無理な出陣、暴言や暴力。非力なひとの身では、刀身のうつし身である我らに傷をつけることはかなわず。さりとて、我らを呼びさます契約者ゆえか、その言葉には痛みが伴う。
だが、どれも主の行動は自身を傷つけるばかりのような自棄に見えた。初期刀である山姥切国広が支えようとしても、その優しさですらつらくなるほどの苦しみを感じるようだった。甘えを許さんと己に罪の意識を下賜された人の子は、人の機微に疎き我ら刀剣男士をおいて、竜の子に見守られながら持ち直したのだ。
許す許さぬの問題ではなく、悪しきは歴史修正主義者。歴史改変をもくろむ組織だ。今の世は奴らの行動が、人の子ひとりの運命を狂わせるほど蔓延る世なのだから。
愛する妻との記憶もあり、愛娘がそろそろ三つを迎えると穏やかな時を過ごした記憶もあるからこそ、優しい竜の子は“約束”を持ち掛けたのだろう。三日月宗近も比較的、最初からいたが。感情の機微にはどうもついては行けなかった。じじいだから、なのだろうか。
群れを厭う気質の、その、優しい竜の子は――――
「うそ、だろ……?」
「か、ら…」
美しい俱利伽羅竜も今は見るにたえぬ傷を負い、その身は本丸の門戸をくぐるや否やひび割ればらばらに。人肌はとけるように消え、本丸内には唖然とした空気が流れ始めた。
「あ、あ、ぁ、っお、大倶利伽羅ぁっ!」
遺されたのは、砕けた刃の破片。魂が抜けたように動けぬまま涙を流す主を三日月宗近は支え、へし切長谷部が持つ一本の刀に目を向けた。
砕けた破片を素手で拾い上げようとする主人を守るべくして遠ざけるも、主人の慟哭はその場の誰もを焼くような痛む音として響く。
けれど、けれども、遺された無垢なる刀身がその存在を主張する。それはおそらく、この本丸で初めて折れた刀剣となってしまったあの竜の子が残した意志。人形のように微動だにしない主の手をかの刀に触れさせれば、ずいぶんと見慣れた仏頂面がそこにはあった。
しかして、その記憶はないのだろうと悲観に暮れる本丸に、妙に訝しげな眼差しで審神者を見やる、かの刀。契約を結ぶために口上を述べるつもりなのだろうか、と誰もが見守ろうとした瞬間、無垢なる刀身であった人影、もとい、大俱利伽羅は無遠慮に審神者の頭を鷲掴んだ。呆れを惜しむことなくふんだんに含んだ黄昏の瞳が、じろりと主人を射抜く。
「……おい、」
まるで、慣れ親しんだ光景でありながら誰も何の行動もせぬ現状に対し、得も言われぬ感覚を受けたかのような眼で。
「えぐぅ、……えっ」
「な、なにをっ」
「ある、あるじをはな、えっえっ!?」
主に対して何たることを、と言いたくとも以前の大俱利伽羅も同じことを審神者にした。頭を掴まれている審神者の、子どもが叱り付けられた表情から力加減は、審神者曰く「バッチリ」なのだろう。ああされるときはどんなとき、と問われると。
今まさしくこのように審神者としての責務を泣いて蹲ろうとしたときにである。それがあまりにも先ほどぶりで、あまりにも同じで、誰もかれもが右往左往と困惑した。
「いつまで泣いているつもりだ。
「お、おくり、から……?」
唖然とした。まさか、そんなまさか。記憶をもって刀に移り変わるなぞ、前代未聞、と言うほどのことでもないがよっぽどのことでもなければ出来ないことである。
ここで、三日月宗近含める平安組がはたり、とした。けれども、涙を目いっぱいに蓄え、迷い子のように竜の子を見上げる主の胸の内を想うとこちらも泣きたくなる。無事ではないが無事だった大倶利伽羅は、幼子にしてやるように膝をつき、目線を合わせた。
「そうだ、大倶利伽羅だ。あんたと約束した、
優しさを微塵も抱かせぬ凪いだ海のように静かな声でそう告げる。安心させてやることこそが、今なすべきことなのだろうと肌身で感じとったようだ。
けれども戦時以外では荒ぶることのない平坦な声色は、困惑と恐怖の迷路で彷徨うひとの子にはじゅうぶんの穏やかな春風を伴う導きとなることを本人のみぞが知らぬところ。
「だが、何故だ……? そのようなことが出来るのは……」
白鳥が呆然としながら呟く。竜の子は、その問答に同意するように言った。自分がまさしく、霊に近しき力を持っているからだと。
「代理、だとか言ってたが。―――…まあ、そんなことはどうでもいい。おい、
「…ぁっ、う…!みん、みんな、ていれ、手入れしなきゃ…手入れ部屋はやく!!!」
とん、と目と目の間を指でやわく突かれ。正気を取り戻した審神者の悲鳴のような叫びは、もう二度と折れた刀を見たくないという主の気持ちそのものだった。
