少年と魔女   作:甘党からし

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魔女中毒―⓪

 昔から、テレビの中のヒーローが好きだった。

 どんな困難にも立ち向かい、無辜の人々を助けるヒーロー。

 例え世界から存在を否定されても、世界中が敵に回っても、自分の中に燃えている魂を見つめて戦い続ける。

 

 そんなヒーローに俺は強く憧れていた。

 

 同時に絶望もしていた。この世界にヒーローは居ない。

 何が何でも助けようとする人間なんて居ない。居るのは自分に都合の良い正義を振りかざし、それを快楽とする『正義の味方』だけ。

 

 正義の味方とヒーローは似ているようで全く違うものだ。

 

 俺、寒空(さむぞら)灰清(かいせい)は齢四歳のころ、親父が家に帰らなくなって暫く経った時にそれを思い知らされた。

 腕に出来た青黒い模様を撫でながら、俺は自分の理想が崩れていく光景を幻視した。

 

 その場に居た人間達によって見つめられるのが嫌だった。俺の風貌を見て、向けてくるのは憐れみの感情。

 しかしどこかに蔑みと嗜虐の色が灯っていたのは、きっと気のせいではない。

 

 人は皆憧れる。絵空事の中のヒーローに。

 自分もそれになれる可能性がある。そう決めた瞬間にもう既に変身は完了しているのだ。

 ヒーローになれるのは選ばれた人間だけだが、正義の味方になら誰だってなれる。ただ悪を痛めつけるだけで良いんだから。

 

 そして世間に悪であると決めつけられたが、最後。

 そいつは一生戻ってこれない。まるで底なし沼の下から両足を掴まれたかのように、ただ沈んでいくことしか出来ないのだ。

 

 だから十年以上が過ぎた今でも俺は文字通りの()()だ。

 

「ねえねえ聞いた? 昨日見つかった死体の話!」

 

「聞いた聞いた! 全身ズタズタで、特に腹の中はエグイことになってたんだってな!」

 

「化け物が出るって噂だよ?」

 

「ばーか、そんなもんただの噂、まやかしだよ! 事実は小説よりも奇なり。実際にやるのはいつだって人間だ」

 

「確かに。どこかの誰かさんみたいにね~」

 

 視線が俺に向いている。わざと大きな声で話しているのか、話題を発している奴等以外からの視線も集中する。

 不快だ。まるで俺自身が事件を起こしたかのような言い方。

 だがこの場で俺が何を言おうと、どうにもならないことはとうの昔に思い知らされた。

 

「私聞いたことあるよ、親が犯罪者だと、子供もそうなりやすいって」

 

「マジ? じゃあもう確定じゃん」

 

 助けに入る人間は居ない。話を止めるよう促す人間も居ない。

 子供と大人、生徒と教師の区別は無い。

 誰もが正義の味方に憧れるように、誰もが正義に逆らうことを嫌う。

 

 今ある正義を壊そうとするような『英雄』はこの場には居ない。

 

 チャイムが鳴った。授業が始まる。

 尚の止まない無駄話。だが今回は俺に対する嫌味は早々に止まり、昨今の事件へと中心が変化した。

 多種多様な殺人事件が起きている。迷惑なことに、この街では余り珍しいことではない。

 人死にも時々、窃盗なんて日常茶飯事と言って良いくらいだ。

 

 一体警察は何をしているのか、真剣に考えている人間も数多く居ると聞く。

 中には本気で苦情を言いに行った者も居たらしい。

 

「大きな刃物で背中を一突き!」

 

「青白い顔で死んでいたのはこの学校の用務員さんだったって!」

 

「身体中の穴から血を流していた人も居たんだってさ!」

 

「この間の教育実習生! 帰り道に殺されたって! 美人さんだったのにマジウゼェ」

 

 熱が引けば皆興味を失う。俺への視線はすっかり消え去り、静寂が訪れた。

 叩きたい時に叩かれ、殴りたい時に殴られる。

 悪役というのはサンドバックのようなものなのかもしれない。

 

「おい、ちょっと来いや」

 

「…………何?」

 

 静寂は長く続かなかった。

 どうやら叩きたい人間が出て来てしまったらしい。逆らって抵抗すれば、またぎゃあぎゃあと騒ぎ始める。暴力だとか思われたら最悪だ。正当防衛なんて概念は奪われている。

 今日も相手は巨漢とその取り巻きだから、どう抵抗しても暴力は避けられない。

 だから抵抗しないのが正解だ。

 

