黒が左下隅小目を打つ。俺が右下隅小目を打つ。
財全が右上隅星を打った。だから俺も左上隅星を打つ。
珍しい形になった。斜めの布石の碁だ。互いに対角線上に石を置くことから大模様になりにくく、細かい地合勝負になりやすい。あと、互いの石が散り散りになるから戦いも起きやすいかな。
あまり使われない布石だから見慣れない盤面になっていく。隅ひとつひとつの定石はわかるけど先の展開が想像もつかない。黒が望まなければこの形になることはないから、当然財全はわざとこの布石を選択したんだよな。うっ、向こうは研究し尽くしているのにこっちは準備不足って痛すぎる。序盤ですでに主導権を握られてしまっている気がする。
「鳴良、お前の公式戦で打った碁は全て見た」
パチリと打ちながら財全がそういう。え、俺の打った碁全部見られているの?確か財全は対戦相手の事前研究を完璧にする打ち手って聞いていたけど、怖すぎる。自分のこと調べ尽くした相手と戦うって何も通じない気がする。これを星天は楽しかったって言ったの?ちょっとその感性は理解できないぞ。
「精密で堅実なうち回しだ。特に数値化できる時は間違いなく最高手を打つ。棋譜を見て疑ったが打ってみて確信が持てた。星天が用いたのは貴様の打ち方だ。星天との初戦、俺は貴様に負けたのだッ」
『二度と負けるわけにはいかんッ!』と言い放つ財全の目の奥がギラリと光る。空気が重くなり肌がピリピリと焼かれるように痛む。敵意を向けられていた。
いやーっ!なんか怒っている!確か星天が『鳴良のように打てたおかげで勝てた』とか言ってたけどそのこと?いやいやいや、それは星天の実力というだけで俺何にも関係なくない!?なんか不当に恨みを買っている気がする。
敵意は剥き出しだが盤面はゆったりとした進行だ。戦闘は起こらず黒と白の石が適度な間合いで混ざり合う。盤面は白も悪くないと思うんだけどなんというか形勢判断に困る形だ。黒の地とも白の地とも言えない場所が多すぎる。えっと、うん。
次どこに打てばいいんだ?
「鳴良、お前はけして弱くはない。形勢判断とヨセの的確さはかなりの腕前だ。いきなり序列七位になる白棋士など聞いたことがないがその程度の実力はある。白棋士としてもそれなりにやっていけるだろう」
淡々と財全がいう。なんか急に褒められた。え、何、褒めて油断させる作戦?いや普通に効くわ。人に褒められるなんて人生でそんなになかったから本当に嬉しい。しかもこの国で三番目に強い人に碁が強いと言って貰えたんだよ?照れてしまう。
「だがここを抜けて上位に行くほどではない。上は化け物揃いだ。お前には奴らと比べてはっきりと足りない物がある」
と思ったら上げて落とされた。まあそんないいとこばかりじゃないよね。でもその話題は興味をそそられる。俺の足りない物、それはずっと知りたかったことだ。
星天に勝つ為に必要な物をずっと探していたんだ。
「それは何ですか?」
財全が答える。
「才能だ」
……あんまりな答えだった。よりによってそれなの?才能って、どうしようもなくない?生まれ持った物なんだから今からなんとかなるものじゃないよね?え、じゃあ俺が星天に勝つ術はないってこと!?
