【完結】ゼロの極点   作:家葉 テイク

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第一〇章

 翌日、朝。

 

「……ねえシズリ、もう出なくて良いの?」

 

 既に日が昇っているのに動こうとしない麦野に、不安そうにルイズが問いかける。麦野の方はと言うと、そんなルイズのことは無視して爪を磨いている有様だった。

 

「ねえ、シズリ?」

「どうせ今日出たとしても、スヴェルの月夜の翌朝まで足止めを食うことになるんだから無駄よ」

 

 麦野は適当に答えた。

 スヴェルの月夜というのは、二つの月が重なる夜だ。この日の次の早朝に、アルビオンが最もラ・ロシェールに近づく。麦野は、月が二つ重なることで月の引力が弱まり、結果としてアルビオンの高度が下がるのだろう、と考えたが、ハルケギニアの人々は精々『満月の夜は潮が高くなる』程度の経験則でしか現象を理解していないだろう。

 

「スヴェルの夜は、確かにアルビオンが一番近くになるけど……」

「効率の問題っていうヤツよ。フネを動かすのにだって燃料は要るわ。確か、風石だっけ? あのコッパゲから聞いたけど、フネの出航は大体がスヴェルの月夜になるらしいの。今から行っても現地で一日足止めを食うことになる。私は、なるべく快適な環境で過ごしたいからね」

「それもそうね……」

 

 と言う訳で、アルビオンへの旅は明日出発という運びになるのだった。

 なあんだ、ということで一気に気を抜いたルイズに、麦野は相変わらず爪を磨きながら問いかける。

 

「で、行かないってことはアンタには授業があるって意味なんだけど、そこんところちゃんと分かってる?」

 

 当然、だらけていたルイズは飛び起きて授業の準備を始めたのだった。

 

***

 

第一〇章 婚約者は近衛騎士 Knight_the_"Flash".

 

***

 

「ルイズ」

 

 授業の途中の移動時間。

 塔と塔の間の中庭を歩いていたルイズは、後ろから声をかけられて振り向き、そして絶句した。

 そこにいたのは、立派な髭を蓄え、帽子を目深に被った貴族の青年が佇んでいた。腰にレイピアを差しているのは、魔法を旨とする貴族にしては珍しく、彼が騎士団に所属していることを示していた。

 ルイズは、驚きつつも恥じらいを見せる、彼女らしくない声色で言う。

 

「ワルド、さま」

 

 ワルドと呼ばれた貴族の青年は、その言葉ににっこりと笑みを浮かべた。

 

「久しぶりだね、ルイズ。僕のルイズ……」

 

 そっと抱き留めようとされ、ルイズは静かにその胸板に手を押し当てて距離を取った。やんわりとした拒絶に苦笑しつつ、ワルドは再度ルイズとの距離を測り直す。

 

「長い間きみを放っておいてすまなかった。一刻も早く貴族として、騎士として、高みに上ることできみと釣り合うだけの人間になりたかったんだ」

「釣り合うだなんて、わたしの方こそワルドさまと釣り合いのとれる貴族じゃありませんわ」

 

 ルイズは気まずそうに眼を逸らし、そう言った。

 ルイズとジャン・ジャック・フランシス・ド・ワルドは、互いの両親が約束した婚約者同士だった。

 もっとも、両親が酒に酔った席で適当に交わした口約束である、という但し書きはつくが。

 

「ところで」

 

 ルイズは、そう言ってそれまでの流れをすっぱりと断ち切った。そのあまりにドライな態度に、ワルドは一瞬目を瞠る。ルイズという少女は、こんなにあっさりとした性分だっただろうか? 彼女ならば、自分が現れた瞬間にそわそわしそうなものだが、まるで別のところに執着しているせいで、他のものへの関心が薄れているような態度だ。

 

「ワルドさまは、どうして此処に?」

「姫様の行幸は知っているだろう? 僕のルイズ」

「そうではなく、わたしのところへやってきた理由ですわ、ワルドさま」

「ああ、僕のルイズ。やはり放っておいたことを怒っているんだね? 婚約者のいる学院にやって来たんだ。挨拶の一つどころか、今日一日くらい一緒にいようと思うのが当然じゃないか」

 