それも当然のことだ。折れたはずの大倶利伽羅が、再び同じ記憶を持って降りるなど三日月宗近ですら思いもよらなかった現象。予想外の驚きに鶴丸国永ですら目を丸くし、傷の痛みを忘れすらして大倶利伽羅の傍によりべたべたと触れてその存在を確かめている。
己自身ならばまだしも。他の刀剣で、おろす前の刀剣に己を転写させるなぞと云う無茶を起こせるはずもなく、だからこそ、大倶利伽羅は言の葉にして人の子を急かしたのだろう。
眉間に寄せられたしわや迷惑そうにしながらも慣れた相手に好き勝手にさせる大倶利伽羅は、確かにあの竜の子で間違えない。
「伽羅坊……ほんとうに、伽羅坊なのか……?」
「…国永、いい加減にしろ。」
「か、伽羅坊ぉ……!!」
麗人の哀愁で陰る瞳が潤み、重傷を思わせぬ機微な動きで竜の子の腕に飛び込んだ。なんだかんだと言いながらも心労を掛けたという思いはあるのかして大倶利伽羅は、重傷である身を少しも労わらず飛びつく鶴丸国永を傷に触れぬよう優しく支えるだけで、普段のように振り落とすような真似はしなかった。
死にかけた本丸の空気をほんの一瞬で持ち直せたのは、やはりあの竜の子の力が強いのだろう。なんともないような表情で鶴を片腕に抱き上げ、もう片腕には……
「ふむ、俺か?」
「……あんた、もう歩けないんだろう。俺をかばって足を斬られてたはずだ。」
呆れたような黄金が、ひたりとほけほけ微笑む三日月を射抜く。その瞳、見ればひとたび人の心をかどわかすお月様に真っ向から相対し、竜の子は、ただただ呆れた眼差しをとった。
「それで誤魔化しているつもりか。」
「あなや…、まさか気づかれていたとは」
「そうでもなければ、あんたはあんな戦い方はしないだろ。」
すっぱり言い切られてしまったな。だが、確信もした。この大倶利伽羅は、戦場での記憶が、それ以前の記憶もあるようだ。練度は下がってるようだが、それでも相変わらず他の分霊たちよりも強い力を感じる。
降り立つ前から本霊たちは各個刃で定めた本丸に『本霊ではないが、本霊に近い分霊』を一個体派遣している情報は刀剣たちの間でもまことしやかに囁かれていたが…。
この本丸にまさか代理がいたとは。本霊の代理として任務を遂行するため、代理分霊には本霊に近い力が与えられると聞くが、これは予想外だ。鶴ではないが、いやはや、驚かされたな。空の刀剣に魂を移し替え、顕現する力を持つなどありえんが目の前で起きた出来事だ。何より、平安知る付喪神が大倶利伽羅を信じぬわけにもいかんだろう。
「光忠、貞、長谷部、あんたたちはこいつらが終わってからになるだろう。その間に少しでも人の身を休ませておけ。」
こいつら、と持ち上げられた弾みで、対岸の鶴と顔が近づく。おお、戦場でよりも赤く染まるのはそちらのほうが可愛らしいと思うぞ、鶴や。
そのまま甘えて抱えられていると鶴丸国永が別の意味で顔を赤くしていることに気づき、三日月宗近は普段通りの調子を取り戻してほけほけ微笑む。坊や扱いしている子から反撃をくらって、まともに会話できる状態ではなくなってしまったようだ。
嬉しいかな、そうさな。うんうん。―――うなずく三日月宗近だったが、流石に痛みはある。立派に成長してくれてうれしいのは分かるが俺の肩を叩かんでくれぬか。今はちと痛い。
「おおうっ、もっと丁寧に扱ってくれないか伽羅坊!?」
「うるさい」
照れくささを誤魔化すように叫び、捕まる肩を揺さぶる鶴をちらと黄金の瞳で流し見て一刀両断するさまは、まさしくこの本丸で見知った大倶利伽羅であった。
「ありがとうなぁ、竜の子や」
「……説明は面倒だ。三日月、あんたがやってくれ。こういうの、詳しいんだろう」
「うん? あっはっは、いや、そうかそうか、竜の子は神力の話は苦手であったか。あいわかった、俺からでよければ主に話しておこう。」
さっと。手入れ部屋の素早く襖を閉じられ、霊力が立ち込めるのを感じ取る。衣服の修繕は瞬きをする間に終わり、傷も痛みも消えてゆく。部屋の前に立つ影は、……言わずもがな。
落ち着いている大倶利伽羅と泣きそうな主の二人。少し離れた場所には今も傷にうめく三振りの仲間か。傷がなくなってからすぐ三人を放り込む。
竜の子や、それでは三振りが子猫のようだぞ…? 扱いはそれでいいのか、三振りとも硬直したまま手入れ部屋に投げ込まれた。加減は絶妙で、ふかふかの布団に投げ込まれた三振りは大倶利伽羅を見上げようとして襖を閉められる。
「うるさい」
「何も言ってないよ、伽羅ちゃん!」
「おうおう、何も言ってないぜ伽羅!」
あなや…。相変わらず照れ屋さんのようで安心した。三振りの輝かんばかりの眼差しを受けて思わず閉めてしまったようだ。