「何であんたなんかと……」
タバサのシルフィードの背に乗りながら、ルイズはため息交じりに呟いた。
あの後、ルイズは勿論反対したものの、シエスタの『旅は多い方が良いです! 皆様おもてなしいたしますよ!』という笑顔に押し切られ、タバサのシルフィードを足役に使うという条件まで提示されてしまったので二人の同行を了承してしまっていた。
ただ本意でないことは間違いないので、こうして空の上にいながらもぶちぶちと愚痴を呟いているのだが。
「良いじゃない。あたしだってあんたに聞きたいことがけっこうあるしね~」
「……話すつもりはないわよ。話せることじゃないし」
「そ。まあ誰にだって話せないことはあるから別に良いけど、いずれ聞きだしてやるからね。あの婚約者とか」
「なっ!? あんたどこでその情報を……、」
しかし、こんな風にしてキュルケはルイズの愚痴をのらりくらりと躱してしまうだけだった。というより、ルイズも半ば愚痴を躱されると分かっていて言っている節がある――とシエスタは分析する。シエスタが傷心中であり繊細なルイズの旅行に二人の同行を認めたのも、こうしたキュルケの一面があるのが大きい。お互いに無自覚だが、ルイズはキュルケに対してはいっそう遠慮のない態度を見せるのだ。
「授業をサボってこそこそ何かやってるみたいだったもの。あんたの所に来る男なんて、親が決めた婚約者くらいでしょ。……俄かに信じがたかったけど」
「……、」
「はあ、あの二人がこっちの動きを牽制しまくっていたから、てっきり気付いてるもんだと思ってたんだけど」
考えてみれば当然のことだった。ルイズは自分の迂闊さに歯噛みしていた。……あの頃は、アンリエッタからの密命を遂行することで頭がいっぱいになっていたのだ。
言われてみれば、ワルドと麦野が出発の時間にかなり気を遣っていたようだったのを思い出した。アレは、キュルケがこちらの動向をマークしているのに気付いたからだったのだ。自分だけ気付いていなかったことに、ルイズは恥ずかしい気持ちになった。
「で、で、あんたどうなの? あの男と結婚するの? いつ?」
「し、しないわよ」
ずずい、と顔を寄せて来たキュルケに、ルイズは軽く気圧されながらも答えた。
「……わたし、まだジャンに相応しい貴族じゃないし……。……ちょっとは相応しくなれたかもって思ったけど、……結局、駄目だったし……。……今のわたしなんて…………」
話していくうちにマイナスな気持ちが盛り上がったのだろう、ルイズはどんどんと尻すぼみに声を小さくして、落ち込んで行ってしまう。そんなルイズを見てキュルケは『はぁ』と溜息を吐いて、ピン、と指でルイズの額を小突く。
「辛気臭い」
何を言われるのだろう、と一瞬身構えていたルイズだったが、キュルケはたったの一言文句を言うだけだった。ルイズのマイナス思考に、正しい貴族の在り方を説いたりするでも、らしくないと叱責するでもない。『普通の文句』だった。
一瞬何を言って良いのか分からなくなったルイズだったが、意図的に勝気な表情を作って、ぷいとキュルケから視線を背けることにした。
「……、わ、悪かったわね!」
と言ったルイズの声色は、まだ僅かに震えていたが――口元には、僅かに笑みが浮かんでいた。
***
第一六章 縺れ始めた糸 Imagine-Breaker.
