今回はクラーラと銀狼の話。
反自白剤とかいう公式チート薬物を盛ってきたルアン・メェイは出ない。
「ヘルタなんて大嫌い」
きょとんとした表情のヘルタもかわいいな──とかなんとか考えた直後、自分がなにを口走ったのか気づいて背筋が凍った。
この私がヘルタのことを嫌いになるはずがなく、ましてやそんな言葉を口にするなど以ての外。
しかし口にしたという現実は変えられず、そんな語句を紡いだ口を信じられない気持ちで塞ぐしかない。
突然そんなことを言われたヘルタが、ゆっくりと眉をつり上げている。
「……あなたが私をどう思おうと勝手だけど、模擬宇宙はきちんとこなしてもらうよ?」
軽く殺意を込めた眼光を向けられていることで今現在ヘルタの脳のリソースの一部を割かれている事実に震えそうになったけど、そんなことをしている場合ではなかった。
問いかけに黙っていればいいというのに、口を塞いでいた手が勝手に下ろされる。
「そんなの知らない。なんで毎週あんたに会わないといけないの? 正直あんたの顔なんて見飽きたよ」
──ありえない、私はなにを言ってるんだ!
毎週どころか毎日だって会いたいし、何度見ても見飽きないどころか毎回新鮮な気持ちでヘルタを見ているというのに、なぜ私は本心とは真逆の言葉を口走っているのか。
言葉の上では気にしていない振りをしていたヘルタは明らかに不機嫌そうになった後、うろたえる私の様子を眺めてから深くため息をついた。
「あなた、またルアン・メェイになにかされたでしょ」
「されてない」
いや、されたと思う。
飲食物は警戒されると学習したのか、ルアン・メェイも最近は食べ物を寄越してこなくなった。
でも二人きりになるとやたらいい匂いをさせるのが妙だなとは感じていたから、たぶん向こうもアプローチを変えてきたのだろう。
ヘルタが露骨にため息をつきながら額に手を当てている。
いつものナルシズム溢れるさまとは違い、呆れ返っているようだ。
「症状についてはだいたいわかったから、今日はもう帰っていいよ」
「わかった、帰る」
「帰っていいって言ってるでしょ」
思っていることとは反対の言葉を口にしてしまうのだから、ヘルタのその反応は正しい。
相変わらず順応性の高い人だと感心してしまった。
「そんな状態でテストされても面倒だし、あなたになにかあったら……困るのよ」
「それってヘルタは私のことが大切じゃないってこと?」
「ああもう、本っ当に面倒…………さっさと帰ってくれる?」
辟易した様子でそう言われたら帰らざるを得ない。
私は「二度と来ない」と言い、あしらうように軽く手を上げたヘルタを確認してから駆け出した。
*****
中和剤かなにかがないか、とにかくルアン・メェイに尋ねようと考えて列車のラウンジを見渡したけど、ここのところ頻繁に来ていた彼女の姿はそこにはなかった。
代わりに銀狼やクラーラがいて、ああこれはヤバいわと確信していた。
逃げる隙も与えないのか、寒々しいやら痛々しいやらの裸足でこちらへ駆け寄ってきたクラーラが柔らかい笑みを浮かべて私を見上げるのをじっと見つめ返す。
「こんにちは、お姉さん!」
「こ、こんにちは、クラーラ……」
今の私はおそらくなにを言われても真逆のことを口走るのだろうから、この純真な少女を傷つける前に消えてしまいたいところだったのに、そんなキラキラした目で見つめられたら立ち往生するしかなく。
いっそだれか助けてくれないものかと辺りを見回すと、ホログラム体の銀狼とばっちり目が合った。
ここで瞬時にそのスーパーハッカーとアイコンタクトを発動する。
──諸事情で会話に弊害がある、クラーラを傷つけたくない、お願い助けて。
という祈りが届いたのかは定かではないけど、ニマニマしながら銀狼が近くまでやってきた。
「クラーラ、すごく久しぶりにお姉さんと会った気がします」
「私はいつもクラーラのこと考えてたよ」
「えっ……?」
クラーラは戸惑った後に気恥ずかしそうに目を逸らしていた。
しかし、私は自分が本心とは真逆の言葉を口にすると知っているので、どちらにしろクラーラを傷つけていると自己嫌悪に陥った。
──確かにそんな毎日クラーラのことを考えてたわけじゃないけど……。
この場にスヴァローグがいれば、勘違いが訂正された瞬間に殲滅執行されそうではあった。
やや頬を赤くさせたクラーラが潤んだ瞳で見つめてきたけど、私にどうしろというんだろう。
「あ、あの、お姉さん……っ」
「うん、なに?」
頼むから変なことは言わないでほしい。
そんな思いとは裏腹に、目の前の少女は意を決した感じでこう言ってきた。
「お姉さんの部屋に……行きたいです」
「いいよ」
──よくない! このままじゃ私のなにかがクラーラに捧げられる!