「よっし財布出せ」

 

 校舎裏に連れて行かれ、俺は壁際に追い詰められる。

 返事を待つこともせず、ポケットからボロボロの財布を奪われた。

 

「うおっ、結構入ってんな」

 

「五万も入ってんじゃーん。え、何でこんなに持ってんの?」

 

「空き巣? 空き巣っしょ?」

 

「いや、売春だろ。この間知らねぇおっさんと歩いてるのみたぜ」

 

 実際の所はどうだって良いのだろう、奴等は俺の財布から諭吉を抜き取りニヤニヤと笑っている。

 

「ウチのジジイが言ってたぜ? 犯罪する奴は性根から腐ってるってな。腐ってる奴の息子も、また腐ってんだよ」

 

 出た出た。お得意の正義論。

 その辺の奴にカツアゲする時は何も言わない癖に、俺を相手にする時だけは偉そうなこと言ってきやがる。

 俺相手なら自分の行動に正当性が出ると思っているんだろう。

 

「クズが金持ってっとどうせ碌なことしないからな。俺等が有効活用してやるよ」

 

 どうせカラオケと煙草だろ、という言葉が喉元まで出かかる。

 いつもなら吐き出してしまって余計な痛みを感じなければならない悪癖も、今だけは出なかった。

 そうなる前に事態が動いたからだ。

 

「何をしているの?」

 

 凛とした声が響く。直後、誰かが舌打ちを漏らした。

 面倒な奴に見つかった、とでも言いたげな表情だ。

 

 白い指が数メートル離れた先にある俺の財布に照準を合わせる。

 

「その財布はあなたのものなの?」

 

 少女は一歩踏み出し、尋ねた。

 取り巻きが露骨なまでに慌てふためき、巨漢は目線を反らす。

 

「返してあげてくれないかな?」

 

「…………いや、けどよ」

 

「あなたのものじゃないんでしょう? 人の物を盗ってはいけませんって、幼稚園の時習わなかった?」

 

「……………………」

 

 俺の顔に財布があたる。中身を改めると諭吉が二枚減っていた。

 

「大丈夫?」

 

 膝を折り、少女が俺に目線を合わせる。相変わらず背が高い。

 少しぎこちない笑顔。笑い慣れていないのが良く分かるが、普通の奴なら十分に騙せるだろう。

 取り巻きの一人がこっそり見ていた。

 

「……うっす」

 

 簡素な返事だけを返し、俺は足早にその場を去って行く。

 どうやら面倒事はまだ終わらなそうだ。

 

 

「お疲れ様」

 

「……どーも」

 

 帰り道。最近物騒な事件が多いから気を付けるようにと、どこか他人事で気の抜けた言葉を聞いた後、俺は裏門の前で立っていた。待ち人だ。最近はいつも人と帰るようにしている。

 

 相手は昼頃に巨漢を撃退した少女だ。この学校の生徒会長であり、俺の二個上の先輩。俺達が住んでいる街に君臨する超巨大企業の令嬢でもある。

 龍王(りゅうおう)刻魅(きざみ)と言えば、この街に知らぬ者など居ないと言っても過言ではない超有名人だ。何せほんの十五年前までは超過疎地域、希望など微塵も無かったこの街を国内有数の開発都市に変えてみせた立役者の孫娘なのだから。

 

 しかも美人でスタイル抜群。藍色の長髪をたなびかせながら歩いている彼女を見かければ多くの人間が足を止める。

 加えて様々な分野で優秀な成績を収めているのだからその名声はこの街だけにはとどまらない。インターネット社会とはかくも恐ろしいものだ。どんな情報でもすぐに広がっていく。

 

「今日はまっすぐ帰ろうか」

 

「……了解です」

 

 そんな美女に俺は腕を絡められている。この現状は世の中に数多くある不可解の中でもベストテンに入るレベルのものではなかろうか。

 今日限定ではない。少し前からこの関係は続いている。

 

 寧ろ、どこにも寄らなかったという点においては今日こそが異端である。

 

 向かう先は巨大なビル。

 自動ドアの先に広がる煌びやかなエントランス。俺どころか、庶民にはまず縁が無いであろうその場所を取るに足らない場所かのように通り抜ける。俺は未だに慣れないが、刻魅にとっては本当に取るに足らない場所のようだ。

 俺は早くこの場を去ってしまいたい。

 

 受付をすることすらなく、俺達はエレベーターに乗る。

 移動手段に過ぎない箱の中でさえも美しい。余りにもキラキラとしていて、眼球が拒否反応を起こしているようにも感じられる。

 