 そう答えるワルドだったが、ルイズは俄かに納得していなかった。彼の言うように、婚約者なのに今まで連絡の一つもよこさなかったことに不満がある……訳ではない。ワルドには憧れているし、彼女の初恋は間違いなく彼だったが、現在進行形で麦野にお熱(認めさせる、という意味でだが)でそっちに情熱が割かれているルイズとしては婚約なんて『酒の席で適当に交わした口約束』でしかないと思っていた。

 というか、実際ワルドだってそう思っていたはずだ。正式に婚約者として振る舞いたいのなら、文通すらしないというのはまずもってあり得ない。何年も放っておくなど、それこそ婚約破棄されても文句は言えない所業である。

 つまり、必然的に、ワルドは婚約したという立場を無理やり使ってルイズに近づきたがっている。

 

(……って考えるのは、ちょっと穿ちすぎよね……。シズリの影響、受けすぎかしら)

 

 そこまで考えて、ルイズは肩を竦めた。流石に、そこまで疑いの目を向けるにはルイズは純粋過ぎた。

 

「……まあ、それもあるんだがね」

 

 ワルドはルイズが納得していないのを理解したのか、肩を竦めるように言った。

 

「ルイズ。きみは昨日、姫様から密命を受けたね?」

「っ、な、なんでそれを?」

「流石に、姫様も学生とその使い魔だけでは心もとないと考えたのだろう。さりとて大人数を護衛に起用すれば姫様の守りが脆くなるし、何より目立つ。そこで、魔法衛士隊の隊長にして一番の腕利きである僕が護衛として選ばれたと言う訳だ。勿論、任務も理解している」

 

 ワルドはあくまで圧迫感を感じさせないように、にっこりと笑った。

 

「ところが、きみたちは日が昇っても動き始めようともしない。これはおかしいと思って、旧交を温めるついでに確認をとろうと思ったのさ」

「まあ、そういうことだったんですね」

 

 あくまで『旧交を温めるついで』なのが、ワルドの優先順位を感じさせる。あるいはリップサービスだろうか。軍人としては任務優先だが、ルイズの覚えを良くしたい今は嘘も方便ということなのだろう。ルイズはそんなことには気付かずにこっくりとうなずいた。

 

「ええと、シズリが……わたしの使い魔が、フネはスヴェルの月夜の翌朝にしか出航しないから、急いでも無駄だって言ったんです。わたしも、下手に早く出発したらその分わたし達の存在が露見する危険があるから、ギリギリまで出発しないでいようと思ったの」

「なるほど。僕のルイズは非常に賢いようだ。……って、使い魔? 使い魔が、その情報を教えてくれたのかい? きみの使い魔は韻獣か何かなのかな」

「いいえ、人間ですわ。ええと、とてもすごい、賢い女性なの」

「……へえ」

 

 その言葉に、ワルドの目が光った。

 

「なあ、僕のルイズ。よければ、僕にきみの頼りになる使い魔を紹介してくれないか。婚約者がどんな使い魔を召喚したのか、気になるんだよ」

「ええ、良いですけれど……」

 

 授業がある、と言いたいルイズだったが、優先順位はどう考えても授業よりワルドの方が上だった。後で先生に届け出を出そう、と思いつつ、ワルドの申し出に頷いた。

 ワルドは、その言葉を受けてぱっと顔を明るくさせた。この時点のワルドは、賢い女性と聞いて、きっと図書館勤めの司書やアカデミーの研究者のように物静かで知性的な女性を想像していた。

 もっとも、その想像は出会って一瞬で叩き潰されるのだが。

 

***

 

「あら、ルイズ。授業はどうしたの?」

 

 シエスタに自室まで紅茶を運ばせていた麦野は、そう言って突然帰って来たルイズに問いかける。まるで部屋の主の様に悠々と腰かけている麦野の傍らには、シエスタが楚々とたたずんでいた。服装さえもう少し煌びやかだったら、女領主とそのメイドというタイトルがぴったりと当てはまっていたことだろう。

 

「あ、の、ねえ。シズリ、何であんたはわたしの部屋でそんなに寛いで紅茶を飲んでいるのかしら?」

「何でって、アンタが留守の間私がこの部屋をどう使おうと私の勝手じゃない」

「勝手じゃないわよ!! 此処、わたしの部屋、あんた、居候!! 主格はわたしにあるの! そこんところ取り違えるんじゃないわよ!!」

「はいはい。シエスタ、紅茶ありがとうね。おいしかったわ」

 

