あの日の功罪を清算せよ   作:テロン

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あの日の功罪を清算せよ-3

 

 

 

「オレさま、身を呈して守れと言ったつもりは無かったんだけどな……」

「うひょー、キバナくんが落ち込んでる!!」

 

 ヘニョヘニョしているキバナくんを前に、ルシアは満面の笑みで備品として置かれていた松葉杖を振り回した。場所はシュートシティの病院、入院患者用の個室だ。ブラックナイトから一夜明け、ぐっすり眠ったルシアは全然ピンピンしていた。多少包帯やら湿布やらでデコレーションされているが、入院するほどじゃない。この松葉杖だって他人のだし。

 

「大したことないと強がった人が本当に大したことなかったって状況を初めて見た気がするぜ!どうしてオレの方が重傷なんだと思う?」

 

 ここはダンデの病室だった。頭と腕を包帯でグルグル巻きにされた上に、これまた二倍くらいの太さになった足が上から吊られている。見ての通り、重傷と呼べるのはダンデ一人だった。それも割と不名誉の負傷だ。

 

「ファイヤーは自分は悪くないって言ってたよ」

「キミたちが反省するとは露ほども思っていないからいいんだが、追撃を食らうと入院期間が延びそうだからな……」

「まあ、珍しくボールから出て爪を研いでたからなあ。ほら、いま病院の中庭に降りてきたでしょ?」

「待っ!」

 

 パイプ椅子に腰掛けていたキバナくんが勢いよく立ち上がったので、華奢な椅子の方が嫌な音を立てて吹き飛んだ。やったのがキバナくんじゃなければ拳が出てるところだ。

 

「なんで放し飼いしてんのぉ!?やべえ本当にいるしこっちの病室見ながら爪研いでるよ!」

「だからさっきそう言ったじゃない」

「キバナ……どうやらオレの命はキミに懸かっているらしい……」

「責任が重い!ルシア、ルシアさん〜!!頼むからファイヤーをボールに仕舞っていただけたりはしねえかなぁ??」

 

 ファイヤーはガラルに限らず珍しいポケモンではあるので、ルシアを知っている人間だとファイヤーがイコールでルシアを指すらしい。中庭で居合わせた人たちが蜘蛛の子を散らすように逃げていくのを見下ろしながら、ルシアは「たまにこういう危機に晒されるくらいで丁度良いんじゃないの」と欠伸を漏らした。

 

「いくらなんでも民衆が腑抜けすぎでしょ。今回の一件、死人はなかったけど怪我人は複数。一番多い怪我の理由は避難時の転倒だってさ」

「街単位でルシアの襲撃に備えてた時代はもう結構前だからな……」

「知りたくなかったぜ、ガラルの防災意識の今昔」

 

 ルシアはバトルの余波くらいでしか街を破壊していないんだが。

 

 窓を開けて、爛々と目を輝かせて重傷のダンデを狙っているファイヤーに向けて片手を振る。バサリと羽ばたいて寄ってきたところを、キバナくんの要望通りボールに収めた。

 

「それで、大元のムゲンダイナって今どうなってんの?」

「それは聞いてないのか。ユウリが捕まえて以降は暴れる様子もないらしい。当の本人たちは疲れ果てて眠ってるけどな」

「ユウリ、ねえ」

 

 ルシアは本当にチラッとしか見ていない。ムゲンダイナを相手にバトルしていた姿と、彼女が育てたポケモンを数体。

 

「良いトレーナーだろ?」

「……ふふ。そうねえ。今年はもしかしたらもしかするかも。チャンピオンマッチ、いつやるの?明日?」

 

 キバナくんの問いに答えて、包帯ぐるぐる巻きのダンデを見下ろす。とてもバトル出来る姿じゃないが、バトルのためとなればこの男は気合で治すだろう。

 

「明後日で組んでもらった!楽しみだぜ」

「おいおい重傷なんだろ?もう少しゆっくりしたってユウリは逃げねえよ」

「いいや、可能な限りすぐに行いたい。今年は特別なんだ」

 

 最後の一言を噛み締めるように呟いて、ダンデがルシアを真っ直ぐに見据える。昨日この瞳がルシアに放った言葉を覚えている。今年のチャンピオンマッチまでだと区切られたことも、記憶している。

