あの日の功罪を清算せよ   作:テロン

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interlude-4



 目が合った瞬間、XXXは苦笑した。

 なんて事のないオフィスの一室が突如戦場に様変わりしたように思える。闘争心を嗅ぎ取ってカタリと懐のモンスターボールが揺れた。

 目が合って跪くまでの一連の流れをこちらに強要している。傲慢に思えるほどの自信と、儚げな容姿から繰り出される悪辣とも感じる品評の視線。

 一点だけを研ぎ澄ますとこういう人間になるのかと、数十も下の人間に対して思った。
 骨の髄までポケモンバトルが染み付いている。

 であればガラルのXXがこの色である事に、ある種の納得感すら感じた。





銃後の安寧よ、その犠牲を忘れること勿れ-1

 

 

 

「ファイナルトーナメントの控え室っていつものとこじゃないんだ」

「むしろエキシビションとかチャンピオンマッチが特別な。つっても、チャレンジャー側は確かに一人一つの控え室だっけか」

 

 オレさまがそっち側だったのも結構前だからなーなんて言っているけれど、それでもルシアとは二年のギャップがある。ファイナルトーナメントの当日、第一試合の開始前の時間帯に例によって関係者用入口からスタジアムに侵入したルシアは、迷いながらもジムリーダー用の控え室に辿り着いていた。

 

 壁一面にロッカーが並んだ大きめな部屋に、キバナくんの肩越しにこちらを伺っているジムリーダーたちの姿が見える。

 控え室のドアを開いた格好のキバナくんは、ルシアが差し出したドリンクを笑顔で受け取った。

 

「他の人がいると思ってなかったから、一つしか持ってこなかったわ。これって差し入れ的にはアウト?」

「どっちかっていうと、今ルシアが背後にフワンテの行列を作ってる方がアウトかな。止められなかったか?」

「止められたわ。だから、十匹連れてきたフワンテたちが今九匹になってるの」

「やべえ、知らない間に事件が起きてる!ルシアは取り敢えずダンデのところに行って何をしたか報告して来い。オレはちょっとリーグスタッフに声かけてくる」

「試合前なんでしょ?集中しなきゃ。わたしも気合を入れてこの子たちを連れてきたの」

「ありがとな、気持ちは嬉しいぜ!じゃあまた後でな!」

 

 行っちゃった。試合前のダンデのところになんか行きたくないんだけど、キバナくんに言われちゃったからなあ。

 

「ルシアくん」

 

 なるべく遠回りする方法を思案していれば、開きっぱなしのドアの向こうから声がかけられた。エンジンジムリーダー、カブだ。ルシアの在位期間はマイナーリーグに落ちてたはず。

 

「珍しいね、キミがトーナメントから観戦するなんて」

「そうだね。トーナメントってあんまり見応えないから」

「はは、相変わらず手厳しいな。キミのお眼鏡に叶うのはキバナくんとダンデくんくらいなのかな」

「べつに、期待してないわけじゃないよ。今日はキミたちの負け面を拝みにきたの。悔しいからって隠さないでちゃんとカメラに向けてね」

 

 ざわりと控え室内がざわついた。何かおかしなことを言っただろうか。

 

「それくらい出来るでしょう?」

 

 トーナメントは勝者よりも敗者の方が多くなるものだから楽しそうに思えるけれど、案外一回勝って二回戦で敗退すると手応えを感じてそこまで悔しがらなかったりする。負けたら意味がないだろうに。負けて学ぶにも才覚がいる。普通の人間は勝利してこそ成長するものだ。

 

「アンタ、黙って聞いてれば……!」

「いーちゃん、早まらないで」

 

 立ち上がりかけたルリナの前に浮かんでいるフワンテが、ふわわ、と疑問符を示すように左右に揺れた。ルシアのフワンテの中でも特に好戦的な子だ。突然顔の前にポケモンが、それも臨戦態勢で現れたルリナは、怯えた表情を意思の強さですぐに引っ込めた。

 

「ごめんね、バトルだと勘違いしたみたい」

 

 ルリナはこの間画期的なアドバイスをくれた知人なのだ、そんなにふっかけたりしない。トーナメント表によるとライバルのターフジムリーダーと当たるみたいだし。

 

「バトルって。引退したんじゃ、なかったかしら」

「したよ?わたしはその子が望まない限り訓練されたポケモンに対してわざを指示しない。けれど、人に対してはその限りじゃないからね」

 

