cal. 作:オタクは末端冷え性
文書けなくなって気づいたら半年近く経ってました。
本当に申し訳なく思います。
「今日は音楽室行かないんだ?」
「そう邪険にしないでくれ。午後は用事あるから、少し手伝っておこうと思ってさ」
「……そんな意地悪く言ったつもりないわよ。ほら、そこの油性ペン取って」
クラスの手伝いを申し出たところ、眞子に連れられて教室の隅で看板作りを命じられた。
若干トゲがある眞子を宥めつつ、手元の作業を進める。
「ほい」
「ありがと。それで、どうだったのよ」
「なにが?」
「一昨日の話。あの後どうしたのかなって」
「あぁ、暫く待ってたら来たぞ。デートなんざ殆どできなかったけど、ちゃんと謝ってくれたし問題なかった」
あれからまた五時間待ったなんて言おうものなら、また眞子の機嫌を損ねるかもな。
「ふーん。じゃあ結局あたしの早とちりだったわけか」
「結果的にはな。ただあの状況なら間違いなくお前の方が正しかったし、なにより心配してくれてたんだろ?」
「まあ、ほんの少しね」
「ありがとな」
「……別にいいわよ」
横目で見れば頬を赤くしており、気を紛らわせるように作業している眞子。
理想のツンデレヒロインじゃないか?
「そっちのカッター貸してくれ」
床を滑らせて手元に届けられるカッター。
「で、その子とは付き合うの?」
「は?」
「は、ってあんた、デートするような仲の子なんでしょ?」
「あーいや、相手は相手でデート自体が目的じゃなかったし、俺はあくまで相手役を頼まれただけだからなぁ」
「なにそれ、ホントにデートだったわけ?」
「名目上はな。そっち押さえててくれ」
少なくとも頼まれた時点でななこにそんな気はなかっただろうし。
俺の正面に回り、眞子が看板の上部分をしゃがんで押さえる。
「なんだ、そうなんだ」
「非常に残念なことに、俺の青春は引き続き曇り空なわけ」
「可哀想」
「そこはせめて励ませよ」
嬉しそうに憐れむ眞子。
そんな笑顔で憐れまれても、哀しいだけなんですけど。
「そういえば他の子に聞いた話なんだけど、胡ノ宮さんが同好会作ったんだって。なにか聞いてる?」
「いいや何も。なんで俺に聞くんだ?」
「だって瞬木、たまに胡ノ宮さんと一緒にいることあるじゃない。仲良いんでしょ?」
「程々だろ。純一ほどではないし」
「そりゃ朝倉は許嫁なんだし、朝倉と比べたら当たり前じゃない」
もうクラスで公認の関係だから、純一はさぞ息苦しかろう。
あれだけの美人に慕われてる訳だし、ちょっとくらい男子の鋭い視線でサンドバッグにされても文句は言えまい。
俺なんてことり関係で学園中が敵だし。
「あたしもなにかあれば話すんだけど、積極的に話すほどまだ仲良くなれてないのよね」
「人を慮れるいい子だよ。出来れば仲良くしてやってくれ」
「あんたは父親かなにか?」
「お前の耳にも届いてるだろ。胡ノ宮さんの噂」
あれから変わりなく、胡ノ宮さんは各所で起こる悲劇を退ける為に奔走している。
それゆえに、周囲が彼女に向ける視線も依然として冷たいものばかり。
しかし眞子はくだらないと言わんばかりの表情で答える。
「あんなのただの噂でしょ」
「皆がお前のみたいな考え方だったら良かったんだがな。ただでさえ転校生ってことで味方が少ないからさ、誰かが支えてやってほしいんだよ」
「それこそ朝倉に任せればいいじゃない」
「……それが出来れば、一番いいんだけどな」
本来なら一任したいところではあるが、これから先を考慮すると純一に任せるのは無理だろう。
あいつが胡ノ宮さんのことを気にかける余裕も、日を追う毎に失くなっていくはずだ。
うまくやってほしいところではあるが、純一にも役目がある。
「特別棟の方で教室を借りてるらしいから、様子見てくれば?」
「そうしてみるかな……っと。これでいいか?」
「うん、いい感じじゃない。じゃあ今日はこれで勘弁しといてあげる」
眞子に看板を渡し、立ち上がって伸びをする。
「優しいね、瞬木は」
「性分なだけ」
「それを優しいって言うのよ。正義の味方みたい」
「……馬鹿言え」
こんなエゴの塊が、正義なんて背負えねぇよ。
────────
教室を後にして特別棟を少し歩いていると、『巫女同好会』と達筆で書かれた木の看板がぶら下がった教室を見つける。