 

 予定が崩れたとしても、大枠は予定通り。チャンピオンマッチの決着と共に、ルシアはダンデと手を切る。ガラルやガラルリーグ、そしてポケモンバトルと完全に縁が切れることはないにしても、もう今この時のような時間は訪れない。そういうつもりでルシアはこの二年余りを過ごしてきた。

 

「終わればキミに答えを聞く。ちゃんと見ててくれよ、ルシア」

「キミこそね。約束、ちゃんと果たしなさい」

 

 

 

 

 

 

 肌を炙る熱気と歓声を前にして、ルシアは掌の上でボールを転がした。

 

「そういやローズってどうなったの?」

「自首しましたよ。アンタの情報源どうなってんです?」

「さあ。スマホのことはよくわかんないからロトムに任せてる」

 

 チャンピオンマッチ当日。本当に気合で怪我をどうにかしたダンデと、この三日殆ど寝ていたらしいというチャレンジャーの試合がもうすぐ始まろうとしていた。関係者席の隅っこ、いつもの席で足を組んだルシアは静かにその時を待っている。

 

「ダンデを庇って怪我をしたと聞きました。まあその直後にダンデを病院送りにしたとも聞きましたが……。ありがとうございます、先代。オレはアンタがそこまで体を張ってくれるとは思いませんでした」

 

 ルシアの隣、よく見れば周囲と色の違う席に腰掛けたネズからあまり感謝の言葉とは思えないものがかけられた。

 なんで今年は隣に座ってるんだろうか。セミファイナルにはネズの妹も出ていたと後から知った。その前に知っていたとして観戦はしなかっただろうけど、何か言いたいことがあって妹と離れてここにいるのだろうと想像が付くから面倒だ。例えそれが義務的な礼だとしても。

 

「それから、あのフワンテ集団もアンタですよね。一応、興奮したポケモンを鎮圧したり避難の遅れた人を急き立てたりと活躍していたそうじゃないですか」

「そういう子もいたかもね。あれはローズのかけた保険よ。思い通りに動かされたのは腹が立つけど、怒る相手がいないならどうでもいいわ」

「念のため聞いておきますが、アンタが放ったフワンテはもう全員回収してるんですよね?」

「同じことを聞かれるのこれでもう三度目。もうみんな戻ってきてるわ」

 

 ルシア的にはこの試合が終わったら旅に出るくらいのつもりでいるから、今連れている子以外は家で待機している。これが、最後の試合だ。明日からのルシアがどうなるのかまだ何もわからないけれど、なんの感慨も湧かないけれど。

 なんとなく、ねがいぼしを拾う前の自分に戻るような気がしていた。

 

 手に持ったままのモンスターボールを握り込んで、深く息を吸う。

 

 さあ、答えを出す時間だ。

 

 ルシアが最強だった時代と、ルシアが最強でなかった時代。どちらが良かったのか?

 

 ルシアが失ったものとは何か?

 

 あの日ルシアがねがいぼしに賭けた祈りはなんだ?

 

「どうしてわたしは十年以上も、こうしてあいつのバトルを観ていたんだろうね」

 

 脈絡のない発言を、それで一曲書き上げたシンガーだけが聞いていた。

 

 

 

 

 

 

 指の先から凍えるようだった。

 

 

 濁流のように流れる汗が、滴るそばから凍りついてコートに散らばっていく。とても生きた人間の所業ではなかった。

 

 熱狂する観客の悲鳴も、絶叫する解説席のアナウンスも、ルシアの耳には届かない。

 聞こえるのは己の心臓の音と、喘ぐような荒い息と、相対するポケモンの咆哮だけ。

 

 見えるのは、荒れたコートと向かい合う二体のポケモン、引き千切れたダイマックスバンド、それから。

 

 美しい、黄金の瞳が真っ直ぐにこちらを見据えていた。

 

 その瞳に貫かれて死ぬのだと理解した。打てる手は全て打ち尽くした、出せるものは全て出し切った。運は少し傾かなかった。次があれば、今度こそは。

 

 ──そうやって諦めて負けるのか?

