♢張手山一発
男は、悩んでいた。右手に握りしめるはたった一枚の諭吉。これが、彼の今の全財産。そんな彼が今居るのは、競馬場。ここで一発当てて、何とか生活費を稼がなければ、生活保護も視野に入れなければならないかもしれない。そんな瀬戸際に立っていた。
今日のレースの一番人気は、ここまでG12勝の名馬、サッキュラッキュ。無難にいけばここに賭けるのがいいのだろうが、一番人気な分倍率もそこまで高くはない。可能性は減るが、高倍率の低人気の馬券を買う方がいいか。いや、それで外れてしまっては元も子もない。やはりここは一番人気で確実に当てに行くか⋯⋯。
悩みに悩む男の視界に、ふとおかしな光景が見えた。こういう競馬場にはレースの結果を予想する予想屋と呼ばれる者がいることがある。その予想屋の中に、奇抜な恰好をした人物がいる。何故か、他の人はあまり注目していないようだったが、男は誘われるようにその人物の元に向かっていた。
「おや、あたくしに気が付いたのですね。貴方、なかなか見る目がありますの」
凛とした力強い声。それに似合った整った外見は、この場にはあまり似つかわしくない。いや、それよりも目を引くのは、ドレスの上から着けている真っ赤なまわしだ。何故、こんな美少女が競馬場でまわしを着けて予想屋に紛れているのだろうか?
「あ、あんた、誰なんだよ」
「あたくしが誰かなんて、どうでもいいじゃないですの。それより、貴方、お金に困っていらっしゃるのでしょう? あたくしの予想を聞いてくださいませんの?」
「お、俺は予想屋に払う金はねぇよ」
「代金は頂きませんの。あたくしは、ただ、浪漫に焦がれる人々の熱を感じたくてこの場に居るだけ。お時間は取らせませんの」
目の前の少女は、明らかにただモノではない。だが、代金を取らないというならば、話くらいは聞いても罰は当たらないだろう。男は迷いつつも、少女の予想を聞くことを決めた。
「⋯⋯で、あんたはどの馬が勝つと睨んでるんだ」
「12番人気エンタープリーズ。ここ1択ですの」
「おいおい、何を馬鹿なこと言ってんだ。そいつ、まだ重賞も取ったことがない馬だぜ? 予想屋ならもう少しましな予想をしてくれよ」
男も馬鹿ではないから、事前にある程度今回のレースに出る馬の情報は調べている。大穴狙いもありかとエンタープリーズのことも調べたが、未勝利戦で1勝したきり、それからは掲示板にすら入れていない。さすがにそんな馬に賭けようとは思えなかった。
しかし、男が馬鹿にしたように鼻で笑っても、目の前の少女の自信に溢れた顔は変わることがなかった。
「エンタープリーズは前々走、前走と着実に順位を上げていて、コンディションは上々。データ的にも良馬場より重馬場の方がタイムがよく、今日は前日の雨により重馬場⋯⋯エンタープリーズにとってはこの上ない状態ですの。それになにより、今回はサッキュラッキュが隣のレーンを走る。知っていますの? 未勝利戦、エンタープリーズはかなりの好タイムをたたき出した。その時隣のレーンを走っていたのが何を隠そう、サッキュラッキュですの。同じ牧場出身の彼女がいると安心して程よく緊張がほぐれるようですの」
「そ、そんなデータ並べたところで、所詮ただのデータだ! やっぱり12番人気に1点賭けなんて正気じゃねえぜ!」
つらつらとそれらしいデータを並べられて、つい揺らぎそうになった気持ちを、大声を出して払いのける。こんな言葉、信じられるはずがない。大穴に賭けて大金ゲットなんてそんな話、現実で起きるわけないのだから。
「ええ、もちろん。今のあたくしの言ったことはただのデータに基づいた予想。でも、自分の足で調べて、考えて、人事を尽くした結果、あたくしは浪漫を取りました。だって、その方が⋯⋯面白いではありませんの? 貴方も、そうなのでしょう? お金を稼ぐ方法なら、ほかにもある。それなのに、ギャンブルなんて分が悪い方法を選んだのは、そこに浪漫があるから。貴方の目には確かに、浪漫を追い求める熱が見えますの。どうでしょうか。あたくしの浪漫⋯⋯買ってはくださいませんか?」
