『今チャンプが町内放送してったけど、アレがまた何かやらかしたって?』
『大声で呼びかけてるだけのことを町内放送って言うなよ。まあ何処にいても大体聞こえるんだが』
『おい、一部始終見てたから話そうと思ったら、投稿した瞬間消されるんだが?』
『ネットは初めてか?ガラルには名前を出したり話題にしたりするだけで速攻で投稿を消される人物が一人いる。個人名を使わずに可能な限りぼかして話すのがコツだぜ。まあ今日のルー氏はターフジムのジムチャレンジに自分のウールーを紛れ込ませただけで大したことはしてないんだが』
『一匹だけ明らかにチャレンジャーに向けて突進するウールーがいて草。くさジムだけに』
『ジム側もなんで気付かなかったんだよ』
『あれ絶対ルール分かってなかったよな』
『結構大したことしててガラル民みんな麻痺してんなと。で、そろそろ話題変えないといつもの来るか?』
『御禁制だぜ!』
『ほらきた。やっほーロトム、女帝によろしく』
『これ女帝のロトムがやってんの?チャンプじゃなくて?』
『いや、 XXXのロトム、チャンピオンからの貸出だから』
『ってあ、消された』
ジムチャレンジがスタートすると、チャンピオン業務は落ち着いてくる。各ジムの方はてんやわんやだが、ガラル中のメディアがチャレンジャーの方を向くため、チャンピオンはドンと構えていればよくなるのだ。
この期間、チャンピオンは防衛戦に向けてポケモンたちの最終調整に入る。ダンデも修行の為に数日前から山籠りをすると言って出て行っている。いつ帰ってくるのか、帰ってこれるのかは分からないが、やばくなったらスマホに連絡が入るだろう。
それまでの間ルシアは長めのバケーションになる。
「何してるんだ?ルシア」
と思ってたんだけど。
「早くない?まだ三日しか経ってないよ?」
「ローズさんに呼ばれて戻ってきてたんだ。また今度はカンムリ雪原の方に向かおうと思ってる」
「ああそう。あんま声かけないで欲しかったな、目立つから。今わたしお忍びなのよね」
朝の散歩と洒落込んでいた途中なのだ。
「それは無理な相談だな。三十匹くらいのフワンテを散歩させてる傍迷惑な通行人がいるって通報があったぜ。オレもそれを聞いてカンムリ雪原に向かう前にルシアを探してたんだ」
名前を呼ばれたと思ったのか、ルシアが連れていたフワンテたちが一斉にふわふわと返事をした。ちょー可愛い。
「何か問題が?」
「ガラルの法律の限界を感じているところだぜ。一応、手持ちのポケモンを散歩させているだけだから問題はないな!」
散歩しているのはシュートシティだし、早々トラブルにもならないだろう。ここの住民はダンデのお膝元ということもあってルシアに首輪がついていることをよく理解しており、カッとなればすぐその首輪を投げ捨てる狂犬なことも熟知しているので、ルシアに対しては無視という最善手を取る。
ただ、目に余るとこうしてこっそり通報してチャンピオンを呼ぶのだ。
「誰が通報したのかしら。まあ片っ端から脅していけば吐くわよね。みんな、攻撃準備!」
「待て待て待てルシア。というかオレはキミがこの数のフワンテを育てていたことを今初めて知ったわけだが、この子たち進化前なのに育ち過ぎじゃないか??才能を発揮するのもいい加減にしておいて欲しいぜ」
「フワライドはこの倍いるわよ?」
「ウソだろ。確かに三匹くらいいるなとは思ってたが、もしかしてオレが同一個体だと認識していたフワライドは全部違う個体だったりするか?」
「ふーちゃんは一匹しかいないけど?何言ってんの?」
「良かった、オレの目が正しくて安心したぜ。正しいついでに聞いておくが、この子たちもしかしてみんなだいばくはつを覚えてないか?」
「覚えてるわね」
「はは、キミはどこでもテロが起こせそうだな」
笑いながらダンデはスマホを取り出して、ロトムにお願いせずに自分でメッセージを送信した。勿論、今知った事実をガラルのトップに知らせる為だ。
前チャンピオン相手に講じられる対策は限られるので、「ダンデくん、くれぐれも手綱を離さないようお願いしますよ」と言われるだけだろう。
「まあ、キミはフワンテやフワライドがだいばくはつしてるところ、好きだもんな……」
「性格が終わってるって言ってる?」
「事実だぜ!」
ダンデの朗らかな声にルシアは顔を顰めた。失礼な。
