避難が完了するまでの一定時間の間、固有魔法の高出力での使用不可。使えるのは魔装による身体強化だけ。
──問題なし。
元より魔神も鏖殺するために技を、力を磨いてきたのだ。ならばたかがこの程度の悪魔如き、固有魔法を万全に使えん程度でどうにか出来なくてどうする。
『あ、あああ、痛い、痛い痛い痛いィィィ!!!』
悪魔が悲鳴を上げながら己の腕を引き裂いてそれが触手のようにうねりながら無数に襲いかかってくる。零れる血は強酸性のものなのだろう。
地面に付着した血がコンクリートを溶かしているのが見えた。
「シッ!」
問題なし。強酸性の血だと言うのならば、剣に血が付着する前に振り抜けばいい。血を撒き散らすというのであればその尽くを剣圧で吹き飛ばせばいい。
振り抜いた剣が襲い掛かってくるいくつかの腕を切り落とす。零れ落ちた血は追随する剣圧によって発生した暴風によって吹き飛ばされる。
『し、ししね、しね、しねしねしねぇ!』
しかし切り落としたはずの腕が瞬きの間に再生していた。思わず舌打ちもしたくなるが、悪魔ならばあの程度の再生能力はあって当然か。再生の阻害がしたいが固有魔法なしでは出来ん。なら──
「ハァッ!」
再生能力が尽きるまで切り落とし続ければいい。
新しく腕が再生したそばから切り落とす。その度に血が噴出するがそれを剣圧で吹き飛ばして無効化する。吹き飛ばされた血が悪魔の表皮に付着するが溶解する様子は見られない。
当然と言えば当然だが、彼奴自体は酸に対する耐性があるのか。
『お、おお、おおおおおおお!!!』
やたらめったらに振り回してこちらを近づけさせないようにする姿はまるで駄々をこねる子供のようだ。尤も悪魔がそれをした所で感じるのは殺意のみだが。
しかし、明はあれが悪魔の最上位の存在だと言っていた。だが、ああしてやたらめったらに振り回すことしか出来ん姿からはとてもではないが今まで戦った悪魔より強いという気はしない。この程度ならば他の魔法少女や遠距離に秀でた魔装適合者でも戦える。
明の計測ミスか?
そう一瞬思ったが、彼奴は今の今まで一度たりとも間違えたことはない。ならば何かあるのだろう。この悪魔に他の魔法少女達が敵わないとされる何かが。
『ああ、苦しい痛いやめて……』
まるで同情を誘うように小さな子供の声でそう語り掛けてくる。が、あまりにも腹立たしい。
やめてと言ってお前達が彼女達を痛ぶるのをやめたことがあるのか? 泣き叫んで命乞いをする彼女達をそれでも痛めつけただろうが。
怒りを込めて剣を縦に振るい、迫り来る触手の腕を纏めて両断する。
そしてそれが再生するよりも早く悪魔の懐に潜り込み、その醜悪な一つ目に剣の切っ先を突き立てた──が。
凡そ生物の目を刺したとは思えぬほどの硬質な音が響いた。よく見れば奴の瞳の前に皮膜の様なものが生成されていた。
──障壁か!