どこか厳かな雰囲気を感じ取れなくもないが、とにもかくにも非常に分かりやすい。
扉をノックすると「どうぞ」と胡ノ宮さんの声が聞こえ、教室に入る。
「どうも」
「あっ、瞬木様でしたか」
どことなく残念というようにも、ホッとしたというようにも見える反応で迎えられる。
換気をしていたのか、窓が開けられた室内はほんの少し肌寒さを感じる。
部屋には胡ノ宮さんがただ一人。
出来たばかりだからか部屋にまだそれらしい要素はなく、強いて言うなら胡ノ宮さんが巫女服姿でいることくらいだろうか。
「悪い、入部希望かなにかと勘違いさせたか?」
「その、はい。申し訳ありません、来ていただいたのに失礼を……」
「謝らなくていいよ。俺も冷やかしとなんら変わらないし」
「あまり卑下なさらないでください。私は来ていただけて嬉しいですから」
優しく微笑んで歓迎してくれる胡ノ宮さん。
しかし部屋を見た限り、他に誰かの荷物などもなく、若干の寂しさを感じる。
「本日はどうして巫女同好会に?」
「理由はないよ。同好会作ったって聞いたから、ただ様子を見に来たってだけ」
「……もしかして、心配してくださったんですか?」
「してないとは言わないけど、心配というよりは興味かな」
「ふふっ、そうですか。でしたらそのように受け取っておきます」
目を細め、口元に手を当てて上品に笑う胡ノ宮さん。
胡ノ宮さんは俺よりしっかりしてるし、むしろ心配する方が失礼な気さえする。
「違ったら申し訳ない。もしかして、部員はまだ誰も?」
「はい……最近巫女に興味を持つ方が増えましたので、どういうものかを知ってもらいたくて部を作ろうと思ったんです」
現状の胡ノ宮さんの立場を鑑みるに、巫女を知ってもらうついでに彼女への誤解が解けるいい試みだろう。
「ですが告知が遅かったのもあって、現在はまだ私一人だけなんです」
「そっか……こればかりは待つしかないな」
「そうですね。少しずつ皆さんに知っていただければと思っています」
切っ掛けがあれば人も増えるだろうが、さて。
「瞬木様、まだ時間に余裕はおありですか?」
「昼までなら暇といえば暇かな」
俺がそう答えると、胡ノ宮さんは立ち上がり部屋にあるポットに向かう。
「でしたら、お茶を飲んでいかれませんか?」
「いいの?」
「はい。せっかくのお客様ですから、ゆっくりしていってください」
急須にお湯が注がれ、可愛らしい湯飲みにお茶が淹れられる。
「それに、私も一人では少し寂しいんです」
「……勝手なイメージで悪いんだけど、胡ノ宮さんはそういう弱音は口にしないと思ってた」
「がっかりさせてしまいましたか?」
「いいや。無理して自分の中で抱え込むより余程いいと思う」
お盆を胸に抱きながら、胡ノ宮さんは困り気味に微笑む。
「なんとなく、です」
「ん?」
「誰にでもという訳ではありません。ただなんとなく……漠然とですが、瞬木様には寄りかかってもいいと思えるんです。ご迷惑でしょうか?」
「好きにしていいよ。別に拒否するつもりはないし、それで君が楽になるなら喜んで添え木にもなろう」
こちらから視線を外した胡ノ宮さんは、部室の窓際に歩み寄り、外を眺める。
艶やかな黒の髪が窓から入るそよ風で揺れており、その表情は見えない。
俺は湯飲みを手に取り、淹れてもらったお茶を啜る。
「瞬木様は、好きな女性はいらっしゃらないんですか?」
最近それっぽいことをよく聞かれるな。
「ノーコメント」
「いないとは仰らないんですね」
「ご想像に、ってやつだよ」
こんなのはどう答えたって煙は立つし。
少しの沈黙の後、再び彼女が口を開く。
「最近、朝倉様とあまり話せていないんです」
「……そうなんだ」
「近頃は音夢様の……いえ、風紀委員のお手伝いをされているようで、多忙なご様子でした」
自由登校になってから俺も殆ど話してないが、こちらが教室と音楽室を行き来する際にも純一と音夢さんが一緒にいるのは見かける。
「瞬木様は、よく本をお読みになっていますよね」
「嗜む程度の趣味ではあるね」
「源氏物語をお読みになったことはありますか?」
「前に原典を読んだことはあったけど、その時きりかな。最近だと古文の授業で少し触れたっけね」
