少年と魔女   作:甘党からし

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魔女中毒ー③

吹き抜ける風に晒されて、俺は目を覚ました。

 ここはどこだろう、と暫く見渡して思案して、漸くここがカラオケ店にて一般開放されている屋上であるということに気がついた。

 

 穏やかな風が酷く冷たい。身体がブルリと震えて止まらない。

 

「――――――――――うぇ」

 

 記憶がフラッシュバックする。同時に胃の中の内容物が逆流する。

 誰も居ないこの場所で、込み上げる吐き気に逆らう気は起きずにされるがままに流される。

 口の中に広が苦くて甘い味。まさに先程の光景を表現したかのような。

 

「はァ、は、ハ、ア……」

 

 頭を抑える。

 最悪だ。とんでもないことをしてしまった。

 場に流されて、先輩の色香に飛びついて。人として、やってはならないことをしてしまった。

 

「く、ぅ、あぁあああああ…………」

 

 潰れそうなほどに胸が痛い。雑巾が捩じられ搾られているかのように苦しい。

 不純物を押し出すかのように涙と胃液が溢れてくる。

 だがどれだけ絞り出しても、雑巾から匂いが取れることなど無い。

 

「ちょちょちょ、大丈夫?」

 

 先輩が駆け寄って来る。手には自動販売機で見かけるペットボトルの水が一本。気を利かせて買ってきてくれたのだろうか。嬉しいが、今は来ないでほしかった。

 

「せ、せんぱい、俺…………」

 

「ん? ああ、うん。まあよくあることじゃん?」

 

 頬を掻きながら、先輩は朱色に染める。

 ただの悪夢ではないのかという思いは一瞬にして霧散する。

 

「ほら、水飲んで」

 

「んく……」

 

 冷たい水が込み上げる不純物を押し流す。

 少しだけ薄められ、楽になった気がした。

 

「そんなに気に病まないでよ。悲しくなっちゃうでしょ?」

 

「で、でも…………俺、」

 

「……嫌だった?」

 

「え?」

 

 また、耳元で声がする。羞恥と悲しみが籠った切なげな声。

 

「私とするのは、気持ち悪かった?」

 

 ああ、駄目だ。駄目だ駄目だ駄目だ。

 これ以上は絶対に駄目だ。逃れられなくなってしまう。もう首に縄はかけられている。錠を嵌めれば、もう後戻りは出来ない。

 だから、言え、言うんだ。言わなきゃ、終わる。

 

「私は、気持ち良かったよ?」

 

 やめて、やめてくれ。

 

「君のことは前から聞いてたんだ。強姦殺人犯の子供だって。最低なクズだって。だから見てみたかったんだ、どんな奴なのかなってね」

 

 声が形をなし、鼓膜を食い破る。そしてそのまま、脳内に侵入してくる。

 そんな幻覚を見た。

 

「酷いよね、君が悪い奴なんて保証どこにもないのに。君が悪い訳じゃないのにね」

 

「あ、あ、あの、俺は…………」

 

「気持ち良かったなぁ……。またしてくれる?」

 

「はぅ……」

 

 言われて、気がついた。

 もうとっくに後戻り出来なくなっていることに。戻ろうと思った時にはもう、何もかもが終わっていたのだと。

 

「好きだよ。大好き」

 

 何かが刺さった。感じる痛みの中心は、どこだろう。

 そうだ、心だ。俺の心はもうとっくに、心の臓に刺さってしまっていたのだと、今漸く気がついた。

 

 

 

 紅い三日月が出る夜は魔女の夜。

 人間の世界ではすっかり廃れて、伝承ですらなくなったそれも魔女の間では未だに根強く残っている。

 

 それはまた一人、新たな魔女が生まれた証明であり、それを祝して全ての魔女の力が滾る。今まで出来なかったことが出来るようになることで、多くの魔女が力を振るう。

 故に魔女の夜。

 

 そんな日に出歩いてしまった俺は、とことんまで運に見放されていたのだろう。

 