 戻ってきたフワンテの頬をうりうりと擽ってやる。ごめんね、と言ってるみたいだ。残りのフワンテたちが何を訴えているのかぴょこぴょこ揺れている。

 

「ルシア」

 

 かけられた声に振り向けば、大股で歩いてきているダンデの姿があった。フワンテたちが遊び相手だと思って一斉に殺到する。

 

「おっと。ローズさんがまたリーグ規定を書き換えなきゃならなくなるぜ。まだ試合も始まってないのに!」

 

 ダンデの背後からこれまたフワンテに絡みつかれているキバナくんが走ってきていた。キバナくんとフワンテの絵面、最高かも。リーグスタッフをメロメロにしていたフワンテだ。キバナくんに連れ戻されたらしい。

 

「うーちゃんおかえり〜」

「ダンデ、おまえすげえよ、流石チャンピオン」

「分かってくれるか」

「ああ。悪意がないって知ってもオレさまちょっと心臓がキュッとなったぜ」

 

 なんか男の友情が深まってるし。

 

「さてルシア。すまん、来年からキミはファイナルトーナメントも出禁だ!差し入れはオレ経由で渡すから、自宅で観戦してくれ!」

「今年は?」

「回れ右だ、決勝戦が終わった後にまた来てくれ。寄り道もナシ。キミを送り届ける人員が足りていないことが悔やまれるぜ」

「軽率に誘ってゴメンな〜ルシア。差し入れサンキュ、気を付けて帰ってな!」

 

 折角ここまで来たのに。でもキバナくんに差し入れを渡すという目標は達したからもういいか。

 

「じゃあ応援の気持ちであーちゃんたちだけ置いていくね」

「充分受け取ったから大丈夫だぜ!」

「ダンデのことは応援してないけど」

「真っ直ぐ帰るんだぞ〜!またな〜!」

 

 駄目だ、帰らせようとしている。

 仕方がないのでフワンテたちをボールに仕舞い、大人しく来た道を引き返していく。

 カブに言った通り、ファイナルトーナメント自体はあんまり面白くないので自宅に戻っても真面目に観戦することはない。キバナくんの試合を眺めるくらいか。

 

「それじゃあ、祝勝会の準備でもしてようかなあ」

 

 ルシアが誰かの勝利を祝うなんて、あまりにも気が進まなさ過ぎて笑えた。それにどうせ、チャンピオンマッチまでの短い時間だけの話だ。

 

 

 

 

 

 ファイナルトーナメントは大方の予想通りキバナくんが勝ち上がり、チャンピオン戦はいつも通りの面子で繰り広げられた。

 そして今年もダンデが勝ち、これでダンデのチャンピオン歴は九年になった。後一年で二桁。

 そしてもう一年で十一年。そこまでは見届けてくれ、と。寝落ちした次の朝にもう一度言われた。

 今更二年くらいは大差ないかと受け入れたけど、十一年なんて、そんな中途半端な年数で何が変わるのだろう。

 もしかしたらダンデも適当な年数を言っただけなのかもしれない。途中、十年を十一年に改めていたのは記憶している。

 

 区切りは、確かに必要だ。

 ダンデがチャンピオンになった時、ローズもルシアも、出来うる限り長くこの王座を、と考えた。けれど、終わらないとは考えてなかった。

 だが実際、終わっていない。終わりは見えない。完璧なチャンピオン像は作り終えたけど、完璧過ぎて取り換えるヴィジョンが見えない。終わらないのは、結構苦しい。

 

 ダンデが舞台を去るところを想像する。

 最高のエンターテイナーは、最高のタイミングで、最高の演出と共にその座を降りるのだろう。それは確信しても、あまりイメージが出来ない。例えば高齢を理由に、不敗のまま去っていくとか。例えば、キバナくんが執念の果てに引き摺り下ろすとか。

 

 もうチャンピオン戦から数ヶ月経ってるので今更と言えば今更な話題だ。

 

「実際どうなんだ?キミはチャンピオンになったキバナに対してどう考えると思う?」

「チャンピオンになったキバナくん、ねえ」

 

 ダンデの仕事部屋のソファーにて。いつものトレーニングの合間にごろ寝していたルシアは、唐突な問いに頭を捻った。

 チャンピオンのキバナくんか。負けを知り、勝利に固執し、悲願を果たしたキバナくん。

 

