―――他人と親しみ、思いやりの心をもって共生を実現できますように。
自分を生んだ母の最初で最後の願い。
思いやりを忘れず、他者と交流を保ちながら共存共栄を目指せる子に。だけども、ここ数年の男の記憶では、名を与えてくれた母の願いと相反することばかりであったと袴の裾をぎゅうっと握りしめて項垂れた。断頭台で刃を待つ罪人がごとく一連だ。
ここに大俱利伽羅が居たならば、余計なことを考えるなと顔をしかめて顎を挟み込むようにして顔を引き上げさせただろう。更生できたのだから次に行けと言うから。
自分のしてきたことは、何があっても許されないことだと。付喪神様たちが許してくれても、未だに自分のことが許せなくて当たり前のことだ。それは、分かってる。
でも、あの
優柔不断な己と同じようにゆらゆら、ぱちぱち。担当者を前にするとくすぶり、政府のお役者さんを前にすると爆ぜ、同僚の審神者を見ると揺れ、刀剣を見ると煙り、異なる刀身を見ると歪む、種火の存在を。ただ、一言「そうか」と。
今にも己を焦がさんとする復讐の業火を前に、あの
人間が不浄を溜め込むと、人の理解から逸した
『穢れをはらえ。』
払え、祓え、掃え。どれか分からなかったけれど、あの
共感者がほしかったわけじゃない。だって、あの子たちを愛した夫で父であるのは自分だけで、あの子たちが愛してくれたのは、自意識過剰だろうがなんだろうが自分だけなのだから。
彼女たちに関する記憶を思いやれるのも、宝にできるのも、愛せるのも、ぜんぶ。他の誰かに共感するということは、共に有するということ。…あんなことがあった後では、かくも潔癖があるかのように彼女たちの思い出に、軌跡に、れきしに、誰かの痕跡がつくことを、誰かの声が、言葉が寄ることを、審神者は厭ったのだ。
あんまりな出来事を前に平静でいられるはずもなく、冷静であれるはずもなく。そんな、あまりにも過剰すぎる防衛は、自己だけではなく他社も蝕んだ。
失ったいとしい人たちの思い出を語って聞かせてくれと言われることは、きっと気遣われてのことだった。―――でも、哀れみや優しさを向けられることがこんなにも辛いことだとは思わず、乱暴に手を振り払ってしまったのだ。いやだ、自分のだ、近寄らないでくれ彼女たちに、もうこれ以上。そんな、言葉で。
人間同士の戦に力を貸してくれてる
そんな神様たちにお返しできるのは、真摯な姿勢で今まで以上に審神者業を取り組むことだと持ち直した。はずだった。大倶利伽羅が目の前で折れて、審神者は何もできなかったのだ。
―――また、また失った!
審神者は、砂吹雪く嵐の中に佇むようだった。
すこし前に、神隠しで幼馴染を失くした。寡黙なやつだけど、人を思いやるという概念を形にしたこんなのだろうと言わんばかりのやつであった。愛した女を紹介し、幾度となく慈しんだ娘をふくらんだ彼女の腹越しに挨拶させると、分かりにくい表情をほんのり和らげるようなやつを。酒を片手に、また遊ぼうと約束したその日の夜に、失くし。
熟練の審神者が言うには、調査した結果、どこぞの御霊に魅入られて連れ去られたのだろうと言われた絶望感を分かち合ってくれた妻は。―――審神者の喜びも、悲しみも、怒りも、すべて共有してくれた
彼女と愛し合った証であり、新たなる愛のかたちである娘の存在を、失くし。自分のしてきたことは、かえって自分の首を絞めるだけであったことを知った喪失感。助け出すことの、共に終わることすらできなかった絶望。
嗚呼、このまま、このまま―――終わりにしてしまいたい。伸ばした指先が、砕けたかみさまに触れるよりも早く、天より見守る夜の瞳が、審神者を捉えた。
「……おい」
次の瞬間、映り込んだのは覚えのある夜の手袋。そして、黄昏を宿した龍の瞳。三日月がなんとかしてくれなければ審神者はまた、神様たちに酷いことをしてしまった。大倶利伽羅が戻ってきてくれなければ、審神者はまた、道を間違えたかもしれない。
ありがとうとごめんなさいを交互に懺悔を続ける審神者の抱える想いを前に、初期刀は布頭巾をさらに深くかぶるようにして表情を隠した。
「うん、それでな主や。あの竜の子は、間違えなく主と約束事を交わした大倶利伽羅だ。そこは安心してもよい。」
「で、でもなんで?」
「俺が説明しようと思っておるのは、そこだ。あれは比較的に本霊に近い存在……主の時代で言うなら、社長を本霊として、副社長
「ええ? 待って待って!」
どういうことだと冷静に、けれどもざわつく胸のままに三日月宗近に問う。言葉だけを切り抜くと、本霊の代理人であることは分かる。―――だけども、その役割は? 存在する理由は?
