崩壊:スターレイル二次   作:出力用

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カフカが星の部屋でヴァイオリンを弾くだけの話。


悪魔の楽器

 

 

 

 

 

「ハーイ、(ステラ)

「……、……」

 

 

 神出鬼没、傍若無人。

 そんな四字熟語を体現したかのような女が、当然のごとく私の部屋の中に突っ立っている。

 なぜか左手にヴァイオリンを持っていて、右手にはカーボンとおぼしき弓を携えて。

 ニコニコしていても裏があるとしか思えず、私はなにも見なかったことにして踵を返した。

 廊下の窓枠に手を突き深くため息を吐く。

 先ほど見たのは幻覚、そうに決まっている。

 呼吸を整えて再度ドアの前に立つ。

 難なく開いたその先に、美しい刺繍が施されたハンカチを顎当ての上に置き、そこへ今まさに顎を載せている女がいた。

 

 

「あら、もう戻ってきたの?」

 

 

 姫子のようなことを言いながら、幻覚は左手の指先で軽く弦を弾いていた。 

 ナイロンギターを爪弾いたときと似ている小さな音が聴こえてくる。

 

 

「…………」

 

 

 ナターシャも白露もそして羅刹も、幻覚を見るのはたいして珍しいことではないと言っていた。

 ただ、幻覚が話しかけてくるのはかなりまずい状態らしい。

 それにもしこれが怪異の類いだったら、返事をしてはいけないというのが丹恒からの教えだ。

 自室に出現したその女と目を合わせないようにしながら、私は部屋に設置してあるボルダータウン仕様のゴミ箱に潜り込んで目と耳を覆った。

 しかし幻覚が普通に蓋を開けてきたので、驚いて顔を上げてしまった。

 カフカの顔をしたそいつはわずかに眉をひそめている。

 

 

「相変わらず狭い場所が好きなのね。でも、さすがに見ていて不憫だから出てきてくれる?」

 

 

 伸ばされた柔らかい手が、さらさらと私の頬を撫でてくる。

 いつもなら手袋をしているはずなのに、楽器を持ってきた以上は邪魔になるから着けていないのだろう。

 思ったよりその手があたたかくて、しばらくなんの反応もできなかった。

 

 

「さあ、そんなところにいないで、ちゃんと人間らしくしてちょうだい」

 

 

 幻覚か怪異と思っていた相手は、つまらないことにカフカ本人だったらしく、軽く力を入れて私を引き上げると、縁を跨いだ私の前のめりになった体をしっかりと抱き留めてきた。

 すぐに体を離したら、カフカはまるでやましいことなどなにもしていないと言うかのように両手を挙げていた。

 その体からさらに距離を取る。

 

 

「用件はなに」

「用件? ああそうね……そろそろ私の演奏が恋しくなった頃かと思って」

「…………」

「もう……姫子に断って乗車したんだから、そんな怖い顔をしないで?」

 

 

 そろそろもなにも、カフカのヴァイオリンを聴いた記憶自体がないんだけど、向こうはとにかくそういうことにしておきたいらしい。

 エロトマニアとかそんなものを発症しているとしか思えない。

 なぜ素直に伝えきれないのだろうか。

 ──私にも言えることか。

 あと多分だけど、姫子もカフカが勝手に私の部屋に入ることは許可していなかったと思う。

 文句を言っても喜ばせるだけなので、「ふうん」とだけ返してベッドに腰掛けた。

 私の部屋に唯一存在する椅子はヘルタのリモート人形専用ということにしているので、たとえ今のように彼女が不在でも座ることはないし、だれにも座らせることはない。

 来客を想定した内装ではないから当然で、なのとか姫子が来たときはベッドの上で駄弁る。

 

 

「あらあら、少しの興味もなさそうね?」

 

 

 悲しそうな表情を作るわりには声は威圧的なので、カフカがなにを考えているのかさっぱりわからなかった。

 ちぐはぐな言動をして相手を混乱させるのは、恋愛においては使えるテクニックなのかもしれないけど、私は別にカフカを恋愛対象にはしていない。

 だから、戸惑うしかない。

 

 