「はぁ、はぁ、はぁ、はぁ…………」

 

 死に物狂いで足を動かす俺の背後に迫る影。

 八本の脚が生えた蜘蛛のような怪物に捕まるまいと、俺はただひたすらに逃げていた。

 

「キョキョキョキョキョ! お待ち、お待ちよ可愛いボウヤ」

 

 まるで海外に同情する赤い蜘蛛男のように縦横無尽に動き回りながら、怪物は俺を追いまわす。

 だが奴にしてみれば俺はすぐに捕まえられる獲物に過ぎなかっただろう。

 何せその時、俺は足を怪我していたのだから。道を歩くだけで絡まれ、そうなった。その日の俺はとことんまでツイていなかったのだ。

 

 そんな俺を奴は甚振り、楽しんでいた。

 それが命取りとなったのだろう。何事も早めに終わらせるに越したことはないのだと、奴も焼き殺されたその瞬間に学んだはずだ。

 

「……………………?」

 

 朱色の光が刹那に消え、怪物の身体は灰と化した。

 何が起こったのかわからず、俺はただ茫然と伏しているだけ。

 立ち上がる時の肩が女性の脚に当たって、どうにか現実を受け入れた。

 

「……あなたは」

 

「……?」

 

 女性は俺の目を見つめ、俺の腕を掴んだ。

 立ち上がらせ俺の顎を持ち上げる。瞳と瞳が重なった。

 

「……一応聞くけどあなた、男よね?」

 

「……へ? そりゃあ、そうだろ?」

 

 答えはしたが、意味のわからない質問だった。

 

「そう。……あなた、私と一緒に来ない?」

 

 それは体裁こそ提案であると理解したが、実際のところは命令だった。

 有無を言わさず従えとだけ語りかけてくる女性に、思わず頷く。

 

「よろしい。龍王刻魅よ、よろしくね」

 

「あ、俺は寒空灰清……」

 

「そう、よろしく灰清」

 

 その日から俺は様々なことを教えられ、天舟市の様々な場所に連れまわされた。

 この世界には少ないながら魔女という魔法を使う女性が存在していることを。

 

「十六世紀までは溢れかえっていたみたいだけど、今じゃ随分少なくなっているわ。まあ絶滅危惧種という奴ね」

 

「それが、この街に?」

 

「外界から来た魔女は一人。でもその魔女が多くの魔女を生み出している」

 

「子供を作ってるってことか?」

 

「いいえ。そもそも魔女というものは先天的になるものじゃないわ。女性であれば、皆魔女になれるのよ」

 

 要はこの街には無作為に魔女を生み出す魔女が潜んでおり、そいつによって今までにない力を得たことで暴れ回る魔女が後を絶たないのだとか。

 

「力を手に入れれば人は暴走する、というよりはそうなるであろう人物を選んで魔女にしていると言った方が良いかもしれないわね。心と魔力は密接に関係しているものだから」

 

「それでお前はその暴れる魔女をどうにかしたいと」

 

「ええ。魔女が増えるのは喜ばしいけれど、今ある社会を壊されるのは困るのよ。悪逆に走る黒魔女を止めるのは、私達白魔女の使命でもある」

 

 そのためにどうして俺の力が必要なのか。

 それは俺の中にも魔力が溢れているかららしい。今までに無い事態だからこそ、手元に置いておきたいとのこと。

 それに俺が戦う必要は無いらしい。仮にも一般人だからと刻魅は告げた。

 

「あなたには魔女を惹きつける程の上質な魔力量が眠っている。それを私に供給して頂戴」

 

 それが俺達の関係の始まりだった。

 刻魅は魔女の存在を予感すると決まって、俺をベッドに連れて行く。

 俺はそれに抵抗せず、ただ迫り来る快楽の濁流を受け止める。

 

 嫌では無い。信頼されていると信じている。

 だが、ふと思った。俺は愛されているのか?