「そういえば、いつものフワライドのことはふーちゃんと呼んでるが、この子たちはふーちゃんではないのか?」
「違うよ。右からあーちゃん、いーちゃん、えーちゃん、おーちゃん、かーちゃん、きーちゃん」
「ちょっと待ってくれ、もうキミのフワンテの名前は全部言える気がするぜ。ただ、うーちゃんがいないことが気になってきた」
「うーちゃんは今ポケジョブに派遣してるの」
「なんだって!?キミ、社会に貢献しようって考えを持ってたんだな!」
「なんだと思ってんの!?」
ポケジョブとはポケモンの手助けを必要としている現場とトレーナーの仲介をするシステムのことだ。ゴーストタイプのポケモンの力を借りたいということで、やる気のあった子に行ってもらってる。
報酬はせいぜいお小遣い程度の金額だが、毎日の食費もバカにならないので匿名で利用できるサービスを活用して稼いでもらっているのだ。
「給料足りてないか?」
「あげてって言ったらあげてくれんの?」
「もちろん、賃上げ要求には応じるぜ!オレの生活費が守れる範囲ならな」
「く、なんか生活をダンデに握られてる気がしてきた……!なんたる屈辱……!」
「今更だな。もう九年だぜ、ルシア」
ぐうの音も出ない。いいのかルシア、自分を負かした男に生活を依存して。
──いいのだ。
ルシアは負けるのが死ぬほど嫌いで絶対に許せなくて、それでも負けたのだ。負けたからにはその座に着くチャンピオンが正しくチャンピオンであるように、少しの瑕疵も無いように導くのがルシアに残された役目。しかし、もう九年か。ルシアも気付いたら二十歳になっていた。え、それって結構ヤバくないか。たしかガラルの平均結婚年齢って……。
「まあ、散歩もほどほどにな。もう少し早朝か夜だったら文句も言われないと思うぜ」
「文句なんか関係ないわ。わたしは好きな時に散歩するの」
「キミ結構気にするじゃないか、自分の評判とか陰口とか」
「指摘すんなって言ってんの!」
さっさと修行に行け!と手を振って、カンムリ雪原とは真反対に向けて走っていくダンデを見送る。まあいいか、そのうちリザードンが修正するでしょう。
*
「で、内密で極秘の話って何なの……ですか、ルシア元チャンプ」
ここはシュートシティのとある路地裏のバー。勿論ノンアルも完備している小洒落た隠れ家。の、個室だ。これからする話を誰にも聞かれたくはなかったので。
口調が定まらず、柄にもなく緊張した面持ちのバウジムリーダー、ルリナはゴクリと唾を飲み込んだ。誘った張本人であるルシアは深刻そうに俯いている。
「つかぬことをお聞きしますが……」
「え、なに。アンタホントに女帝?」
「恋人はいらっしゃいますか」
「はあ?」
一対一では初めて顔を合わせる相手にそんなことを聞かれて、ルリナは眉を跳ね上げた。まあそういう反応にもなろう。滅茶苦茶プライベートに首を突っ込んでいるのだ。
「同年代の女性の知り合いに……心当たりがなくて」
「顔と名前を知ってる程度を知り合いと呼ぶのなら沢山いるんじゃないの」
「ルリナちゃんには勝手に親近感を覚えててね、ほら名前も似てるし」
「一文字しか被ってないけど」
「ヤローさんに負け越してるとこもいいよね、振り返ってもらえてない感じの」
「煽ってんの?」
「それでね、わたし婚期、逃したかなって思って」
怒って退室しようとしていたルリナは最後の言葉に意味不明な生物を見るような視線を向けた。とりあえず、話は聞いてもらえるようだ。
「アンタまだ二十歳じゃなかった?」
「そうだけど、この先恋人ができると思う?わたしって考え得る限りでも最悪の物件じゃない?」
「自業自得じゃないの」
「うぐ」
返しにストレートパンチを食らった。
「はー、取り敢えず飲むわ。注文、アンタ何すんの?」
「あ、ここノンアルも揃っててね」
「女帝サマは下々に興味ないかもしれないけど、こっちももう成人してんのよ。エールにするわ。アンタは?」
「いや、わたしがノンアルで。飲めないから」
「はあ?ガラルの悪逆帝なのに酒が飲めない!?」
「うえ、またなんか知らない異名出てきた……」
悪役と下戸は矛盾する概念らしい。運ばれてきたお通しのオリーブをノータイムで紅茶にドボンしたルシアを見たルリナは「味覚終わってんのはもう『らしい』わね……」と呟いていた。
「はあー、緊張して損した。キバナにもダンデにも相談して、最悪顔に傷が残らなければいいって覚悟決めてきたのに」