 

 敗北に価値などあるのか?ルシアの価値は勝利にしかなかった。空を漂うフワンテほどの中身すら持っていない。人生のすべてがポケモンバトルで占められていた。勝てなければ意味がないし、負けたら死んだも同然だ。死にたくない。ルシアにはこれしかないのに奪わないで欲しい。負けたら何も。何もなくなってしまう。

 

 傷だらけで今にも倒れそうな相棒が、奮い立てるように甲高く鳴いた。現実では一秒すら経っていない時の狭間で、ルシアは始まりの時を思い返す。

 フワンテに手を引かれ、何もかもが抜け落ちていく感覚を覚えている。それが大事なものだったのか、嫌なものだったのかは覚えていない。けれど、ルシアは泣いていた。

 

 ずっとずっと、欲しいものがあって泣いていた。

 目の前にほしが落ちてくるまで。

 

 そうだ。本当は。ふわふわ浮いて何処かへ飛んで行ってしまいそうな自分を、繋ぎ止める重しが欲しかった。穴の空いた風船みたいに萎んでいく自分を、満たしてくれる何かが欲しかった。

 それを手に入れるためなら、何を捨てても良かったのだ。

 

 いっそ悪辣に見えるほど唇を吊り上げて、最後の指示を飛ばすためにかすれた喉を引き絞る。

 

「フワライド。……お願い、わたしを救って!」

 

 無理、無茶。ひっくり返ったって無謀。ルシアの所為で一手届かず、その一手をポケモンに縋った時点でルシアの負け。

 それでも。

 

 ピカリと光った戦場で、ルシアは高らかに笑っていた。

 

 だいばくはつ。敗北を意味するわざ。

 ルシアの愛する、死を悟ったものの選択。

 

 今日この日、ルシアは自らの手で最強を葬り去った。最高の負け様だった。静まり返ったスタジアムにひとりの笑い声が響いている。

 

 こうやって他を踏み潰してルシアは息をしていたのだと身に沁みた。

 

 自分で自分の胸に刃を突き立てて。

 

 ルシアはその日、己の願いを投げ捨てた。

 

 

 

 

 

 

 はは、と嗤う。

 タイミングがズレたらしい。会場中が息を呑んだ隙間でのそれは、小さい癖にやけに響いた。あの日と同じように、リザードンが倒れ込んでいく。あの日と違って、その正面には相手のポケモンが立っていた。試合終了、勝者は。

 

「チャレンジャー、ユウリ!なんとあの無敵のダンデを破りました!十年無敗のチャンピオンはここに敗れ去り、今、新チャンピオンの誕生です!!」

 

 やかましい実況席のアナウンスに、悲鳴ともつかぬ観客席の声援。その後ろでルシアは静かに席を立った。

 

 ダンデが負けた。

 

 長かったような、短かったような。

 

 十年の王座だった。十年の間、ルシアが心血を注いだ王座だった。

 時は誰にでも平等に与えられるもので、時代は移り変わるもので、先達はいずれ去るものだ。

 

 ちょうど良かったかもしれない。この節目で、ルシアはもう未練なくこの場を去れる。

 

「何処へ行くんです?」

「さあね。少なくとも、ここじゃないところ」

「いつになく機嫌の悪い声ですね。もう少し良く見てはいかがです?ダンデの負けた姿が見たかったんじゃないんですか、アンタ」

「ふーちゃん?そこの五月蝿い人間黙らせてくれる?」

 

 呼ばれるまでもなく出てきていたフワライドが、ルシアの背後で揺れている。

 ローズはルシアを、いずれ爆発する爆弾だと称した。多分、今がその時だ。何もかもを滅茶苦茶にしてやりたい。細い糸一本でこの地上と繋ぎ止められていた。それが今、プツンと切れてしまった。

 ふう、と吐いた息は極寒のそれだ。

 

「みんな!」

 

 どうしてやろうかと思案していたルシアも、油断なくこちらを観察していたネズも、届いた声に視線を奪われた。スポットライトひとつ、マイクひとつで観衆の目を集める才能を持った男だった。王座を意味するマントを脱ぎ捨てたダンデが、汗に濡れたまま声を張り上げている。

 