 憤慨するルイズだったが、麦野は完璧にスルーして空のコップを恐縮してしまっているシエスタに渡し、そのまま退室させてしまう。あまりに鮮やかだったので、ルイズは麦野の暴挙を注意することなくただ従っていたお馬鹿なメイドに一言お叱りの言葉を入れることすら忘れてしまっていた。

 せめて『あんたもね、シズリの言うことに逆らうのは大変だと思うけど、注意の一つくらいしてくれないと困るのよ!』くらいは言っておかないと貴族の面目というヤツが立たないのに、本当にこの使い魔の前では貴族社会のルールとかめちゃくちゃになるな……とルイズは思う。下手をすると立場が逆転してしまっているのでは? というくらいに麦野の傍若無人っぷりが板についているのも問題だった。

 

「え、ええと、君は……」

「そういや『ご主人様』。こっちにいる殿方は? 女子寮ってのは男子禁制だって話だったわよね」

「特例よ。この方、わたしの婚約者。ジャン・ジャック・フランシス・ド・ワルド卿よ」

「へえ、婚約者……、……婚約者ぁ?」

 

 これにはさすがの麦野も目を丸くした。

 そういえば前日の歓迎の折にはこのヒゲロン毛に何やら真剣なまなざしを向けていたので、何かしらの面識はあるものと思っていたのだが、婚約者とは流石に思っていなかった。

 

「このヒゲが?」

「ちょっとシズリ、失礼よ!」

「は、はは。良いよ、気にしないで。僕はそういったことにはあまり頓着しない性質だからね」

 

 苦笑いしながらのワルドだったが、その佇まいにはやはり警戒の色が宿っている。彼は武人だ。麦野が只者ではないと、一目で見抜いたのだろう。

 

「そりゃどうも。私がコイツの使い魔。シズリ・ムギノよ。よろしくワルド卿」

「ああ、よろしく。……しかし、人が使い魔とはね。僕も初めてお目にかかるよ」

「よく言われる」

 

 麦野は適当に言って、席を立とうとした。

 

「どこに行くんだね?」

「婚約者と一緒なんだ。積もる話もあるでしょう? お邪魔虫は散歩でもしていようと思ってね。あ、でもベッドは私も使っているから、妙な事には使わないように」

「ばッ、ばッ、馬鹿ッ、わっ、わわわわわわたしたちまだ結婚もしてないのにそそそそそそそんな!?!?!?」

「いや、実を言うと、僕がルイズの部屋に来たのは君と話がしたかったからなんだ。僕は姫殿下から君たちの護衛をするように言われていてね。スヴェルの月夜のことと言い、僕でも知らないような知識を持っているから、興味を惹かれたんだよ」

「私のは受け売りよ。学院の教師に詳しいヤツがいただけさ」

 

 そう言うが、引き止められるのであれば麦野が出ていく理由もないということで、ベッドに腰掛ける。ルイズもその隣に座り、代わりにワルドが椅子に座った。ただ座るだけでも絵になる男だった。

 

「君は、どこから来たんだい? 変わった服の着方をしているが……」

「辺境。これはそこの文化よ。東方と言ったら分かりやすいかしらね?」

「なるほど、東方――ロバ・アルカリ・イエか……」

 

 麦野はしれっと嘘を吐いたが、ワルドがそれを見破ることはできなかった。ルイズの方も、言って分かるような話ではないと思ったのであえてワルドには説明しない。

 

「……ところで、先程から気になっていたんだが、そのルーン」

 

 そう言って、ワルドは麦野の左手を指差した。

 ああ、これか――と麦野は手を翻してみせる。彼女の手の甲には、召喚の際に刻まれた文様があった。

 

「そういやあ、乙女の柔肌に疵をつけてくれやがった礼をしていなかったわねえ、『ご主人様』?」

「うっ……、じ、時効よそんなの」

「……、時効ねえ。まあ良いわ。それでワルド卿、このルーンがどうかしたか?」

「ハハ、あまり僕の婚約者を虐めないでくれよ。……それでだね、僕の知識が正しければ、それはひょっとして『ガンダールヴ』のルーンじゃないかなと思うんだが」

 

 そう言うワルドに、麦野とルイズは互いに顔を見合わせた。ルイズは博学なので『ガンダールヴ』が何なのか知っているが、そもそも麦野は『ガンダールヴ』が何かすら知らない。社会の仕組みについてはコルベールに事細かに聞いたが、昔話になど微塵も興味が湧かなかったので知らなかったのだ。