「待って、ダンデはともかくキバナくんも知ってるのこれ。絶対内容言わないでよ?」
「突っ込むのそこじゃないのよ、もう……」
「ルリナちゃんがわたしの機嫌を損ねなければ手は出さないわよ。人間関係なんてそんなもんでしょ?」
「あー、やっぱ女帝ではあんのね、アンタ」
ルリナの言う女帝という異名は、単に女の皇帝を指すだけの言葉じゃないのだろう。中に秘められた意味は『簒奪者』でも『悪逆帝』でも同じ。ガラルの暴君、嫌われ者。
とはいえ今日は純粋にアドバイスをもらいに来ただけだし、と考えながらポケットからボールを一つ取り出して机の上に置く。どっかの地方では誠意を見せる為に武装を相手に見えるところに置いてアピールすると聞いたことがあるので。今日ルシアが連れてきたのはこの一体だけだ。テーブルに置かれたボールを見た瞬間、正確にはその中に誰がいるのか気付いた瞬間、ルリナの顔から一気に血の気が引いた。
「ちょ、戦争でも起こす気……?」
「ンなわけないでしょ、喧嘩なら買うけど」
ルシアの誠意は余り伝わらなかったみたいだ。青褪めたルリナは思いっきり体を引いてボールから少しでも遠ざかろうとしている。
「勝手に飛び出してきたりはしないよ。っていうかそのつもりがないからここに置いてるの」
「本気で言ってる?」
ルシアに同意するようにボールがカタリと揺れた。中にいるのは依然ルシアとは微妙な関係のエースポケモンだ。つまりルシアの最大戦力。今日の会合のことを話して、プライベートな話をするなら最強武装で赴くべきだという見解が一致したので着いて来てくれた。なにか不都合があったら辺りごと滅茶滅茶にしてリセット出来るだろう。
「……分かった、ダンデとキバナを信じます」
ルシアは信じられないらしい。眉間を揉みほぐしたりルリナが、深呼吸と共にこちらを見据えた。
「で、結婚はしたいけど相手がいないって話?」
「そう」
「ガラルを出ればいいんじゃない?」
「えっ」
ガラルを出る。目からウロコの提案に絶句していると、ガタガタガタッと個室の外が騒がしくなった。まあこのバーボロいし、そういうこともあるか。
「アンタの悪名もガラル内でしか轟いてないでしょう。外の地方でやらかしたって話は聞かないし。この間バウタウンではやってくれたみたいけど」
「未遂だが?」
「反省の意思くらい見せなさいよ!ともかく、その本性を隠して別の地方で良さげな男見繕えば、ちょっとくらい邪悪さが滲んでても一人や二人捕まるでしょ。アンタ見てくれは極上だし」
「そうかぁ、ガラルの外か。考えたこともなかったなあ」
「どうせ暇してるんでしょ?ダンデのところに出入りしてるって噂は聞くけど」
「まあね、マネージャー業をしてる」
「え、マネージャー?ダンデの?」
「そうだよ」
ルシアの近況は世間には公表されていないらしい。神出鬼没に現れる簒奪者とそれを止めに飛んでくるチャンピオンという構図以上の情報は要らないからだ。多分ローズあたりがせっせと握りつぶしている。リーグに関わるのもジムチャレンジ前のエキシビジョンとチャンピオン戦くらいだし、それも関係者席の片隅に無言で座ってるだけだからジムリーダーですらダンデとルシアの関係を知らなかったようだ。この間キバナくんも「ああ……まあ……うん」と微妙な反応をしていたし。
「ふうん。ま、動くなら早い方が良いんじゃない?」
「そうだね、ありがとう。じゃあわたし帰るね」
「あ、そう。いやちょっと待ちなさい、奢りとは言わないまでも自分の分は払って行きなさいよ!」
「あ、そっか〜」
「そっか〜じゃなくて!」
*
「うへへ、おはよう、キバナくん」
「反応戻ったな……。おはよう、良い天気になって良かったな」
「うん、良い天気にしておいた」
「して……なんて??」
次の早朝、ルシアはナックルシティに続く6番道路の橋の上にいた。かねてよりの約束通り、キバナくんの日課のランニングに同行させてもらうのだ。天気は快晴。
「フワライドって実はにほんばれを覚えるんだよね。だからふーちゃんを先頭にうちのフワライド集団たちが今頑張って晴れにしてくれてる」
「フワライド集団って何?」
「そのまんま。ほら、あの辺に等間隔で並んでるでしょ?」
「うーん、まあ良いか。じゃあ行こうぜ!一時間くらいの予定だけど、大丈夫そうか?」
「もちろん」
キバナくんと一緒にランニング!キバナくんと一緒にランニング!