「早く終わらせてさっさと帰ってくれない? それとも実際には弾けなかったりする?」

「君とのお喋りも楽しみたいのに、そういうところは察してくれないの? しばらく見ない間に冷酷になったのね」

 

 

 カフカは露骨にため息をつきながらヴァイオリンを取りに後ろを向き、またハンカチに顎を載せた。

 弓の白い部分が弦に触れて、悲鳴よりはいくらか低いけど、耳を刺すような音を奏でた。

 なんだか聞き覚えのあるメロディーだなと思って記憶を手繰り、すぐに答えに行き着いた。

 たまにカフカが口ずさんでいた旋律。

 ヴァイオリンが奏でるとこうも違って聴こえるのかと、少しだけ驚いてしまった。

 そういえば……同じ高さだと理解できるのに、楽器によって違う音色に聴こえるのは、よく考えるとおかしくはなかろうか。

 同じ人間であっても、口笛や拍手で音は違って聴こえる。

 音色って、なんなんだろう。

 軽く演奏しただけのカフカが弓を下ろしたから、思いきって訊いてみることにした。

 

 

「ねえカフカ、なんで楽器によって音色って違うの?」

 

 

 私にそう尋ねられたカフカが、ほんの一瞬だけ目を見開いていた。

 それから流れるように視線を逸らした。

 

 

「その質問を聞くのは、二度目ね」

「覚えてない」

「ええ、知ってるわ」

 

 

 カフカと過ごした時間は確かに存在したんだろうけど、その記憶は星核を入れられた瞬間にきれいさっぱりなくなってしまった。

 そう、汚れを洗い流すみたいに。

 そんなもの洗脳となにも変わらない。

 私はなのと違って過去にこだわってはいないけど、消された記憶の一部に当たるカフカがいまだにこうして関わりを持とうとしてくるのだけは矛盾している気がして、そこだけが気になっていた。

 自分のことだけは覚えていてほしいだなんて、都合が良すぎないだろうか。

 そんな思いを見透かしているのか、カフカは敢えて私と視線を合わせないようにしていた。

 

 

「その質問に答える前に訊かせて。音圧と音程の違いは覚えてる?」

「それくらい知ってる」

 

 

 カフカが尋ねたのは正確にはその内容ではなく、『かつて自分に教えられた記憶があるかどうか』というものだろう。

 そんな記憶はもちろんない。

 カフカについて覚えていることなんて皆無と言っていい。

 ただ魂が、強く惹かれているだけ。

 ──感情とは正反対なくらいに。

 

 

「それならその二つの違いを説明して」

 

 

 なんだか授業のようなことになっている。

 余計なことを訊かなければよかった。

 

 

「音圧って音の大きさのことでしょ。デシベルだっけ。音程は音の高さ。ヘルツ」

「あら、ちゃんと覚えてたのね、偉いわ。……それなら音色ってなんなのかしら?」

「それを質問してるんだけど」

 

 

 なにがそんなに嬉しいのか、カフカはニコニコして私に向き直る。

 いまさら気づいたけど、カフカはノーメイクだった。

 そのせいか普段より幼く見えるし、まだ親しみも感じられた。

 

 

「専門的な話なんて聞きたくないでしょうから割愛するけど、音色は……そうね、音の形とでも思ってくれればいいわ」

「音に形があるの?」

「ああ、その反応も二度目」

 

 

 懐かしいものを見たように目を細めるカフカに、なんとも言えない感情を抱いてしまう。

 カフカも過去は振り返らない性格をしているわりに、私についてだけはやけに執着している。

 それが愛ならかなり歪んでいる気がした。

 

 

「安心して? 君がすべてを忘れても、私はちゃんと覚えてるから」

「それが不愉快なんだけど……」

 

 