***
「今は何を読んでいらっしゃるのですか?」
「ああ、これ?」
学院図書館。
多くの本が貯蔵されているというそこで、麦野はロングビルを伴わせて調査をしていた。
既にロングビルには麦野達が学院を空けていた理由――アンリエッタから下された密命――については説明している。また、その顛末についても。
そのロングビルは鉄製のゴーレム数体に何十冊もの本を持たせている。こういうときに人手を増やせるゴーレム使いは便利だな――とハルケギニアの魔法を評価しつつ、麦野は本をロングビルに見せる。
それは、麦野が今まで価値なしと断じて興味すら抱いていなかった『始祖と虚無の使い魔』という伝承を編纂した本だった。
ちなみに、麦野は既にハルケギニア語を習得している。既に異世界から召喚されて一か月以上、第四位の頭脳を以てすれば異世界の言語をマスターするには十分すぎる時間である。
「……アンタには説明しても良いか」
麦野は僅かに逡巡した様子を見せたが、勝手に納得して話し始めた。
「大きな声は出すなよ」
「分かっていますよ。そんなに念を押さなくても図書館で大きな声を出すのはご法度です」
「ルイズは虚無だ」
「…………っ!?!?!?」
「ほら見ろ、自分で咄嗟に口を押えてなかったら叫んでたでしょ」
ロングビルが情報に対して適切なリアクションをとることができたのは、ルイズの使い魔がこの女だったから、というのが大きい。ただ、驚いたのは『まさかあのガキが虚無とは』という『意外性』ではなく、『この女にこの上虚無の主人という戦力までついたら世界が終わる』という絶望感からだった。本当に、麦野の部下になっておいて良かったと思った瞬間である。
「……ものは相談なのですが、」
「今はこっちよ」
決死の覚悟で『とある少女』の命乞いをしようとしたロングビルだが、麦野はそれよりも先に説明を済ませたいようだった。麦野が見せたのは、伝承の一節だった。
「何ですか、これは」
「『ガンダールヴはあらゆる武器を扱う』。まあ、要約するとこうなるね。簡単に言うと、虚無の使い魔の能力説明だよ」
「は、はぁ……」
「いろいろある。『ヴィンダールヴは動物を従える』『ミョズニトニルンは魔道具を支配する』……」
『「記すことも憚られる四つ目」については不明のようだがな』と続けて、
「……ガリアの『無能王』は、このうちの『どれ』なんだろうな――と思ってな」
今度は、声すらあげられなかった。
今、この女は何と言った? ガリアの『無能王』が『どれ』なんだろうな? ……それはつまり、『無能王』が『虚無』ということか?
「ルイズは『ゼロ』と呼ばれていた。だが、結局は『虚無』だった。だから調べたのよ。ガリアの王が『ゼロ』なのは知っていたからな、調べてみたら……ガリア王の弟は優秀なスクウェアだったらしいじゃない。魔法は完璧じゃないにしても遺伝する。弟がスクウェアなのに兄がゼロっていうのはおかしいわよね?」
「…………、」
言われてみれば、正論だ。能力の多寡など、ただの落ちこぼれとしか考えておらず、そこに何らかの『理由』があるなど、ロングビルを含めて誰も考えていなかった。ジョゼフ王の娘であるイザベラが魔法の才に乏しいから、落ちこぼれの血筋が生まれたのだ――という程度にしか考えていなかったが、ルイズの例を考えてみれば、そして王族であるという事情を鑑みれば、十分にあり得る推測だ。
「この分だと、ロマリアやアルビオンにも虚無がいるはずなんだけど…………アルビオンの王族は死んでるかしらね。問題はロマリア、か」
その言葉を聞いて、ロングビルは自分の感情を表に出さないように必死になりつつも、ほっと内心で安堵のため息を漏らした。今の話を聞いて、ロングビルは思い出していたのだ。彼女がアルビオンに残して来た『彼女』のことを。
今は亡きアルビオン王弟モード大公の忘れ形見、
確か――彼女は、『記憶を消去する』という妙な術を使ってはいなかっただろうか。記憶――魂の領域に関わる魔法。それならば、まぎれもなく『虚無』の力だと言えるだろう。