「原典?原文のことでしょうか?」
「あーそうそう、原文」
「お読みになったことがあるんですね。私、原文の源氏物語が好きなんです」
今の世の中でアレを好んで読む子が何人いるだろうか。
しかも原文ともなれば読みづらいことこの上ないだろうに。
「源氏物語の女の人たちは、自分が源氏にとって唯一ではないとわかっていても、皆好きな人のそばにいたいと思っていて……それって女心だなと」
「……」
「相手が自分を好きじゃないと思っていても、片想いでもいいからそばにいたい……それが乙女心だと、私は思うんです」
人が人である以上、どうしたって嫉妬はする。
もしそうありたいと考えているのなら、耐え続ける君に幸せはあるのだろうか。
「……分からないな、俺には」
「男の人って、たくさんの女の人を好きになれるものなんでしょうか」
「それはまあ人によるところだろうけど」
「瞬木様はどうですか?」
どう、なんだろうか。
「……好きになること自体は、できる」
初めての問いに、断言できるような自信はないけど。
「でも、平等に愛することはできないだろうな」
「最も憧れが大きい人を一番愛してしまうだろうし、贔屓が生まれれば結局皆を悲しませる」
「だから多分、俺が愛せるのは一人が限界だと思うよ」
自分が一途であるとは、断じて言えない。
だからこそ、俺はこんなことをしているんだし。
「正直なのですね、瞬木様は」
「きっぱりと一人しか愛せないと言えれば、格好がついたんだけど」
「いいえ、決して不恰好ではありません。見栄を張らず、ありのままを語るというのは、性別関係なく難しいですから」
「そういうものかな」
「そういうものですよ」
俺だって軽いノリで聞かれれば、誤魔化すなりして話を逸らすところだが、彼女の声音がそうさせなかっただけで。
「……朝倉様は、どうなんでしょう」
ふと、胡ノ宮さんの口から漏れた問い。
俺に聞いた訳ではないだろう。
彼女の小さな呟きを乗せた春の風は、まだ少し冬の冷たさを感じた。
────────
「あ、瞬木!」
「ん?よう工藤」
巫女部で適度にくつろいだのち、商店街あたりで何かしら胃に入れようと学園から出るところだった。
少し離れたところから、工藤がこちらに駆け寄ってくる。
「なんか二人で話すの久しぶりだな」
「久しぶり……か?いってもこの前の雨以来だろ?」
一週間も経ってないよな?
「ええっと……ほら、授業があったときはもっと話してただろ?」
「確かに」
なぜか慌てて補足する工藤。
朝は大体工藤と話してることが多かったし、言わんとしたいことは分けるけど。
「瞬木は帰るのか?」
「帰るというか、見舞いに行く感じだけど」
「お見舞い……もしかして、ことりか?」
「知ってるのか。ピヨさんから聞いてたりする?」
「いや、オレは休んでることしか知らないけど……お前がお見舞い行くのか?」
「まあ色々あってな。なぜかそうすることになった」
行かなかったらまず間違いなく先生に海の藻屑にされるだろう。
それにことりとも約束してしまった訳で、逃げ道なんてありはしない。
「そっ、か。じゃあ、ちゃんと休めって伝えといてくれよ」
「ん、任されよう」
そう話す工藤の表情は、取って付けたような笑顔。
どうも今日は、いつもと様子が違う。
「それで?」
「え?」
「呼び止めてわざわざ駆け寄ってきたくらいだし、なんか用があるんだろ?」
「あっ……いや、その……」
歯切れが悪く、胸の前で手をぎゅっと握りしめている工藤。
次第には下を向いて黙り込んでしまった。
「なんだ、今更言いづらい話か?」
「……いや、やっぱり大丈夫だ。それじゃあことりによろしくな」
「あ、おい」
こちらの言葉を聞かず一方的に会話を終了して、来たときと同じように駆けていってしまった。
用事に思い当たる節はあるが、こちらから言い出す訳にもいかない。
こんな立ち回りしてるが故の弊害だな。
────────
来てしまった。
ことりを背負っていないのに、ここに来るまでの足取りは昨日に比べ遥かに重かった。
そう、俺はただお見舞いに来ただけで、気負う必要はどこにもない。
ピンポーン、と。
閑静な住宅街にインターホンの音が響き渡ったかのように錯覚する。
数秒してインターホンから返事が聞こえた。