 とにかく音色は音波とやらの質の違いによって異なって聴こえるらしい。

 かなり乱暴なまとめ方だったけど、小難しい話を聞きたいわけではないのでその辺で納得しておくことにした。

 下ろしていた弓をもう一度上げたカフカが「リクエストはないの?」と言ってきたから、「特にない」とだけ答えておいた。

 カフカはつまらなそうに「作品十二」と呟き、春を思わせる明るくて優雅な曲を弾き始めた。

 その技法は見事なもので、旋律も淀みがなく美しいけど、なんていうか……行儀が良すぎて退屈してしまう。

 一言で表すと、眠い。

 そういえば古典音楽の中には、うたた寝する観客を起こすための曲があるとかなんとか。

 幸いベッドの上なので意識を失ってもたいして問題はない。

 最大の問題が目の前で演奏に酔いしれているのを除けば。

 ──よくあんなに指が動くな……。

 しかもカフカは演奏している感覚を楽しみたいのか、目を瞑って体を揺らしていた。

 まるで子守唄を歌いながら揺りかごを揺らしているようだった。

 おかげで欠伸をしてもバレずに済んでいる。

 ただ、うとうとしていたのが空気でわかったのか、もう一回くらいリフレインしそうだったものが不自然に途切れた。

 ハッとして目を開くと、至近距離にカフカの顔が寄せられていたので思わず息を止めてしまった。

 

 

「次はもっと激しい曲にした方がよさそうね」

「……次なんてないから」

 

 

 吐息がもろに当たるほど近づいたカフカの顔を掴んで遠くにやろうとしたらグキッとかいう変な音がしたので、慌てて手を離した。

 普段の所業のせいで勘違いしていたけど、カフカは普通に人間だ。

 だから、向こうが完全に油断している状態で唐突に私が今のようなことをすれば、カフカだって傷を負うし、下手をすれば死んでしまうのだろう。

 ──軽率だった。

 でも謝るのも変な気がしたから、黙ってその顔を見上げることしかできなかった。

 カフカは、首を押さえて困ったようにほほえんでいた。

 

 

「ちょっと頭を冷やしてくるわね」

 

 

 比喩的表現なのかそれとも私に負傷させられたからその治療のためか、カフカはケースにヴァイオリンを収納はしてもそれを置いたまま、呆気なく部屋から出ていってしまう。

 置き忘れていったわけではなく、また戻ってくるという意思表示だろう。

 この程度のことで彼女に嫌われるわけがない、という謎の自信はどこからやってくるのか。

 徹底的に拒絶でもすればさすがのカフカも気分を害するだろうし、表面的な優しさすら見せてくれなくなるのかもしれない。

 そうなればもはやカフカは敵でしかなく、『運命』なんて言葉も血塗られたものに変貌を遂げる。

 そんな結末には、なってほしくない。

 カフカのことは、嫌いではないから。

 

 

*****

 

 

 しばらくしてもカフカは戻ってくる気配がなかった。

 自室に他人の私物があるというのもなかなか変な感覚で、興味はないのにチラチラとそのヴァイオリンケースに視線をやってしまう。

 カフカは鼻唄を歌うときにエアヴァイオリンみたいなことをしていたから趣味の一つくらいなんだろうなと思っていたけど、あの技法はその域を超越していた。

 私はカフカのことをほとんど知らない。

 幼い頃からヴァイオリンを習っていたのか、それともたまたま才能があっただけか、その程度のことすら知らされていない。

 私が尋ねればカフカは答えてくれるだろう。

 ただし、真偽のわからない言葉を用いて。

 そんな相手に誠意を尽くすというのは馬鹿らしいし、そんな輩に特別視されるのは……不快だ。

 視界から離れてくれないヴァイオリンケースを開け、つい先ほどまであの指が触れていた弦に私も手袋を外した手を這わせてみる。

 弦は冷たくて細く、力の加減を間違えれば指を切ってしまいそうなほど硬い。

 一番太い弦をおそるおそる弾いてみると、響かないギターのような音がした。

 ギターと見た目は似ているけど、ヴァイオリンには変な形をした切れ込みがあるだけでわかりやすい穴は空いていない。

 それなのにどうしてあんなにも大きな音が出るのか不思議だ。

 弦の先端が巻きつけられたコルクのようなものに目を向ける。

 そういえばセーバルがエレキギターのチューニングをしているとき、こういう部分を弄っていた。

 音がずれていたらさすがにカフカも驚くだろう──と幼稚なことを考えたバチが当たったのか、迷いなく弦を張った次の瞬間、なんとも形容しがたい音を立てて、その弦が見事に切れてしまった。

