俺は今、未知の生物と遭遇した
「うぅ・・・ここ、どこ・・・」
放課後、一人でケアキモールに買い出しに行く途中
道中に並んだ端のベンチに迷子だと思われる3,4歳の男の子が腰を落としていた
凍える風が男の子の肩を震わせ、涙と鼻水で顔中を濡らしている
半分ほど隠れつつある太陽の日差しが後ろから刺し、暗い表情をより強調していた
高育内で高校生未満の人間を見かけるのは初めてだ
敷地は大きな塀や海で囲われているため、外から迷い込んだということは無いだろう
ここには俺以外にも数人の男女、それもケアキモールの従業員だと思われる大人も通りかかっている
できればその中に困っている人を見過ごせない一之瀬や表櫛田のような聖人がいてくれれば助かるのだが・・・
残念ながら神はおらず、そしてここには目を伏せ子供に気づかないフリをする薄情者しかいない
仕方なく俺が声をかけることにした
「保護者とはぐれたのか?それともここで誰かと待ち合わせか?」
「・・・ふぇ?ほご・・・?まちあわせ?」
まずは現状の確認が先決だ
目で見える限りでは間違いなく迷子だが、一時的に保護者がこの場を離れているだけという可能性もある
勝手に迷子と判断してここから連れ出すわけにもいかない
そう思って問いかけたのだが・・・
男の子は不安そうに俺を見つめ、そのまま硬直してしまった
すぐに答えが戻ってくるものと考えていたため、俺も何も口に出すことができない
俺との間に空白が生まれ、数秒が経過すると男の子はキョロキョロと視線を左右に振り始めた
まるで俺以外の誰かに助けを求めているようである
「うぅ・・・あ・・・えっと・・・」
しばらく男の子の様子に困惑したが、何も言葉にできていないことから察することができた
言語能力が未熟で質問の意味を理解できていないのか
俺の幼少期は特殊で、3,4歳の頃には日本語全般だけでなく英語まで学習を始めていた
男の子にもそれに近い言語能力がある前提で話しかけていたが、そもそもそれが間違いだったのだろう
”保護者”や”待ち合わせ”などの単語も理解できていない可能性がある
なら簡単な言葉だけで会話を試みるしかないわけだが・・・”簡単な言葉”というのが俺にとっては難しい
「”両親”・・・いや、”父親”や”母親”、これも違うな。”お父さん”と”お母さん”で分かるか?」
「えっと、えっと」
「・・・”携帯電話”・・・何か持たされていないか?」
「・・・ふぇ」
「”知り合い”・・・”お友達”は誰かいるか?」
「・・・ぐすっ」
いろいろ試してみても、男の子は戸惑うばかりだ
俺は今まで子供とまともに接触した経験がない
俺自身が子供の頃にホワイトルーム同期生と交わした会話が精々で、他には修学旅行で遠くに見かけたことがあるぐらいだ
どこまでの言葉なら理解できるのか、育った環境、泣かれた場合の慰め方、全てが未知だ
もはや俺だけではどうにもならない
親元に送り届けるまで責任を持つつもりではいるのだが、子供の方はむしろ俺を怖がっている様子だ
顔を俯かせ、俺を強く警戒している
ここは恵に電話をして助けて貰うしかーーー
「ーーー苦戦しているようですね、綾小路清隆。あなたにそんな弱点があったとは興味深いです」
「森下、か」
後ろを振り返るとそこには足を肩幅まで広げ腕を胸の下で組んだ、いわゆる仁王立ち姿の森下藍の姿があった
こんな寒い日にも関わらず両手にはそれぞれ別のアイスクリームが握られている
たなびくマフラーと相まって、さながら漫画に出てくる二刀流の剣士のような
「子供の扱いが全くなっていませんね。ここは一つ、私に任せてください」
「・・・・・・・ああ、任せた」
俺は思わず頭を抱えそうになった
・・・本人は得意げな顔をしているが、俺にとっては不安の種でしかない
こいつは経験が無いことでも自信があると言い張る悪癖を持つ
今までの付き合いからも一般常識やコミュニケーション能力からはかけ離れていることは分かっている
しかし、贅沢は言っていられない
少なくとも俺よりかは適任だろうと様子を見ることにした
「綾小路清隆、あなたの考えていることは手に取るように分かります。”俺様にできなかったことが貴様如きにできるはずがない”、そう考えているのでしょう?」
「・・・いや、そこまでは考えてなーーー「子供に話しかけるときはまず、目線の高さを合わせることが重要です。無理に上を向かせれば首が疲れてしまいますからね」
「・・・なるほど、それは盲点だっーーー「そして次に大切なのが笑顔です。子供は大人よりも人の表情に敏感です。あなたの表情に点数を付けるならば-10000
「・・・仏頂面なのは森下も変わらーーー「難しい言葉遣いもそうですが、話すスピードが早すぎるのも問題です。ゆっくり、一語一語、子供でも聞き取れるように」
会話はキャッチボールに例えられることが多いが、今は一方的に壁打ちにされている気分である
だが言っていることはまともで、俺には存在しなかった視点だ
俺以外の人間が現れたことで、男の子も心なしか期待の眼差しで森下を見ている
俺は男の子から少し距離を取り、森下の持っていたアイスクリームを預かる
そしてーーー
森下は腰を低く落とし、両腕を大きく広げて一歩一歩男の子に近づいた
その姿を傍から見ると、例えるなら鷹が両翼を広げ敵を威嚇しているようである
「・・・なぜ腕を広げているんだ?」
「っし!綾小路清隆、あなたは黙っていてください。・・・ほら、私はそこの男と違って怖くありませんよ」
「ひっ」
「そのまま、そのまま動かないでください。急に動けば怪我をしてしまうかもしれません。さぁ、そのままーーー」
「ふぇぇぇぇぇぇええええ!ママーーーーー!!!」
男の子は天まで届かんばかりに泣き叫び、落ち着くころにはすっかり太陽が隠れていた
◇
男の子の名前は鈴木翔太君だと後に判明する
高育に交番など存在しないので、俺は茶柱先生に連絡を入れた
すると教員やケアキモールの従業員が暮らす寮の中で子供がいるのは1家庭しかないことが分かった
それが茶柱先生の2つ隣の部屋に住む鈴木家であり、面識もあるらしい
すぐに鈴木家の両親に連絡を繋いでもらい、男の子の特徴から間違いなく鈴木家の子供である鈴木翔太だと確認が取れたのだ
電話越しに母親の声を聞いた翔太君は、今度は安心感から涙をこぼしていた
既にあたりは暗くなり、風もより冷たくなっている
ここで両親を待つのは翔太君にとって酷だろうと思い、寮まで送り届けることにした
翔太君は自分の足で歩こうとしていたが、ふらついていたので途中から俺が背負って歩いた
森下が羨ましそうに視線を向けていたが、こいつに渡すと何をしでかすか分かったものではない
翔太君はしばらく船を漕いでいたが、寮の前で待機していた母親と茶柱先生が見えると目を覚ました
「ママー!茶柱おばさん!ただいまー!」
「っな!お、おばさん・・・」
「こらっ!何てこと言うの!」
翔太君は母親に雷を落とされた
おばさんと呼ばれた茶柱先生はショックで膝をつき、しばらく立ち直ることができなかったとか