cal. 作:オタクは末端冷え性
長めです。
早朝五時。
客もいるということでもう少し早く起きるつもりだったが、疲労の影響かこの時間まで寝てしまった。
寝ていたソファから身体を起こし、バキバキと骨を鳴らしながら伸びをする。
洗面所で歯磨きと洗顔を済ませて書斎に向かうと、扉の隙間から明かりが洩れている。
「まだ起きてたのか」
「あれ、瞬木くん……」
扉を開けると、書斎の椅子で船を漕いでいるななこがいた。
「もしかして、もう、朝ですか?」
「五時だ。あれからずっと読み耽っていたのか?」
「そう、ですね。あたしが知らない本、たくさんあって、楽しくて……」
今にも寝てしまいそうなほど、首がガクンガクンと上下しており、頭をぶつけないか心配になってくる。
ななこは読んでいる本を閉じるとふらふらと立ち上がり、おぼつかない足取りでこちらに寄ってくる。
「ごめんなさい、瞬木くん……」
「ん?」
「あたし、楽しみにしてくれてる、読者さんたちの、期待に応えたくて……でも、恋なんてわかんないし、男の子のこと、なにも知らなくて……」
んん?なんか色々漏れだしてるな。
「瞬木くんに酷いことして、嫌われると、思ってたから、優しくしてくれて……胸が苦しくて……」
俺の前に来ても歩みは止まらず、そのままこちらにもたれるように倒れてきたので、肩をもって抱き止める。
女の子らしい柔らかさが、掴んだ肩を通して伝わってくる。
「ちょっと、ななこさん?」
「ずっと、分かんなかった、けど……きっと、これが……じめて…の…ぃ……」
俺の胸に額をつけて、完全に意識を飛ばすななこ。
分かってんのかな、俺男なんですよ。
どうしたものかと固まっていると、後ろで扉が開かれる。
「んんぅ……おはようございます、せんぱ……ァ……」
目を擦りながら様子を見に来たミハルが、こちらの姿を見て絶句する。
きっとミハルからは、俺がななこを抱いてるように見えるだろう。
「ま、まさか、ミハルにはベッドの残り香と温もりで我慢させておいて、お二人でムフフなことを……?!」
「んなわけあるか。デカい声出すなよ、ななこ寝てるから」
「え?」
さささと近づいてきてななこの様子を確認すると、ミハルは露骨に胸を撫で下ろす。
「良かった……越えてなかった……」
「なにをだよ全く……っと、ほらそこ通るぞ」
「あ、お手伝いします」
ななこをお姫様抱っこしてミハルの部屋に運び、ミハルに布団を退けさせてベッドに寝かせる。
「ぐっすりですね」
「身体もそうだろうが、精神的な疲労もあったんだろう。しばらくは起きないかもな」
書斎に戻り机の上を見ると、何冊か本が積まれている。
「やっぱり彩珠さんも恋愛モノがお好きなんですねぇ」
「……そうだな」
本は片さずそのままにして、夜食を乗せていた空き皿だけ回収する。
「今日はどうされるんですか?彩珠さんもいますし、学園はお休みします?」
「いや、いつも通り行く。ななこのことは頼んでもいいな?」
「一応大丈夫だとは思いますけど、いいんですか?」
「あぁ、多分起きたらすぐ帰るだろう」
ななこのことだ、これ以上世話になれないとか言ってすぐに出ていくだろう。
というか起きた時、さっきの寝ぼけて発した言葉は覚えているんだろうか。
……まあ別に問題ないな。
「ああそれと、言伝を頼む。帰り際にでも伝えてくれ」
「なんと?」
「また来いって」
────────
「あ、瞬木君。おはようございます」
「おはようです~」
「どうも」
音楽室前。
ここ数日こちらには顔を出していなかったので、様子を見に来た。
案の定俺が早く来すぎて誰もいなかったので、窓を開け窓枠に頬杖をつき外を眺めていると、ともちゃんとみっくんが一緒にやって来る。
「瞬木君、今日はお早いんですね。クラスの方はいいんですか?」
「あー、今日はちょっとね。念のためというかなんというか」
「クラスでなにかあったんですか?」
「いや、個人的に。多分大丈夫なんだけど」
決して眞子に臆してここに逃げてきた訳ではない。
アイツもそんな引き摺るタイプじゃないしな。
「ことりは……まだ来てないんですね」