じっと男を見つめる少女の瞳は、底知れないエネルギーに満ち溢れていた。その瞳に宿る確かな熱に、男はいつの間にか魅せられていた。
──その日の競馬新聞にて。12番人気のエンタープリーズが1着を取ったことが一面に載せられていた。多くの人々が嘆き、怒る中で、一人歓声を上げた男の声が、競馬場内に響いていたという。
☆☆☆☆☆
「さあついに始まります第十試合! ソリマチ選手vs”浪漫砲”張手山一発選手の対決です!!」
「うわ、張手山さん、変わった格好してますねぇ。まあ、全裸よりは普通ですけれど」
「あれと比べたら誰だって普通です。それでは、試合開始ぃ!!」
お決まりの試合開始の合図が、場内に響く。対戦相手は、ソリマチ。魔法は、『魔法の毒で中毒にしちゃうよ』。フリーランスとして数年活動しており、実績は折り紙付き。
膝に手を置いたまま右足を腰より高く持ち上げ、その姿勢から地面に足を力強く踏み下ろす。いわゆる、四股踏みと呼ばれる動作だ。ソリマチは、張手山一発が突然始めた四股踏みを警戒してか、まだ攻めてはこない。それならば、遠慮なく続けさせてもらう。
四股を踏み、腰を落とした姿勢のまま、両腕を前に出し、ぱぁんと音を立てて拍手を一発。その後、ゆっくりと右腕を引き、手のひらを開いた状態で思いっきり前に手を突き出す。同時に、全力で叫ぶ!
「どすこーい!!」
ここまでで、1セットだ。一連の動作を終えると同時に、張手山一発が立っている場所を中心に、半径1mほどの円が描かれる。この地面に描かれた土俵が、今の張手山一発の攻撃範囲。
『最強の一発をおみまいするよ』という、張手山一発の魔法は、正直使い勝手があまりよろしくない。当たれば魔王パムを超える火力を出せると巷では噂されているが、実際本人には当てることはできなかった。何故なら、その火力を出すために、先ほどの一連の動作を必ず行う必要があるからだ。
しかも、その動作を1回したところで、確実に攻撃を当てられるわけではなく、攻撃範囲が伸びるだけ。一連の動作一回につき、張手山一発を中心に広がる円が、1mずつその直径を増していく。ただし、その間に一度でも他の動作を挟めば、土俵は崩れ、もう一度最初からやり直す必要がある。まさに、2つ名通りの”浪漫砲”。とても実践向けの魔法ではない。普通に魔法を使わずに戦った方が、おそらく強い。
だが、張手山一発はあえて自分の魔法を使い続ける。何故なら、この魔法には浪漫があるからだ。
「なんだ、ただのこけおどしか。それなら、遠慮せずやらせてもらうぜ!! “
攻撃時に技名を叫ぶタイプの魔法少女か。こういうタイプはこだわりと自我が強く、それに比例するように戦闘能力も高い。今も、口から吐いた毒の液を2周目の四股踏みを始めた張手山一発に見事に当ててきている。
しかし、問題ない。対処済みだ。毒液は、張手山一発の顔面の少し手前で弾かれ、地面に落ちた。聖マリア0.01にあらかじめ膜を借りておいて被っていたかいがあったというものだ。これで遠慮なく四股踏みを続けられる。再びどすこいの掛け声と共に張手を行い、土俵が1m広がった。
張手山一発は、浪漫が好きだ。浪漫の定義とは様々だが、張手山一発は確率の低い事象を引き起こすことこそ浪漫なのではないかと思っている。宝くじの一等しかり、ギャンブルの大勝しかり、普通だと到底なせないことをしてみせるからこそ、そこに浪漫がある。達成した時に脳からドーパミンが溢れ、一種のトリップ状態に陥る。
だからといって、張手山一発はいつも運だよりをしているわけではない。確率の低い、最高の一発。それを相手に叩き込むために、張手山一発は人事を尽くす。
自身の持つ財力、交友関係などをフル活用し、戦う前に相手のことをすべて調べ上げるのだ。そのうえで勝つために必要なプランを入念に練り、そのプランも随時ブラッシュアップしながら臨機応変に立ち回る。