「みんな、ちょっとばかしオレの個人的なお願いに協力して欲しい!気持ちに優劣を付けるべきじゃないが、今日この場で最もオレの勝利を望んでいた人に、今すぐ伝えたいことがあるんだ。だがその人はここから離れた観客席にいて、今にも帰ろうとしてる。そこで、みんなに足止めを頼みたい!」

 

 何を始めるつもりだ、とルシアは目を細めた。隣のネズが、いつの間にかボールを握ってる。

 キラキラと輝いていたダンデの笑顔が、次の瞬間ガシャリと崩れた。歪なままで、真っ直ぐに指を差す。天ではなく、正面に。正確には少し上、観客席の上段を射抜くように。

 

「──()()()ルシアが逃げないように、捕まえるまで協力してくれ!!」

「っ、はあ!?わたし??」

 

 とんだ流れ弾。状況が掴めなくて叫んだルシアの真横から、鋭い爪の一撃が襲う。寸前、割り込んだフワライドが一切の容赦なくわざを放った。

 

「っ、ふーちゃん!?」

「はあ?なんでゴーストタイプにタチフサグマが押し負けるんです??だからインチキって言われるんですよ!」

「ネズお前もしかしてこのために隣に座ってたの!?」

 

 ネズが出したタチフサグマとフワライドが本気でわざを出し合っている。いくらぽっかり空いた関係者席の片隅だと言っても余波が凄まじい。めくれ上がった床を避けるように通路に飛び出たルシアは、二つ目のモンスターボールに手をかけていた。

 

「ただし今日のルシアはフルメンバーを連れてくるようお願いしてるから、いまこの会場で最も手強いぞ!みんな心してかかれ!」

「だから最強武装して来いって言ったのかよ、なんでブラックナイト終わった後も同じこと言うのかと思ったら〜〜!」

 

 とんでもないことに巻き込まれた。ルシアを敵役にレイドバトルを開催しようとしている。当のダンデは場を任せてゲートに駆け込んで行き、逃げるのかと思った観客たちは殆どが手にモンスターボールを掲げていた。

 

 どうする、振り切って逃げるか。いや、逃げるってどこに?出口に向かえばゴールか。いやそもそもなんでルシアが逃げなきゃならない。

 

「あーもう!ふーちゃん……。っ、いや、()()()()()!」

 

 名前を呼ぶ。十年ぶりに。バトルコートの上と、同じように。フワライドの纏う空気が明確に切り替わった。

 

「バトンタッチ!……エルフーン!!そっちは任せた!」

 

 二つ目のボールから、エルフーン。戻ってきたフワライドはそのまま続投でこっちに向かって放たれた遠隔わざの対処へ。その間にルシアへかみなりを落としやがったどこかのポケモンに舌打ちをしながら、三つ目のボールを取り出した。

 

「ちょっと、人間にわざ使うのは反則でしょ!」

「テメェが言うな!」

 

 至極真っ当な意見だ。一般席との仕切りを飛び越えてきた青年が、先行する己のポケモンにわざを指示する。

 

「いくぞバタフリー、むしのさざめき!」

「撃たせるなフワライド、上から叩き落とせ!おい誰だいまどろかけしてきたの!」

 

 訳の分からぬうちにどんどんトレーナーとポケモンたちが上がってくる。何考えてるんだ、ここはバリアで隔たれた観客席とは違って、もう実際にわざの飛び交う戦場と化している。

 間一髪で飛んできたどろを躱したルシアは、まだ倒れていなかったバタフリーに目を見張った。

 

「って待て待てモブが使うバタフリーの練度じゃないでしょ!どうなってんだこの観客席!」

「俺のバタフリーはなあ!アンタにボコボコにされてから十年ずっと一緒に鍛えてきたんだよ!アンタに言われた通りわざ構成見直して、擦り切れるほどアンタの試合見返して!お陰で今じゃあマイナーリーグでジムリやってるよ!アンタは知らないだろうけどな!」

「モブじゃないじゃん!」

 