みっくんは周りを見渡し他に人がいないことを確認すると、「あの~」と続ける。
「ことりと瞬木君って、本当につきあってないんですか?」
「みっくん……」
「まあまあ、ことりもまだ来てないみたいだし」
ともちゃんがたしなめるように名前を呼ぶが、みっくんは意に介していない。
「ことりもちょくちょく瞬木君の話をするし、この前の様子から見ても……その、凄く距離感が近かったですし」
「別にそのくらいならピヨさんに訊いてもいいんじゃ?」
「ことりにも訊いてみましたけど、顔を赤くして首を横に振るだけなんで。瞬木君なら正直に答えてくれるかなって」
「正直もなにも、ピヨさんの反応がそのまま真実だよ」
「なんだ、本当にそうなんですね」
いかにも残念と肩を落とすみっくん。
たしなめてはいたが、隣のともちゃんもなんだかんだ気になっていたようで。
「ことりって、特定の男子と仲良くすることが殆どなくて。あそこまで気を許してるのは瞬木君だけだと思うんです」
「そう?」
「はい。見ていても基本は友好的なんですが、壁を一枚隔てている感じで」
確かに、ことりが特定の男子と仲良くしている様子はない。
強いて挙げるなら工藤になるだろうが……工藤も男子とはカウントできないしな。
基本的に男女問わず優しく接するものだから、それに勘違いした男子どもは敢え無く散っていった。
「俺も最初はかなり避けられたからな。多分そこらの男子より余程壁があったと思う」
「そうなんですか?今じゃ想像もつきませんね」
「特定の個人を避けるのも、ことりにしては珍しいですね」
原因こそ分かっていたが、こちらで対処はできないのでことりを信じるしかなかった。
結果、ここまで仲良くなれたのはことりの成長に他ならない。
「むしろそんな状態からどうやって仲良くなれたんですか?」
「そうだなぁ」
繊細な彼女を傷付けないように、何もせず、敢えて彼女に興味を持たないよう接してた節はある。
あの頃は俺も『白河ことり』を知っているだけだったし。
あとはただお互いに好きな場所が同じで、よく出会っては他愛のない話をしただけ。
「いや、別になにもしてないな。いつの間にかこうなってた」
「なるほど、そこは教えてくれないんですね」
「話すようなことがないってだけだよ」
むむむ、と顎に手を当てて考えるみっくんと、隣で苦笑いしつつも止めてくれないともちゃん。
二人とも、俺なんかより余程ことりのことを大事に思っているんだろう。
「そういえば、なぜことりの呼び方がピヨさんなんですか?」
「言葉自体に意味はないよ。ただ名前で呼んでると周りの目がやたらと刺さってね」
学園のアイドルを名前で呼んでれば、そりゃあもう男子からの視線は刃物の如く鋭いものに早変わり。
俺なりの自衛、とでも言ったところ。
「じゃあ、せめて私達といるときは気を遣わなくても大丈夫ですよ」
「理解者の配慮は非常に助かる」
「珍しいな、ことりが遅刻とは」
集合の時間を過ぎて十分。
三人で談笑……いやほとんど取り調べみたいなものだったが。
ともかく待っていたがことりは未だに現れない。
「そうですね、遅刻なんて滅多にしないんですけど……」
時間が経つにつれて、徐々に二人とも表情が心配そうな面持ちに変わっていく。
「ごほ、ごほっ……ごめんなさい、遅れてしまっ……げほっ……」
更に十分経過してようやく姿を見せたことりは、マスクをして酷く咳き込んでおり、いかにも満身創痍といった雰囲気。
「ちょっとことり、大丈夫?」
「う、ん……だいじょう……けほっ……」
指でピースこそしてるものの、どう見たって大丈夫ではない。
「随分とやられてるな」
「ことり、昨日ライブを見に行ってたんです。ずっと楽しみにしてたから止めなかったんですけど……」
「ぶり返したんだな」
咳き込むことりの背中を優しく擦るみっくん。
元々万全ではなかったし、こうなるのも自明の理だろう。
「帰宅か」
「そうですね。私達はいつもの時間まで練習していくので、瞬木君にお任せしてもいいですか?」
「承知した」
支えになれればと思いことりの手を取るが、かなり熱っぽい。
「歩けるか?」
「はい……ごめんなさ……ううん、ありがとう……」
「はいはい」