『クヒッ』
悪魔の下卑た笑い声が聞こえた。
巨大な一つ目に俺の姿が映り、その瞳の中に俺を取り囲むように魔法陣が展開されている。しかし、現実にはそれが存在していない。
それ即ち鏡像の中にのみ存在する魔法陣。
鏡像に干渉する力を持つか、或いは一切合切関係なくただ力のみで消し飛ばすほどの攻撃でなければ鏡像の中の魔法陣は破壊出来ないだろう。
貫通性能の高い固有魔法ならば恐らくはいけるだろうが、もはや間に合わん。
『ねえ』
悪魔の声が直接脳内に響く。それはまるで精神を溶かすような甘い囁きで──
『死んでくれる?』
「貴様が死ね」
巫山戯たことを抜かす悪魔の眼球を固有魔法で保護した拳で殴り抜いた。今までの切り落とし続けた触手とは異なる明らかな手応え。
『ガッ、ァァァアアア!?』
深々と突き刺さった拳を抉るように捻りながら内部に固有魔法を衝撃と共に浸透させる。遺伝子すら破壊する死の光と焼き焦がす熱が直接体内に打ち込まれた悪魔は斬られていた時よりも明らかに苦しんでいた。
強烈な痛みにのたうち回る悪魔を冷めた瞳で見下ろしながら、先程殴り抜いた拳に目をやる。
殴り抜いたあの一瞬、固有魔法によって内部を超高温にしたことで強酸性の血を付着する前に蒸発させていた。その結果、拳は溶け落ちることこそなかったものの、付着させる前に蒸発させるほどの熱量を一瞬とはいえ拳に込めていたことにより、焦げ付いた匂いがするほどに焼き付いていた。
固有魔法の使用による内部組織の破壊と大火傷を負った拳から激痛が走る。だが、それを精神力と嚇怒によって無理矢理捩じ伏せて未だにのたうち回る邪悪を殺すべく歩みを進める。
焼け焦げた拳はまだ動く。
──皮膚が引き攣るような感覚がする。
感覚はまだ生きている。なら問題はない。焼き焦げた拳から
『ああああああ……なんで、なんで! 自害しない! 確かに当たったはずだ。精神を完全に捉えたはずなのに! なんで──』
「吠えるな」
『ギィィィッ!?』
振り下ろされた剣が障壁ごと悪魔を地面に叩き伏せた。その威力は叩き付けられた悪魔が地面にめり込んでいることから強力な一撃だったのは想像にかたくない。
苦し紛れに触手を放つが──
「くだらん」
──その全てが瞬きの間に両断された。
人間よりかも遥かに上位の肉体を持つ悪魔でも見えたのは横に振るわれた一閃だけ。だと言うのに起きた事象は無数の斬撃が放たれたとしか思えない。
放った触手の全てが細切れに両断され、噴出した血液は地面に落下することすら出来ずに消し潰された。
そして悪魔は見てしまった。
『ヒッ!』
憎悪と怒りに滾る彼の瞳を。そしてその更に奥底にある塵屑を見るような色彩なき色を。
それは自分達を閉じ込めたあの上位存在と同じ……いやそれ以上の──
『い、嫌だぁぁああ!』
彼の固有魔法によって遺伝子を破壊されたせいか遅遅として再生が中々進まない腕を半狂乱になって叩きつけるが、まるで意味を為していない。
身体に触れる所か、近づくことすら許されない。
同じだ。自分達を殺し合わせ、喰らい合いをさせたあの魔神をたった一言で四肢を潰して鹵獲していったあの真性の怪物と同じ──!
『ハッ、ハッ、ハッ』
何がニーアという男を殺せば自由になれるだ。こんな、こんなイカれた精神構造をしてるやつ殺せるはずがない──ああ、違う? 殺したらダメなんだっけ? 生きて連れてこいだった? ち、違う! 命令は抹殺だった! だから私は、俺は──彼をあの場所に連れていかねばならない。
あの地獄の中で生き抜いてきた自分の固有魔法は人間如きなら確実に操れるはずなのに何も操れない。それどころか入る緩みすら存在しない。
そんな奴が人間であってたまるものか。
『何なんだお前は!?』
「貴様等を絶滅させるものだ」
普通ならば嘲笑するような宣言だ。だと言うのに、あの地獄を経験して生き抜いた己ですら恐怖するほどの激情が込められた瞳に絶句する。
この男は必ずそれをやり遂げる。
例えどんな事があろうとも、必ずその狂気に染まった渇望を叶えるだろう。止まることなど決してありえない。前に進むことしか考えていない正しく破綻者のような
「ニーアさん!市民の避難が完了しました!」
「了解した。よくやったなステラエクシア」
ステラエクシアから市民の避難が完了したという報告を受けたニーアは悪魔に向けて歩み、剣を振り上げる。
「終わらせよう」
『ぁっ──』
光が収束する剣を掲げる彼の姿に悪魔は天使を幻視した。神々しく輝く光輪から漏れ出る邪悪殺しの光が悪魔の体を焼く。真紅の瞳で睨まれた体が縫い付けられたように動かせない。光が収束していく剣の中に見えた炎が悪魔の潰れた瞳を焼いていく。目を焼かれた事に対して悲鳴をあげることすらなく──
ああ、ああ、ああ──!
