cal. 作:オタクは末端冷え性
分けようと思ったんですが、まとめちゃいました。
冗長です。
いつもより少し遅めのアラームで目を覚まし、部屋を出て顔を洗う。
歯を磨いて服を着替え階段を降り、リビング奥のキッチンに入る。
さて、わんこと変わらないならバナナトーストでも作ってやれば喜ぶだろうか。
バナナを適当な大きさに切り、そのままでは味気ないのでフライパンで簡単なキャラメルを作る。
音で気付いたのか、リビングの扉が開けられ問題の彼女が入ってきた。
「んん……ほんのうがひかれるにおいがします……」
眠そうに目を擦りながら、おぼつかない足取りで歩いてくる。
ロボットの本能ってなんだよ。
「よく眠れたか?」
「ふかふかのお布団ですぐに休眠に入っちゃいましたよ」
「来客用の高いヤツだからな、ベッドじゃないのだけ許してくれ」
「全然、大満足ですよ!」
ぐっと伸びをすると、よく見覚えのある笑顔を向けてくる。
「おはようございます、まばたき先輩!」
「おはよう。俺はまたたぎだ、アップデートしとけ」
「あれ?」
「おかしいなぁ」と隣で唸っている美春、否『HM-A05型 ミハル』。
人間みたいに動くロボットではなく、人間とほとんど変わらないロボット、アンドロイドというのが一番近いだろうか。
驚くべきは人間と見分けがつかない外見だけでなく、身体の作りも基本的には人体と同じであるという点。
根本の構造こそ違えど、外見機能や自律機能はほぼ人間と同じ、つまりは摂食機能から排泄機能まで備えている。
暦先生曰く、人間として扱えばいいとのこと。
「何をしてるんですか?」
「朝食を作ってる。バナナを使ったトーストだぞ」
「バナナ!あのバナナですか?!」
「あのバナナが何かは知らんが、お前のオリジナルが大好きなバナナだよ」
「やったー!!」
「もうできるから、向こうで座っててくれ」
「はい、楽しみにしてます!」
「バナナ~バナナ~」とご機嫌のミハルを尻目に、バナナにキャラメルを絡ませていく。
時は昨日の夜の話。
少し遅めに帰宅した俺を家で出迎えてくれたのは、美春だった。
「おかえりなさい、瞬木先輩!」
「ただいま。美春におかえりと言われるのは不思議な気分だな」
「えへへ~、美春は嬉しいですよ」
「暦先生は?」
「リビングで待ってます!」
リビングに入ると、暦先生と、見た目が後ろからついてきている美春と全く変わらない、もう一人の少女がソファに座っていた。
「随分と遅かったじゃないか瞬木」
「買い物もしなくちゃいけないんですから、多めに見てくださいよ」
「そうか、瞬木は一人暮らしだったね。ところでこの家って灰皿置いてない?」
「学生の家にあると思ってるんですか」
俺は買い物袋から銀色の灰皿を取り出して先生の前に置く。
一瞬目を丸くした暦先生だったが、「悪いね」とタバコを取り出して火をつける。
「そちらが?」
「あぁ。この子がHM-A05型、ミハルだ」
暦先生の隣に座っていたロボットのミハルは、ソファから立ち上がると視界から消えるほど深いお辞儀をする。
「今日からお世話になります!」
「世話されるのは俺なんだけどな」
「あれれ?そういえばそうですね」
椅子を2つソファの対面に持ってきて、隣に美春を座らせる。
「基本的なことは昨日話をした通りだ。本来は秘密裏に天枷の変わりに学園に通わせて、社会実験を行う予定だったんだが……」
「美春がお父さんにお願いして、先輩のお家でメイドさんをしてもらうことになったんですよ」
あの日、早朝に美春が家に訪れた後、美春はその足で天枷研究所に赴いて、父親である天枷博士に直接お願いをしたらしい。
ロボットのモデルを自分の娘にするぐらいの人だ。
博士は美春のお願いを二つ返事で受け入れ、今に至るという。