三日月宗近曰く。
まだ知識があるであろう現代社会における一般企業で想像してみよ、と。審神者が所属する組織(時の政府)のことを”法人”と呼んだ。
”法人”に所属する職員から”支店(本丸)”の運営を託された存在が、”支部社長(審神者)”。法人から直々に選抜された精鋭社員を、”派遣社員(分霊:刀剣男士)”に当てはめ。本丸ごとに配属される派遣社員が分霊で、チームメンバーを紹介する側の企画担当者を”本霊”と言った。
派遣社員に囲まれてる環境。そして、その調査を支部店長(審神者)にバレることなくするために分霊(派遣社員)たちの中にコッソリと一個体(ひとり)だけ社長代理=副社長(本霊代理)をまぎれさせ顕現させてる、と。
「どうして?」
にこり、と笑みで隠された言葉を感じ取り、仁はしみじみとうなずく。そんな仕組みになってたんだな…。とざっくばらんに理解した体で。
難しすぎてよく分からんかったがあの大倶利伽羅は人間でいう副社長レベルの権限……つまり、神気を使えるから付喪神の宿ってない同じ大倶利伽羅(刀剣)があれば体の移し替えは自由にできるし、実質の破壊扱いにはならないのだと。―――今度は安心しすぎて腰が抜けた。
じゃあ、やっぱりあの大倶利伽羅はまだ俺の本丸にいてくれているのか。愛想を尽かされたわけじゃなくて、ただ単に検非違使を対処しきれなかった俺のせいで失いかけた……。ああ、だめだ。そんなの。
国広や三日月には悪いけど、俺はもう大倶利伽羅なしでは生きていけない。だから、練度が1になってしまった彼を本丸内で生活させることばかりを頭に浮かべて…
「……体が変わったことで大倶利伽羅は練度が下がっている。」
そうだろう、だからそのことで考えているのだ。重々しく頭を動かした仁の頭部を見下ろし、困った童を見つめる瞳で三日月宗近に言った。
「主、俺が言うのもなんだが……あの竜の子を今度はきわめとやらにならせてやってはくれぬか。簡単には折れぬほど強くしてやってほしい。」
「―――っ」
半分ほど立てた計画とは正反対の言葉だった。
だが、仁にとっては天啓でもあった。そうだった、彼らは戦いのかみさまなのだ。物置にくすぶるだけの宝物ではなく、戦の中にあってこその、かみさまなのだ。
「あの竜の子は優しすぎるきらいがあるでな。他者を思うあまりに己を傷つける刃にならぬうちに、どうかあの子を強くしてやってほしい。」
ああ、そうだ。
彼も刀剣男士なのだから、戦える自分に矜持を持っている。
大倶利伽羅のおかげで和解した刀剣男士たちと約束した、「ふさわしい主になる努力」を俺が怠ってどうするんだ。ゆっくりでも絶対にあきらめてはいけない。
身を粉にして働いてくれた大倶利伽羅のためにも、俺たちがまず一歩を自分で踏み始めなければ。ぐっと歯を食いしばって、大きく息を吐きだした。
「国広……あの、大倶利伽羅のレベリング隊長まかせても…いいか?」
「ああ、任せてくれ」
少し汚れた布をかぶる相棒にこぶしを突き出せば、迷った様子もないまま頼りになる表情でこぶしを合わせてくれた。
ああ、初期刀がこんなにも頼りになることを俺は今まで知らなかったなんて勿体ないことをしていたんだとか。そう思えるほど、心が回復したと自分でも分かる。
それに気づかせてくれた大倶利伽羅には恩を返すために、まずは指南書を片っ端から読みまくろう…。現代文ではなくてわざわざ古文にしたのは何か理由があるのだろうか。俺には分からないけども。
でも勉強するにも分からない古文があったら、国広と三日月が教えてくれるので本当に少しずつ。また無理をして壊れぬよう、と最近では三日月と大倶利伽羅の勧めで国広を近侍においてスケジュール調節をしてくれてることに感謝だ。
ああ、かみさま。
俺にチャンスを与えてくれて、
―――――――ありがとう