ぶんぶん頭を振りながらそう考えていても、了承の言葉を伝えられたクラーラは花が咲いたような笑みを浮かべて私の腕を取ってくる。
この清らかな少女を穢したくないという思いと同等に傷つけたくないとも感じていて、既にこの場から去る体勢になっているクラーラの手を振り払うことも握りしめることもできずにいた。
そうして、どうしたらいいのか本気で混乱していると、近くで面白そうに眺めていただけだった銀狼が至近距離まで近づいてきた。
急に距離を詰められたクラーラが酷く驚いた様子で私に抱きついてくる。
二人とも体格差はほとんどないというのに、雰囲気があまりにも真逆なのでクラーラも怯えたのだろう。
相変わらず意地悪そうな笑みを浮かべた銀狼がこちらを見上げてくる。
「修羅場の気配を感じ取った。で、助けは必要?」
「いらない!」
激しく頷きそう叫ぶ。
銀狼は笑いをこらえているのか、肩を震わせていた。
「お姉さん、この人は……」
「銀狼。ポンコツハッカー。私の大切じゃないネトゲ仲間。はっきり言ってタイプじゃない」
「……は、はい?」
なにを言われたのかわかっていないらしいクラーラとは対照的に、銀狼の方はいつも半眼閉じている目を大きく見開いていた。
「へえ、そういうふうに思っていたんだ? なるほど……」
どの言葉に反応したのかはわからないけど、本人にしても意外な事実があったらしい。
私はというと、普通に伝えるより恥ずかしいことに気づき、クラーラ以上に顔が赤くなっている自覚があった。
「面白い、付き合ってあげる」
──まともに助けてくれる気がしない。
しかし他にだれにも助けを求められないので、私は銀狼も伴ってクラーラと共に自室へ向かうしかなかった。
*****
ここにヘルタのリモート人形までいれば完璧すぎる地獄の完成だったけど、こういうときに限って空気を読むのか、いつもはリモート人形が腰掛けているイスにはだれも座っていなかった。
「お、お邪魔します」
礼儀正しいクラーラがそう言って部屋のドアを跨ぐ。
「あなたの部屋に累計何日ログインしたっけ? まあいいや、とにかく私は挨拶をするタイプの星核ハンター」
銀狼はホログラムなのでそれっぽく付き添ってきただけで実際には一歩も動いていないのか、部屋に着くなりリアルのソファーかなにかに腰掛けた様子で、こちらからすれば空気椅子にしか見えない。
──こんなことになるなら他にイスを置いておけばよかった。
クラーラは空気椅子した銀狼にぎょっとしながらも自分もそうしようと試し、同じく驚いた銀狼に「やめときなよ」と止められていた。
部屋に唯一あるイスはヘルタのリモート人形専用ということにしているので、いくらクラーラでも座らせたくなかった。
ヘルタ本人がどうとも思っていないのが、私としては悲しいところなんだけど。
まったく使っていないベッドに腰掛け、クラーラを見ながら隣をぽんぽんと叩く。
なにを想像したのか、クラーラは赤面した。
「お……お姉さん?」
「逃げて、私クラーラになにかするよ」
──自分で言っていて頭が痛くなってきた。
音声チャンネルを切ったらしい銀狼が向こうで爆笑しているのが見える。
しかしクラーラは目が眩んでいるのか、変な表情をした私を怪訝に思うどころか、なにかを覚悟した顔で黙って隣に腰を下ろすだけだった。
「……」
「…………」
正直、ホログラムとはいえ銀狼がいてくれなかったらまずい事態になっていた自信がある。
いつぞや止めてくれたスヴァローグもいないし。
……隣のクラーラからめちゃくちゃ視線を感じる。
誘ってきたのに顔すら見ないなら、それは不満にも思われるだろう。
「銀狼、ちょっと」
「念のため言っておくけど投影型ホログラムはそういうプレイには使えないから」
──なに言ってるのこいつ。
青くなりたいのはこちらの方だった。
助けを求めるために声をかけたというのに、おもむろに立ち上がった銀狼は一向にこちらへ近づいてくる気配がなかった。
「ごめん、カフカが呼んでるからちょっと退席する」
「早くどっか行って」
「あー、うん、善処する」
その言葉を最後にホログラムが消えて、私は今度こそクラーラと二人きりになってしまった。
唯一の抑止力が失われたことでクラーラが暴走するのかと恐れていたけど、意外にもクラーラは冷静だった。
「二人きり、ですね」
──冷静じゃなかった。
その目はなにかを懇願しているとしか思えないほど潤んでいる。
ほとんど泣いた目を直視した私に多大なるダメージが発生し、慌ててそのへんから取り出した大宇宙チャーハンをかっ食らうはめになった。
その奇行のおかげでクラーラも多少我に返ったのか、今度は息を殺して俯いてしまったようだ。
「クラーラ、私今ちょっと頭の調子がすごく良くなってて」
──うん、元から別に良くはないけど今は最高に悪い状態だろうね。
そんなことを言われたクラーラは笑うでもなく、どこかのだれかとは違って心配そうに見つめてきた。
「なにかあったんですね」
おそるおそる伸びてきた手が、優しく頭を撫でてくる。
そんなことをされても頭は良くならないけど、気分的にはだいぶ違った。
そういえば今日会った三人は全員同じような背丈をしていたのに、わかりやすく心配してくれたのはクラーラだけだ。
やはり天才というものは情に疎いらしい。
自分より遥かに年下らしき少女に泣きつくのは倫理的にどうかと一瞬迷いはしたものの、こんなときにそんなもの気にしていては銀河打者の名折れだと思い、私はクラーラの膝にすがりついた。
剥き出しの素足は思ったよりはあたたかかったけど、空調の熱に比べればだいぶ冷たい。
髪を掻き分けてうなじの辺りを撫でたその手は、クラーラの心と同じくあたたかい。
「しばらくこうしていますね」
柔らかい声でそう言われて、涙が滲みそうになった。