「じゃあ私達も後でお見舞い行くから、ちゃんと家で休んでてね」
「うん……」
みっくんとともちゃんが音楽室に入っていくのを見送って、ゆっくりと手を引く。
「行くか」
「はい……」
「迷惑、かけちゃいました……」
「元気になったら、二人に謝らなきゃな」
「うん……瞬木くん、にも……」
「俺のことはいいよ。後でたくさん叱ってやるからな」
「きびしく、おねがいしま……ごほっ」
ゆっくりとした歩幅でなんとか学園からは出れたものの、このままだとことりの家に着くのはまだまだ先になるだろう。
なにより辛そうに歩いている姿を隣で見ているのも心苦しい。
「あんま体力には自信ないんだが……」
「え……?あっ……なにして……?」
スカートだからな、念の為に。
一度ことりの手を離し、上着を脱いで袖の部分を後ろからことりの腰に巻き付ける。
そしてことりの前でしゃがみ、準備完了。
「ほら、おぶるよ」
「そんな、大丈夫です、よ……」
「問答無用。乗った乗った」
俺が話を聞く気がないと察して諦めたようで、ことりは背中に乗って腕を首元に回す。
「じゃあ……おねがいします、ね……」
「ん」
しっかりとことりの脚を掴んで立ち上がる。
うん、まあなんとかなりそうだな。
「重く、ないですか?」
「精々五割くらい増やしてから気にしな」
どいつもこいつも軽くて困る。
栄養どこに回してんだ。
「眠かったら寝てもいいぞ。道は大体わかるから」
「ううん、寝たくない……」
顔が近く、ことりの苦しそうな呼吸音が直に聞こえる。
「瞬木くん、が……こんなに近いの……けほっ、けほっ……初めて」
「そうだな」
「あたたかい、です」
「熱のせいじゃないか」
「ドキドキ、してます……」
「風邪のせいだろうな」
「……私、は」
「ん?」
「私は……ずっと、このま、ま…………」
おそらく相当無理をしていたんだろう。
安らかな寝息が耳元で聞こえる。
「俺は元気なことりの方がいいな」
起こさないように、なるべく揺らさずに歩く。
ナビゲーションがなくともことりの家は知っているが……今日はあの人家にいるんだろうか。
ろくなこと言われないんだろうなぁ。
「なんだ瞬木……ああ、そういうことか」
「お届けに上がりました」
インターホンを鳴らして暦先生を呼びこちらを確認した先生は、一目で事情を察してくれた。
「ことりは……寝てるみたいだね。悪いがそのままベッドまで頼めるかい?」
「御意に」
ことりを部屋のベッドに寝かせて俺はさっさと引き上げるつもりだったが、先生に待ってろとリビングで待機命令が下された。
何もできずラジカセから流れるクラシックを聴いていると、少しして暦先生が戻ってくる。
「待たせたね、ことりを着替えさせるのに時間かかっちゃって。そっちも手伝ってもらえばよかったよ」
「俺になんの恨みがあるんですか」
「冗談だよ。別にあの子も嫌がりはしなさそうだけどね」
「コーヒーでいいね」とリビングに戻ってきてすぐに先生は飲み物を用意し始める。
「そんなに長居させるつもりですか」
「一杯程度じゃそんなにだろう。あの子に付き添ってくれたお礼も含めてだよ」
「それはどうもと言いたいところですが、お休みだったのならそもそも学園に行かせないこともできたのでは」
「休みじゃないよ、あたしだって早退だ。それにあの子もあれで頑固だからね。あたしが言った程度じゃ聞かないんだよ」
手前のテーブルにコーヒーが置かれる。
砂糖とミルクがついてる、やったね。
「ことりの出し物にも色々と手貸してくれてるんだって?」
「お誘いを受けまして。でも俺はなんもしてないですよ」
「学園の許可も得ず音楽室にかんぬきまで付けてなにもしてないはないだろう」
「反省も後悔もしてません」
「別に責める気はないよ。あの子たちの為だっていうのも聞いてるし、むしろ感謝してる」
んー、全部筒抜け。
風通しのいい情報網って素敵ですね。
「にしても瞬木も忙しそうじゃないか。ことりたちの手伝いに水越たちとクラスの手伝い。月城の様子見にウチの協力とは」
「月城さんとミハルの件は先生の影響でもあるのでは?」
「そっちだって、別にあたしが言わなくてもやっていただろう?ならあたしのせいじゃないね」
