ルアン・メェイに人格矯正薬を盛られた星の話。
「お呼びでしょうか、ミス・ヘルタ」
星がおかしいのはいつものことだが、その日は群を抜いていた。
「模擬宇宙に関してなにか進展があったとお聞きしました」
「ああ、来たんだ。……」
ヘルタは様子のおかしい星に一瞬だけなにか言いかけたものの、いちいち指摘するのも面倒だし癪だったので、手短に用件を伝えた。
「──変更点は以上。じゃあ、あとは模擬宇宙の中で確認して」
「仰せのままに」
どうせまた変な影響を受けたのだろう、と深く考えずに星を送り出し、脳波をチェックしながら模擬宇宙のサポートをしていた。
しかしその間も星はやけに他人行儀な素振りでヘルタに応答し、そのたびにヘルタを違和感という名の煩わしさでうろたえさせた。
口調や態度が変わろうとも模擬宇宙さえやってくれれば問題はないというのに、初対面のときからまるで礼節というものを知らない、言い換えれば裏表なく接してきた星がこうも見事に変貌を遂げたのは、ヘルタとしては悪い意味で驚きだった。
なにかあったのか、と一言問えば愚直なこの少女はきっと答えてくれるが、星核を宿していなければ自分の目に留まることもなかった存在に過度な興味を向けるのは馬鹿らしい。
「それでは失礼します、ミス・ヘルタ」
恭しく頭を垂れる星。
隙あらば遠慮なく眼前に突っ立って連写してくるような彼女とは、奇妙な距離感があった。
「うん……お疲れ様」
それは人として正しい間隔ではあるものの、ヘルタが手を伸ばしても届きそうにないところに佇んでいるというのは、遠いということだ。
星の顔にいつものぼんやりした表情は見えず、社交的な笑みが浮かんでいるのも不快だった。
その場を後にする星になにも言えず、ヘルタは少しためらってから、オフィスのリモート人形をオフラインモードに切り替えた。
*****
「ご機嫌いかがですか、ミス・ヘルタ」
明くる日にやってきた星は、いまだに様子がおかしかった。
「機嫌? そんなものないよ、いつも通り」
問いかけたら負けだと自分に言い聞かせ、ヘルタはいつものように模擬宇宙を起動する。
どうせこちらの気を引くために普段と違う態度を取っているのだろう、そうとしか考えられない。
……いや、科学者は多角的に物事を観察しなければならない。
ヘルタは星の行動をいちいち把握していないので最近彼女がなにをどうしていたのか知る術はないが、直近になにか変わった出来事がなかったか思考を巡らせる。
……。
そういえばルアン・メェイがなぜか星を気に入り、星穹列車にたびたび赴くようになったことは記憶に新しい。
あんな凡庸な少女のなにがいいのか、ヘルタには皆目見当もつかなかった。
灰色の髪は確かに珍しいが、ブラッシングを嫌がる子どものように不格好に伸ばされていて正直ペペの毛並みがまだましだ。
わずかのためらいも見せずに見つめてくる金の瞳は、姫子のものとも似ていて珍しくもなんともない。
英雄としての素質があるようなないようなよくわからない性格をしていて、その実績に比べて誇張された噂ばかりが独り歩きしている。
──本当に……あんな子のどこがいいの?