「キミのチャンピオンの座に対する熱意も、キバナに対する熱意も相当なものだ。矛先が一つになった時、キミはどうするんだ?オレの時と同じように理想のチャンピオンを目指して育てるのか、キバナに全て任せるのか」

「どっちだと思ってんの?」

「後者であって欲しいとは思う」

「それは、キバナくんの為に?」

「どうかな。オレのためかもしれないぜ」

 

 何言ってんだか。キバナくんがチャンピオンになったとしたら、それはダンデが負けたってこと。チャンピオンじゃないダンデにルシアの動向なんか毛程も関係がないだろう。

 

「仮にキミとの約束の期限より前に、つまり今年か来年キバナくんがキミに勝ったとして」

「ああ」

「わたしは多分死ぬと思う」

「おっと、予想外だぜ」

「そうじゃなくて、再来年以降にキバナくんが勝ったとして」

「続くのか」

「……どうなるのかなあ」

 

 想像が、出来ない。ダンデがチャンピオンでなくなるところも、ルシアが幸せになるところも。

 でもきっと、その時にはもうルシアには関係のない話だ。役目を終えて隠居して、ダンデが約束を守ってくれることを信じて知らない土地に骨を埋める。クソつまらなさそうな未来図。ルシアにお似合いの末路。

 

「キミこそどう思ってるの。自分がチャンピオンでなくなるところなんて想像出来る?」

「もし、オレの次のチャンピオンが誕生したとしたら」

 

 ダンデの返答は澱みなかった。彼の頭の中にも、舞台を降りる構想があるのかもしれない。

 

「そいつはきっと、一年しかその座を守れないと思ってる」

「なにそれ。傲慢だね、すぐ取り返すつもりなんだ」

「さあ、どうだろうな」

 

 答えがあるのに濁したような言い方。悠然と構えて、隙一つ見せない。ルシアの望んだ、無敵のチャンピオンの姿だった。

 

 

 

 

 

 

 ダンデの仕事部屋はシュートスタジアムからそこまで離れていないところにあって、割と街中にあると言っても良い。昼食は出前を取ったり差し入れがあったり様々で、たまにダンデの提案で食べに出かけることもあった。

 シュートシティは比較的トラブルが少ないと言っても、やっぱりダンデとルシアが出向けば騒動にはなるので個室が殆どだ。

 

 今日はポケモン同伴可のカフェがオープンしたという噂を聞きつけたダンデのチョイスでそこへ。席は離れていると言っても個室ではないので、リザードンは控えたらしいダンデはシャンデラを隣に浮かばせている。

 前にルシアが渡したヒトモシが進化した子だ。誰に似たのか破天荒な性格故に手を焼いていたダンデは、一月ほどかけて歴戦のシャンデラに育て上げていた。因みに一週間時点で行った模擬戦はルシアのシャンデラが勝った。今やったらどうなるかは微妙だが、それはもうバトルの域なので実現することはないだろう。

 

「注文頼むぜ!ルシアは?」

「任せる」

「じゃあランチセットAをふたつで。デザート?ならそれもお願いするぜ」

 

 店員がルシアに話しかけるはずがないので、やり取りを任せて欠伸を一つ。つられるように、ルシアの足元でウパーが大きく口を開けた。可愛い。

 

「ルシア、ウパーの分はどうする?頼むか?」

「そうね。この子は興味を持ってる」

「分かった。甘いのが好きなんだよな」

「うん」

「ならポケモン用の食事は甘口と辛口で」

 

 どうやらポケモン用のメニューも完備しているらしい。この手の店は昔からあるけれど、食べさせていいものかどうかは店による。初見の店は注文してみるしかない。ダメならウパーには申し訳ないけど頑張ってルシアが食べるか、持ち帰って他の子にあげる感じだ。ダンデに食べさせてもいい。

 

「ウパー、緊張はしてなさそうだな。落ち着いてる」

「この時期から人目に慣れてるのはいいことだね。ちょっと心配だったけど、杞憂だったかな」

「うぱ!」

 

 今日連れているウパーはルシアの昔からの手持ちではなくて、新しい仲間だ。ワイルドエリアで発見されたたまごが、キバナくんからダンデを通じてルシアの元にやってきた。周囲におやの姿がなく、逸れたのかもしれないということだった。