「とはいえ今回の件にあたってなにか特別な調整をした訳じゃない。依然として瞬木に頼みたいのはこの子の存在の秘匿と、ロボットであるということをバラさないことだ」
「勿論それは守りますが、ずっと家に留守番させるのはいささか可哀想では?」
「その点の問題はこれを使ってくれ」
そう言って暦先生が差し出してきたのは、いくつかのボタンが付いたテレビのリモコンのようなモノと書類。
「これは?」
「天枷と研究所に通知を送る装置だよ。詳しい操作法はそっちの説明書を読んでくれればわかるけど、外出させる際はそのボタンを押せばいい」
ペラペラと説明書らしき書類をめくってみるが、かなり大雑把な箇条書きで記載されている。
「これ急で作りましたね?」
「頭のいい瞬木なら、それでも十分理解できるだろう?」
タバコの火を消しながらニヤリと笑う暦先生。
今までテストサボってた嫌味かこんにゃろう。
「そのボタンを押せば天枷に通知が入って、なるべく室内などの目に入りにくい場所に移動することになってる」
隣に座る美春が少し袖を上げると、カラフルなリストアクセサリーがついていた。
「通知が入るとこれが薄く光るんですよ、ヒーローみたいですよね!」
本人は嬉々としているが、それはつまり美春の行動を制限することを意味する。
個人的にはあまり喜べる代物じゃない。
「分かりました、状況を考えて使うことにします」
「宜しい。とりあえず話すべきことは話したから、なにか問題があれば都度あたしに連絡くれればいいよ」
そう締めると、「そろそろ失礼するよ」と暦先生は立ち上がる。
「えー、折角先輩のお家に来たのにもう帰っちゃうんですか?」
「あまり遅いと妹が心配するからね。ほら、あたしが送るから天枷も帰るよ」
「は~い……」
ロボットのミハルには家の中で待っててもらい、二人を途中まで見送るのに外に出る。
「ありがとうな、美春」
「はい?」
なんの事かというような顔で首をかしげる美春。
「俺が脚を痛めたことを気にしてくれたんだろ、悪いな」
「何をおっしゃいますか!お礼を言わなきゃいけないのは美春の方ですよ」
その場でくるりと回って元気な笑顔で美春は言う。
「先輩が助けてくれなかったら、美春はこんなに元気じゃなかったかもしれないんです」
「無傷の可能性もあったぞ?」
「大怪我の可能性もありましたよ。だから美春の命を救ってくれた先輩のお役に立ちたかったんです」
「じゃあお互い様だな」
「はい!」
美春はご機嫌で先を歩いて行き、黙っていた暦先生が俺の隣に並ぶ。
「可愛い後輩じゃないか」
「自慢の後輩です」
先を歩く美春を眺めながら、ゆっくりと3月の夜道を歩く。
流石に夜はまだ冷える。
「あたしがいるから見送りは必要なかっただろう」
「あなたも女性でしょう。少しは自覚をもってください」
「随分と生意気なことを言うじゃないか。男としては及第点だけどね」
これは褒められているんだろうか。
「そういえば、この件ってことりは知ってるんですか?」
「知らないよ。あの子は関係ないから、あたしに連絡くれるときは気を付けた方がいいかもね」
「分かりました」
「……あの子には悪いことしちゃったかなあ」
「どういうことです?」
「こっちの話だよ、気にしなくていい」
しばらく歩くと通学路である桜並木まで来た。
ここまでくれば外灯も多く、道も比較的安全だろう。
「ここまででいいよ、ありがとう瞬木」
「いえ、美春をよろしくお願いします」
「あぁ。っと、ロボットの方で言い忘れてたんだが」
先生は声のボリュームを落として、小さな声で話す。
「あのロボットは外見や、基本の身体構造は天枷をモデルに作られてる」
「はあ」
「肌に触れた感触なんかも同じに作られてたりするわけだし、ロボット側も相応の感覚機能が備わってる」
「……はあ」
「つまり、そういうことも出来てしまうんだよ」