 なんでピンポイントでジムリーダーが出てくるんだ。というかネズ以外のジムリーダーは。

 見れば避難誘導と流れ弾の処理をしてやがる。やっぱりこの流れは想定済みということだ。流石に彼らが全員束になってかかってくると六体しか連れてないルシアは分が悪い。いやちょっと待て、何自然にバトルする方向で考えてるんだ。取り敢えず離脱だ、通路まで出れたのだからあとは駆け上がるだけ。

 

 そう考えて身を翻したルシアの正面に、座席を蹴り飛ばす勢いでまたポケモンが突っ込んできた。その後ろにもまたわらわらと。

 

「行け、ケンタロス。サチコの仇を討つのじゃ!」

「誰だサチコ!……道を開けろ、シャンデラ!」

 

 三体目。やる気充分で飛び出したシャンデラに対応を任せ、そのトレーナーであろう老人の怒声に片耳を塞ぐ。

 

「覚えとらんのか!お前さんに相棒のミロカロスを一撃で仕留められたワシの婆さんじゃぞ!」

「一撃で終わったバトルなんか覚えてないよ!……どきなジジイ、スタジアムを墓場にしたいのか??」

 

 既にルシアは四つめのボールに手をかけていた。シャンデラはすぐにケンタウロスを蹴散らしたが、その間に山のように誰のものとも知れぬポケモンたちが殺到する。雑魚に遅れをとるなんてあり得ないが、バトルの場に次から次へと人が踏み込んでいく。

 

「サチコの仇を取るまで退いてたまるか!この日をいくら待ったことか!お前に負けたせいでサチコは……サチコはワイルドエリアで無茶な修行を繰り返すようになり、ついに……」

「そ……れはわたし関係なくない?ワイルドエリアの事故死なら保険おりるんじゃないの」

「死んどらんわ!アンタに負けたままじゃ死ぬに死にきれんと八十過ぎてもワイルドエリアに通い詰めてとうとうギックリ腰じゃ!これは今日来れなかったばあさんの分!それからこれはワシの十年溜まった鬱憤じゃ!ヘルガー、ヘラクレス!奴をぶっ潰すのじゃ!」

「知るかぁ!」

 

 全然ルシアに関係ない恨みだった。弱かったのはルシアのせいじゃない。

 ただ、そういうルシアに恨みのある人間たちが山のように押し寄せているようだった。ルシアに近付かせないよう手持ちたちも頑張ってくれてるが、三箇所でレイドバトルが同時展開されているようなもの。その網をかいくぐってこちらに詰めてくるトレーナーたちはバーゲーセールのような有様だった。流石のルシアもちょっとビビる。

 

「仕方ない。トリトドン、一旦押し流して!」

 

 四体目。それから。

 

「ウオノラゴン!見える限りすべてを破壊し尽くせ!」

 

 五体目。これで出せるのはもう最後。カオスと化した観客席を駆け上がり、何故か出口の方から駆け込んできた数人に舌を打つ。

 

「あの!ル、ルシアちゃん。ファンです!握手してください!」

 

 拳で行こうかと思ったら、彼らは何故か手を差し伸べながら頭を下げてきた。様子がおかしいにも程がある。

 

「は!?お前は何だよ、せめてポケモン連れて来い!」

「あ、うちのフワンテちゃん見てくれますか?」

「フワンテ使いかよ可愛いなあ〜〜〜!」

 

 ルシアは他人のフワンテにも寛容だ。だって可愛いもの。

 

「ってそうじゃなくて!出口塞いでないで退いて!邪魔!」

「待てや百鬼夜行女!こっち降りてきて戦え!指示出してねーのにこの数捌いてるアンタのポケモンやっぱおかしいだろうが!!」

「まーた知らない異名出てきた……」

 

 下から浴びせられる罵声を無視して、それでも気分を害したルシアはスンと表情を落とした。何故追われてるのか分からないし、こちらに向かってるらしいダンデの顔を見るつもりはないし、そもそも、ルシアは。

 

 負けるのも、逃げるのも、大嫌いだ。

 

 近くの男たちが息を飲む。

 

「まあいい、やられたらやり返せ、他人を殴る時は殴り返される覚悟を持て、だ。……全員纏めて死に晒せ!フワライド、だいばくは──!」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「それはナシだぜ、ルシア」

 

 誰もが手を止めて、耳を傾けてしまう声だった。燃え滾るような温度が背に触れて、腹に回る。

 