 まだ生まれてそんなに経っていない状態で、普段のルシアならこういう人の多いところには連れ出さないのだけど、想像以上に好奇心の強い子だった。カフェに行くという話を遊びだと思ったのか、着いて来たがったのだ。

 

「野生に戻すつもりなんだろ?」

「最終的にはこの子がどうしたいか次第だけどね。逸れた群れと合流できるのが一番でしょう」

「ルシアに育てられたら、群れのボスになれるんじゃないか?」

「野生素人のボスって心配ね。まあうまくやるでしょうけど」

 

 ひと月後くらいに成長したこの子とワイルドエリアに行ってみよう。群れが見つかるかもしれないし。

 

 そんな話をしていれば流石ランチタイム、頼んでいた料理はすぐに運ばれて来た。標準的なカフェランチといった様子。ダンデには少し物足りないかもしれない。

 

「ぱーちゃん、すぐに食べちゃダメだからね〜」

 

 目の前に置かれたプレートに小躍りしているウパーを制して、ダンデが差し出した成分表と実際の中身を照らし合わせる。普段食べさせているものとは違うが、自然派を売りにしているカフェだからか調理感も強くない。

 

「うん、これならいいかな。ぱーちゃん、もう食べて大丈夫〜」

「あの」

 

 許可を出した途端頬張り始めたウパーのさらに向こうに、店員の履いたスリッパが近寄った。ルシアに話しかけているらしい。

 

「小型のポケモン用の台も御座います。良かったらそちらに……」

 

 テーブルの高さを揃えないか、という話のようだ。それはいいとして、機嫌が急降下したルシアを前にダンデが席を立った。

 

「触るな」

 

 ウパーの前でなければ盛大に舌打ちをしていたところだ。失礼しますね、と抱き上げようとしていた店員の手がピクリと止まった。ウパーがキョロキョロと状況を把握しようとするのを、こちらから手を伸ばして注意を引く。

 

「すまない、台も結構だ。サービスなのは理解しているが、放っておいてもらえると助かる」

 

 店員はダンデに任せて、ルシアはウパーと視線を合わせた。

 

 育成途中のポケモンは目で見るもの、肌で触れるもの、聞こえる音の全てが学習材料だ。トレーナーはその子を取り巻くあらゆる環境に責任を持つ。声のかけ方ひとつ、触れ方ひとつでポケモンは異なる方向へ成長していく。

 

 ルシアは育成中に素人が入り込むのを蛇蝎の如く嫌っている。ポケモンへの触れ方すら分からない人間が誤った触り方をすれば、それだけでその子の可能性が閉ざされていく。

 今のウパーにとって、ルシアとダンデ以外の人間は一枚隔てたところにいる観察対象であるべきだ。触れ合うのはもっと後。己と人間の違いを理解して、確固たる自我を確立してから。

 

「先に言っておけば良かったな。ポケモン同伴可のカフェだからって対応に手慣れてると思い込んだオレのミスだ」

「いいよ、未遂だし。ぱーちゃんも楽しんでる」

「ならいいんだ。さて、オレたちも楽しむか」

 

 別にルシアも怒ってるわけじゃない。人に触れさせたくないのに触れたがる子は多いし、そういう葛藤も含めてポケモンを育てることの醍醐味だ。

 こだわりが強い方だとは思うけど、実際それで失敗したことないし。

 

「因みにルシア、一応言っとくと今キミがサラダにぶちまけてるのはドレッシングじゃなくてスープだぜ!」

「知ってるよ?」

「なら良かった!隣のドレッシングはちゃんと見えてたんだな!」

 

 

 

 

 

 

 流石に十年目に突入すると、仕事も日常も本当に変わり映えしない。

 シュートシティの街並みも変わったような変わらないような。家と職場を行き来して買い物はネットで済ませるような生活が続くと、世間から取り残されたような感覚になる。

 にしてもここは隔絶しすぎだが。溜息を吐いたルシアに、正面から薄い笑い声が送られた。

 

「相変わらずですね、ルシアくん」

 

 一目で高級と分かるスーツに身を包んだローズが、これまた高級そうな手触りのいいナプキンを畳んでいた。

 ガラルいちの企業集団、マクロコスモスグループの代表にして、ガラルリーグ委員長。実質的なガラルのトップと言っていいこの人に、ルシアはチャンピオンを降りた後も年一で食事に付き合わされていた。ダンデといいこの人といい奢りなのは良いが、そのせいで外でお金を払う習慣がなくなってしまった。