 

「ガンダールヴってのは?」

「伝説に登場する『始祖の使い魔』よ。始祖ブリミルは四人の使い魔をしたがえていたの。ガンダールヴは神の左手。あらゆる武器を自在に操って始祖ブリミルを守ったって言うけど……」

「おや、もしかして知らなかったのか」

「ええ。初耳ね。しかし、あらゆる武器を自在に操るとは……」

 

 あながち、間違いではないかもしれない。麦野は銃も使えるし、膂力があるからハンマーや剣も振るえる。学園都市の精密兵器を扱うことだって、できなくはない。

 ただ、いかんせん原子崩し(メルトダウナー)のある麦野には意味のない話に思えた。というか、それを抜きにしても麦野は徒手空拳の方が得意な人間である。

 

「君が女性でなければ、手合せを願ったんだけれどね。流石に、武人としての好奇心があるとはいえ女性に勝負を挑む訳にはいかない」

「あら? 私は良いけど?」

「君が良くても僕が駄目なのさ。婚約者の前で負けてしまっては格好がつかないだろう?」

 

そう言って、ワルドは片目を閉じて肩を竦めて見せる。そのひょうきんな動作に、ルイズは思わずぷっと笑ってしまった。

 

「それはそうと、出発は明日にするとルイズから聞いたが」

「向こうで一日待機なんてやってられないからね」

「良いのかい? ラ・ロシェールまでは普通は馬で二日かかるほどの距離だ。休まず走れば一日で着くが、かなりの疲労になる」

「強行軍による疲労のリスクと任務がバレるリスク、どちらをとるかと言われれば私は強行軍をとる。それにワルド卿、アンタの使い魔がいれば問題はないんじゃないかしら」

「……おや、何でそう思う?」

「魔法衛士隊グリフォン隊隊長。昨日グリフォンを連れて行幸に付き添っていたのを私は見ている。まさか乗せて行ってくれないなんてケチなことは言わないわよね?」

「目敏い女性だ」

 

 ワルドは静かに笑みを浮かべる。定員は二名程度だが、小柄な体型のルイズと女性である麦野くらいなら、乗せることは容易だろう。そしてグリフォンならば、休憩を挟んでもその日の夕方にはラ・ロシェールに着く。

 フネの手配などで手間取ればかなりロスすることになるが、麦野は勿論ワルドも、この手の交渉事を失敗させるほど口下手ではない。

 

「君は、召喚される以前何をしていたのかな」

 

 すう、とワルドはそう言って麦野の瞳を覗き込んだ。

 その表情に、遊びの色はない。ルイズは、そのワルドの真剣さを見て、麦野の態度がカタギではないと判断して警戒しているのだろうか、と思った。現にタバサやコルベールといった、戦いの心得がある人間はみなそうしていた。ワルドだって同じようにするだろう。

 

「傭兵のお仲間みたいなことですわ。卿が聞いてもあまり面白い話ではないかと」

 

 そんなワルドをおちょくるように、麦野は手を振って応える。突き放した態度にワルドは僅かに眉を顰めるが、あまり言いたくないことなのだろうと判断してそれ以上の問いかけをやめた。

 

「僕は、君に感謝したいんだ、ミス・ムギノ。君のお蔭で、僕のルイズはとても成長したらしい。元々素直で勇気のある素敵な女性だと思っていたがね。婚約者として素直に喜ばしいことだと思う」

「だそうね、ルイズ」

「……、……ねえ、ワルドさま。それをわたしの前で言って、わたしにどうしてほしいんですか?」

「おっと、これは失礼したね。ルイズが照れ屋だってことをすっかり忘れていた」

 

 ワルドの台詞に、ルイズは本格的に顔を赤くして何事かを喚くように叫びたてる。

 麦野はあーあと耳を塞いでベッドに倒れ込み、ワルドは笑いながらそんなルイズに対応する。

 実に微笑ましい光景が、そこにあった。

 

 その裏で、麦野は冷徹に思考を進めていく。

 

(伝説の使い魔のルーン、ねえ。四大系統のセオリーから外れた魔法を使うメイジと、それに召喚された異世界の住人。そしてその使い魔に刻まれた伝説の使い魔のルーン……はてさて、この三つ、どんな因果関係があるのかしらね?)

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