「は?」

 

 今まさに相棒にだいばくはつを指示しようとしていたルシアは、その熱にピタリと動きを止めた。

 抱きしめ、られている。

 

「え、なん……。ダンデ??」

 

 耳の後ろに額を擦り付けたかと思えば、こちらを焼き尽くしそうな手がルシアの顎を持ち上げる。後ろから覗き込む黄金の瞳が、うっそりと細められた。

 

「楽しかったか?ルシア。キミが育てたトレーナーたちだ。最も多くのトレーナーをバトルに駆り立て、ガラル全体を強くした悪魔の子。オレの理想。オレの、王冠。キミに並び立つ皇帝の座をどれほどの人間が狙っていたのか、キミは知らない」

「なんの、話」

 

 完璧を円で表す人間がいた。欠けがないこと、すなわち完璧。ダンデの持つ黄金はそれだ。そこに、ルシアの赤が混じっていた。

 

「オレがずっとガラルの皇帝のつもりだったことすら、キミは知らないんだろうな」

「だから、なんの……」

 

 いつのまにか辺りは静まり返っていた。歓声で溢れるべきシュートスタジアムに三度も沈黙を齎す人間なんて、これ以降も現れないだろう。それともこれは、ダンデのせいか。

 

「言ったはずだぜ、ルシア。オレたちはあの日の功罪を清算しなきゃならない。キミという悪は打ち倒され、何よりバトルを愛した人間は死んだ。バトルに生きるべきだった人間からオレは生きる意味を奪ったし、キミは己を裏切り自らの手で幕を引いた。オレたちの功績は同じもので、オレたちの罪もまた、同じものだ」

 

 同じ罪を抱えている、と言ったローズの言葉を思い出した。

 十一年前、ここシュートスタジアムで。一人のチャンピオンがバトルに敗れ、その座を追われた。

 片やそれきりバトルを辞め、片やそれから理想のチャンピオンであり続けた。決して本質がルシアの思い描く『理想のチャンピオン』そのものではなかった男がだ。

 ルシアはガラルに輝く最強の偶像を作り上げ、それ以外を許さなかった。悪を討った英雄が、己を倒した少年が、ただその役割を遂行することに力を尽くした。

 そうしてガラルは、その理想像に熱狂した。

 

 あの日、ルシアとダンデが犯した罪と功績。

 

 ダンデが勝って、ルシアが負けた。

 

 言葉にすればそれだけ。

 

 バトルを辞めたこと、バトルを辞めさせたこと。

 無敵のチャンピオンを産んだこと、無敵のチャンピオンであったこと。

 

「でも、負けたじゃない」

 

 溢れた声は、思った以上に震えていた。

 

「ああ、そうだ。もうチャンピオンじゃない」

 

 負けた。無敵ではなくなった。ルシアを負かして、最強でなければならなかった男が、負けた。

 

「……なんで負けてんの。わたしから全部奪ったくせに負けないでよ。負けたキミにさらに負けたわたしってもうなんなのよ!最悪!何も残らないじゃん!最後くらいわたしに何か、キミに十年賭けて良かったって思わせてくれたっていいじゃん!わたしの!……わたしの理想。わたしの完璧な……」

 

 誰よりこの男の勝利を信じていたのは、きっとルシアなのだろう。誰よりもこの男の光に灼かれていたのもまた、ルシアなのだろう。

 

「ああ。キミの言う通りだ」

 

 ルシアからそっと体を離したダンデが、ダンスにでも誘うようにその手を取った。

 

「だからオレは、キミに全てをあげよう。キミがほしに願った全てを。もう一度その目が光り輝くように。キミがまた未来に向かって走り出せるように。何物にも代え難い価値を。溺れるほどの勝利を。キミの存在理由を。手始めに最高のプレゼントだ。敗者の痛惜を愛すキミよ」

 

 完璧を示す黄金が、ドロドロと崩れていく。チャンピオンタイム イズ オーバー。ここからは違う時間だ。

 ルシアの見たことのない表情で微笑んだダンデが、掴んだ手の甲に恭しく唇を寄せた。

 

 

「オレの負けザマはお気に召したか?」

 

 

 

 

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