 大体いつもジムチャレンジの準備が本格的に忙しくなる前の時期。前回からもう一年、チャンピオン戦からも既に半年以上経過しているという感覚がどうもない。変わり映えのしない日常過ぎて、こうやって十年も経ったんだなという気持ち。

 

「近況は聞いています。ダンデくんの様子も見ての通り。他に何かきみの方から付け加えたいことはありますか?」

「ない。この時間って無駄だなって思うくらい」

「ロンド・ロゼの最高級ディナーですよ。偶の贅沢くらい良いでしょう」

「たしかに美味しいんだけどさ」

「失礼、きみが美味しいと言うと少し不安になってきました」

「どういう意味よ」

 

 ルシアのチャンピオン時代。スポンサーに名乗りを上げる企業など当然皆無で、唯一ローズのマクロコスモスだけがスポンサーだった。いまは逆に、数多の企業をスポンサーにつけているダンデはマクロコスモスのロゴだけは背負っていない。

 何故リーグの登録を抹消したルシアがもうスポンサーですらない企業のトップと食事をしているのか、ローズの意図は分からない。ルシアは利があるから大人しく召集に応じているだけ。

 貸切状態の煌びやかなホテルレストランに、ドレスコードを無視した普段着のルシアの姿は変に馴染んでいた。現実味がないのだ。特徴的な青紫の長髪に、すらりと伸びた手足。つまらなさそうに冷えた表情が、遥か高みから睥睨する。何をせずとも人目を惹きつける才能を、ルシアもまた持ち合わせていた。

 

「ルシアくんは、ガラルのことはどう思いますか」

「なに、急に」

「いえ。単に気になっただけです。そういう噂を耳にしたものですから。きみは海外進出を考えているとか」

「どこから聞いたのさ。考えてないよ、そんな大層なこと」

 

 噂話は巡りに巡るものだと身をもって知っているけれど、たまにうんざりすることもある。例えばチャンピオンルシアが毎度手持ちを変える理由は、対戦相手の情報を事前に入手して弱点をつけるポケモンに変えているからだ、とか。その情報は非正規な手段で手に入れてる、とか。戦術を知らない雑魚トレーナーか、ポケモンバトルをしたこともない者の言い分だ。強い奴はどんなポケモンを使っても勝つ、それだけ。なのに聴く側にとって都合のいい噂はよく燃え上がる。

 

「ではもう少し単刀直入に聞きましょう。きみはガラルが好きですか?」

 

 テーブルの上で手を組んだローズが薄く笑みを浮かべたまま言葉を続けた。

 最強のチャンピオンを有する地方、ガラル。世界的に見てもここまでポケモンバトルに熱狂している地方もそうはない。

 

「よく言われていたでしょう。きみは、ガラルに独自に生息しているポケモンを殆ど手持ちに入れていません。出身は確かにガラルであるはずなのに、あまりに異質だ」

「そんなのたまたまじゃん。どの子もガラルで出会った子たちだ」

「ええ、違いありません。でも、きみからガラルに対する愛着を感じたこともありません。かつてのきみにとってガラルの民は、目の前に跪くだけの案山子だった。今のきみにとってはどうでしょう。きみの理想の王様へ跪く民衆に、一体何を感じますか?」

「別に、何も?何か面白い話が聞けると思ったの?」

 

 緩やかに微笑んだままのローズは、食事を終えた後のテーブルに差し伸べた手を伏せる。

 

「いいえ、逆です。面白い話を耳にしたので、こういう話をしているんですよ。きみがガラルを去るのであれば、考えなくてはならない事項が増えますからね」

「減るんじゃなくて?」

「ええ。浮いた予算をどう使おうか、だとか」

 

 暗に「オメーのせいで余計な金がかかってる」と告げたローズが、結論を急かすように目を細めた。ルシアとローズの面識は、当然ながらチャンピオン時代から。正確にはチャンピオン就任の数ヶ月前、ルシアにジムチャレンジの推薦状を渡したのがローズだった。彼がこちらをはっきりと認識していたかは定かじゃない。きっと数ある社会貢献という名のパフォーマンスの一つに過ぎなかった。