やっぱこの人ネジ吹っ飛んでるって。
「お二人とも、なんの話をしてるんですか?」
「……聞こえた?」
「何がですか?」
「よし」
「俺にどうしろって言うんだよ」
「ふぁい?」
「なんでもない」
バナナトーストを頬張るミハルを見ながら、ため息をつく。
「んぐ、瞬木先輩は食べないんですか?」
「食べるよ。ちょっと考えてただけ」
余計な事を考えるのはやめよう。
俺は自分のバナナトーストを口に運ぶ。
程ほどに上手く出来たんではなかろうか。
「上手いか?」
「はい!とっても美味しいです!」
嬉しそうに食べるミハルを見ながら、バナナトーストを平らげる。
「ごちそうさまでした!これがバナナの味なんですねぇ……」
「喜んでくれたなら、なによりだ」
席を立ち、食器を片付けて紅茶を淹れる。
「さて、俺はそろそろ登校するけど、一応最低限の家事はできるんだったな?」
「はい、ここ2日で美春さんに沢山教わりました!」
美春は学校を休んだ2日間で、ミハルに家事の経験を積ませたらしい。
美春の記憶をそのままコピーしてるだけあって知識自体は豊富だが、経験は一切なく、その乖離をなくすため一緒に家事をしたとか。
「じゃあ掃除や洗濯は任せる。今日は昼頃に帰ってくるつもりだけど、もし俺の帰りが遅かったら冷蔵庫のものを適当に使って構わないよ」
「お洗濯の時は外に出ちゃうんですが、大丈夫でしょうか?」
「家は塀が高いから外から見えにくいし、仮に見られても敷地内なら問題ない」
「??わかりました!」
「余った時間は運んできた荷物の整理や、欲しい物を書き出すとかして潰してくれ」
まぁ取り敢えずはこんなところだろう。
あとは。
「じゃあ、一応巻いておくか」
「はい!」
ミハルは首に下げているネジ巻きをテーブルに置き、こちらに背中を向けて着ている衣服をはだけさせる。
白く透き通るような肌に、ほんのうっすらと桜色が差しているその背中は、自然と視線を惹き寄せる。
そして背中の一部分には金属のプレートが埋め込まれており、中心に小さな穴が空いている。
「お願いしますね」
俺はネジ巻きを手にし、ミハルの背中に入れてカチカチと回す。
「あ、ん……」
「変な声ださない」
「ごめんなさい、つい」
そう、これがミハルのオリジナルと異なる唯一の外見機能であり、ミハルの動力源である。
補助機関としてソーラーパワーも備えているが、一体どうやったらゼンマイでこんな高性能のロボットが動くのか全く分からない。
ただあまり深く探ると、暦先生にそちらの道に引き摺り込まれそうなものだから、あえて何も考えないようにしている。
カチリと回しきった音が鳴り、ネジ巻きを抜いてテーブルに置く。
「終わったぞ」
「えへへ、ありがとうございます」
ミハルが身なりを直すまで、なるべく肌を見ないように目を背ける。
「これを毎朝か。青少年には酷な仕事だな」
「2日くらい持ちますから、毎日じゃなくても大丈夫ですよ?」
「なんかあったとき動けなくなったら困るだろ。まぁ念のためだよ」
「は~い、これからよろしくお願いしますね!」
天枷博士は随分と高尚な趣味をお持ちだと思う。
────────
ミハルのこともあり普段より大分遅い登校となって、桜並木を歩く学生はいつもより数倍多い。
今の時間は普通の学生からしたら丁度いい時間なんだろう。
「あれ、瞬木くん」
「ん、ピヨさん?」
「おはよっす」
「よっす」
後ろからかけられた、少しくぐもった声に反応して振り向くと、ことりがこちらに早足で追いつく。
その顔には白いマスクが着けられていた。
「どうしたのそれ」
「ちょっと悪化しちゃって……人に移すわけにもいかないですし」
「最近調子悪そうだなぁ」
「ごめんなさい、心配してくれてたのに」
無茶するなと言いたいところだが、卒パの練習を休みたくないんだろう。