「より具体的にいうならば、類い稀なる発想力から生み出される“創造の一手”、これがお前には欠如している。天才どもは革新的な一手により自分の得意とする世界を創り出す。星天の最も恐ろしい能力は攻めの強さではない、戦場を生み出す能力だ。あいつはどんな状況からも自分の得意とする戦場に相手を引き摺り込む」
『まあ、以前の俺は戦場を生み出すことを阻止すれば勝てると思って挑んで負けたわけだがな』と財全がいう。いや充分すごいわ。そんな高次元の戦いが行われてたのか。財全も星天も凄すぎるよ。
創造力がない、その言葉は的を射ていた。俺は盤上から正解を拾ってくるのが得意だった。正確に数値化し状況を的確に判断することはできる。
だけども答えのない状況ならば?まさに財全が目の前に突きつけてきた盤上が今を表している。俺は今どこに打つべきかわからず迷っている。盤面の掌握力が俺にはないのだ。
呆然とする俺に財全がさらに畳み掛ける。
「選抜戦を抜ければ待ち受けているのは才能の化け物どもが闊歩する世界の頂点だ。凡人のお前が戦い抜ける場所ではない」
財全の言葉が突き刺さる。わかっていたことだった。俺に突き抜けた才能はない。ちょっとだけ碁が上手になったけど星天の煌めきにはまるで及ばない。
四神戦に出たいなんて本当に大それたことを言っていると思う。まず間違いなく勝てないだろう。ただのお荷物で足を引っ張るだけの存在となる。恥をかいて笑われるのかもしれない。
だけども、それでも諦められないのだ。誰になんと言われようが戦い抜くと決めた。
俺の人生でこれだけは譲れなかった。
「それでも俺は四神戦に出ます」
「何故そこまで抗う。お前は何故戦うのだ」
財全の探るような視線が俺に突き刺さる。財全は何故だかわからないが俺の答えを待ち望んでいる。
俺が戦う理由、それは、
「星天に勝って好きだと伝えるためです」
「は?」
星天に勝って告白するためである。結婚するための条件というのもあるけど、好きな子に想いを伝えるのに負けっぱなしってカッコ悪いと思う。星天に相応しい強い男になりたい。
と思うのだけど何故か財全がギョッとした顔をしている。なんでだ。
「星天が好きだと?貴様正気か?」
「え、何かおかしいです?」
「アレが恋愛対象になるのか?」
信じられないといった顔で目を細めジッとこちらを凝視してくる。え、なんで?勿論恋愛対象になるよ?
「すっごく可愛い女の子じゃないですか?」
瞬間、化け物を見るような視線を財全が向けてくる。え、なんかおかしいこといった?碁は鬼神の如く強いけどそれ以外は笑顔が可愛くてちょっと食いしん坊な女の子じゃん。そんな子が『鳴良のおかげで今の自分があるんだ。一緒にいてくれてありがとう』って言ってくれたんだよ?好きにならない要素なくない?俺の人生も星天がいてくれたから今がある。
『こいつも規格外なのか』と財全が呟きが聞こえたけど星天のことが好きだと言ってその評価はおかしくない?
俺の手番だ。相変わらず盤上は黒と白の境目が曖昧で形勢判断がしにくい。財全のいう通りここにいるのが星天だったら世界を一新するような破壊的な一手が出てくるのだろう。
でも俺にはそんな才能の一手は出てこない。だから自分のできることをするだけだ。一歩一歩前に進む。最高の一手を打てなくても最善の一手を打つ。それを続けて勝ちを積み上げていく。
そうして先を行く君に追いつく。いつか振り向かせてみせるよ。ねぇ、神様。君が好きだ。
人生を賭けてこの想いを貫き通す。
模様の碁から攻め合いに発展した。でも力の限り戦った。君の中に俺がいるというならば俺の中にも君がいる。星天の攻手を誰よりも深く知っているのは俺だ。その戦い方は骨身に染みている。
戦って凌ぎあって、ヨセ勝負となる。互いに盤上の最善手を打ち合い盤上が埋まっていく。
そして決着がつく。息を吐き出した。勝者と敗者が決したのだ。
「お前はこの先の世界を戦える器ではない」
財全の声が上から降ってくる。顔を上げると表情の読めない顔で財全は盤上を見つめていた。
「努力なんてものが報われない才能の世界だ。凡人の口にした大言などはすべて無惨に散っていった。天と地が交わることがないようにもはや世界が違うのだ。
だが、星天が好きだから戦うだと?流石に俺もここまでの阿呆は見たことがない。お前は俺の理解を超えた想定外の阿呆だ」
淡々とした口調で財全がそう語る。なんか散々なこと言われている。え、星天が好きだから碁が強くなりたいっていう動機ってそんなに阿呆なの?可愛い女の子に告白したいから四神戦に出たいっておかしい?いや、おかしいか。めっちゃ不純だった。そりゃ阿呆言われるわ。
ふっと財全が口元を緩めた。張り詰めていた空気が消え財全から力が抜ける。それと同時に重くて暗い何かが抜け落ちた気がした。
「千の努力をしろ。それでも万に一つも敵うまい。誰もお前が勝つなど考えもしないだろうし、俺も期待しない。だがまあ、お前が星天を倒すというならば気分はいいな。せいぜい足掻け」
財全が頭を下げる。終局したのだ。
黒四十五目、白四十五目半。白の半目勝ちだ。
俺は四神戦の最後の出場者となった。
ようこそこちら側の世界へ