こんな日が訪れるなんて。これでダンデに取られたマウントを取り返せる。わたしが一番のキバナくんファンなのだ。お前なんかさっさとボロ雑巾のように負けちまえ。でもいつもキバナくんの負け顔を拝ませてくれてありがとう。キミにはその一点だけの価値がある。
「コースはナックルをぐるっと一周する感じな。時間があったらワイルドエリアまで降りる時もある。ポケモンは連れてきてるか?」
「ふーちゃんたちを除くと、今日はえるちゃんがいるよ」
「エルフーンか!ならちょうど良い、今日はそっちにも行ってみっか」
「うん!」
強く頷いて、キバナくんの先導で久しぶりのナックルシティへ。ダンデも「キバナが着いてて早朝なら問題ないんじゃないか?」と言っていたし、まだ陽が昇り始めた時間帯だから人通りも少ないだろう。
「ペース合わせなくて良いよ。一応わたしも鍛えてるし」
「そっか、なら普段通り行くな」
こちらに気を遣ってくれていたキバナくんが一段ギアを上げたけれど、それでもペースはルシアに合わせている方だと思う。身長差がすごいので単純にコンパスが違いすぎる。
ナックルシティはガラルで最も歴史のある古い街だ。煉瓦造りの古い建物を壊さずにリノベーションして使っている家や店舗が多く、道も全て石畳。かつてポケモンに荷車を引いてもらっていた時代の名残である轍が深く刻まれていて、その歴史の深さを物語っている。
ワイルドエリアを臨むことができる外周を走っていると、堅牢な王国時代の城壁を間近に感じられる。ガラルの国土面積の三割近くを占めるワイルドエリアは豊かなポケモンの生息地といえば聞こえはいいが、人が容易に踏み入ることの出来ないポケモンたちの楽園だ。無力な人間は城壁で居住区を囲い、凶暴なポケモンの来襲から身を守るしかなかった。今でも毎年ワイルドエリアでの遭難や事故が多発しており、その対処や救助にあたるのもジムリーダーの仕事だ。特に城門を抱えるエンジンシティとナックルシティは街の大きさと比例するようにその責任が大きい。
「あれがナックルの宝物庫だな。入ったことはあるか?」
「うん、ジムチャレンジの時に」
「はは、そっか、そりゃそうだよな」
右手に広がるワイルドエリアに気を取られていれば、キバナくんが左手側の古めかしい建物を指差した。
宝物庫とは文字通り、ガラルの王国時代に実際に使われていた宝物庫だそうだ。いまも当時の貴重な史料が残されており、その保全や研究もナックルジムの重要な役割の一つ。そのジムリーダーであるキバナくんは、宝物庫の管理人というワケ。さながら宝を守るドラゴンなのだ。
「確か、タペストリーがあったよね」
「そうそう、ガラル建国の神話を表したものって言われてるな」
「ガラル王国ねえ……。ふと思ったけど、ガラルに皇帝が居たことなんてないのに、なんで私の異名は女帝とか悪逆帝とかなんだろ」
キングでもクイーンでもなくて、エンペラー。
「強そうだからじゃないか?」
「じゃあさぞダンデの異名には悩んだでしょうね」
「ダンデが皇帝って言われることないけどな。案外、本人はそのつもりかもしれねーけど」
ダンデが皇帝か。あまりそっちの方面でプロデュースすることはなかったけれど、他との隔絶を示すならアリかもしれない。まあダンデは親しみやすいチャンピオンの方が向いているけれど。
宝物庫を通り過ぎて暫く走れば、もうガラルの王城のお膝元だ。正確には元王城。今はナックルジムスタジアムになっている。見上げるには苦労するほどの高さの居城が聳え立ち、外敵を寄せ付けない強大さを主張していた。ナックルといえば、やっぱりこの王城だろう。ルシアもかつてジムチャレンジ期間中に興味本位で天辺を目指して登ってみたことがある。滅茶苦茶怒られた。