『あの少女』の命乞いをしなくて良かった、とロングビルは心の底から思った。そんなことをしていたら、遅かれ早かれ『あの少女』の『虚無』は麦野にその存在を認知されてしまっていただろう。
「……どうして、虚無を確保しようとしているんです?」
思案に暮れる麦野に、ロングビルは恐る恐る問いかける。その答え如何によっては、これからの自分の身の振り方も変わっていく。だが、そんな緊張などおくびにも出さずに問いかけた。ロングビルはこれでも何年も貴族を騙して手玉に取って来た大盗賊だ。このくらいの修羅場なら、表情一つ乱さずに対応できる。
麦野の方はやはり隙らしきものは見当たらないが、警戒はしていないのか、あっさりと真意を話してくれた。
「まあ、色々と理由はあるけど……一つは『スペア』ね。ルイズの虚無は私の目的の為に絶対必要だが、たった一つのものに私の目的の全命運を預けるのも馬鹿らしい。『虚無が他にいるかもしれない』のなら、それを出来るだけ多く確保したい。もしもルイズが
「……恐ろしい話ですね」
「万が一の話よ」
麦野は世間話のように適当に言って、
「もう一つは――レコンキスタの黒幕は、虚無の担い手である可能性が高いから、よ」
「…………黒、幕?」
「ああ、そこからか。面倒
「ワルドって、あのミス・ヴァリエールの婚約者ですか?」
「ああ、そのワルドだ。ちょっと弱みを握らせてもらった」
改めて、この女は化け物だ、とロングビルは実感した。何で極秘任務の最中に味方の弱みを握っているのだろうか? しかもアルビオン反乱を鎮圧する片手間に、である。
「私としては、ガリアの方がアヤシイって睨んでいるけどね」
「それはまた、何故?」
「ロマリアは『新教徒教皇』サマが絶賛改革中だ。汚職枢機卿を裁いたりなんだりで、内部の浄化と集権化は進んでいるようだが、一国のクーデターまで面倒を見るような余裕はない。翻ってガリアの『無能王』サマは就任と同時に不穏分子は全部抹殺。今は至って平穏にハルケギニア最強の王国をやってるわけだ。……そろそろ、野心ってモンが芽生えてきてもおかしくない頃合いだろうよ」
「…………、」
「ま、一番は私の勘だけどね。こういう業界で過ごしていれば、一番最後に頼りにするのはそういう感覚になる」
アンタなら言わなくても分かるだろうけど――と適当そうに言って、麦野は読んでいた本を畳む。
「……まあ……順当に考えれば、ミョズニトニルンかしらね」
どうやら、彼女は既に敵の『虚無』を見極めたらしかった。ロングビルは突然の飛躍に首をかしげるしかない。それを補足するようにして――あるいは説明することで自分の考えを纏める意味もあるのか――麦野はいちいち懇切丁寧に話してくれた。
「逆説的に考えた結果よ」
生徒に理論を説明するみたいに、麦野は人差し指を立てる。その姿があまりに様になっているので、ロングビルはむっとするしかなかった。
「『記すことすら憚られる』使い魔は除外して考えるとして、今回の一件に『虚無』が関わっているなら、何らかの形で『虚無』が使われているのはほぼ間違いないわ」
「……確かに、大規模なクーデターなんて所業、『虚無』以外じゃあり得ないですからね」
「仮に
「……そんなに簡単に話が進みますか?」
「それに、『死者蘇生』が相手の『特別』だって考えたら、向こうが使っているのは十中八九先住の力を使った『マジックアイテム』になる。……ミョズニトニルンが手を引いてるって考えるのは、妥当な判断じゃない?」
得意げに笑って見せる麦野の推論は、推論の域を出てはいないが、致命的な穴はないように思える。しかし……どこか、結果ありきのような気がした。何か、不自然な違和感がある。言われてみれば確かにその通りだ。その可能性が高いようにも思えるし、『そうとしか考えられない』と思えるような部分もある。
だが、まったくヒントのない状態から、こんなことを思いつけるか? 様々な可能性のある現実から、こうも的確に正解のルートを拾えるか?