 

 この男はガラルで最も有名なビジネスマンだ。類稀なる商才を以ってしてマクロコスモスグループをガラルいちの企業集団へと押し上げ、ねがいぼしを利用したインフラを整備し、バトルにダイマックスシステムを採用したことでガラルリーグそのものを世界に押し出した。今やローズの名を知らぬガラルの住民など存在しないだろう。ガラルへの貢献度から言って、最もガラルを愛しているのはこの男だと断言しても良いかもしれない。ただ、それでもローズはビジネスマンだとルシアは認識している。行為には見返りを求める。常に最大効率で最高のリターンを求める。

 

「あなたはわたしに何を求めているの?追放したければそうも出来たでしょ。わたしのチャンピオン資格だって取り消しにできた。でもそうしなかった」

「誤解があるようなので先に言っておきますが、きみは間違いなくガラルポケモンリーグ歴代チャンピオンの一人だ。ビジネスパートナーとして尊重もしています。その上で……。きみにガラルを好きになってもらいたいと思っている」

 

 例えばそう、と前置きして、ローズはテーブルから手を退けた。写真のようなものが残っている。

 

「こちらを」

「おわ」

 

 それはキバナくんのブロマイドだった。バトル直後、悔しげに顔を歪めながらも目を爛々と光らせた荒々しいワンショット。

 

「良いもん持ってるじゃん!これ新しいやつ?」

「ええ、来月から店頭に並ぶ予定です。サンプル品ですが、差し上げますよ。いつまでもキバナくんで釣らないと来てくれないの、結構ショックなんですけどね」

「キバナくんにサイン書いてもらおっかなあ」

「喜んでいただけてなにより。それ以外のグッズはまた家に届けさせましょう。本当に、その熱量がガラルに向けば良いんですが」

 

 キラキラ光る加工は要らないんだけど、プレミア感の演出のためには必要なんだろうか。ローズとの会食に応じる理由の九割を手に入れて、ルシアは今すぐ帰った場合得られる休息と来年分の入手機会の喪失を天秤にかけた。

 毎年同じことをして、後者に傾いているけれど。

 キバナくんがチャンピオン戦で鮮烈なデビューを飾った日と、ルシアが正式にリーグを脱退した日は同じだ。そこでローズとの関係も切れるはずが、よく分からないところで繋がったままもう十年になる。

 あれきりルシアはキバナくんの大ファンだが、正当な手段でグッズを入手することが難しいのでこの会合はたいへん助かってはいる。

 

「わたしがガラルを嫌いなんじゃなくて、ガラルがわたしを嫌いなんでしょ。それなのになんでわたしが歩み寄らなきゃならないの」

「歩み寄れという話ではありません。わたくしの自論ですが、力と情の大きさは比例するもの。大きな力を持つものは、より大きなものに愛情を注ぎ込むべきです。植物も水を与え過ぎれば根腐れするように、受け取る器にも格が求められる。その点、ガラルの大地は充分なポテンシャルを秘めています」

 

 左手に広がるガラス窓から、シュートシティの夜景が見下ろせた。夜になっても明るいままの眠らない都市。ほんの数十年前とは比べ物にならないらしい。変えたのは、ローズ率いるマクロコスモスだ。

 

「わたしはキバナくんのことが好き。負けて悔しがってる他のトレーナーも、まあまあそこそこ。育てたポケモンたちはみんな大好き。沢山いるけど、どの子たちも特別。そういう意味ならたしかに、わたしの愛情は大きいかもね。でもそれで事足りてる」

 

 ローズは強い力と行動力を持っていて、得た力に比例する愛情をガラルに注いで発展させてきた。ルシアは彼とはまた違う。

 

「いいえ。きみは爆発寸前のフワライドだ。みんなきみのことを爆発した後だと思っていますが、わたくしはそうは思わない。きみは今、自分が正常な状態でないことは理解していますか?」

「いいえ。わたしはわたしが好きなように生きている。これが正常だ」

「もう一度いいえを返します。きみは自分の力で他人を打ち負かすのが大好きです。決して他人の褌で相撲を取るタイプではない。妥協を許さず、理想は高く、すべて自分の手で為さねば気が済まないタイプだ。生まれた時から負けを知らない男が無類の強さを誇ったとして、それできみは満たされたりしない。ましてや、好きなように生きているなんてとても。ただ延々とフラストレーションを溜めているに過ぎません」

