ヒナイチは大きく深呼吸すると、一気に事務所のドアを開ける。
「ドラルク! チョコレート!!」
「ビンゴだヒナイチ君。今日はチョコレートケーキだよ」
差し出されたホールケーキに目を奪われる。つやつやとチョコレートでコーティングされているそれは、ヒナイチに「食べて」と訴えかけていた。
テーブルの上に置かれるケーキをそのまま目で追っていると、ククッと笑い声が聞こえてヒナイチの顔が熱くなる。
「いま切り分けるから、手を洗っておいで」
「うん……じゃない!」
いつものように手を洗いに行こうとするが、ヒナイチは足を止めて叫んだ。
「なんだ、ケーキ食べないのかい?」
「食べる! でも、そうじゃなくて!」
彼女は魔法瓶を取り出すとキッチンへ向かう。少しして、マグカップをふたつテーブルに置いた。中には茶色の液体が見える。
「……ココア、かい?」
「ホットチョコレートだ。今日はバレンタインだろう、いつも世話になっているから」
恥ずかしそうに両手をからませながら言う。
「その……ギルドのみんなに誘われて作ったんだ。本当はもっとちゃんとチョコレートになるはずだったんだけど……最終的にこんな感じに……」
料理の上手な相手に手作りを、しかも形にならなかったものをあげるのは気後れしたが、たまにはお返しをしなければ、と自分を奮い立たせながら来た。
「ヌー!」
ひと足先に飲んだジョンが美味しい、と声を上げた。
続いてドラルクも席に着き口を付ける。濃いめのミルクをベースにしたホットチョコレートは吸血鬼の彼にも美味と感じるものだった。
「おいしいよヒナイチ君。ありがとう」
いつも料理を提供される側のヒナイチだが、誰かを想って作り喜んでもらえることは美味しい料理を食べることと同じくらい嬉しいことだと知った。
お返しに、とドラルクは立ち上がりケーキを切り分ける。
「バレンタインだからチョコレートケーキにしてみたよ」
その言葉にヒナイチの体温が上がる。
が、続けてジョンの前にケーキが置かれてすぐに冷静さを取り戻した。
(落ち着け、深い意味はない)
残りのケーキは家主が食べるだろう。それに自分だってホットチョコレートに「世話になっている」以上の理由などない、と何度目かわからない言い訳を自分にした。
軽く頭を振るとケーキを口に入れる。
「おいしい!」
菓子店に並んでいても申し分ない、いやそれ以上に旨いと思えるケーキは彼女の心を満たし、余計な考えを吹き飛ばした。
「そういえばロナルドは居ないのか」
ひと心地ついたヒナイチは辺りを見回す。
「彼ならショットさんたちと世の中を恨みながら外に出て行ったよ」
「……あいつは馬鹿だな」
「馬鹿だよねえ」
「ヌー」
全員でロナルドの評価を下す。
スペックは悪くないのにその言動が女性を遠ざけている。しかしアドバイスした所であの性格は変えられそうもない事も一同は分かっていた。
「家に居たらこんな可愛い子がチョコくれたのにね」
「かわ……!」
落ち着け、ロナルドの残念さを強調するために出た言葉だ、とヒナイチは自分に言い聞かせた。
普段は軽く受け流せるのに、ドラルク相手だと調子が狂う。
「しかし、出版社宛てにチョコレートとか届くものじゃないのか?」
当然出るであろう質問にドラルクは苦笑する。ロナルドは自伝を出版していて、なかなか人気のはずだ。
「タイムラグがあるし、何より本は”盛って”書いてあるからチョコレートは『ロナ戦のロナルド』に届いたのであって、自分に届いた気がしないらしいよ」
「……めんどくさい奴だな」
「めんどくさい奴だね」
「ヌー」
再びロナルドの評価は満場一致した。
「ところでトリュフとクッキーもあるんだけど、食べるかい?」
「いただこう!」
「ヌー!」
テーブルには何種類ものトリュフチョコレートとクッキーとチョコクッキーが並ぶ。
「なんだ!? 今日はずいぶんと豪華だな」
ケーキの後に出してくるには量が多い。
「何が喜ぶかと思ったら作りすぎちゃってね」
「もしかして私のため?」
「バレンタインに、若造のためなんかに誰が作るんだね」
「ヌンヌ?」
「ジョンの好みなんか知りつくしているに決まってるだろう」
「ヌー」
ジョンを持ち上げ笑いあっているふたりを横にして、ヒナイチはなんでもないようにしてトリュフをつまむ。
バレンタインに、自分のために、チョコレートを作ってくれる。
深い意味はないと思っていても、顔が熱くなるのを止められないヒナイチだった。
<おまけ>
帰ってきた音がしたと思ったのにロナルドが居間に入ってくる様子はなく、どうしたかと二人と一匹は事務所へのドアを開ける。
「メビヤツ~~わかってくれるのはお前だけだよ~~」
酔っ払いがくだをまくようにメビヤツにしがみつき、しがみつかれている方は疑問符を浮かべながら赤くなっている。
居間からの視線に気づき、ロナルドは頭からドアにスライディングした。
「ヒナイチ! なんでもいいから俺にチョコをくれ!」
足元にすがりつく男をヒナイチは心底哀れに見下ろした。
「そういう所だぞ、ロナルド」
「そういう所だよ」
「ヌヌヌヌヌン」
「え、何なに? なんの事??」
来年も同じことになりそうだな、と思う二人と一匹だった。