 

 魔法という未知の力を手にしたことで魔女となった人間は増長する。

 その力を活かし、人の心を踏みにじることを躊躇わなくなる。

 だがそれは魔法に限った話ではないのかもしれない。

 

 求めていたものが手に入ったことで欲することを止める人間がそう居ない。

 また新しく欲しいものが見つかり、それを求めて手を伸ばす。

 魔女だから危険なのではなく、秘めて諦めていた欲求が得たことによって顕在化する。

 

 俺もそうだ。一生手に入らないと思っていたものが、手に入ってしまった。

 俺の隣に、傍に、居てくれる人。例え義務でも良いから、居て欲しいと願っていた。

 

 それが叶ったら、それで満足? そんな訳がない。

 愛してほしい。少しの間だけでも良い、溺れるくらいの愛を。

 

「好きだよ、大好き」

 

 そう言ってくれる人が、俺は好きだ。

 

 やっぱり俺は最低だ。これじゃあ本当に売夫じゃないか。

 蛙の子は蛙ということか。

 

 ホテルに帰ってベッドに寝転がり、俺は唇を噛み締める。

 風呂から上がったら、もう今すぐにでも落ちてしまいそうだ。

 だがノックが聞こえてしまったら、そうも言っていられない。

 どうにか立ち上がり、ドアを開ける。

 

「……入っても良い?」

 

「ああ、勿論」

 

 寝間着姿の刻魅が入ってくる。今までならそんなこと無かったはずなのに、落ち着かない。

 共に机越しに向かい合って座る。そして、刻魅が口を開く。

 

「また、魔女が出たわ。最近起きている殺人事件。あれは魔女の仕業で間違いない」

 

「そっ、か。またか」

 

「ごめんなさい。またあなたを危険に晒すことになるかもしれない」

 

「……珍しいな。そんなこと言うなんて」

 

 本当に珍しかった。今までは機械のように伝えてくるだけだったのに。

 目を反らして、少しだけ苦いみたいな顔をするなんて、どうして。

 

「あなたは私が機械か何かだと思っているの? 私にだって心があるの。……好きな相手なんだもの、心配くらいするわよ」

 

「…………………………え?」

 

 今、刻魅は何と言った?

 好き? 俺のことを、好きと言ったのか?

 今までそんな素振りは微塵も見せなかったのに。

 

「……そっ、か。ありがとう」

 

「何であなたがお礼を言うのよ。それはこっちの台詞でしょう?」

 

 刻魅の顔に微笑が浮かぶ。

 ベッドの中のものとはまた別の、照れを滲ませた笑み。

 いつもどこか張りつめたようにしている彼女が初めて見せる、可愛らしい笑顔。

 

「あなたが居なければ、天舟市にはもっと被害が出ていただろうから。戦う私の傍に居てくれたあなたには感謝してる。恋をしてしまっても、おかしくないでしょう?」

 

「……」

 

「絶句って……。これでも結構勇気出したのだけれど、まあ良いわ」

 

 刻魅は立ち上がり、そっと俺の頬に唇を当てた。

 今までの貪るようなそれとは違う、優しく初々しい、乙女のようなフレンチキス。

 健全な学生であれば、後々に思い返してベッドの中で悶えるであろう、甘酸っぱいキス。

 

「……じゃあね、おやすみなさい」

 

 刻魅が出て行って、俺はベッドに倒れ込む。

 だが目は冴えている。疲れが消えた訳ではないが、それを気にする余裕は無かった。

 

「最低だ、最低だ俺…………」

 

 数時間前にあれほど流したはずの涙がとめどなく溢れてくる。

 屑、ゴミ、カス。今まで受けた罵倒がフラッシュバックし、俺を蝕んでいく。

 だが俺のしたことはそんなものに収まるものではない。俺は俺を信じる一人の少女を、裏切ったのだ。

 

 完全に人としてあるべき道を踏み外してしまった。

 だと言うのに。

 

 身体はまだ、先輩のことを求めてしまっている。

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