頂上に登ると、ガラルを一望できる。ワイルドエリアはもちろん、その先に広がるカンムリ雪原まで。まだまだ世界は広いな、と感じることができた。人が豆粒のように思えて、その一人一人全てに対して絶対に負けないという根拠のない自信があった。結局バトルなんて、そういう自信が強い方が勝つのだ。
あの頃はよかった。チャンピオンルシアはCMやらインタビューやらコラボの依頼は無かったが、その代わり対初心者からジムリーダーに至るまで、毎日のように手を替え品を替えバトルに明け暮れていた。そうしてルシアの強さを嫌と言うほどガラルに刻みつけたのだ。当時腕に自信のあるトレーナーの殆どがルシアにぶちのめされている。
「はあー、ガラル民全員ボコボコにしたかったなあ」
「それがチャンピオンルシアの心残り?」
「ポケモントレーナーなんてみんなそうでしょー」
「はは。確かに、チャンピオンになるのはそういう奴なんだろうな」
「キバナくんもチャンピオンになりたいんだから、同じでしょう?」
そう言うと、キバナくんはちょっと面食らったようにルシアを見下ろした。それからナックルシティを仰ぐように上を向いて、ワイルドエリアを見渡すように目を凝らして。
最後に、からりと笑った。
「オレさま、多分チャンピオンになりたいんじゃないと思う。ダンデに勝ちたいんだ」
そういえば、キバナくんは他の地方に行けばチャンピオンになれるって言われているんだっけ。ルシアはどうだろう。案外他ならチャンピオンに返り咲けるかもしれない。勝って勝って勝ちまくるのは大好きで、見渡す限りズラリと負け面が並ぶ光景は壮観だろう。
「わたしも、よその地方に行くって考えはなかったなあ……。ガラルに近いのってどこだろ」
「マジで行くつもりか?」
「そういう考えもあるってことだよ。気付けばもう十年かあって考えてさ。十年あればあかごポケモンのエレズンだって立派なストリンダーになる。うちのりんちゃんももう古株」
では今ルシアが育ててるたまごって、なんだろう。
チャンピオンのたまごを育ててみないかと誘われて、ルシアはその誘いを受諾した。ルシアに出来ることはそのくらいだった。でも、もういいんじゃないか?
「はーあー、あんなムキムキに育っちゃって、理想のチャンピオンかよ」
誰がダンデのチャンピオン性を疑うだろう。ダンデに出来ないチャンピオン業務なんてもう存在しない。
問題はルシアの収入問題。これをクリアしてくれる条件の相手が他の地方で見つかればベスト。ルシアがチャンピオンになるのは論外。ルシアより強い人間が存在していることを知ったままバトルなんてもう出来ない。ルシアは極度の負けず嫌いで、自分の負けを許せないのだ。
ボヤいたルシアをチラリと見た後、キバナくんは黙って前を向いた。早朝の静かなナックルシティを西から東へ、そして東から西へ。昼間なら人通りが多かった気がするジムの前でさえ、人は殆どいなかった。ルシアの青紫の髪が揺れれば僅かな人影は「あっ」と漏れなく指を差したが、隣のキバナくんがシーッと合図すればすぐ大人しくなる。
そのまま一時間ちょっとくらい走って、また6番道路が見えてきた頃。
「オレさまさあ、ダンデのライバルなんだ」
殆ど息を切らしていないキバナくんがそう呟いた。
「うん、そうだね」
「でも、その前に親友なんだなーこれが」
「くそまたマウント取られた!わたしのキバナくんなのに!」
くく、と笑ったキバナくんが、「チャンピオンマッチ、観に来るだろ?」と腰に手を当てながら言った。まだセミファイナルすら始まっていないのに、チャンピオン戦に出る自信があるらしい。
「行くよ、今年も」
「今年はファイナルトーナメントから来いよ。控室で待ってる」
「え!?!?行く!!!差し入れとか必要!?」
「んー、何が良いかな」
「思いついたもの全部持ってくね!」
「それはちょっと勘弁。一個だけ選んで、残りはまた次な」
「オッケー楽しみにしてて!」
まずい、選手時代に差し入れなんて貰ったことがないから何が良いのか分からないぞ。帰って調査しないと。