「ごもっとも」
砂糖とミルクを混ぜ、コーヒーを口に含む。
やっぱり甘いのが一番
「で、誰が本命なんだい」
……はあ。
「本命とは?」
「そのくらいの年でこれだけ女子に関わってればそういう想いも生まれてくるものだろう?」
「まあ、そうでしょうね」
「今ならあの子も部屋で寝ているから聞いてない。あたしも誰を選んだって何も言わないよ」
先生の表情は至って真剣であり、冗談で言っているようには見えない。
やはり無理矢理にでも早く帰るべきだったな。
「申し訳ありませんが、答えられません」
返答が気に入らなかったようで、先生の表情が険しくなり、部屋の空気が凍る。
「……どうしてだ。お前のことだから、弄んでることはないと思ってたけど」
「弄んでいるつもりはありません。ですが俺の事情や目的を、貴方にお話しすることもできません」
「それを聞いてあたしがこれ以上ことりに近寄るなって言ってもかい」
「構いません。貴方がそう言うのなら、俺から近づくことは誓ってしません。ですが先程貴方も言ったでしょう。ことりは強情ですよ」
「……はあ」
張り詰めた空気が、先生の溜め息で幾分か収まる。
「あたしってマジになると結構凄みあると思うんだよね」
「元が綺麗な人って大体そうでは?」
「お世辞言ったってなにもでないよ。……あんだけ詰め寄っても何も言わないなら、無駄だろうね」
「理解や納得を得たいとは思いませんよ。申し訳ないなとは思いますけど」
「どうしたもんかねぇ」
腕を組み、天井を見つめて考える先生。
立場が逆なら、俺だって同じ心配をするだろう。
「なら少し話を変えましょう。先生はこの島の桜についてどう思います?」
「なんだい?話題を逸らすにしては随分と拙いけど」
「無関係という訳ではありませんよ」
「……ふむ。まあ普通に考えて、普通ではないね」
「それだけですか?」
「生物工学はあたしの分野ではあるけど、あたしは工学に寄ってるからそこまで詳しくなくてね」
手を上げて首を横に振る先生。
研究者である貴方がその程度の興味しか抱いていないのが、俺にとっては不思議なんだが。
「桜はかなりデリケートな樹木であり、気温や傷などの要素によって強い影響を受けます」
「そのくらいはあたしでも分かっているけど」
「知ってますか?この島の桜は、枝が折れたところでその木が枯れるということは一切ありません」
聞いていた先生の眉が上がる。
「試したのか?」
「まさか。なんらかの影響で折れたものを観察しただけです」
「偶然その木が問題なかっただけでは?」
「勿論一本二本ならそうでしょう。問題は、傷が確認できた桜全てがそうである、ということです」
「……どういうことだ」
「気温や傷などより、遥かに強い影響によって保護されている、ということです」
どうやら話に興味が出てきたようで、先生の姿勢が徐々に前のめりになってきている。
コーヒーに口をつけ、喉を潤しながら話を続ける。
「それで、それとどんな関係があると?」
「小腹が減りましたね、和菓子でも食べましょうか」
「はあ?」
急なハンドル操作に困惑する暦先生。
「なにが食べたいですか?」
「いや、話の続きは」
「いいから、なにか食べたいものありませんか?」
「……じゃあ、最中を」
「渋いですね。どうぞ」
「……は?」
急に俺の手の上に現れた最中を見て、先生は呆けた顔をする。
なかなかにやりがいある反応をしてくれるな。
「ま、瞬木。今お前、なにを?」
「なんですか、一つじゃ足りませんか?仕方ありませんね。ほら二つ目」
「まて、待ってくれ。あたしは今なにを見て……?」
「魔法です」
「……冗談だろう?」
「信じていただかなくても構いませんが、受け入れていただかないと話が進めません」
目の前で急にこんなものを見せられて、魔法が存在するなんて言われても、はいそうですかと理解できる代物ではない。
あまりに常軌を逸した行動に、先生は立ち上がってひたすら目を擦り続けている。
「あたし、今寝てる?」
「女性を叩くのは趣味じゃないんで、ご自身で頬を叩いてみては?」
「いや……いや大丈夫だ。それで魔法が何に……まさか」
