マリアinハイスクール
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「小雪、今日も学校来てないなぁ⋯⋯」
沙里は、誰も座っていない隣の席を見て、小さくため息を吐いた。本来ならばここに座っているはずの沙里の友人、姫川小雪は、最近あまり学校に来ていない。体調でも悪いのかとメッセージを送ってみても、曖昧な返事が返ってくるだけだ。
たまに魔法少女の話になると熱量についていけないことはあるけれど、それでも沙里にとって小雪は大切な友達だ。付き合いでいえば中学から小雪と友人だった芳子の方が長いかもしれないが、年月が短くても心配しない理由にはならなかった。
「ほら、皆席につけ~。HR始めるぞ~」
小雪のことを考えていたら、いつの間にかHRの時間になったみたいだ。担任の先生が教壇の後ろに立って教室にいるクラスメイト達に声をかけると、さっきまで机に群がってわいわい喋っていたクラスメイトも、一斉に自分の席へと戻っていった。
普段ならば、朝の挨拶をして、軽く連絡事項を先生が言った後に1限目の準備⋯⋯となるのだが、今日は少し様子が違っていた。
「えー、実は今日、このクラスに新しい仲間が増えます。皆、仲良くするよーに。じゃあ、入っていいぞ~」
担任が廊下に声をかけると同時に、教室の前方のドアが開かれ、転校生が姿を現す。かなり中途半端な時期にやってきた転校生に皆の注目が集まる中、その転校生は綺麗な姿勢のままゆっくりと黒板の前まで歩みを進めると、にっこりと微笑んで自分の名前を告げた。
「本日この学校に転校いたしました。
何かと刺激を求める学生に、転校生という美味しい餌を与えれば皆興味を持つ。早速、昼休みになると転校生である真理愛の席に皆集まっていた。
「シャンプー何使ってる?」
「彼氏とかいるの?」
「てかラインやってる?」
皆思い思いの質問をぶつけ、真理愛はそれらに対しにこやかな笑みを浮かべながら丁寧に答えている。沙里の座る席は真理愛の席の斜め後ろなので、会話の様子はすべて聞こえてくるのだ。
改めて、転校生の顔を観察してみる。この角度からだと全てを拝むことは出来ないが、それでも非常に整った顔立ちであることは分かる。地味な三つ編みおさげに黒ぶち眼鏡、校則をきっちり守った膝下スカートという一見地味な見た目にも関わらず、やたらと目を引くのはそのせいだろうか。
そうこうしているうちに昼休みは終わり、5限目の時間になった。5限目は移動教室だ。クラスメイトはわいわいおしゃべりしながら移動を始める。沙里も、皆に習って教室を出ようとしたその時、視界の隅、ちょうど斜め前で真理愛が立ち上がった瞬間何かを落としたのを偶然見た。
慌てて声をかけようとしたが、真理愛はその時には既に数人のクラスメイトと一緒に教室を出てしまっていた。仕方がない、移動が終わった時に渡せばいいか。そう思い真理愛の落としたものを拾おうとした沙里は、落とし物の正体に気づいて固まってしまう。
そこに落ちていたのは、小さな箱だった。ご丁寧に表面に「0,01」と記載されたそれの使い道を、この歳になれば使ったことはないが理解はしていた。咄嗟に懐に潜り込ませたのは、真理愛のことを思ってのことだ。
ここにこのままこれが落ちていたら、真理愛が落としたと皆が分かってしまう。転校初日にそのようなハプニングに見舞われたらと自分の身に置き換えて考えると、おそらく不登校になるレベルのトラウマ確定だ。この爆弾を処理するには、誰にも気づかれないようこっそり本人に手渡すしか道は残っていない。
5限目の授業の内容は全く頭に入ってはこなかった。ポケットの奥に眠る爆弾のことばかり考えていて集中できず、後でノートを芳子に見せてもらおうと決めた。
真理愛にこの爆弾を返すタイミングは、なかなかやってこない。やはり転校初日だけあってクラスメイトが誰かは必ずそばに居る。渡すならば、チャンスは放課後。最悪呼び出してでも二人きりになるしかない。これを家に持って帰る勇気は沙里にはなかった。
その日の帰りのHRは、人生で一番長く感じた。下校の挨拶を終えた直後、沙里は真理愛に話しかけていた。
「あの、聖さん。ちょっといいかな? 渡したいものがあるんだけれど⋯⋯」
「ふふ、そんな顔を赤くしてどうしたんですか? まさか、愛の告白でしょうか?」
真理愛の言葉に反応して、周囲がざわつく。女同士で告白なんて普通あり得ない。それは皆分かっているはずなのに、面白おかしく騒ぎ立てるのは学生特有の悪ノリというやつだろう。
沙里はますます顔が赤くなるのを感じながら、周囲のからかいから逃げるように真理愛の手を引っ張って教室を後にした。その間、真理愛はずっと聖母のような笑みを浮かべている。この状況を楽しんでいるのだろうか。それならば見かけによらずだいぶ性格が悪い。こっちは真理愛のことを思って何も言わなかったというのに、その仕打ちがこれではひどくはないか。
「もう! なんであんなこと言うのさ! 皆の前で恥かいたじゃない!!」
「ふふふ、先ほどの沙里さん、大変可愛らしかったですよ。それで、私にどんな用があって連れ出したのでしょうか?」
頬を膨らませて怒ってみせても、真理愛の表情は変わらず、柔らかな笑みを浮かべたままだ。その表情に何だか怒気を抜かれ、そしてこのポケットにしまった爆弾をどう返すかに意識が移った。