『はい』
「どうも、瞬木です」
『あ、今開けますね』
端的なやり取りだけしてガチャン、と受話器が戻された音がインターホンから響く。
「いらっしゃい」
開けられた玄関の扉から、ことりが半身を覗かせる。
「入っていいですよ」
「ではお邪魔を」
扉をくぐり家の中に入ると、パジャマ姿のことりに迎えられた。
綿のような作りの黄色いパジャマで、本人は手を後ろに回して恥ずかしそうな素振りをしている。
「パジャマだと、ちょっと恥ずかしいですね」
「恥じらう美少女ってのは眼福だな」
「……もう。こっちですよ、上がっちゃってください」
頬を染め柔らかく笑う様子を見るに、体調は悪くなさそう。
先生、俺帰っても問題なさそうですよ。
ことりに着いて行き、彼女の表札が掛かった部屋に案内される。
「どうぞ」
ご丁寧にドアを開けて招き入れられ、部屋に入るとことりはととと、と隠れるようにベッドに入り込んだ。
「なにをそんな急いでベッドに」
「えっと、なんだか恥ずかしくなっちゃいまして……」
残念、珍しい衣服での立ち姿だったからもう少し見ていたかったが。
俺は側にあった椅子に腰を下ろす。
「それに一応病人ですからね」
「見た感じ調子は悪くなさそうだが、どうなんだ?」
「……ほんとは、もう看病なんて必要ないくらいには快復してるんです」
ばつが悪いといった感じの表情で、ことりが話す。
「昨日、お姉ちゃんがお医者さんに連絡をとってくれて」
「あぁ、先生の旦那さんにね」
「あれ?お姉ちゃん、瞬木くんにお話したんですか?」
「昨日ちょっとだけ先生と話をしてて」
結婚どうこうの話はしてないけど。
まあ相手がいるのバレてるって先生も薄々勘づいてただろうから、聞いた体で話を進めても問題ないだろう。
「私が瞬木くんに電話した後、お姉ちゃんがお義兄さんに連絡して無理言って来てもらったんです」
実にあの人らしいな。
妹が大好きと明言するだけのことはある。
「もういい時間だったのに、嫌な顔ひとつせず来てくれて……お姉ちゃん、素敵な人を見つけたなって思います」
「あの人が悪い男に引っ掛かるのは想像できないな。俺みたいなのは一蹴されるか、よくて実験材料だ」
あの人からしたら魔法が使える未知の存在だから、嬉々として俺の身体をバラすだろう。
んー悪寒がする。
「瞬木くんがお姉ちゃんと、ですか?」
にこやかだった表情が一変、真剣な面持ちで目を伏せることり。
「いやです。瞬木くんがお義兄さんは、嫌です」
「おぉ、そうか。まあifの話だよ」
「あ……ご、ごめんなさい。瞬木くんが嫌って意味じゃないですよ」
「大丈夫。そんなひねくれた捉え方はしてない」
ことりが焦ったように補足するが、別に気にするようなことじゃない。
そうか、弟の方がいいのか。
いやでもこんな姉がいたら絶対気が気じゃないから俺が困る。
「そんなありもしない話より、今は目先の話だ。卒パまでに完治するのか?」
「そこは大丈夫そうです。痛い注射を我慢した甲斐もあって、二日も休めば元気いっぱいですよ」
「そうか。ならそれまで絶対安静だな」
また無理に身体動かして風邪がぶり返すなんてことになったら、それこそ悲惨なことになる。
「心配、してくれたんですよね?」
「そりゃまあね」
「……友達だからですか?」
毛布を口元が隠れるまで上げ、窺うようにこちらを見つめる二つの瞳。
「それもある」
「それ、も?」
その先が知りたいと、期待するような眼差しと、赤みが差した頬。
どれ、応えてあげよう。
「当日病欠で中止になったら、一緒に練習してる二人が悲しむだろ?微力だが手を貸した身として、それは心が痛む」
「それはそう、ですね」
「昨日もあんな絶不調にも関わらず、鞭打って登校してきたんだ。大人しく休めるか心配にもなる」
「あぅ……ほ、他には?」
「君の大好きな姉君の、情に訴える説得に屈したのも一つ」
「お姉ちゃん、なに言ったんだろう……」
「まだまだあるぞ。聞くか?」
「うぅぅ~……」
思っていた返答とは真逆だったのだろう。
次々と小言を並べられて、先程まで期待で輝いていたことりの目には涙が溜まっている。
まずいな、昨日泣かせるなって脅されたばかりなのに。
少しは正直に答えるべきか。