昨日不安そうにしてたしな。
「瞬木くんはどうしたんですか?」
「ん?」
「瞬木くんがこの時間に登校するの、凄く珍しいなって」
「あー、朝色々あってなぁ……」
「じゃあその色々に感謝ですね」
マスクで隠れているが、ことりが笑っているのが分かる。
「こうして瞬木くんと登校するの、初めてですよ」
「そういえばそうか」
「工藤くんから聞いて、羨ましいなって思ってたんです」
「俺と登校するのがか?」
「はい」
「変わってんなぁ」
ふと、視線を感じて周りを見ると、俺が顔を向けると同時に顔をそらして歩く男が何人か。
十中八九、お目当てはことりだろう。
卒パまで残り少ないし、男共が焦る気持ちも分からないでもない。
ことりも卒パの練習があるからそこまで絡まれずに済みそうだが、人気者はやはり大変だろう。
「瞬木くんは今日はどうするんですか?」
「実はなんも考えてなくてなぁ。漠然とクラスの手伝いでもしようかと思ってたところ」
「じゃあ、もしよかったら音楽室まで遊びに来てください。午前中まで部屋を借りて練習してますから」
「ん、まあ期待しないで待ってて」
「期待して待ってますよ」
────────
「じゃあ、今日から卒業パーティーの準備に入るけど、なるべく出席するんだよ」
出席簿を手に、暦先生が教室から出ていく。
風見学園は随分と祭り事が好きな学園であり、クリスマスパーティーに卒業パーティーと寒い間は特に忙しい。
こと卒パは、クラスや部活に関係なく各々が好きな催しを自由に企画できるし、催し自体の参加も自由ときたものだ。
もはや学園祭と言っても差し支えないだろう。
「どうやら朝倉は暇をもて余しているらしい。瞬木、お前はどうするんだ?」
純一を見れば、顔を上げて机に突っ伏している。
「適当にうちのクラスの出し物を手伝うかなぁと。お前は?」
「フッ、付属の最後を飾るに相応しいものを、現在進行中だ」
「はぁ……巻き込むなよ」
「いつでも歓迎だぞ」
「ではな」と教室から出ていく杉並を見送ると、隣の純一も鞄を持ってゆっくりと立ち上がる。
「当てはあるのか?」
「ない。一応軽く見てまわってから帰るか決める」
「そうか。何か見つかるといいな」
「面倒はごめんだ」
手をひらひら振りながら純一も教室から出ていく。
さて。
「おーい眞子ー」
「ん、どうしたの瞬木」
「眞子はクラスの手伝いってするのか?」
「うん。クラスと音楽部のかけもちでね。午前中はこっちを手伝うことにしてる」
かけもちしてまでやるとは、気合い入ってるなぁ。
「あんたはどうするの?」
「とりあえず今日はクラスの手伝いでもしようかなって。なんかやれることある?」
「ほんとっ?でも今日は話し合いで午前中解散だし、あんまり作業も……あ、そうだ」
眞子はクラスの女子たちの輪に入ると、少し経ってこちらに戻ってくる。
「準備してた荷物があるから、それ運ぶのだけ手伝ってくれる?」
「はいよ」
「結構重いな」
「これから使う機材とか色々入ってるから。男手が少ないから助かるよ」
「このぐらいならまぁ。大丈夫か?そっちも結構重かったけど」
「え、うん。平気平気」
やたらと物が詰まった段ボールを眞子と二人で抱えて歩く。
俺が重い方を持って、眞子に比較的軽い方を渡したんだが、それでも女の子なら重いだろう荷物を眞子はまだ余裕そうに運ぶ。
さすが逞しいなぁ……。
「瞬木は明日も手伝ってくれるの?」
「んー、気分かなぁ。登校するかも気分だし、クラスを手伝うかも気分。これ運び終わったら音楽室の方見に行く予定だし」
「白河さんの?」
そうか、音楽部だから部屋を貸した相手もそりゃ分かってるか。
「そ。遊びに来てって言われてな」
「……ふーん。ま、クラスの方はいつでも手伝いに来てよ。みんな歓迎だからさ」
