あなたとなら、きっと超えられる   作:渚 龍騎

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2話 日々の未来

 

 

 

 日本ダービー。最強のウマ娘を決定する一冠。ナリタトップロードは入院するトレーナーからリモートで告げられたトレーニングをこなしながら、皐月賞での敗北を乗り越えて励んでいた。

 最初は二人の不器用さが垣間見え、慣れないながらも二人はお互いに協力して支え合った。

 

 トレセン学園で勉学に励み、休みの時間にはトレーナーに連絡を取って無事を確認する。そして放課後はテレビ通話でトレーナーと話し合いながらトレーニングをこなす。それが終われば、ナリタトップロードはトレーナーの元に足を運んで見舞いに行き、その日にあった出来事を話す。日本ダービーまでの時間を、そうして過ごしていた。

 

 ナリタトップロードに掛かる負担は、トレーナーも理解していた。だがそれでも、彼女はその生活を止めようとせず、トレーナーの心配をしながらトレーニングを完璧にこなしていた。

 愚直ながらに真っ直ぐ、不器用ながらに器用であろうと、ナリタトップロードは努力した。

 そこで支えるのがトレーナーの役目。トレーニングの時間を多少なりとも削り、彼女の体調やメンタルを考えながらメニューを考え続けた。

 

 そのトレーニングの成果が功を奏して、日本ダービーではテイエムオペラオーを完全に抜き去ることはできたが、アドマイヤベガの強力過ぎる末脚に敗北。全力を出せた結果、惜しくもアタマ差で二着。

 日本ダービーでの敗北が、ナリタトップロードの心に深く突き刺さっていた。そしてトレーナーの病気が発病してから、約二ヶ月。

 

 

 

「…………トップロード?」

 

 

 

 リンゴの皮を果物ナイフで剥いているナリタトップロードだが、その名を呼ばれても意識はどこか遠く、視線もリンゴではなく遥か先へと向けられていた。

 朗らかに様子がおかしい。そんなことは一目瞭然で、トレーナーは溜め息を漏らしてから腕を伸ばす。そしてぼんやりしているナリタトップロードの頬に手を触れた。

 

「きゃっ……と、トレーナーさん?」

 

 短く可愛らしい悲鳴が、静寂に包まれていた真っ白な病室を一気に攫う。驚愕で見開かれた宝石がトレーナーを映している。ふるふると揺れる淀みのない瞳が、状況を理解できずに真っ直ぐトレーナーを見つめていた。そんな彼女に向けて、トレーナーは告げた。

 

「トップロード、無理してるでしょ」

 

 核心を突かれるが、ナリタトップロードは直ぐに首を振ってから笑みを浮かべた。

 

「いえ、私はすっごく元気ですよ!」

 

 立ち上がり「この通り!」と、その場で腕を振りながら満面の笑顔を取り繕う。だがその笑顔は、苦痛の上に貼り付けた嘘の色。誰よりも嘘と隣り合わせで生きて来ていたトレーナーは一瞬で理解できた。

 メンタルが弱るのも無理はない。真っ向勝負でアドマイヤベガに敗北。自信のあった走りを以てしても勝てず、勝利まであと一歩が足りなかった。

 それに加えて、応援してくれる人々とトレーナーのこともある。あらゆる重圧をその背中に受け、耐えられるはずがない。ましてやまだ高校生の女の子だ。

 

「トップロード」

「はい?」

 

 無理やり取り繕った笑顔で、ナリタトップロードは首を傾げる。その笑顔からは朗らかな疲労が滲んでいるのを、トレーナーは見逃さなかった。

 これでも数年は一緒にいるのだから、どれだけ嘘を重ねても直ぐに気が付く。ナリタトップロードは頑張り過ぎる傾向がある。今回ばかりはトレーナーの事がある故に仕方がない。不器用なりに努力しようとする意思は大きい。だからこそ「無理はするな」などと軽々しくは言えなかった。

 

 トレーナーはゆっくりと息を吐いてから、緩やかに微笑んでナリタトップロードに提案した。

 

 

 

「──付き合ってくれない?」

 

 

 

 告げてから数秒──笑顔のトレーナーに対し、ナリタトップロードの瞳が徐々に見開かれていく。そして口の中で「付き合う……付き合う……」と何度も呟いてから、ようやくその脳が言葉の意味を理解して驚愕。ウマ娘特有の耳と尻尾が引っ張られるように、ピンと張っては声を荒げ、告げられた言葉を改めて叫んだ。