「毎日来てるでしょ」

 

 呆れたように刻魅が言う。

 無茶を言わないで欲しい。少し前まではオンボロ小屋(バラック)に住んでいた人間に、たった数ヶ月でこの場に慣れろという。

 相変わらず心臓はバクバクと鼓動を刻んでいる。雫が頬を伝って落ちた。

 

 チンッ、と合図が響く。ゆっくりと扉が開いた。

 財布の中からカードキーを取り出し、扉に当て、ロックを解除する。

 

 奥の廊下を歩くとそこにはガラス越しに雄大な景色の広がっている。

 そこかは幾つかの部屋に分かれている、まるでマンションのような場所。しかし間違いなくホテルの一室なのだ。

 

 ここは我が街、天舟市が誇る超高級ホテルのスイートルームであり、俺の自宅だ。

 

 何を言っているんだと思うかもしれない。

 もしこれを他人話せば脳の心配をされた後、さりげなく精神科に行くことを推奨されること必至。しかしこれは紛れもない現実だ。

 部屋中に漂う微かなハーブの香りを嗅ぐ度に、この訳の分からない状況が現実だと刷り込まれていく。調理される肉にでもなった気分だ。

 

「さて、灰清。始めましょうか」

 

「え、もうかよ?」

 

「敬語は、良いか。ここは学外だしね。それで、そうよ。今からするの」

 

「いやでも……」

 

「何を躊躇っているの。もう何十回としているのに。生活費が手に入らなくなっても良いのかしら?」

 

「…………わかったよ」

 

 それを言われれば黙るしかない。疑問を投げかけることは出来ても、最終的な拒否権は無い。

 刻魅にこうしろと言われれば、絶対にしなければならない。

 根本的な所で俺は逆らえないのだから。

 

「よろしい。シャワーを浴びて来なさい」

 

 有無を言わせぬ態度。たった一言で滲み出る支配者としての格を感じながら、俺は浴室へと入る。

 シャワーヘッドから出てくる心地良いお湯の感覚を味わい、頭と身体を丹念に洗い流していく。

 

(最悪……)

 

 正直、俺の身体は好きじゃない。自分の立ち位置を嫌という程わからせられる。

 垢よりも、汗よりも、何よりも穢れた落ちない汚れ。どれだけ質の良いボディソープを使っても、本当にどうしようもない。

 世界一醜いこの身体は俺にとって消えない呪いだ。

 

「……出ましたよ」

 

「よろしい。じゃあ、始めましょうか」

 

 ドライヤーで乾かし、まだ髪から熱が抜けきっていない。

 しかし刻魅は俺の腕を引き、ベッドへと導いた。

 

 思い出す。最初は欠片もこの状況が理解出来ずに、気がついたら朝になっていた。

 今は違う。諦観と逆らえない本能に浸食されかけている理性をもって、白い弾性に身をゆだねる。

 顔が暖かく、柔らかく豊かな人肌に包まれた。

 

 漂う甘い香りが更に理性を奪う。

 

 刻魅の手が俺の肌を這いまわる。今すぐにでも逃げ出したいといつまでも浸っていたいを同時に感じさせるというこの矛盾。

 それが最高の悦楽となって、ぎゅっと身を寄せる。

 

「ふふ、素直でよろしい」

 

 全身の筋肉が溶けていく。まるで湯煎にかけられたチョコレートのようにトロトロと。

 ゆっくり、ゆっくりと溶け、溢れ出す。透明な粘液がシーツに落ちた時、下ごしらえが完了したのだとわかった。

 唇を滑る舌の音。牙を突き立てる準備を整えた、捕食者の音。

 

 肢体は囚われ、抵抗する気力を奪われた獲物が勝てる通りなどどこにもない。

 赤ん坊でもわかるであろう現実がどこまでも恐ろしく、そして待ち遠しい。

 菓子の前で涎を垂らす幼子のように、ただそれを待ちわびる。

 

 俺と刻魅は肉体関係にある。

 どうしてこうなったのか、わかっているがそれでも偶に思い返す。

 恐ろしい出来事があって、それが俺達を繋ぐ縁になったことは間違いない。

 

 これは予感だが。

 また何か、この街で起きそうな気がする。

 刻魅が俺の身体を激しく貪る時はいつだって恐ろしいことの前触れだった。

 

 明日からは何が起きるのか。生きていられることを祈りながら、俺は目を閉じ思考を止める。

 まあ、なるようになるだろうさ。

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