ミハルの様子も見たいし、明日はどうしたものか。
「ねぇ、瞬木」
「ん?」
「あんたってさ、白河さんと仲良いよね」
「そう見えるか」
「うん」
おっとこれは気まずい雰囲気になりそうな予感。
「よく中庭で一緒にお昼食べてるの見るし、今日は一緒に登校したって聞いた」
「そうだなぁ」
流石ことり関連の話は広まるのが早いな。
ガシャガシャと、段ボールの中の物が動く音と、遠くに聞こえる学生の喧騒が廊下に響く。
「好きなの?」
「……んー」
「どうなのよ」
「好きか嫌いかで言えば勿論好きだよ」
「……」
我ながら曖昧な答えで、男らしさの欠片もない。
「でもそれはお前にも言えることだし」
「え……」
眞子が弾かれたようにこちらを向くが、気にしない。
「俺から言えるのは、そんくらいかな」
「はっきりしないわね」
「返す言葉もない」
「……準備期間もあたしとお姉ちゃんはお昼屋上で鍋をする予定よ」
「ん?」
チラッと眞子の方に視線だけ向けると、前を向いてていまいち表情は分からないが。
「なにも言わないけどお姉ちゃん、あんたが来るの楽しみにしてるし、」
「あたしも、待ってるから」
髪からほんの少し覗ける耳が赤い。
「……気が向いたらな」
ひじで脇腹を小突かれた、いたい。
────────
「ありがと」と眞子の感謝を背に、教室から出て音楽室へ向かう。
廊下の窓から見える空は、晴天というには程遠い天気である。
そういえば朝、天気の確認するの忘れてたな。
「ん?」
音楽室の前まで来ると、扉は閉まっておらず何人か男子が部屋から溢れている。
様子を覗いてみると、中は野郎がごった返していて、ことりたちが見えやしない。
だが伴奏とことりの歌声は聴こえるので、これだけ聞いて退散しようと考えていたところで。
「ごほっ、げほっ……」
咳き込むような音が聞こえ、それに伴って伴奏が止まる。
どうやら無茶をしてるらしい。
「なんか咳ばっかしてるよな」
……。
「なんかなぁ」
「案外普通だな」
「期待外れっていうかさ」
周りの男子たちは、ざわざわと、口々に不平を発し始める。
奥からはことりを心配するような女子の声は聞こえても、言い返すような声は聞こえない。
非常に、気分が良くない。
俺は大きく息を吸い込み、肺に空気を入れる。
「すぎなみぃぃイイイイイイ!!!」
音楽室の中にいる男子たちも振り返り、こちらに注目する。
「ここ、人多いから、バクハツさせるのに、良さそうだぞぉぉおお!!!」
普通なら、何言ってるんだ、と白い目で見られて終わりそうな話だが、杉並という言葉が説得力を何倍にも引き上げる。
「お、おい」「やべえよ」「早く逃げようぜ」
その言葉に男子たちは慌てはじめ、一人が逃げ出したのをきっかけにぞろぞろと部屋から男子が出ていく。
最後の男子が出ていった後、携帯が震えたので開いて確認する。
『ノーカウントにしておく』
お優しいことで。
携帯をしまい、がらがらの音楽室に入ると、しゃがみこんだことりとその介抱をしている女子が二人。
「今日は瞬木くんの初めてが沢山です」
「珍しいか?」
「瞬木くんがあんな大声出してるの、初めて聞きましたよ」
「あはは」と、顔色の悪いことりが弱々しく笑う。
「なんか買ってくるよ。それまで大人しくしてること、いいな?」
控えめに頷くことり。
「そっちのお二人も、俺が出てったら部屋に鍵かけときな。戻ってきたら三回ノックするから」
「は、はい」
「じゃ、ピヨさんを頼んだよ」
さて、購買やってるかな。
「なかなか良い出来じゃない?」
扉の前にアケルナ、と赤文字で書いた紙を貼り付けて中に戻る。
ことりは壁際に寄せた椅子に座って俯いており、二人の女子はそこから少し離れてこちらを見ている。
各々、手には買ってきた紅茶が握られているが口はつけられていない様子。
ふむ、警戒されてる?
