きるってことなのだ。
石を握りしめて黒獣に向き合う。息を吐く。そして、
「"星天もこの世界にいたんだ”」
黒獣が声を発した。
「“驚いたな。そうか、そうなんだね。また星天に会えるとは思わなかったな”」
黒獣が喋っているわけではない。口元は動いてないし牙も少しも揺れていない。だけれども黒獣から声が聞こえるのだ。
「“君には借りがあるからね。死んでもらったら困るな”」
瞬間、黒獣が消えた。目の前から消えた。跡形もなく姿を消したのだ。
通りには壊れた看板と散乱する物の残骸と、あと死体があるのみ。黒獣はいない。
色々と思うことはある。黒獣は何故消えたのか。方淡は無事なのか。周軒は、鳴良は、新羅は大丈夫なのか。
だけどもそれよりもずっとずっと思うことがある。私の頭の中をぐるぐると疑問が駆け巡る。
今の声……黒鶫じゃない?
【本日のお品書き】
・鳴良、百合に目覚める!
・華樂街、黒獣に襲われ壊滅する!
・黒鶫、ワレおったんかい!
以上、三点です。