馬車はやがて大きな門構えの家に着いた。周軒は先に降りると手を差し出して降りるのを手伝ってくれた。
そのまま手を握られ屋敷の中に入る。白髪で豊かな髭を蓄えたお爺さんが側に寄ってきた。
「周軒様、藩主様が探されてましたぞ」
「ああ、わかった。すぐに行く」
「其方の方は?」
「明日の棋礼戦の棋士だ」
「なんですと」
明らかに何か言いたそうなお爺さんを置いてズンズン奥へ進んでいく。小道を歩き奥にある屋敷の扉を開けると書物の沢山積まれた棚があり、奥の机には男性が俯いて座っていた。
「父上、戻りました」
「周軒。何処へ行っていたのだ。明日は
「わかっております父上。その為の棋士を連れてきました」
刺繍の沢山ある紫色の服を纏い、髪をお団子にひとつに纏めている厳格な表情の男性が立ち上がった。父上と呼ばれていたからこの人が藩主か。
「全ての棋士にいなくなられてどうしようかと思っていたが、流石だ周軒。それで棋士は何処にいる?」
「ここにおります父上」
藩主はチラッと私を見た後周軒の後ろを覗き込んだ。まるでもう一人誰かがいるのではないかというような所作だけど勿論誰もいない。あ、さっきのお爺さんが付いてきてるならいるかも。
「誰もいないようだが」
「父上、彼女が棋士です。星天といいます」
「なんだと。小娘ではないか」
片眉を上げ咎めるような口振りで藩主が言う。どうも小娘です。でも囲碁は好きです。
「周軒、考え直すのだ。明日の棋礼戦はこの藩の未来がかかっている。敗北すれば多額の賠償金に加え、
「父上、町の師範代は全て棋礼戦の申し出を断りました。それに師範代達は一人残らずこの星天に敗れたのです。今、この藩で最も強い棋士は星天です」
「なんだと」
ジッと藩主が私を見てくる。嘘か本当か見極めようとしているのだろうけど、師範代と戦ったのは事実だ。とても楽しかった。
「私は先程この者と戦いました。その実力は本物です」
「お前はそこまで碁を得意としているわけではないだろう」
「確かに私は考えることよりも身体を動かす方が得意です。ですが、その人となりを見極めるのに棋力は関係ないでしょう。対局している時、私は自分の目の前に虎がいるように感じました。牙を剥かれ食い殺されるとそう感じたのです。この者は
グッと周軒が頭を下げる。私が虎に見えた?最近はよく鬼だの妖怪だの人外に揶揄られることが多かったけど虎と言われたのは初めてだ。碁を通じて私が周軒の本質を見たように周軒も何か感じたのだろうか。
しばらく藩主は黙り込んでいたがやがてふぅと息を吐く。
「わかった。明日まで時間がないことだしお前の判断を信じよう」
「ありがとうございます、父上」
「星天殿、勝負は明日だ。本日はゆっくり休まれよ」
偉い人に対する礼儀作法は知らないけど、声を掛けられたのでぺこりと頭を下げる。そのまま周軒と藩主の部屋を出るとお爺さんが寄ってきて『お部屋を用意しております』と頭を下げた。すごい仕事のできるお爺さんだ。
ベッドと椅子と机といくつかの調度品のある部屋に通されると『明日は棋礼戦の場所まで移動するので今日はゆっくり休むといい。何か欲しい物があれば
お爺さんが用意してくれたご飯を食べてこの世界に来て初めてベッドで寝た。埃っぽくなくて快適だ。
そして朝。顔を拭いて着替えをしてご飯を食べて棋礼戦の場所へ向かう。馬車に揺られて太陽が一番高くなるくらいには到着した。
馬車は真っ白な門構えの建物の前で止まり周軒と共に門から入る。屋根も柱も道の小石も全て白く染まっている。土足でヅカヅカ歩くのが躊躇われるくらい真っ白な外観だ。
藩主を先頭に周軒と私が続く。周りには護衛の兵士達が付き添っている。門の奥にはやはり白い建物があって金色の虎が描かれた白い扉を周りの兵士達が開ける。
「やっやっや、遅かったじゃないか
「我が藩の未来がかかっているのに逃げるわけないだろう
中に入ると人が大勢いてその中でも一際ギラギラとたくさんの装飾品を身につけた男が藩主に話しかけてきた。
「やっ、噂によればお抱えの棋士が皆逃げたらしいじゃないか。それで心配していたのだよ」
「随分と我が藩の事情に詳しいではないか」
「対局相手を調べることは当然のことさ」
ふんとご機嫌な様子で鼻息を鳴らす。対等に話している様子を見るに相手側の藩主だろう。藩主ががっしりとした体格なのに対し細身なのと喋り方から軽快な印象を受ける。
「それで、棋士は見つかったのかい?」
「……ああ」
「それはよかった。てっきり君かご子息が対局するのかと思っていたからね。ほら、私のところの棋士は知っているだろう?流石に昔馴染みの首が斬られるところは見たくないからね。それで棋士は誰だい?」
ちらりと藩主が私を見る。呼ばれた気がしたので藩主達のところまで前に出た。
「星天だ。彼女が我が藩の棋士だ」
「やっ、冗談だろ?