 

 

「──付き合うッ!?」

 

 

 風の吹き抜ける音だけがさんざめく病室で、ナリタトップロードの驚愕が響く。跳ね上げた身体が、持っていたはずのリンゴを離して床に落とした。

 真っ赤に染まり上がる顔は、落ち始めていた太陽の所為なのか分からないが、朗らかにその頬は朱で塗り潰されている。動揺が見て取れた。その理由こそ分からなかったが、ナリタトップロードの視線は上下左右──落ち着きなく泳いでいた。

 

「つ、付き合う……って、その……それは……そ、そういう意味、で……えっと、あの……」

 

 ()()()()した様子で腕を抑えたり、頬に手を当て、更には膝を上下に揺らしていて落ち着きがない。瞳を泳がせながら、その目はトレーナーを避けている。視線を落として、人差し指に髪を巻き付け、最後には両手で顔を覆った。

 

「えっ、トップロード?」

 

 困惑して名前を呼ぶと、ナリタトップロードは照れ臭そうに「あはは……」と頬を掻いた。

 

「あ、あの……返事は……すぐにしないと、ダメですよね……」

「え? まあ、そうだね。早い方がいいかな」

 

 途切れ途切れに呟くナリタトップロードに頷けば、彼女は「よしっ」と自身の頬を叩く。自分を奮い立たせるように、弾かれた音を病室に響かせて真っ直ぐにトレーナーを見つめた。

 

「わ、分かりました……」

 

 大きく息を吸って、気持ちを落ち着かせながらゆっくりと吐く。そんなに溜める必要があるのか分からないトレーナーは、ナリタトップロードの行動に困惑で苦笑していた。

 

「そ、そんなに緊張しなくても……」

「い、いえ……すごく、本当にすごく大事なので」

「えー……?」

 

 笑って、トレーナーは「うーん」と唸った。

 胸に手を置き、覚悟を決めたナリタトップロードが、もう一度だけゆっくりと息を吸った。

 

 

 

「すぅ────」

 

 

 

 口を開け、覚悟を答える一文字目の直前──トレーナーがそれを遮った。

 

 

 

「──ただ買い物に行こうってだけだよ?」

 

 

 

 大きく口を開いたまま硬直。肺に溜め込んだ息が、ゆっくりと吹き抜けるように口から漏れ出す。そして数分前に聞いた言葉を脳内で幾度となく反芻させながら、その言霊を必死に噛み砕いては飲み込んだ。

 言葉の意味を理解し始めた身体は、芯から燃え上がるように熱を灯し始め、走ってもいないのに滲んだ汗が額から流れた。

 文字通り火が出るのではないかと錯覚するほどに顔が熱い。見なくても真っ赤に染まっているのだと理解できた。

 

 

「あ、あっ、あ……ああ……あ……」

 

 

 声にならない。言葉にもならない。恥ずかしさのあまりに、このまま燃え尽きて消えたい。なぜそんな勘違いを起こしてしまったのか、数分前の自分を殴りたい。冷静に、普通に考えれば分かることなのに、なぜ分からなかったのか。

 

 

「はぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁ…………っ!」

 

 

 声にならない声が、ナリタトップロードの喉から搾り出されるように漏れる。真っ赤に染まった顔から、溜まりに溜まった熱が放出されていき、ナリタトップロードは自身の頭から蒸気が出てるのではないかと錯覚した。

 顔を覆って、ふるふると何度も首を振った。

 

「えっ、ちょっと、トップロード?」

「み、見ないでください……!」

 

 そう言って、ナリタトップロードは頭を下げる。腰を完全に曲げ、顔を覆い隠したまま項垂れるように膝の中に羞恥心を埋めた。

 声を噛み殺す。込み上げる恥ずかしさを感情の内側に押し留めようとするが、その勢いはより一層増していくばかりでナリタトップロードの喉から「んん〜……っ!!」という声にならない声が、膝の中で籠った音となって病室に響いた。

 

「ちょっと、どうしたの……?」

 

 困惑で眉を寄せるトレーナーが、心配でゆっくりと手を伸ばす。だがナリタトップロードはふるふると力なく首を振り、その手を拒んだ。

 伸ばした手を引っ込め、トレーナーはなぜナリタトップロードが羞恥に包まれているのか理解しようとした。一分程度前を遡り、数分にも満たないあのやり取りの中で、どこに恥ずかしさが含まれていたのか。数秒だけ悩んで、自分の発言を思い返せば、答えは直ぐに理解できた。

