4/26はスターレイルのリリース日。
自分の
特に私は人間なんだかただの
自分が何者なのか確たる自信もないことで、時折、鏡に映る己の容貌を見て怖くなる。
その顔が裂界造物のものになっていないか、と。
幻覚にすぎないと理性では認知していても、裂界に呑まれた人々を目にしたことがあるから、完全に否定できない。
だから、恐ろしくてたまらない。
ほとんどすべての人なら、こんな不安を抱えずとも生きていけるんだろう。
ただ、私の中には星核などというわけのわからないものが埋め込まれている。
ああ本当に、わけがわからない。
今の私が望んでそれを取り込んだわけではないし、もちろん取り出す術もない。
──なんで、私は生まれてきたの?
一番古い記憶の中で私を見ているのは、妖しい目をしたあの女。
そう、すべてはカフカのせいだ。
あの女の願望を成就させるために、私という存在が必要らしい。
でもそれは、私が望んだことではない。
親のエゴ、とでも言えばいいんだろうか。
こうして今生きているのが嫌なわけではないし、みんなと出会えたことは嬉しいから、感謝していない気持ちがないとは言えないけど、それを素直に言葉にするにはあまりにも……煩雑すぎる。
しかしこうして考えていても埒が明かないので、なんらかの行動を起こさなければいけないだろう。
スマホの目映く光るディスプレイを一度だけ見てから、私はゴミ箱の中から出ていった。
*****
結局、ここへ来るしかなかった。
私たちにとっての始まりの場所──宇宙ステーション『ヘルタ』。
観光客もいないというのに、エレベーターを降りて真っ先に飛び込んでくるアナウンスは『ヘルタ』への来訪を歓迎するもの。
そういえば昔はそんなものなかったと気づく。
それから、まだここで生まれて、そして離れて一年も経っていないことを思い知らされた。
人々の変化は慌ただしいけど、宇宙の速度で見れば瞬きするほどの刹那にも充たない。
この場所から旅立って、私も少しは変われたんだろうか。
「……」
目的の場所まで歩きがてら、日記の内容を思い返してみる。
同じく記憶喪失だったなのに提案されて、私もあの日からずっと日記をつけていた。
とはいえ、ほとんどたいしたことは書いていない。
姫子のコーヒーでブローニャが具合を悪くしたとか、ジェパードでさえ間接的に不味いと評したとか、そんな日常の他愛ないことばかりが綴られている。
開拓の旅路で起きた印象的な出来事は丹恒がアーカイブにまとめているし、私が書くのはそういう範疇に収まらない感情的な部分だろう。
要は、記録ではなく記憶。
アイスクリームだジンジャーブレッドマンだなんだと甘いものを詰め込んだ百層サンデー(カロリーゼロ)を送られたヘルタが「甘すぎる」と苦言を呈していたものが、一番新しい記憶だ。
……リモート人形なのに飲食可能なのかって?
いや、あれは憶泡だから。
ヘルタだっていつだったか宇宙ステーションにそういうものをばら撒いていた。
──イースターエッグみたいで、見つけるの楽しかったな。
始まりの頃はなにもかもが新鮮で、驚きに充ちていて、毎日が楽しくて仕方なかった。
今日という日が終わるのが惜しかったし、その分だけ明日を迎えるのを心待ちにしていた。
──今じゃもう、模擬宇宙もデイリーもただの作業……。
運命もまだなのに、私の心は虚無に染まりかけていた。
離人感を覚えながらもなんとか視線を上げると、いつの間にか目的地へ辿り着いていたようだった。
それからデバフ解除されたときの爽快感を抱けたのは、おそらく最も頻繁に会っている相手がそこに見えたから。
奇物が納められたプライベートコレクションルームを通り抜け、さらにその奥へ。
シャドウギャラリーは本来保管していたもの、つまり星核を失っているから伽藍としていて、観測用のリモート人形が所在なく佇んでいるだけだった。
そういえばまだ今週は模擬宇宙をやっていないから、私の座標が宇宙ステーションにあると知ったヘルタが通知でも寄越してくるかとスマホを見てみたけど、開拓者チャットには数ヶ月既読スルーしたカフカのメッセージの羅列しか残っていなかった。
リモート人形がオンラインになって、いつものようにこちらを見上げつつ見下ろす目つきを向けてくるかと期待していたのに、人形は人形らしく、頬をつんつん突いてみてもデコピンしてみても無反応だった。
これ以上やるとヘルタ本人に警報が行く可能性があるのでそのへんでやめて、代わりに星核が保管してあった場所に横たわってみることにした。
床は冷たくて硬くて、お世辞にも寝心地がいいとは言えそうにない。
これならゴミ箱の中がまだ快適だろう。
「──なんでここにいるの」