「じゃあ軽くワイルドエリアの見回りも行くか。ルシアが居りゃあ楽勝だな」
にぱーと笑うヌメラスマイルいただきました。全然キバゴじゃないです、ヌメラでした。今度ヌメラ捕まえちゃおーっと。
ルシアはそれはもうデレデレしながらキバナくんと一緒にワイルドエリアへ向かったのだった。
*
「ん?」
その夜。自室で小さいヒトモシを撫で撫でしていたルシアの耳が、聞き慣れない音を捉えた。音というか、これはもしかしてチャイムだろうか。驚愕。ルシアの家のチャイムが鳴ったのなんてこれが初めてのことだ。そうかー、これがチャイムの音か。
「ルシアー、いるか?」
「キミかよ!」
ダンデだった。普段なら勝手にベランダを乗り越えて侵入する癖にチャイムなんか鳴らしちゃって、どういうつもりだろう。
「どしたの〜?」
「ようルシア、ちょっといいか」
ドアを開けた先のダンデはいつものチャンピオンユニフォームではなく黒いスウェット姿だった。部屋着だ。風呂上がりなのか、ふさふさの紫髪も心なしかペションとしていた。
割と見慣れた光景なので、ルシアは足元をうろちょろしているヒトモシの方に気を取られながら「やだ〜」と取り敢えず却下する。
「そう言わずに頼むぜ。良いワインを貰ったんだ」
「ワイン?それがどうしたの?」
「一緒に飲もうぜ」
「わたし飲めないんだけど」
「全く飲めないわけじゃないだろ。大惨事になっただけで」
「それを飲めないって言うんだと思うの」
お酒が入るとルシアは性格が変わるらしく、あんまり記憶はないが駆けつけたローズが「今後は外でアルコールを摂取しないように」と念押ししていたことは覚えている。その場にダンデがいたような、いなかったような。
「良いワインならなんかのお祝いの時とかに飲めば?」
「あー……その、オレは今年で成人なんだ」
「それ去年じゃなかった?」
ルシアが二十歳なので、ひとつ下のダンデは十九だ。ガラルでは十八で成人なので、ダンデは成人済みなはず。何を言ってるんだろうと首を傾げていれば、確かに上等ものらしいワインボトルをぶら下げたダンデが不安気に視線を揺らした。らしくない。
「えーっと、チャンピオン就任から十年、おめでとう」
「煽ってんのぉ!?!?」
「いや、すまん、純粋に!」
「純度百パーの煽りじゃん!どうせ私は一年天下でキミにチャンピオン奪われたヴィランだよ!」
「違うんだルシア、そうじゃなくて……。その、キミとワインを飲んでみたかったんだ」
「はあ?」
「ルリナとの約束、昨日だっただろ?」
「あー……。行ったけど」
それがダンデとどう関係しているんだろう。ダンデ経由で呼び出したので知ってるのは当たり前。ルリナの口が硬いかどうかルシアは知らないので、ダンデがどこまで知っているかは謎だ。婚活の相談をしていたなんて知られたくないけど──。
あれ、そういえばダンデってたまに他地方に交流戦をしに行くから、なにかしらツテがあるんじゃなかろうか。
「ふむ。まあいいよ、勝手に入って勝手に飲んでて。わたしお風呂入ってくる〜」
「早めに上がってくれよ、キミと一緒に飲みに来たんだ」
「はぁい」
あとこの子、と持ち上げたヒトモシを手渡した。ぴょんぴょん跳ねて嬉しそうだから相性も良いだろう。
「ああ、預かっとくぜ」
「じゃあ来週ね」
「何がだ?」
「模擬戦。うちのしゃーちゃんと」
両手の掌の上に乗せたヒトモシを見下ろして、ルシアを見て、もう一回元気いっぱいのヒトモシを見下ろしたダンデは「キミじゃないんだから一週間はちょっと」と弱音を吐いていた。
「チャンピオンが弱音を吐くんじゃありませーん」
*
「お、おえ……」
「吐くならエチケット袋にしてくれ」
涼しい顔でグラスを傾けているダンデは、頭の上にヒトモシを乗っけたまま、呻くルシアを眺めていた。調べたらワインって結構度数が高いらしい。