 それを視認するより先に、手袋をしていない手に鋭い痛みが走った。

 見れば、手の甲の親指と人差し指の間の辺りの皮膚に細長く血が滲んでいた。

 どうやら、切れた弦が運悪く私の手に当たったらしい。

 出口を見つけたという感じで、玉のように丸い血が、その痕から音もなく涌き出でる。

 そんなものよりヴァイオリンの方が重大だった。

 弦が切れた衝撃で中のなにかが倒れたらしく、本体を持ち上げるとカラカラと小気味良い音がする。

 指も入らないような細い切れ込みから中を覗いてみると、とても小さな棒のようなものが転がっていた。

 ──まずい、壊した。

 音程を狂わせるだけが、カフカとの運命まで狂わせている不安に取り憑かれ、とにかく謝りに行こうと慌ててドアの方向に向かったら、ちょうど戻ってきたカフカとぶつかる結果に終わった。

 ぶつかったのにどちらも倒れなかったのは、反射的にカフカが私の体を抱き留めたからだった。

 

 

「そんなに慌ててどうしたの?」

 

 

 すぐにカフカは体を離してきたけど、私は気まずさのあまりまともにその眼差しを受けることもできなかった。

 しかしこのまま黙っていても良くないので、蓋が開いたままだったケースの中身、つまりは弦の切れたヴァイオリンを指差した。

 その惨状を知ったからか、珍しくカフカが息を呑んでいた。

 

 

「星」

 

 

 ──怒られる。

 私の方が身長も高くて力も強いはずなのに、本能的に縮こまってしまう。

 それが罪悪感から来たものなのか、はたまた記憶にないカフカからの躾の賜物なのかは定かではなかったけど、すぐにそんなもの気にする必要はなかったと知らされた。

 なぜならカフカはヴァイオリンからさっさと視線を外すと、私が無意識に後ろに隠していた手を取って、そこにある切り傷をとても痛ましい表情で見つめてきたから。

 

 

「ああなんてこと…………他に怪我はしてない?」

「えっ……し、してない」

 

 

 拍子抜けとはこのことだろうか。

 他人の部屋に放置するくらいだから、最初からあのヴァイオリンは大切ではなかったのか。

 そう勘違いさせるくらいに、カフカは私のことしか見ていなかった。

 

 

「よかった」

 

 

 普段は飄々としていて人間らしさを感じさせないくせに、今は泣きそうに歪められた表情で私を見つめている。

 恐怖を知らないカフカは命の価値なんて知らないから、怪我をしても言葉の上でしか心配しないものだと思い込んでいた。

 それなのにこの、顔。

 痛ましさの中に安堵が入り交じった感情的で人間的な表情が、ただ私だけに向けられている。

 

 

「……怒らないの?」

 

 

 カフカの手は震えてはいなかったけど、いつものように容赦なく撫でさすってくる様子もなかった。

 

 

「弦が切れたこと? そんなのよくあることよ、気にしなくていいわ」

「えっと……ヴァイオリンの中に入ってた棒みたいなやつも倒したんだけど……」

 

 

 なにか重要な部品が外れたとしか思えなかった。

 カフカはとても大切そうに私の手を顔の位置まで持ち上げて、深くため息をつきながら頭を振っていた。

 

 

「魂柱が倒れただけのことよ。それもよくあることだから、そんなに思い詰めた顔をしなくていいの」

「でも私、カフカのヴァイオリンに勝手に触って……」

 

 

 褒められた行為ではないという認識はあった。

 ただ、カフカなら許してくれるという驕りも同時に存在していた。

 私は多分……彼女を試していた。

 

 

「壊れたらまた買えばいいわ。替えの利く物に、たいした価値なんてないから」

 

 

 カフカはその先は言わなかった。

 言われなくてもわかる、こんな姿を見せてくれたんだから。

 

 

「勝手に触って、ごめんなさい」

 

 

 自業自得、因果応報。

 カフカの私物を壊して得られたものは、私の心にはあまりにも大きすぎた。

 

 

「いいのよ」

 

 

 泣き始めた幼子を宥めるように、カフカが私の頭を抱いてそうささやくのを聞いていた。

 そんな愛おしそうに言われたら、揺らいでしまう、傾いでしまう。

 

 

「こんな君を見るのは……これが初めてね」

 

 

 その一言を聞かされて、私はとうとう泣き出してしまったのだった。

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