浪漫とは、魅せるものだ。張手山一発の”浪漫砲”は、必ず当たる。当ててみせる。対戦相手や観客には、張手山一発の影の努力など知る由もない。だからこそ、外れるかもしれないドキドキで、より一層浪漫砲は輝くのだ。
「どすこーい!!」
これで計4回目。毒液が効果がないと判断したソリマチが、その手にナイフを持ち、直接斬りかかってきた。だが、その刃は刺さらない。マリアの膜の防御はしっかり機能している。
とはいえ、この防御も完ぺきではない。刃は通らないが衝撃は伝わってくるから普通に痛いし、他人に貸す際にはやや勝手が違うようで、過度に同じ個所を攻められるとイっちゃいますと忠告されていた。
ならばどうするかというと、特にやることは変わらない。ひたすらに、痛みに耐え、相手の動きを視界にとらえつつ、四股を踏み続ける。
「どすこーい!!!」
これで計10回。攻撃範囲は10m。そして相手は至近距離。十分射程圏内だ。でも、まだだ。まだ溜められる。この一連の動作は、積み重ねるごとにその範囲を広げるのみならず、威力も回数に応じて上がっていく。もっとだ。もっと、もっと最高の一発を。
「
ソリマチが両手のナイフで乱舞する。ついに膜が破れた。限界が来たのか。ナイフが張手山一発の肌を傷つけ、たちまちに皮膚が紫色に染まる。どうやら、傷口から毒が入ったらしい。ソリマチが勝利を確信し、にやりと笑みを浮かべる。
だが、甘い。これくらいで倒れるようなら、浪漫砲は名乗れない。張手山一発は、その一撃を放つまでは、決して倒れない。
気合で毒を耐え、最後の四股踏みをする。ふらつく足を持ち上げ、全力を込め地面を踏み下ろす。身体の前で拍手一発。腕を引き、構えを取る。
いつもと異なるのは、ここからだ。一発を放つ際には、この一連の動作に加え、さらにもう一つ動作をはさむ必要がある。
張手山一発は張手の構えをした腕とは逆の左手を前に出し、ソリマチを指さす。最高の一発を放つための最後の制約。それは、名指しの勝利宣言。
「ソリマチ。あたくしは貴女を、この一発で倒しますの」
この制約通りに倒せなかった場合、張手山一発は四股踏みの回数×一か月間、一切魔法を使えなくなる。相撲は神に捧げるもの。それを模したこの四股踏みから始まるこの一連の動作も、それくらい神聖で破ってはならないものなのだ。
「舐めるな!! 毒で倒してやるよ!!」
ソリマチが放つは、大量の毒液。あれを浴びれば、流石にひとたまりもないだろう。しかし、準備は、もう、完璧に整っている。
勝利宣言をした手を引っ込め、さらに低く腰を落とす。そして、ぐぐぐっと力を込めて一歩足を前に踏み出した。
その瞬間、広がっていた土俵が、一気に縮まる。その縮小に巻き込まれたソリマチが、張手山一発の前に強制的に移動させられる。毒液は、土俵の外にすべて投げ出された。目を剥くソリマチの顔面目掛け、張手山一発は、渾身の一発を放つ。
「
シンプルながらも、ストレートな技名と共に放たれたその一撃。その一撃を至近距離で見たソリマチは、まるで巨大な掌が迫ってくるように錯覚した。
ボンっという空気が爆ぜたような音と共に、会場内に嵐が吹きおこる。衝撃派によって発生した風が、張手山一発を中心に渦巻いているのだ。その暴力的なまでの破壊力は客席まで及び、数名の観客が席から吹き飛ばされるほどであった。
嵐が止むと、そこには張手山一発とソリマチが立っていた。ソリマチの顔の横すれすれを、張手山一発の張り手が通過しており、その先にある壁には、くっきりと巨大な手形が刻まれていた。その光景を見てしまったソリマチは、へなへなと力なく崩れ落ちる。あれがもし直撃していれば、確実に死んでいたであろうことを悟ったからだ。
「ソリマチ選手、戦意喪失により、勝者、張手山一発選手!!」
司会が張手山一発の勝利を宣言すると、観客席から歓声が沸き起こる。その声援に応えるべく、そして、情報面で張手山一発をサポートしてくれた協力者の希望に応えるべく、張手山一発はスタッフから受け取ったのぼりを、高々と掲げた。