 

「あー、そういう……」

 

 気高く、純粋過ぎる乙女の心が魅せた勘違い。喜びから恥ずかしさへと変換された感情は緊張から解き放たれて、羞恥の殻に包み込まれていた。

 その勘違いの理由に気が付いたトレーナーは、思わず苦笑。そして人差し指で照れ隠しのように頬を掻くが、トレーナーのその頬も僅かに朱く滲んでいた。

 

「あ、はは……」

 

 空笑いを溢して、トレーナーは微笑む。そしてゆっくりと手を伸ばし、羞恥で顔を覆い隠すナリタトップロードの頭を柔らかく撫でた。

 

「そんなにならなくても大丈夫だよ。なにと勘違いしたのかよく分かんないけど」

 

 嘘である。彼女の名誉を守る為に、と謎の庇護心を抱いて嘘を並べた。気が付いていないフリをして、斜め上を見つめながらナリタトップロードの頭を優しく撫でた。

 

「うぅ……」

 

 恥ずかしさで今にも蒸発してしまいそうなナリタトップロードを、トレーナーは優しく宥めながら彼女の感情が鳴りを潜めるまで、ゆっくりと待った。

 目の前の彼女を愛おしく思って、トレーナーは柔らかく撫で続ける。指の間に溶けるような金砂の如き髪を撫でていると、ようやく感情が収まり始めたナリタトップロードがゆっくりとその顔を上げた。

 今にも泣き出してしまいそうな顔──恥ずかしさのあまり真っ赤に染まり上がったその表情を見て、トレーナーは思わず吹き出した。

 

「なんて顔してるのさ」

「す、すいません……もう、恥ずかしい勘違いをしちゃって……そんなはずないのに……」

「ほら、こっち見て」

 

 ナリタトップロードの顔に両手を添えて、トレーナーは真っ直ぐその蒸れたリンゴのような顔を見つめる。淡い光の宿る瞳がトレーナーを映しながらも必死に視線を逸らそうと泳いでいた。

 無言が流れ、突然──トレーナーは更にもう一度笑いを吹き出した。

 

「すごい顔してるよ?」

「もうっ、トレーナーさん……っ!!」

 

 手を振り払って、ナリタトップロードは頬を膨らませながらそっぽを向く。小馬鹿にされて朗らかな怒りを表している様子だった。腕を組んで「酷いです!」と声を上げるナリタトップロードの頭を撫で、トレーナーは微かに微笑みながら宥めた。

 

「ごめんごめん」

「もうリンゴ剥いてあげませんよ」

「それじゃあデートの誘いも無かった事にするね」

 

 不貞腐れるナリタトップロードに対抗して、そんなことを告げると、彼女は今まで見たことがないほどに瞳と口を大きく開いていた。口に関しては痙攣するようにパクパクと上下させ、怒りの感情を完全に驚愕で塗り替えていた。するとナリタトップロードは直ぐに手を伸ばしてトレーナーの手を握り締めると、勢い良く首を横に振った。

 

「──行きます絶対に行きます! リンゴなんて何個だって剥きますし、トレーニングだって頑張ります! だから行きます!!」

 

 勢いに乗せて必死に首を振るナリタトップロードだが、トレーナーは悪戯な笑みを浮かべて「えー」と、意地悪地味た声色を唸らせる。そして人差し指を顎に置きながら、考える素振りを見せて呟いた。

 

「どうしよっかなあー」

「嘘ですから〜! ごめんなさいトレーナーさん! もう意地悪言いませんからあ〜!」

 

 駄々をこねる子供のように声を上げるナリタトップロードを一瞥し、その可愛らしさにトレーナーは我慢できずに笑いを溢した。

 ナリタトップロードの頭に手を置くと、ウマ娘特有の耳が僅かに倒れて彼女自身が撫でられるのを待ち、その耳の間を柔らかく撫でる。それからトレーナーは指を一本だけ立てた。

 

「それじゃあデートの日は、しっかりと俺の面倒を見ることね。分かった?」

 

 笑顔で告げられた提案に、ナリタトップロードは瞳に星を宿した勢いでキラキラと輝かせ、更には身体をベッドに乗り出してトレーナーに顔を寄せた。

 

「──はいっ!! 私に任せてください!!」

 