「だからいつか爆発するって?」

「はい。きみは虎視眈々と牙を研ぎながら、爆発する瞬間を伺っている。きみ自身に自覚がなくてもね。キバナくんも、育てたポケモンたちに愛情を注ぐことも、確かにガス抜きにはなっているでしょう。けれど、根本的な解決にはなっていない。何故ならきみは、際限のない欲の持ち主だからです」

 

 何故ダンデくんが時折きみにポケモンを育てさせているか考えたことはありますか。

 どうしてわたくしがきみにこうしてキバナくんのグッズを渡しているか理解していますか。

 

 きみがダンデくんとの契約を受諾した理由を、その本心を言えますか。

 

 重ねられた問いの最後の一つだけを浚って、何度も自問自答してきた答えを口にする。

 

「それくらいなら、出来ると思ったから」

 

 演説する者として、もしくは相手を説得しようとする者として、ローズの取った間は完璧だった。一呼吸より少し長く置かれた空白に、直前の言葉がチープに宙に解けていく。

 

「三度いいえを贈ります。それはきみが、自分の育てたチャンピオンが無敗無敵を誇るならば己の欲は満たされると考えたからです。その考えに魅了された。だからわたくしは提案をして、きみは呑んだ。けれど、思った通りには進みませんでしたね。ダンデくんはきみが育てたとは言い難い。きみの関わらない過去で強くあり、きみの与り知らないライバルがいて、最初から最強無敵だ。欲は満たされなかったでしょう。そういう意味では、きみはどうしようもないくらい、トレーナーなんです。完璧と理想を追い求め、その先にある勝利を渇望している。その欲には、恐ろしいほどに底がない」

 

 ルシアがポケモンを育てる時、思い描く理想のかたちがある。勝利の二文字だ。究極勝てなければ意味がなくて、その為にルシアは育てるという行為を、そして育て上げたポケモンたちを愛している。

 

「もうわたくしが言うまでもないと思いますが、きみが本当に愛しているのは他人の負け顔の方だ。きみに負かされて悔しさに歪む表情、好きでしょう?」

「まあ、ね。それは大好き」

「キバナくんを自分の手で屈服させたいと思いませんか?」

「それは……。どうかな」

「ほら。そう答える時点できみは自分を見失っています。わたくしは、恐れているんですよ。きみという力が制御を失って、その矛先をガラルに向ける日が来るのを。そうなる前に、きみにはその欲をぶつける先を確立して欲しい。その相手がガラルという大地であれば、わたくしは非常にやりやすい。そういう話です」

 

 最後に自分の求めるリターンの話になった。

 

 部屋の奥に鎮座するボールのことを考える。ルシアとは向き合ってくれなくなった相棒。幻滅したのか、興味すらなくなったのか。野生に戻ることを提案した時だけ、取っ組み合いの喧嘩をした。ルシアとイーブンな喧嘩が出来るくらいには手加減を知っていて、けれども勝利が大好きで、相手を打ち負かすことに愉悦を覚え、戦うために生まれてきたような子。負けたことをどう消化したらいいのか分からないまま十年も経ってしまったのは、あの子も同じなんだろう。

 

「……ダンデと何か話をしたの?どちらにせよ、あいつとの契約はあと一年って話だ。来年のチャンピオンカップ、ダンデが勝っても負けてもわたしはこの場所から離れる。懸念があるならそれまでにガラルの方をそれらしくしておいてよ」

 

 自分を裏切っている感覚くらい、常にある。ルシアを信じてくれた子を裏切った自覚も、ある。けれどもルシアはこの十年、バトルをしなかった。今更傷を突かれたくらいで、ルシアが変わることはない。

 

「なるほど。ではわたくしはダンデくんが勝ち続けた場合のことを考えておきます」

「負けた場合は?」

「そちらはずっと単純です。できれば、きみの方ももう少しそれらしくお願いしますよ。ひとは言葉の通じない生き物を本能的に恐れますからね」

「は?馬鹿にしてる?」

「この先どういう人生を送るにしても、人と円滑なコミュニケーションを行う必要はあるのでは?」

「売られた喧嘩を買ってるだけだし」

 

 誰も売ってないと思いますが、なんて呟きながら、ローズは諦めたように首を振った。

 

 

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