人気の少ない廊下で、落とし物だと言ってこれを渡す行為を、客観的に見て考えるとだいぶヤバくはないか。もし、ただの見間違いで落とし主が別人なのだとしたら、沙里はとんでもない変態になってしまう。いったん、軽く探りを入れてみることにしよう。
「えーっと⋯⋯。あのさ、聖さんって何か落としたりした?」
「あ、もしかして、私の落とし物を渡すために呼び出してくださったのですか? それならば、こんなところに連れてこず、教室で渡してくださってもよかったですのに」
「いや、皆が見てる前じゃ渡しにくいって言うか⋯⋯もう、聖さんが落とした物なら、自分で分かるはずでしょ!?」
「さあ、どうでしょう。落とし物の名前を言ってくだされば、はっきりと分かるかもしれません」
そう言ってこちらへずいと顔を近づける真理愛を間近で見て、沙里はようやく気が付いた。真理愛は、最初から沙里が何を拾ったかを知ったうえで、とぼけているのだ。この目の前に立っている一見地味な優等生は⋯⋯。
「ふふふ、私、嬉しいんです。あの場ですぐ私にそれを渡さなかったのは、私を気遣ってのこと。つまりそこには確かに”愛”があった。ならばそのお返しに、私⋯⋯いえ、わたくしも、とっておきの愛を貴女にお返ししてさしあげますわね♡」
そう言って興奮で顔を赤らめ息を荒げるこいつは、とんでもない変態だ。その細い腕からは考えられない力で沙里は上半身を拘束され、興奮した表情の真理愛がゆっくりと唇を近づけてくる。沙里はとっさに頭の中で最近学校に来ない友人の顔を浮かべ、ぎゅっと目を瞑った。その瞬間、翻った白衣が視界に映る。
いつまでたっても恐れていた唇の感触はやってこない。恐る恐る沙里が目を開けると、そこには沙里と真理愛の間に割り込むように入って真理愛の腕を掴んだ、袋井真理子先生が居た。
袋井真理子先生が真理愛を見つめる表情は、小雪の腕を掴んだ時の表情によく似ていた。ただ、その時よりも何倍も、その表情からは困惑と動揺が浮かんでいたのであった。
♢袋井真理子
最初に名前を聞いた時はまさかと思った。しかし、真理子も魔法少女名と本名がほぼ一致していることもあって、一応確認した方がいいかと遠目で姿を見て確信した。こいつは、あの”世紀末大変態”聖マリア0.01本人だと。
直接会話したことはない。ただ、噂は何度も耳にしていた。袋井魔梨華に負けず劣らずの問題児。行く先々で乱交を繰り返し、数多の魔法少女を快楽に堕とし、魔法の国のほとんどすべての店から出禁処分を食らっている
袋井魔梨華としては、一度戦ってはみたかった。しかし、袋井真理子としてはこんなところで出会いたくはなかった。幸い、目の前の真理愛は自分の正体には気づいていない様子。このまま何とかスノーホワイトの友人である春日沙里からこいつを引きはがせば、教師としては満点だろう。
「あ、あの、袋井先生。ありがとうございました!!」
礼儀がいいことは素晴らしいことだ。しかし、沙里はとんでもない爆弾を残して去っていった。袋井という名字を聞いてピンと来たのか、目の前の真理愛の雰囲気が3割増しでピンクになったのを感じた。
「あらあら。奇遇ですね。まさか、こんなところでお会いするなんて。わたくし、一回貴女と会ってヤリ合ってみたかったのですわ、魔梨華先輩♡」
「⋯⋯今は真理子ですので、そう呼んでください」
「ふふふ。随分イメージが変わりますのね。どちらが素なのでしょうか。どちらにせよ、ちょっと興奮して濡れちゃいます」
変態発言は無視して、真理子は質問を続ける。こいつのペースに乗せられてはダメだ。会話をするのは初めてだが、既に真理愛がヤバい奴だということは十分感じ取っていた。
「何故ここに? というかそれ、変身したままじゃないですか。そもそも、高校生って年齢じゃないでしょ」
「こうして学校に潜り込んで純粋な生徒たちを堕と⋯⋯いえ、導くのがわたくしの趣味ですから♡ 年齢は、まあ細かいことはいいではないですか。過ぎたことです」
現在進行形で未成年ではない魔法少女が学生としてこの場にいる時点でまったく過ぎたことではない。だが、こういうタイプは口で説得しても駄目だ。ここは、魔王塾生同士、それらしい形で話をつける必要があるだろう。
「⋯⋯深夜2時。裏山で」
「あー、成程。先生は大変ですわね。いいですわ、その逢引の誘い、乗らせていただきます♡」
言うべきことは言った。これ以上真理愛と会話するのは疲れる。真理子が後ろを振り返って立ち去ろうとすると、背後から笑い声が聞こえてくる。
「それにしても⋯⋯ふふ。真理子と真理愛。一文字違いで同じ魔法少女、しかも同じ魔王塾卒業生がこんな場所で会うなんて、運命、感じませんか? わたくしたち、きっと、仲良くなれます」
「⋯⋯さあ、どうだろうね」
真理子としては、あまり仲良くなりたくはない。ただ、魔梨華ならどうだろうか。それも今夜、実際に戦ってみれば分かることだ。
──その夜、裏山は跡形もなく消し飛んだ。そして、翌日からは真理愛は何事もなく学生生活を続け、その被害者が出ることは無かったのだった。
唯一、真理愛の本性を知る沙里からだけは避けられていたが、それは真理愛の自業自得だ。真理子は、そんな真理愛の様子を見て、今だけはここにスノーホワイトが居なくてよかったと、心からそう思ったのであった。