気の利かないダンデはツマミを持参しなかったので、パカパカ飲んでいたルシアは早々にダウンした。
「キバナくんの自撮りを見て心を落ち着かせる……。ロトム〜〜もっと拡大して〜」
「ルシアはそろそろちゃんとしたモニターを買った方がいいロト」
「モニターが欲しいならマクロコスモスに聞いてみたらどうだ。余った備品を回してくれるかもしれないぜ」
「わたしはマクロコスモスとは無関係なんだ〜〜」
というか、ダンデに良いワインを寄越したスポンサーって何処だ。いくら成人したからってチャンピオンに酒のイメージをつけるのは慎重に行くべきだ。ダンデもなんで貰って来ちゃうかな。
「ローズさんだぜ」
「そっちか〜」
「そろそろ良い酒の味を知っておくべきだって色々持たされたんだ。オレ一人じゃ消費しきれないからな。まあ次からはキバナを誘うよ」
「え、キバナくんとお酒飲むの……」
「あいつも今年成人だからな」
どうやらキバナくんはダンデと初アルコールを楽しんでいたらしい。しかも、ダンデの部屋で。隣じゃん、呼んでよ、チクショー!
でもそうか、あのキバナくんも成人したのか。未熟で荒削りで、だからこそルシアの目を惹いた鮮烈な光。誰もがそうだ、大人になっていく。変わらないものなんてごく僅かで、月日は誰もが平等に享受しているはずなのに、ルシアはまだ、大人になれた気がしない。
「どうしようダンデ。二十歳になっちゃった」
「そうだな。キミは変わらない」
変わってない。
テーブルに突っ伏して、懺悔するように呻く。どうしてダンデに向けてこんな話をしているんだろうと思うけど、こんな話をする相手もダンデくらいしかいないのだ。苦節九年、隣同士の部屋で、同じ職場で、毎日のように顔を合わせて、憎たらしいけれどルシアにとって友達と呼べる相手はこいつしかいない。
「そうだよ。十歳でチャンピオンになって、その時と同じだけの月日が流れたんだ。わたしこの十年、何してたんだろ」
「ルシアはしたいことがあるのか?」
「わたしはわたしがしたいように生きてるよ」
「そうだな、キミはしたいように生きてる」
「でも、わたしのことを誰も知らないような場所にいきたい…………」
酒の勢いで出た言葉だった。ルシアはどうやら、酔うと心のタガが外れるらしい。
「……キミを知らなかった頃に戻りたい」
勝って勝って、勝つだけで良かったのに。バトルしか無かったのに、負けて、終わってしまった。
弱音だ。チャンピオンだったルシアが自分に許さなかった言葉。チャンピオンたるダンデには決して許さない言葉。
自分の選択に後悔したことはない。一度チャンピオンを勝ち取ったルシアは選択を間違えることはない。だからチャンピオンになれたのだ。同じように。ダンデの言葉は、いつも正しい。
「キミはそれで満足なのか?周りを自分より弱い奴で埋めて、当然の勝利を積み重ねて、オレが打ち倒される瞬間を見ずに生きていけるのか?」
「倒されるの、ダンデ」
「ああ。キミがチャンピオンを降りたように。永遠の頂点なんて存在しない。ヒトしかり、ポケモンしかり、全ての生き物は進化するものだ。いつかオレも手の届かない光に焼き殺される日が来るだろう」
「来ないよ。キミは、負けない」
ああそうか、ルシアはダンデの勝利を信じているのか。ルシアもまた、スタジアムを埋め尽くす観客のひとりだ。ダンデのチャンピオン性に目を灼かれて、その勝利を渇望して、チャンピオンの前に敗れる人間を観に来てる。
ダンデを前にすれば、ルシアも蹴散らされる有象無象に過ぎなかったわけだ。
「なあ。こういうことを言うとキミがすごく怒るだろうから、ずっと言ったことが無かったんだが、酒のせいにして聞いてくれるか」
「なに」
「オレは、キミに勝ったことを誇りに思っている。これは生まれて初めてオレの手で掴み取った栄光だ」
間違いなくルシアに向けられた言葉であるのに、ルシアは顔を上げて受け取ることをしなかった。