「お察しの通り、先程の桜の話はそういうこと。まあなにが言いたかったのかといえば、魔法は存在し、様々な種類があるということを伝えたかったんです」
ぼすん、と先生は崩れるようにソファに腰を落とす。
口は半開きで、眼鏡がずり落ちそうになっており、いつもの知性を感じる姿ではない。
「大丈夫そうですか?」
「大丈夫な訳あるか……こんなことが現実にあって、こんな近くにあったなんて」
「頑張って下さい、あとちょっとで話しが終わりますから」
「ここまで話しておいて全部じゃないのか?」
「一端ですよ。さて、魔法は誰しもが使えるわけではありません。基本的には血筋が影響します」
「魔法使いの血筋ってことか」
「はい。俺もその血筋を引いているので魔法が使えますが、例外があります」
「例外?」
「なにかを媒介とすることで、後天的に人に魔法を授けることが可能ということです」
「じゃあ、あたしにも使えるということか?」
「媒介と授けてくれる相手がいれば。魔法は本来秘匿されるべきものなので、一般人に授けるなんてよほど物好きなババ……失敬、物好きな魔法使いくらいです」
危ない危ない、もしあの世に行けた時に粉微塵にされるのは流石に勘弁願いたい。
「それに、授けられる魔法によってはその人の人生が大きく揺らいでしまいます。大人ならお分かりいただけるでしょう?」
「当たり前だ。こんなものが存在していたら、人間それに頼りたくなる」
「そう。急に魔法を得た人間は、端から見れば人が変わったように見えるでしょう。加減を知らない子供なら、なおさらに」
何かに気付いたのか、先生の表情が固まる。
「……ことり」
「魔法は無限に使えるわけではありません。後天的に得たならば、その媒介が失くなればその魔法も失くなります」
「あの子は、なにを」
「子供の頃から頼ってきた魔法が急に使えなくなれば、その人間は必ずパニックになります」
「まて瞬木、ことりは」
「いずれにしろ、深い傷が残ります。あのお節介が蒔いた種は、彼女たちを救えるほどのものですから」
「待てと言ってるんだ!じゃああの子は魔法を……!」
「声が大きいです。ことりが起きてしまいますよ」
諌めると、先生はハッとして感情を抑える。
「あの子は……魔法が使えるのか?」
「ことりが授かったものは、ことりが過去のトラウマや苦悩から逃れるためのものです。誰かに危害を与える類いのものではありません」
「そう、なのか……」
「ですがそれが失くなれば、彼女は確実に前の姿に戻るでしょう。その辺りは先生がご存知では?」
「……あの頃のことりは、自分の殻に閉じ籠って誰にも心を開いてくれなかった。姉妹になったあたしにも……」
「それを俺がなんとかします」
空となったティーカップをテーブルに置く。
ラジカセからかかっていたクラシックはいつの間にか消えていたようで、カップの金属音が部屋に響く。
「長々と話した上でもう一度言いますが、理解や納得を得たい訳じゃありません。先生がことりに近寄るなと言うなら、別の方法をとるだけです」
「今の話を聞いて、あたしがそれを言えると思ってるのか?」
「俺が先生に見せられる最大の誠意です。魔法のことは他言無用ですよ?勿論ことりにも」
「分かってる……あの子の為なんだね?」
「俺がなんとかしたいと思っているのは、ことりだけじゃありません。でも必ずなんとかします」
「……はぁ、分かったよ。あたしが悪かった」
「俺が先生の立場なら、同じようにしましたよ」
反応としては先生の反応が一般的だろう。
自分の大事な妹を、訳の分からない男に任せるなんて出来るはずもない。
「……よし、決めた」
「ん?」
「瞬木、ことりの看病をしないか?」
「はい?」
先生は開き直ったかのように、あっけらかんととんでもないことを言い出す。
「いやーあたしさ、前から瞬木とことりってお似合いだなって思ってたんだよ」
「どうしました?ことりの風邪もらいました?」
「いやいやマジで。さっさとくっついてくれないかなーってずっと思ってたんだよね」
「急にネジとんだなあんた」
この人の定期的にパーツ吹っ飛ぶイベントなんとかならないか?