「ほれ、のど飴」
「あ……、ごめんね」
「調子はどう?」
「さっきよりかは楽になったんですけど、まだちょっと……」
多少顔色は良くなっているが、ことりの表情は依然として暗いまま。
「もう少し休んでなよ」
「うん、ごめんね」
「ありがとうだろ、オラ」
「あぅ」
軽くデコピンをしてやると、ことりは瞼をぎゅっと閉じておでこを抑える。
かわいいじゃねえか。
「瞬木君、ですよね?」
こちらの様子を見ていたちょっと声がハスキーな女の子の佐伯さん、通称みっくんが話しかけてくれる。
「ご存じで?」
「話だけは。ことりからしょっちゅう聞かされてましたから」
ことりを見ると、ことりは親しさを感じさせる眼差しでみっくんに睨みを利かせる。
「もう、それは言わない約束でしょう、おっかさん」
「お恥ずかしい限りで」
「大丈夫ですよ。いい話しか聞いてませんから」
「ともちゃんまで……もう」
もう一人の女の子である森川さん、通称ともちゃんも話に加わる。
どうやらある程度は気を緩めてくれた様子。
「二人とも、恥ずかしがり屋さんなんですよ。だから最初はああやって距離をとるんです」
「そんなこと言っていいのかな、ことり~。私たちはいつでも瞬木君に色々な話ができちゃうんだよー?」
「うー、みっくんとともちゃんはとっても良い子なんですよぉ」
よよよ、と泣く素振りをみせることりと、それを見て笑うみっくんとともちゃん。
大分雰囲気も和らいだな。
「そういえば瞬木君、さ。さっきのバクハツがどうとかっていうのは……?」
「絶大な効果だったでしょ。不思議なことにこの学園の男子学生を動かすには、コレが一番でね」
「……そうだったんですか」
笑みを浮かべてくれるともちゃんだったが、その笑顔に影が差す。
「入らないで下さいって、言ったんですけどね。後から次々とやって来て……」
さっきの様子を見るに、収まりがつかなくなったんだろう。
三人とも強く主張ができるタイプではないから、そのまま流されて、と。
「まぁ言うて俺も野次馬の一人だったわけだが」
「いえいえ、瞬木君はことりから来るって聞いてましたしっ」
「瞬木くんは良いんですよ。私がちゃんと誘った人なんですから」
俺の言葉にブンブンと手を振って否定するともちゃんと、少し自慢げなことり。
「期待しないでって言っといたんだけどな」
「瞬木くん、ダメなときはちゃんと断りますし、来なかったときは何かあった時だけですから」
「よく知ってんね、俺のこと」
「まだまだですよ。……けほっけほっ」
咳き込みつつ、ことりは椅子から立ち上がる。
「それじゃあ、そろそろ練習再開しよ。まだ一時間くらいは部屋を使えるでしょう?」
「大丈夫なのことり、今日はもう休んでも……」
「ううん、もうだいぶ良くなったから」
直前で咳き込んどいても説得力ないだろうに。
仕方がない。
「ピヨさん、ちょっと触れるよ」
「えっ?」
ことりの滑らかな白い首筋に、手を当てて小細工を弄する。
「ま、瞬木くん……?」
「そのまま」
「……うん」
目を閉じてことりに触れている手に集中すると、ことりの暖かい体温が手に伝わってくる。
……このへん、か?
「よし、もういいよ」
「あっ……」
首筋から手を抜いて目を開くと、他二人は顔を赤くして見ており、ことりはどこか目が虚ろで随分と血色がよく……いや良すぎるな。
「ま、瞬木君、今のは……?」
「んー、まじないかな」
「そ、そうですか……」
ともちゃんとみっくんは変な笑みを浮かべて視線をそらす。
そんな刺激が強かっただろうか。
「それじゃ、邪魔しちゃ悪いし俺は出てくよ」
その言葉でことりの瞳に色が戻る。
「聴いていってくれないんですか……?」
「いや、人を追い出しておいて俺が残るのもなって」
俺が部屋から出ようとすると、右手をことりに掴まれる。
引き留めることりの目は真剣で。
「聴いていってください」
「や、まあ」
「聴いて、欲しいんです」
「……わかりました」
俺が元の椅子に座り直すと、ことりは満足そうに微笑む。
「じゃあ、練習始めよう!」
時間ギリギリまでことりたちは練習を続け、時折感想を聞かれるぐらいで、俺はただその姿を眺めているだけだった。
終わりの時間まで、ことりが咳き込むことはなかった。
────────
「また来てください、ね」
鞄を取りに教室に戻ると、もう話し合いは終わっていたようで、教室は閑散としていた。
「あや、瞬木さん」
「紫さんだ」
教室には紫さんが一人、ついに雨が降りだした外を眺めて立っているだけで他は誰もいない。
「卒パ準備の帰り?」
「あや、お恥ずかしながらまだ課題の提出が終わっていなかったのです。瞬木さんは?」
「俺は手伝いでもしようかと。まぁ半分油を売ってたようなものだけどね」
紫さんがあるんだったら、純一ももしかしたら未提出の課題があるんじゃないか?