「倚楽様、彼女は私が連れてきました。実力は本物です。倚楽様をがっかりさせることはないでしょう」
「信じられるわけがないだろう。女だぞ?まさか私に
周軒がフォローしてくれたけど倚楽は疑心暗鬼の目でこちらを見てくる。なんで女というだけでこんなにも疑われるのだろう。一局打たせてくれたら証明するのに。
「そんなわけはありません」
「だがな」
「その証拠に私の首を賭けます」
周軒が衝撃的な言葉を言った。倚楽もギョッとしているし藩主も目を見開いている。聞き間違いではないらしい。
「何を言っているんだ周軒。お前は儂の一人息子で
「父上、これは元々私の中で決めていたことです。星天は我々の頼みでこの場にいる。ならば賭けの代償は我々が支払うべきでしょう」
「ふーむ、周軒の命か」
倚楽が腕を組み悩んでいる仕草を見せる。が、口元は歪み笑みを堪えているようだ。隣藩の跡取り息子の命が天秤に乗ったことを喜んでいるように見える。
「よーし、その心意気を買って賭ける首は小娘ではなく周軒にして」
「あ゛?何勝手に話進めてんだ。俺ぁ、そんなの認めねぇぞ」
奥に立っていた人の一人が声を上げた。ボサボサの髪にボロボロの衣服、渦旋亭にいた男達と同じような風体だがひとつだけ違うところがある。
背中に大きな鎌を背負っていた。
「対戦者の首を賭けるのが俺の提示した条件だぜ。勝手に話を変えるんじゃねえ」
「しかし、周軒が命を賭けると言っているんだぞ。こんな素性のわからぬ小娘より周全の倅の方が」
「そんなことは知らねぇよ。対戦相手の首を賭けるのが絶対だ。そんなに賭けたいなら2人とも首を賭ければいいじゃねえか」
鎌を背負った男はボリボリと頭を掻きながらそう答える。それに反応したのは藩主だった。
「なんだと。それではこちらは星天の命に加え周軒の命まで賭けろということか」
「やっ、周軒の命はこちらから言い出したことではないぞ。そちらが勝手に賭けたことであろう」
ザワザワと互いが互いの意見を言い合い収拾がつかない状態となる。
その時パンパンパンと音がし、見ると部屋の隅に立っていた白い服を着た3人の男のうち、中央にいたふわふわの髪の人が手を叩いていた。片目には眼鏡をかけている。
「皆さんの事情はわかりました。ここは白棋士である私の判断に従って頂けますか?」
「やっや、
「こちらも異存はない」
2人の藩主が引き下がる。藩主というのはそれなりの権力者のように思えるけれど、この怕連という人はそれ以上の存在らしい。
「まず、今回の棋礼戦において対局者は互いに命を賭けるという話は事前に通達が行っていたはずです。この決まりは変えられません。よって、
「ヒッヒッ、そうだよなぁ。そういう約束だもんなぁ。当然だ」
鎌を背負った男が声を詰まらせたように笑う。薄々勘づいていたけれどもこの人だろう。黒髪で丸まった背中に大きな鎌を背負う長身の男、彼が
「次に周軒は命を賭ける必要はないですが、どうします?」
「星天が命を賭けるというのに私だけ逃げるわけにはいきません」
「では周軒にも命を賭けて貰いましょう。その代わり調整が必要ですね」
怕連はひと呼吸入れると眼鏡に触れそして話し始めた。
「当初の約束では残句が勝てば銀子10万両と大江山は参宿藩の物になり、星天が勝てば奎宿藩は一切の賠償の必要はなしというものでした。それに加えて周軒が命を賭けるのであれば奎宿藩は元柑夫妻の死亡に一切の責任を負わないとしましょう。これで釣り合いが取れます」
「やっ、ちょっと待って下さい。それだと弟夫婦の死亡の責任は何処にあるというんです」
「奎宿藩にないならば参宿藩にあるという理屈になりますね」
「弟夫婦が死んだのは奎宿藩ですぞ!金銭の補填はともかく、罪は罪のはず。奎宿藩に弟が死んだ責任はあるはずです!」
「それならば貴方も命を賭けるべきですね」
怕連の言葉に倚楽はピタリと黙る。周軒が命を賭けたのだからお前も賭ければいいということだったが流石にそこまではするつもりがないらしい。
口を開こうとしては言葉に詰まる倚楽を見て『では、棋礼を始めましょうか』と怕連がいう。これでルールは決まった。
私が勝てばお咎めは一切なし、賠償金も払わなくていい。だけど負ければ私と周軒の首が飛び奎宿藩は多額の負債を負う。
「周軒」
「父上、私は星天を信じていますよ」
周軒は私の手を握るとそのまま膝を折る。目線が同じ高さとなり紫の瞳と視線がかち合う。
「星天、信じるとは死地で友に背中を預けることだ。私は君を信じている」
握られた手から熱が伝わる。周軒は私を信じた。背中を私に預けてくれた。
ああ、この人を死なせたくないな。
部屋の中央に置かれた机に向かい席に着く。机の上には碁盤が置いてあった。
この試合には私と周軒、2つの命が賭けられている。本気の本当の真剣勝負だ。
身体中に見えない重しを乗せられているようだ。息苦しくて身動きが取れない。プレッシャーに心臓の鼓動が高鳴る。
だけどどうしてだろう。苦しくて苦しくて仕方ないのに口元が自然と吊り上がる。
ああ、どうしようもなく私はこの勝負が楽しみなのだ。