多かれ少なかれ。トレーナーは、勝利に酔いしれるものだ。目の前の敵を下すことに快楽を覚える人種。最強の敵を倒すのが気持ち良いなんて、当たり前の話。
「……そう。てっきり、あれじゃあ勝った気になれないとか、思ってるのかと思った」
「キミの育てたチャンピオンは勝ち負けも分からない愚鈍な奴なのか?」
「いいや。そんなバカを育てたつもりはない」
たまごを孵し、道を示し、理想の姿まで育て上げる。無数に行ってきたその行為のうち、ダンデは間違いなく最高傑作に数えられるだろう。
なんとなくアルコールを注ぎたい気分になって、伏せていた体を起こしてボトルに手を伸ばす。覚束ない指先は冷たいグラスを掴んだ。水を飲めと言われている。
「育てた相手は責任持ってケアしてくれなきゃ困るぜ、ルシア」
ルシアが何を言おうとしているか悟った上で、先回りされているようだった。諭すように、或いは宥めるようにダンデの指先がルシアの頬に触れる。燃えるような熱さを感じた。ダンデの体温がその相棒のように燃え盛っているのか、ルシアが死人のように冷え切っているのか。
きっと、どっちもだ。ルシアには何か大事なものが欠けている。
蜂蜜色の眼差しが、熱から逃れるように身を捩るルシアに注がれていた。中心に、ルシアの瞳の色が混ざっている。なんだろうか、耐え難い。ダンデの黄金が完璧を指すのであれば、ルシアのこの色は。
そもそも、なんでこんな話になったんだっけ。そうだ、元々は顔の広いダンデに良さげな結婚相手を紹介してもらおうと企んだのだ。出来れば他の地方の、ルシアに騙されてくれるくらいの人。
「もう充分でしょ。充分時が流れたよ、ダンデ。なにか、誰か。……いや、この際人じゃなくてもいいのかもしれない。何もかも忘れさせてくれるような、そういう人、いない?それか……」
なんと続けようとしたのか分からない。ルシアの口が決定的な言葉を紡ぐ前に、ダンデが被せるように口を開いたからだ。
「確かに、オレならキミに似合いの人間を紹介できるだろう」
「マジ?」
「ああ、マジだ」
身を乗り出そうとして、腕が滑ってベシャリと崩れた。カーペットの上に倒れこんで、そのまま引き摺り込まれそうな眠気に襲われる。
「ルシア、ルシア?寝るならベッドに」
「ここでいい〜」
「そう言って床で寝ていつも後悔してるだろ」
いつもと言われるほどは寝落ちしていない、はず。
ダメだ本格的に眠くなってきた。
「あと一年経つと、キミは自分が最強だった時代を十年、そうじゃない時代を十年経験することになる」
「わたしが最強だったのは……キミに下されるまでの十一年だよ」
「鋭いな。極限状況の方が冴えてるのは、やっぱりトレーナーの性か。じゃあ、あと二年だ。今年と来年と再来年、オレが勝っても負けてもキミの退位から十一年だ。まずはそこまで見届けてくれよ」
「あと二年、ねえ……」
「それで決めたらいい。どっちが良かったか。結論が出たならオレも最高の相手を紹介しよう。ルシアのことは随分と付き合わせたからな。勿論幸せになってほしいと思ってる」
「ふうん、そっか」
半分微睡みの中に沈みながら、ルシアは口元をモゴモゴと動かした。期限が決まるというのは存外悪くない気分だ。
「どんな人かなぁ」
「それは見てのお楽しみだな」
「キバナくんみたいにかわいい負け顔見せてくれる人じゃないとやだよ」
「キバナ以上だ、保証するぜ」
「ほんとう?」
「ああ。きっとキミも気に入る」
「へえ。じゃあ、そしたらさあ……」
目の前で青い炎が揺れていた。ヒトモシのものかもしれないし、ルシアのものかもしれない。彼らの炎はヒトやポケモンの生命力を吸い取って灯される。ならば、ルシアから吸い取られたものとはなんだろう。
「またバトル出来るように、なるかなぁ……」
その問いにどんな返事が返されたのか、ルシアは知らない。