そののぼりに書かれているのは、張手山一発の名前と、もう一人、協力者の名前。張手山一発を情報面でサポートしてくれる、なくてはならない存在。
のぼりには煌びやかな文字で、『ブルジョワーヌⅢ世』と書かれてあった。
♢ジュリエッタ
「ブルジョワーヌ様、どうやら張手山一発が無事初戦を勝ち上がったようですよ」
「あら、ホント? 私は目が見えないからよく分からないのだけれど、盛り上がっている声は聞こえたわ。ホントは、観客席で貴女と一緒に見たかったわね、モルジャーナ」
「ええ、そうですね⋯⋯。おっと、すいません。電話が入ってしまいました。少々席を立ちますね」
ジュリエッタは、最愛のブルジョワーヌⅢ世に断りを入れ、部屋から出ると、扉を閉め、端末を耳に当てる。受話器ボタンを押せば、端末の向こうからは怒気をはらんだ音声が聞こえてきた。
『あれはどういうことですか、モルジャーナさん? 私のスポンサーをしてくださると言っていましたよね。何故、参加者にも支援をしているのですか?』
「保険ですよ。私の⋯⋯いえ、我が主の目的は、表舞台に出て名を売ること。勝ち上がれば勝ち上がるほど、観客は選手に注目する。そこで名前を出してもらえれば、目につくというものでしょう? しかし、あなたには失望しましたよ、TV唱さん。まさか、いきなり負けてしまい、しかも今司会席にはよく分からない魔法少女が座っているではありませんか」
『⋯⋯そのことに関しては、申し訳ないと思っていますよ。しかし、パミーは私の分身です。宣伝のタイミングは、いつでもありますよ』
「頼みますよ。ブルジョワーヌ様の『お金をたくさん出せるよ』という魔法で、資金はいくらでも提供できます。でも、そのお金と、それに付随して手に入れた情報を渡す相手は、こちらが選べるのですからね」
沈黙が返ってくる。TV唱は、どうやら敗戦でかなりメンタルが追い詰められているようだ。まあ、あちらの都合などジュリエッタにとってはどうでもよいが。ジュリエッタは、ブルジョワーヌⅢ世の望みを叶えることさえできれば、それでいい。
『⋯⋯分かりました。私だって、達成したい目的がある。あなた達の資金提供がなければ、今回の大会は開催できなかった。それは承知しています。でも、私はマスメディア。情報戦だけなら、あなた達には負けるつもりはない。もし、私の目的が果たせなかったその時は⋯⋯お前も道ずれだ、
「⋯⋯!? どうしてその名前を!?」
『メディアはいろんなことを知っているんですよ。まあ、せいぜい祈っておいてくさいよ。私と、あの黒い少女の目的が果たされることをね』
そう言い残し、通信は切れてしまった。ジュリエッタは、動揺していた。今のジュリエッタは、かつてブルジョワーヌⅢ世の従者をしていたモルジャーナという魔法少女のふりをして、ブルジョワーヌⅢ世を騙している。当然、他の魔法少女と接する際も、モルジャーナとして対応してきた。もし、このことがバレてしまったら、ジュリエッタはブルジョワーヌⅢ世のそばに居られなくなる。それだけは、なんとしても避けなければならない。
端末を手に取り、別の人物に通話をかける。相手は、唯一ジュリエッタの正体を知る存在。一瞬、彼女から情報が漏れたかとも疑いの念が湧き出たが、すぐにそれはないと頭を振る。彼女には、こちらの大事なものを渡しているのだ。裏切るはずがない。
『もしもし? なんの用でしょうか?』
「詳しいことは後で話します。今、TV唱という魔法少女が武闘大会を開催しているのは知っていますよね。そこに潜入し、いざとなれば彼女を殺す必要があります。おそらく、結界が張られていますが、貴女の魔法なら、入れますよね?」
『そうですね⋯⋯。分かりました。協力します。ちょうど、気になる魔法少女が居たので。欲しいと思っていたんですよね。青い髪の毛』
おそらく、端末ごしに水晶玉を抱えて髪の毛を指に巻き付けているであろう相手のことを思いながら、ジュリエッタは動き出す。大切な相手との幸せな日々を、誰にも壊されることのないように。