「冗談で言ってるんじゃないよ。前からそう思ってたのは本当だし、今なら任せてもいいと思ってる」
「魔法とかよく分からんこと抜かす小僧ですよ?」
「それが存在するって証明したのは瞬木だろう。それに、ことりの為を思って行動するなら側にいた方がなにかといいだろう」
「いや、実際準備はもうできてるから別に側にいなくても……」
「なんだ、ことりじゃ嫌だってことかい?」
「ねえ話聞いて?」
駄目だ、無敵になりつつあるぞこの人。
「別にことりのことを放っておいたら、この島が爆発するとか、そういうことはないんだろう?」
「ないです。ていうか何それ怖い」
「じゃあ、瞬木はなんでことりを助けるんだ」
中々に答えづらいことを聞いてくれるな。
「……若くして付いた深い傷は、大人になっても消えません。時間が癒すとはよく言いますが、それは傷の痛みを我慢できるようになっただけです」
「だから、あの子を助けるって?」
「あとは……まあ、青春を失くして欲しくないってだけです」
「別にあたしはそんな難しいこと聞いてないよ」
首を横に振って否定する先生。
「……では何を?」
「ことりが好きだから、助けたいんだろう?」
「……」
「うん。その様子ならまんざら脈なしって訳でもなさそうだね」
「ヤな探り方しますね」
「大人ってのは卑怯なもんだよ」
満足そうな顔でこちらを見る先生。
視線が暖かくてなんかつらい。
「月城やミハルのことを任せた手前、その子たちを蔑ろにはして欲しくないけど、ことりのこともしっかり頼むよ」
「分かってます。今更言われたところで何も変えるつもりはありません」
「じゃあ看病の件も頼んでいいな?」
「いや、それは任せられましても……」
「実際問題さ、あたしも両親も仕事があって家にことり一人だけを残すのも心配なんだよ。あの子の為だと思ってさ」
くっ、断りづらい理由を並べおってからに……
「あとはまあ、いい感じになってくれたらあたしが言うことはなんにもないね」
「断りたい」
「あ、病人なんだから手出しちゃ駄目だよ」
「断りてぇ」
「やるなら元気になってからにしな」
「断りてぇ!」
はっはっは、と笑う先生。
この人俺のことからかって遊ぶ時めちゃくちゃ楽しそうなの非常にムカつく。
「じゃあどうせことりも嫌がらないだろうから、後で時間とかも本人に連絡させるよ」
「はあ……分かりました」
「なあ瞬木」
「はい」
ひとしきり笑った先生が真剣な表情で俺を呼ぶ。
「あたしはさ、よくわからない魔法とか、そんなもののことはどうだっていい」
「ただあたしはことりが大好きで、何より大事なんだ」
「瞬木があの子の為に何かしてくれてることは感謝してる」
「でもたとえ瞬木でも、ことりのことを泣かしたら、あたしは承知しないからね」
「……善処します」
「そこはもっと自信を持って言って欲しかったよ」
出来れば俺も、そうありたいと思ってる。
────────
時刻は夕飯も食べ終わった夜の時間。
「じゃあ案の定ななこはすぐに帰ったんだな」
「はい。お世話になりましたって忙しなくお帰りになられましたよ」
「言伝は?」
「ちゃんと伝えました。喜んでましたよ」
「そうか」
不意に、机に置いた携帯が震える。
「お電話ですか?」
「ああ、でてくる」
携帯を持って外に出て、ディスプレイを確認すると知らない番号。
まあおそらく例の電話だろう。
「もしもし?」
『あ、もしもし……瞬木くん、ですか?』
「ああ。ことりだな?」
『はい。良かった、ちゃんと瞬木くんで』
「そりゃあ俺の携帯なんだから、俺しか出ないよ」
『私、電話で話すの苦手だから、番号間違えて違う人にかけてたらどうしようって思って』
「なるほど」
いつもよりほんの少し緊張しているような喋り口だが、些細な違いだ。
「どうだ、その後調子は」
『少し前に目が覚めたんですけど、お陰さまで大分良くなりましたよ』
「なら良かった。じゃあ例の件は先生からもう聞いて?」
『あ、はい。瞬木くんが、その……看病に来てくれるって』
「そう、その話。今の様子だと別にことりも大丈夫そうだし、俺が行かなくても」
『だ、ダメ!』
突如として発されたことりの大きな声が耳に響く。
『ご、ごめんなさい……大きな声出してしまって』
「あー、大丈夫。ちょっと驚いただけだから」
『あ、えっと……元気にはなったんですけど、まだちょっと熱が引いてなかったりするから、その』
「分かった、行くよ」
『ほんとに、来てくれますか?』
「約束する」
電話口から小さく息を吐く音が聞こえてくる。
『ごめんなさい、迷惑かけてしまって』
「問題ない。それに今日は叱れなかったから、明日ちゃんと叱らないとな」
『ふふ、楽しみにしてます』
「時間はどうする?」
『そう、ですね。お昼過ぎくらいであれば、いつでも待ってます』
「了解。じゃあ、また明日な」
『うん。待ってるね、バイバイ』
通話が切れる。
家からの電話だったようだが、念の為番号の登録をしておこう。
携帯をいじりながら家に入り、再びリビングに戻る。
「おかえりなさい。どちら様からだったんですか?」
「ん、病人。診察が必要なんだってさ」
「先輩ってお医者さんだったんですね」
「ああ、スーパードクターだぞ。なんたって風邪を貰うことに定評があるからな」