 胸に手を当て、自信満々に答えたナリタトップロード。鼻を鳴らし、デートの日に対する気合は万端。笑顔を取り戻したナリタトップロードの姿を見て、トレーナーも思わず微笑んだ。

 えへへ、と照れ臭げに指で鼻を擦るナリタトップロードが、ふと疑問を感じて首を傾げた。

 

「トレーナーさん、デートって……」

 

 なにが聞きたいのか、ナリタトップロードのその言葉を聞いてトレーナーは直ぐに頷いた。

 

「そうだよ。最近は様態が安定してるから、退院して様子を見ようって言われたんだ」

 

 トレーナーからそう告げられた直後に、ナリタトップロードの表情がみるみる明るい色に染まり上がり、トレーナーの手を握り締めて満面の笑顔を咲かせた。

 

「──良かったですねトレーナーさん!!」

 

 両手を大きく広げて、自分のことのように「やった!!」と喜びを身体全体で表しながらナリタトップロードは笑う。僅かに飛び跳ねて、握り締めた拳を「よしよしよし!」と振り、心の底から喜びが溢れ出ていた。

 そんな彼女のはしゃぐ姿に笑みを溢して、トレーナーは首を傾げた。

 

「俺が退院って、そんなに嬉しいの?」

「──はい! それはもうっ! すごく、すっごく嬉しいです!」

 

 顔をずいっと寄せて言い切ったナリタトップロードに圧倒され、トレーナーも思わず照れ臭く視線を逸らして頬を掻いた。

 

 なにせ初めての経験だった。

 厄介者だと、存在自体を否定され続けて来た。誰も必要とせず、最早この命に意味なんてないとまで追い詰められていた。だが目の前の彼女は、根底からそれを否定して、更には手を差し伸べてくれた。

 誰も喜ばず、誰も必要とせず、誰も見ない中で、ナリタトップロードだけは喜び、必要としてくれて、目を逸らさず真っ直ぐに見てくれた。それだけでどれだけ心が救われたことか。自分の事のように喜んでくれる彼女の為に、今はまだ死ねない。

 

「これが、こんなに嬉しいことだとは思わなかったな……」

 

 ただ〝生きている〟ことを喜ばれる。たったそれだけ。誰かの当たり前が、知らず内に自分の中で巨大なものへと成長し切ってしまっていた。

 近くにあることの大切さに、トレーナーは思わず微笑みを漏らしてナリタトップロードを見つめた。

 彼女を助けるつもりが、まさかの形で自分が救われてしまうとは思いもしなかった。

 息を漏らし、遠退く灼熱の夢に手を掲げてトレーナーは握り締めるようにその輝きを視界から消した。

 

「トレーナーさん?」

 

 呼ばれて、ゆっくりと振り返る。首を傾げたナリタトップロードに、トレーナーは顔を振って「なんでもないよ」と一言を告げながら、白い壁に掛けられた刻まれていく時計に視線を移す。そして棚の上に置かれたペットボトルを指差した。

 

「ごめん、それ取ってもらえる?」

 

 頼まれたナリタトップロードはすぐに「はい!」と返事をしてから、指が差されたその先にあるペットボトルと、その脇に置かれた錠剤を取ってトレーナーに渡す。だが、ペットボトルは渡す前に蓋を開けて、コップに水を注いでからそれをトレーナーに手渡した。

 

「ありがとう」

 

 感謝を告げ、トレーナーは手のひらに散った錠剤を一気に口へ放り込み、コップの水で喉に流し込んだ。たった数秒で行われた動きには、書き記された未来の地図を()()白紙に戻す力があった。

 苦痛にぶちまけられた未来を緩和させ、新しい未来を刻み込む為に命を繋ぎ止める。小さく纏まった錠剤に、それだけの力があるのは止まらず成長し続けてきた技術の賜物といえる。だからこそ、トレーナーの命は今もなお淡く炎を灯していた。

 

 

「それじゃあまずは、明日のデートについて話をしようか」

 

 

 トレーナーの提案に「はいっ!」と元気を取り戻したナリタトップロードが拳を握り締める。だがすぐにトレーナーの言葉が引っ掛かって、ナリタトップロードは眉を寄せてから「えっ?」と首を傾げた。

 

 

 

「──あしたぁ!?」

 

 

 

 ナリタトップロードの驚愕に「そ、明日」と笑顔で告げたトレーナーであった。

 

 

 

 

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