天才クラブのメンバーで模擬宇宙の共同研究者とはいえ、ルアン・メェイとは趣味趣向が違っているのだから、わかり合えずとも仕方ない。
自らにそう言い聞かせることでその辺りの疑問は解消されたが、ルアン・メェイがマッドサイエンティストという評価をされていることが少々気がかりでもあった。
科学では、疑問を持つのは悪いことではない。
むしろ唯唯諾諾となることは愚の骨頂だ。
幸いというべきか、渦中の人は模擬宇宙に新しく追加された機能を試すのに忙しく、しばらくはヘルタに話しかけてくることもなさそうだった。
そう、星はなにかにつけてヘルタに連絡を寄越してくる。
やれ広告マシーンでヘルタの執筆を見ただの、創造物が性格までヘルタに似ているだの、ヘルタ本人からすれば至極どうでもいい内容ばかりを一方的に送りつけてくる。
星の中にある星核は元々ヘルタが管理していたため、惹きつけられているのだろうか。
どういう理屈か知らないが星が封鎖エリアの培養槽に閉じ込められていたときに自分に助けを求めてきたのも、そういう執着的な感覚からだろう。
だから今、人が変わったようにおとなしくなった彼女をどう扱えばいいのか、ヘルタにはわからなくなっていた。
「……」
オフィスのリモート人形で星の脳波測定をしながら、ヘルタはルアン・メェイに連絡を取りつける。
今はどこの宇宙でどんな非人道的な研究に勤しんでいるのかわからないもう一人の天才は、わずか数秒のコールの後に『ルアン・メェイです』と抑揚のない声を出した。
「単刀直入に言うからよく聞いて。あなた、あのお子ちゃまになにかした?」
星に抱いた違和感はルアン・メェイへの疑いに変わり、そして今、その落ち着いてはいるが愉しげな笑い声を聴かされて確信となった。
『あなたにそこまで言わせるなんて、よほど彼女には強い変化が現れたようですね。その場にいられないのが残念でなりません』
「あなたの感想なんてどうでもいいから、なにをしたのかだけ言って」
語尾を荒らげて言うヘルタの声を聴いてもなお、ルアン・メェイは一息遅れた笑みを洩らしていた。
『私のように落ち着いた言動をしてみたい──と言っていたので……ほんの少しだけ、その願いを叶えてあげただけですよ』
なにをしたのか、それ以上訊くほどヘルタも愚かではなかった。
ただ許容できなかったのは、模擬宇宙とは一切関係がないその個人的な願望を星がルアン・メェイに伝えて、勝手に変化を迎えたことだ。
封鎖エリアでの研究を見た上でルアン・メェイに相談したのなら、怖いもの知らずにも程がある。
「……趣味が悪い」
嫌悪感をあらわにした声を向けられても、掴み所のないルアン・メェイは穏やかに笑うだけ。
『元気いっぱいの彼女も好ましいのですが、今の落ち着いた言動をしている彼女は……もっと、可愛らしくありませんか?』
「は……?」
恭しく頭を下げてきた星の姿を、あのいつもとは違う物理的距離を、違和感を、とてもではないがヘルタは好ましく思うことなどできなかった。
ヘルタは自分の容姿が優れていることを知っている。
自分の性格が無難なものでないことも理解していた。
だからこそ宇宙ステーションその他で信奉者が多く存在し、たまにサインやヘルタを模した商品の販売許可を求められることがあった。
そのどれもに、星が興味を示していないことも知っている。
そういう類いに興味を持たない人間なのかどうか定かではないが、無差別に求めない星にヘルタはある種の真剣さを感じていた。
そんな星が宇宙ステーションのスタッフ以上に礼儀を尽くしてくるのは、気持ち悪さを通り越してヘルタでさえ心配になるレベルだった。
それもこれもルアン・メェイの仕業だったとは、本当にあの日二人を会わせて以来なにかの軌道が逸れている感覚に陥る。
悪気などまったくなさそうに言い放ったルアン・メェイの言葉に、ヘルタは露骨に眉をひそめた。
「あなたみたいにしているお子ちゃまとか……そんなの」
──そんなの、私が知っている星じゃないから。
ヘルタは、言いかけたその言葉をすぐさま呑み込んだ。
いつの間にか星が、意識を覚醒させてこちらを見上げていたからだ。
その眩しい色の目に、酷く不安そうな表情をした少女が写り込んでいる。
それを視認した瞬間、ヘルタは自分がみっともなく動揺していたと知り、一気に冷静になった。
「なに見てるの」
「……すみません」
そういえば、こうして凝視されたのは久しぶりだ。
言動がいまだに治っていないのがただただ不快で、不愉快で、ヘルタは繋ぎっぱなしにしていたルアン・メェイの通信に向けて「早く中和剤を投薬して」と要求したのだった。