『光が、堕ちて──!』
振り下ろされた剣に悪魔はかつて焦がれた光を垣間見た。そしてそれに縋るように両断された腕を伸ばし──灰へと還された。
「……滅却終了」
黄昏が晴れ、悪魔が存在していたなどと思えないほどの平穏と静寂が訪れた。
「強い精神操作能力を持つ個体だったか。明は蠱毒によって生まれた存在だと言っていたが……サンプルを回収して研究所の奴らに調べさせてみるか。上手くいけば魔法少女達の精神防御機構に使えるかもしれんな」
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「うーん、やっぱり精神型は相性差で完封されるかぁ。一応対策として強酸性の血にして迂闊に斬ることが出来ないようにしてたみたいだけど……まさかあんな力技で突破されるとはねえ」
やー、凄い凄いとソレは無邪気に笑っていた。
「ねえ、君はどう思う? 自信満々でこれでニーアを殺せるなんてほざいていたけれど」
ソレは足元に転がる四肢を失った男にそう聞いてみるが、男は何も答えることが出来なかった。
「まあ、所詮は君も塵屑だから分からないよね。犬猫でも理解出来る序列ってものも理解出来ない塵屑だもんね?」
グリグリと頭を踏み躙られる。本来の男──いや、魔神である彼ならばそんな事をするやつは即座に殺していた。いたのだが、ソレには何も出来ない。否、やろうとすら思えなかった。
ただただ只管に恐ろしい。叶うのならば認識しないでくれとすら思うほどに。
「ああ、でもちょっと気になるのは手と剣から炎が漏れてたことかなぁ。漏れ出たのはほんのわずかだったし、あの塵屑を除けば誰も直視してなかったからいいけど」
ニーアが悪魔の眼球を殴り抜いた時、あの悪魔は確かに魔力障壁を展開していた。だというのにニーアはまるで障壁の抵抗などなかったかのように平然と殴り飛ばしたのだ。
魔力障壁を貫通した──というよりもアレは蒸発させられたのだ。他ならぬあの炎の漏れ出た熱によって。
そして一番の問題は悪魔を殺す一瞬だけ刀身にあの炎が投射されたことだろう。その一瞬で潰された眼球だろうと知覚しただけであの悪魔の目は文字通り焼き尽くされた。いや、潰された眼球だったからこそ目が焼き尽くされた程度で済んだと言うべきか。
「それにしてもあの程度で最上位悪魔ねぇ……。ま、所詮は悪鬼同士の蠱毒によって生まれた塵屑だから仕方ないか」
そんなことを言いながらも何が楽しいのかソレはニコニコと笑みを浮かべていた。
「今度は悪魔同士で蠱毒をしてみるってのはどうだい? それもあんな紛い物じゃなくて純正の悪魔達を使ってさ。……でも少し強くなる程度は嫌だな。ただでさえ、塵屑に労力を割くのは苦痛なのに──ああ、そうだ!」
名案だと言わんばかりに上機嫌な様子でソレは魔神に金色の瞳を向けた。
その瞬間、魔神の本能が警鐘を喧しく鳴らし始めた。確実に最悪なことになると理解している。その先を言わせてはいけないと理解しているのに身体が動かない。声すら出すことが出来ない。
「君を餌にするってのはどうかな? 塵屑同士喰らい合えば掃除の手間も省けるし、塵屑とはいえ仮にも魔神なんだ。良い生き餌くらいにはなるんじゃない?」
そうやって嬉々とした表情を浮かべて尋ねるがきっと答えは聞いていないのだろう。何せ、その瞳には男の存在など欠片たりとも映していないのだから。
ソレが瞳に映すのはこの世においてたった一人。
「僕もニーアに感化されちゃったのかなぁ。僕は君が認めてくれたこの世界の事が結構好きなんだ。君が守りたいっていうなら僕も守ろうと思えるし、君がこの世界に住む人達を救いたいって言うのなら僕も彼等を救おう。君の願いを叶える為なら僕はどんなことだってするからさ──」
執着、妄念、妄執……そんな強くドロドロとした黒い感情が渦巻く瞳で愛しい彼を見つめ続けていた。
滅びを迎えるだけの世界に現れた己の唯一の希望。
どうしようもなくて、すぐに滅んでもおかしくないくらいで、こんな塵屑ばかりの世界で燦然と輝き続ける愛しい君。穢れを決して許さない純白の光。世界の特異点。
未だ彼の天秤は不安定だ。救世に傾くのか、破壊に傾くのかはまだ判断がつかない。それでも今の彼ならば救世を選んでくれると信じよう。
……ただまあ、僕個人としてはどちらでもいいんだ。君と共に歩める未来でも、君と共に滅びる未来でも。
僕は君がいるのならどちらでも幸せになれるから。
だから、ね?
「──僕の目を焼いて君しか見れなくなった責任とってよね」