俺は自分の机に向かい、鞄を取って机の上に置く。
「課題はもう終わったの?」
「あい。さっき終わったので帰ろうと思ったんですが……」
「……雨?」
紫さんはその大きなクマの頭を少し下げながら話す。
「朝は降っていなかったから、傘を持ってきていないのです。私は雨に濡れることが出来ませんし……」
「不味いんだっけ、雨」
「あい……。水にびしょびしょに濡れてしまうと、制御装置が正常に働かなくなり、生命維持ができなくなるのです」
めちゃくちゃ深刻な話である。
「それは難儀だなぁ」
「このスーツも安物なので、完全防水という訳にもいかないんです。だから雨が止むまで待とうと思いまして」
どうしたもんかなぁ。
このままいつ止むかも分からないのに待ってるのも可哀想だし。
「じゃあこれあげるよ」
俺は鞄から折り畳み傘を取り出して、紫さんに投げ渡す。
「あやや、でもそしたら瞬木さんが」
「俺はこれからまだ暦先生に呼ばれてるし、その傘小さくて二人は入らないからさ」
「でも……」
「時間が潰せる俺より、帰るだけだし命の問題もある紫さんが使った方が良いでしょ」
説得するも中々良しとしない紫さん。
「それに今朝の予報だと、徐々に雨脚も強くなるって言ってたから帰るなら今だよ」
「あや……いいんでしょうか」
「気が引けるなら今度家にでも招待してよ、見てみたかったんだよねUFO」
「……あい、分かりました。ご招待するときは奮発して高いお菓子をご用意します」
「楽しみにしてる」
「それでは」と、傘を大事そうに持って教室を出ていく紫さんを見送り、自分の席に座る。
色々でまかせで何とかしたが、まぁ最善手だろう。
窓の方を見るが、外の雨は止みそうにない。
「本でも読むかぁ」
机に閉まっている小説を取り出して、挟んだ栞を机に置いた。
────────
「あれ、まだ帰ってなかったのか瞬木」
「ん、雨宿りをな」
およそ一時間ほど小説を読み耽っていると、工藤が教室に入ってくる。
「傘持ってきてないのか?」
「足が生えてどっかへ旅に出たらしくてなぁ」
「なんだよそれ」
工藤は俺の前の席に座り、顔を覗かせる。
「どうせお前のことだから、誰かに傘を貸したんじゃないのか」
「……よくご存じで」
お前といいことりといい、なんで分かるんですかね。
「そんなことだと思ったよ」
「どうせお前は傘持ってきてるんだろ」
「よくご存じで」
ニッ、と工藤は笑って答える。
「この雨って待ってれば止むか?」
「お生憎様、ニュースだとこの雨は夜半過ぎまで続くらしいぞ」
「無慈悲な宣告だな」
俺は栞を挟んで本を閉じ、机にしまう。
「まさか濡れて帰るのか?」
「止まないんじゃ仕方ないだろ。下手に雨脚が強まる前に帰るのが吉だ」
鞄を手に立ち上がり、未だ降り止まぬ雨をうつす窓を一瞥する。
恨むぞちくしょう。
「待って、……待ってくれ」
「なんだ?」
「え、っと……」
上目遣いでこちらを見ながら小さく呟く。
「傘、入っていかないか?」
工藤の傘は結構大きめで、ギリギリ寄れば二人とも肩に雫が垂れる程度だった。
俺の方が背丈が高いので、傘は俺が持たせてもらってる。
工藤は喋りこそしないものの、どこか気分が浮わついてるように見える。
「ん……」
「ど、どうした?」
「いや、前にもこんな香りしたっけなって」
距離が近いからか、はたまた湿気が強い影響だろうか。
前の時よりシトラス系の香りを強く感じる。
「やっぱり気になるか?」
「女家族でもいればそんな気にならないんだろうけどな」
まあつい最近女家族ができたんですけども。
「悪いな」
「あー、違う違う。悪い意味で言ってるんじゃないんだ」
どことなく暗さを出す工藤に否定を入れる。