「……まあ色々あるのは確かだけど、一番は憧れだからかな」
「憧れ?」
「そう。ことり達にとってはなんのことか分からないだろうけど、俺にとって君達は憧れの存在でね」
椅子から立ち上がり、ベッドに近づく。
「瞬木くん……?」
ベッドの端に座り、横になっていることりに手を伸ばす。
「長い夢を見てるみたいだ。ずっと画面越しに見ていることしかできなかったのに、今やその存在を直に感じることができる」
伸ばした手がことりの頬に触れると、指先を通して彼女の温度が伝わってくる。
「んっ」
「だからなんだろうな。たとえこの風邪がシナリオ通りで大事ないものだと分かっていても、どうしたって不安になる」
存在を確かめたくて、その輪郭をなぞるようにゆっくりと指を滑らせる。
「ぁ……」
「俺が関わった時点で本来の道筋から逸れてしまうこともある。状況が下振れする可能性を考えれば、関わらないのが最善手だ。けど俺は」
コンコン、と。
ノックの音がした数瞬後に、部屋のドアが開けられる。
「やほー、ことり。玄関に靴あったし、瞬木も来て…るん……」
部屋に入ってきた暦先生がこちらを見ると、まるで時が止まったかのように表情はおろか身体の動きがフリーズした。
「あ、どうも。お邪魔してます」
俺が軽く挨拶をすると先生は正気を取り戻し、考えるように顎に手を当てる。
「病人だから駄目とは言ったけどさ。まあ若さの前じゃ無意味かなとは薄々思ってたよ」
「……はぁ?」
「いや、間が悪かったね。あたしはリビングにいるから、二人で好きなように過ごして」
「待て、待って、一旦待ってください。何か大きな誤解をしている」
ドアノブに手をかけて出ていこうとする先生を見て、瞬時に立ち上がりドアを押さえる。
「違います。何がとか言いませんがおそらく違います」
「別に誤魔化さなくてもいいって。あんな顔に手添えてキス寸前みたいな状況、他にあるわけないだろう?」
「ダメだ、あまりにも状況証拠的に俺が悪くて何も言えねぇ」
ちょっと感傷に浸ってしまい勝手に手が動いた、なんて信じてもらえる訳がない。
そうだ。
「ことり、ことりもそんな状況じゃなかったって分かってるはずですから」
同意を求めようと再びベッドのことりに注目して、気付いた。
「……ことり?」
「……」
返事はなく、目は開いているものの呆然としていて焦点が合っていない。
なにより顔が見たことないほど真っ赤に。
「ことりはそうでもないってさ」
「すまないことり。俺が悪かった」
もはや言い訳はすまい。
横で先生がことりの額に手のひらを当て、「ダメだこりゃ」と首を横に振る。
「……ぁ、ぇ?お姉ちゃん……?」
「今は寝ときな。風邪が治っても熱上げられたんじゃ堪らないからね。さ、瞬木も今日は帰った帰った」
「お言葉に甘えます。ちなみに本日の結果を経て明日の見舞いは?」
「どうせわざとじゃないなんて分かりきってるんだ、勿論継続だよ」
「左様ですか。それじゃあ明日もまた顔見せに来ます」
行った行ったと手で払われ、こちらもそれに従いドアノブに手をかける。
「あ……瞬木くん……」
呼び止められて顔を向けると、布団から手をだして小さく振ることり。
「バイバイ」
「ああ」
軽く手を振り返してことりの部屋を出る。
なんとなく肩の力が抜け、一息吐いた。
「いやホント、何しに来たんだろうな」
────────
「なあミハル」
「はい?」
「例えばの話だ。実はオリジナルの美春が、この世に存在するバナナの半分を隠し持ってたとする」
「ずるいですね」
「この話を人づてに聞いて次美春に会った時、お前はこれを一切考えず普段通りに話せるか?」
「多分ミハルは聞いちゃいますね」
「まあミハルならそうだよな。人間だってミハルほどバナナが好きなら、一切気にせずに喋るというのは厳しいはずだ」
「えーっと、なんの話なんですか?」
「心配で思考が逸れたか、愛が勝ったのか。はたまた取り繕うのが上手かったのかという話」
「んー、ミハルには全然分かりませんけど、難しい話なんですね」
「俺が言えたことじゃないが、全員ミハルくらいストレートなら楽なんだが」
「それってもしかして、ミハルのこと……」
「……」
「褒めてます?」
「……変わらないミハルが、俺にとっては癒しだよ」