何の予定もない静かな平日の放課後
恵も佐藤達とケヤキモールに出かけていて、晩飯も食べてくるらしい
今日は部屋でコーヒーでも飲みながら読書に耽ろうかと、そう考えていたところ”だった”
そう、”だった”のである
ーーーピンポーン
今まさに本を手に取ったタイミングでチャイムが鳴り響く
重い腰を上げて玄関の扉を開けると、そこにはビニール袋を2つ下げた仏頂面の伊吹が立っていた
「ちょっとどいて」
「待て待て待て、何の用だ」
伊吹は俺のことを押しのけて勝手に部屋に突入し、止める間もなく台所前に荷物を下ろす
当然だが今日会う約束をしていたわけではない
「弁当。また作ることになったから手伝って。あんた料理得意なんでしょ」
「また堀北に何か言われたのか?」
「あいつ栄養がーとか、バランスがーとか、がーがーうるさいのよ」
伊吹は以前、堀北に挑発されて弁当を自作したことがある
その時の出来は酷いもので、生命の危機ほどの空腹でなければ2度と食べたくないほどだった
「俺の記憶が正しければ、”もう2度と作らない”、”弁当は買えばいい”って言っていなかったか?」
「はぁ?なにそれ、んなこと言った覚え無いし」
「・・・そうか。なら俺の記憶違いだ」
言っていたが、ここで言った言ってないの応酬は不毛なのでスルーする
可能なら手伝いを拒否して読書に戻りたいところだが、伊吹はここで料理する気満々だ
既に調理器具に手を出し始めている
しぶしぶ本を片付け、伊吹の横に並ぶ
「弁当を作るのは分かった。だが無報酬で手伝わせるつもりか?」
「なに、プライベートポイントでも欲しいわけ?」
「食材の量が明らかに弁当1つ分じゃない。使わなかったものを融通してくれ」
「余ったら全部持って行っていいわよ。どうせもう料理しないし」
「よし。契約成立だな」
気持ちを切り替えて取り掛かる
料理自体が嫌いなわけではないし、余った食材が手に入るならそこまで悪くない
今日のうちに調理を済ませ、明日の朝に詰めて持っていくだけの状態にすればいい
長くても1時間程度で終わらせられるだろう
その後に伊吹を帰し、ゆっくり読書を再開すればいいのだ
ーーーこの時はそう考えていたの”だった"
「ーーー待て待て待て、卵を電子レンジで温めようとするな。常識だぞ」
「ーーー醤油を入れすぎだ。それだと醤油の味しかしないぞ」
「ーーーそれは塩じゃなくて砂糖だ。そんなベタな失敗をする奴がいるか」
「ーーーバカ!小麦粉の袋をそんな乱暴に開けるな!換気だ換気!」
「ーーーあぶなっ!無理にフライ返しをするな!ハンバーグがこっちに飛んできたぞ!」
今日は思惑が外れてばかりだ
伊吹は致命的なまでに料理が下手で、こちらまで怪我をしかねない
目を離すと何をしでかすか分からないので、手伝うもなにもない
「おかしい。この前持ってきていた弁当はなんだったんだ。まだ食べられるレベルだっただろう。誰かに作らせたのか?」
「ぶっ殺すわよ。前回は数作って一番いいのを持って行っただけ」
「・・・なるほどな。そういうことか」
妙だとは思っていた
レシピは決まっていたのに食材の量が弁当5個分以上は存在した
適当に買ったにしてもさすがに多すぎると思っていたが、最初から失敗する前提だったのか
大量の食材が手に入ると浮かれている場合ではなかった
ーーーそれから2時間ほど料理という名の格闘が続いた
灰になった鮭は数知れず、コンロ周りは跳ねた大量の油で汚れていた
終わった後の掃除のことも考えてほしい
しかも伊吹の腕前は全く上がっていないのに、前回と違ってしっかり味見は欠かさず妥協してくれない
全く嬉しくない方向での成長だ
「・・・もうこれで良くないか。十分食べられる」
「全然ダメ。前に作ったのとあんまり変わらない。堀北が作ったのより不味い」
「俺は前の弁当が恋しいとすら思えてきたぞ」
食材ももうほとんど使い果たしているのに、おかずはまだ半分しか完成していない
だがもはや報酬のことなどどうでもいい
むしろ食材が無くなればこの時間も終わるだろうと希望を抱くほど、俺の精根は尽き果てていた
伊吹も限界が近そうだが、堀北への対抗心で抵抗を続けている
「あーもー、なんで上手くいかないのよ。こんなんだったらコンビニの弁当買ってそれっぽく詰めなおせばよかった」
「・・・そうだな。俺もそう思う」
伊吹は自分が言ったことなのに、俺が同意すると睨んでくる
「喉乾いた。なんか貰うわよ」
俺がなにか言う前に伊吹は冷蔵庫をあさる
せめて返答を待ってから開けてほしいものだが、それを注意するのも億劫だ
今のうちに壁に寄りかかって休憩する
「あんた、こんなのあるなら早く言いなさいよ」
「ん?」
いつの間にか伊吹は、冷蔵庫に入れておいた保存容器をいくつか取り出していた
中にはーーー俺が作り置きしていた煮卵やミートボールなどのおかずが入っている
「これ使えばいいじゃない。ちょっと借りるわよ」
「・・・はい。もうそれでいいです」
そのあと伊吹は味が問題ないことを確認すると、保存容器ごと自分の部屋に持ち帰った
借りると言っていたが、中身が返ってくることは無いだろう
俺に残されたのは余ったわずかな食材と、汚れた部屋や食器を片付けるという残業のみ
それでも俺は地獄のような時間が終わったことに、今までにない感動すら覚えていた
◇
翌日、伊吹の弁当のおかずを俺が作ったことは速攻バレた
なぜか俺も怒られた
あと伊吹はたまに俺の部屋に来て晩飯を食べるようになり、恵とよく喧嘩をしている