「私なら、そうするしね」
それを、そうした諸問題を、麦野はこの一言で片づけてしまう。経験に裏打ちされた、というのも違うように思える。……一種の、『天啓』。脳裏にふっと浮かんだインスピレーションがこの上なく正確だから、あとはそれを裏付ける情報を掻き集めるだけ。
麦野沈利の言動から感じられる違和感を端的に言い表すなら、そう言うのが適切だろう。
(恐ろしい女だ……。まさか、ギーシュと決闘していた時は、こんなバケモノだったとは思わなかったけど……)
ほんの一か月前に起こった出来事を思い返して、ロングビルは思わず身震いした。
……それから。
さらに恐ろしいことに気が付き、顔色を失った。
***
トリスタニアに、一軒の武器屋がある。
業突く張りの親父が切り盛りしている店だが、品質はそれほど悪くない。目利きのできない貴族と見れば即座にぼったくるような性悪だが、『違いの分かる』プロにはそれなりに誠実な態度をとるからこそ、彼はこの業界でもやっていけるのだ。
「よお、此処に来るのは久しぶりだな」
「アルか。どうした? 酒場に飾る剣でも欲しいってのか? ウチは骨董品屋じゃねえんだぜ」
武器屋の親父は、やってきたゴロツキ然とした男にそう気安く声をかけた。アル――アル=グリーンバード。麦野達が以前訪れた酒場の店主だ。
「いや、違げえよ。普通に武器が入り用だっただけだ」
「おや? 酒場の店主は廃業かい」
「それも違げえ。昨日、貴族――いや、軍人の男が顔を隠して酒場にやって来てな。いくつか話を聞いているようだったが、ありゃどこぞの密偵だ。俺の勘がそう言ってる。……きっと、戦争か何かの事件かの前触れだぜ。護身用の武器を揃えたくもなる」
「用心棒を雇った方が早い気もするがね」
「まだそこらのゴロツキより自分の腕の方を信用してるんでね」
くだらないことを言い合いながら、男は武器を見繕っていく。前に何度も利用していたことがあるのか、男の物色はかなり手慣れた様子だった。新しい武器を入荷しているなとか、この武器はなまくらだなとか、一つ一つ分析していく姿は酒場の店主というよりは傭兵の元締めとでも言った方がよさそうな風体であった。
「ん? 『アレ』がねえじゃねえか」
ふと、武器の一角に目をやった男は、あることに気付いて声を上げた。
そこには男の記憶が正しければ一本の錆びた剣が刺さっていたはずだが、今は影も形もなくなっていた。途轍もなく口の悪い『
しかし、店主はどこか寂し気な表情を浮かべ、
「ああ、アイツなら買われていったよ」
「どこの誰が? 友達にでも飢えていたのか?」
「かもな。黒髪の女だったよ。剣なんか振るえそうにないから、『良いのか?』って聞いたんだが、『この剣だから良い』の一点張りでな」
「そりゃあ……奇特なヤツだ」
「ああ、違いねえ。
「剣は使い手を選べねえからなあ。こればっかりはデルフに同情するぜ」
そんなことを言いながら、男は剣を見繕っていく。
この男達は、物語には直接かかわらない。
物語に関わるのは、一本の剣と、それを見出した女だ。
――此処ではない、とある世界で。
魔神になるはずだった男は、こう言った。
幻想殺しは、それとよく似た力は、かつて時代のあちこちに顔を出した……と。
たとえば。
武器の形になって英傑たちの手に渡り、
壁画の形になって触れた者の悪病を払うと噂され、
洞窟の形となって試練の装置として機能した。
そして、この世界においても。
『それ』は、確かにあった。
かつて、五〇〇〇年も昔に、ガンダールヴの左腕と称され。
ここではない歴史においても、ガンダールヴの相棒となったその剣。
『彼』の名は、魔剣デルフリンガー。
またの名を――
――今度は『神の左手』ではなく、『神の頭脳』の左腕となって。