「慣れてないだけであって、別に嫌な訳じゃないんだ。むしろ好きな方だよ」
「そっ、か」
「……ところでなんでそんなに緊張してるんだ?」
「そう見えるか……?」
工藤は周りを気にすると、声を小さくして話す。
「……い傘だし、こんなに近いのもな……」
「今までも割と近いことなかったっけ?」
「いや、その……今まで男子と思われてると思ってたから、女子って知られてると思ったら、ちょっとな」
「そんなもんかね」
「そんなもんだよ。お前もちょっとは緊張しろよな」
「畏まったってしょうがないだろ。そんなことより美人の隣を歩く喜びを噛み締める方が百倍マシだろ?」
「……はぁ」
工藤は一際大きな溜め息をついて、こちらを睨む。
「お前のそういうところ、本当に良くないからな」
「悪いな」
「……言われる身にもなれってことだよ、バカ」
「胸張ってりゃいいだろうに」
「ったく、そういえば今朝はニュース見てなかったのか?」
ようやくいつもの調子に戻った工藤が俺に聞く。
「なんで見てないと思ったんだ?」
「ほら、さっき雨が止まないか聞いてきたろ。見てないんじゃないかなって」
「ご明察。いつも欠かさず見てるんだけど、今日はちょっとわんこがなぁ」
「わんこ?お前、犬飼ってたっけ?」
「いやぁ、飼ったっていうか貰ったっていうか……借りた?」
「オレに聞くなよ」
そんな軽口を叩きながら歩いていると、程なくして我が家の前までたどり着く。
「悪いなここまで来てもらって」
「気にすんなよ、オレが誘ったんだし。でも感謝はしてくれよ」
「勿論してるよ。これをいつかのお礼にしてくれても良いぞ」
「それは……」
途端に工藤の歯切れが悪くなり、何かを言い淀んでいる。
「それは、ダメだ。お互いに一つ貸しってことにしよう」
「俺が損じゃない?それ」
「兎に角、またお礼は別にするから。それじゃあな」
足早に去っていく工藤を見届けて、肩に染み込んだ水を絞って抜く。
片腕分で済んだだけマシだな。
*────────*
屋敷の玄関で水を払い、水が滴っている傘を下げる。
「ただ今帰りました」
声は屋敷に溶けていくが、返事はない。
それはいつもの事。
「あれ?」
自分の部屋に戻り、学ランを脱ごうとして気付く。
濡れていない。
最初は肩に雫が落ちるのを見ていた筈なのに。
どこからだろう、緊張してた時かな。
それとも馴れてきた頃?
意味もない考えを巡らせて、自然と肩に手が伸びる。
瞬木君に雨が当たらないように極力詰めてたから、ずっと彼に触れていた肩。
時折わざとぶつかって温度を感じてみたりとか。
今更ながらに顔が熱くなってくる。
「前はこんなことで気になったりしなかったのにな……」
彼にバカと言ったが、本当のバカは一体どちらだろうか。
そうだ。
私だけが悪いんじゃない。
瞬木君も悪いんだ。
だから、もう少し、この温もりを。
「バカ……」
*────────*
「バカか?」
「バカは酷いですよ瞬木先輩!ミハルだって頑張ってみたんですよ?」
「確かに帰ってくるのが遅かった俺も悪い。俺も悪いが、なんだこれは」
「いやぁ、今朝のバナナとパンの組み合わせが美味しかったので、バナナとご飯も合うんじゃないかなって……」
「……味はどうだったんだ」
「あはは……別々に食べた方が、ミハルは美味しいと思いました」
「はぁ……ほら、俺の分もよそえ」
「え?食べてくれるんですか?」
「ミハルが作ってくれたんだろ。それに味の知見が広がるかもしれん」
「……先輩はやっぱり優しいんですね」
「一応言っとくが、この量だと今晩もこれだからな」
「はい!先輩となら美味しく食べれそうです!」
「だといいんだがな」
夜も二人で渋い顔をしながら食べた。