いきなり声をかけられたからそちらを向くと、先ほどまで無反応だったリモート人形が呆れた顔をして私を見下ろしていた。
どうやらヘルタがオンラインになったらしい。
私は床に大の字になり、ヘルタから視線を外した。
「すべてが始まった場所に戻ってくるのって常識じゃない?」
「用があるなら手短に言って」
近くに来たからといって、いつもヘルタに用事があるわけではない。
だというのにヘルタは、私が傍にいたら自分に用があるものだと確信するくらいには反復学習しているということか。
ヘルタの脳に自分の痕跡が刻まれていることに謎の達成感を覚えつつ、今はそれより重要な目的があるので上体を起こした。
「この場所の過去の監視記録って観れる?」
ヘルタは数秒の間の後に、なにかを悟った様子で「ああ」と抑揚のない声を洩らした。
「観れるよ。どこかのハッカーに壊されていた部分もあるけど」
「……修復したの?」
パンクロード事件でヘルタたちに踊らされていたくらいだから、銀狼の技術はやはりヘルタには及ばないらしい。
いや、宇宙ステーションのスタッフたちが頑張っただけかもしれない。
一応ヘルタの収集部屋だし、星核なんてものを保管していた場所なんだから監視記録を復元するのは当然なんだろうけど、なぜかヘルタは私から露骨に顔を背けていた。
「で、いつの映像が観たいの?」
ヘルタは手元のホログラムパネルを操作してそう尋ねてくる。
なんだかとても、嫌そうにしている。
いつにない態度に首を傾げる間もなく、それを聞いて反射的に口が動いていた。
「一年前の──四月二十六日」
私がこの世界に生まれた日。
その日付を、一度だって忘れたことはなかった。
*****
ほらこれだよ、と淡々とした口調で言われて、ヘルタの近くに浮かんだホログラムディスプレイの映像に見入っていた。
多少荒れてはいるものの、復元された映像には確かにカフカと銀狼の姿があった。
ちょうど、ヘルタと私が今こうしているように、時間だけが異なる同じ場所にその二人が立っていた。
カフカが手にしているのが、星核。
恒星が死んだ後の光を集めて、集めて、集めて……それから極限まで煮詰めたような、そんな姿をしていた。
赤紫色のカフカの手袋と対比的で、そのくせ妙に馴染んでいる。
星核は、航行で星雲を見慣れている私から見ても、美しいと思える姿をしていた。
もしも天使に姿があるなら、こんなふうに光に溢れているのだろうか。
ただ……美しいと思ったのと同じくらい、恐ろしいとも感じていた。
なぜなら星核は、星一つを難なく滅ぼしてしまえるほどのエネルギーを有している。
そんなものが体内にあるんだから、怖くないはずがない。
『媒体の準備ができた。あなたが決めて』
記録の中の銀狼がそう言い、その前になにかが映し出された。
『エリオは、この選択を下すのはあなたでないといけないとも言っていた』
カフカが目の前に映し出されたものを見たまま、しばらく身動き一つしなかった。
ホログラムディスプレイ越しにその後ろ姿を眺めているからか、それとも過去の映像にすぎないからか、カフカをいつもよりずっと遠くに感じる。
表情が見えなくてもわかる。
カフカは、心ここにあらず、といった雰囲気をしていた。
『どうしたの? ぼーっとして』
私の意識とシンクロしたように、銀狼がそう呟く。
『ひょっとして、手放したくない?』
そこまで聞いて、ようやくカフカがなにを見ているのか知らされた。
銀狼が用意したディスプレイの中に、人が映っている。
そこには私と、もう一人、別のだれかがいた。
私とよく似た姿をした、知らない少年だった。
それを目にして、形のない鉛弾を頭に撃ち込まれた気分に陥った。
「……っ」
媒体と呼ばれた以上、自分がただの人間ではないと理解していたし、以前羅浮でカフカの口から説明されたものもある。
ただ、私以外にも星核の器が存在していたとは知らなかったし、カフカもそんなことは教えてくれなかった。
思わずよろける私をヘルタが無表情に掴み、ただ黙って監視記録の再生を止めた。
なにか根源的なものが崩壊した気がして、足からゆるゆると力が抜けた。
ヘルタは私を立たせるでもなく、先ほどから掴んできていた手を離してゆっくり腕組みした。
「満足した?」
なんの感情も込められていない無機質な声色に、今ほど安堵したこともない。
それから、少し前にヘルタが顔を背けていた理由をなんとなく察してしまい、パンドラの箱を開けたのは自分なのに、一瞬でも彼女を責める気持ちになったことを恥じた。
──ヘルタは、これを観た私がどんな気分になるのか、最初からわかってたんだ。
共感力はないくせに感情の機微に敏いとか、なんて矛盾した人なんだろう。
口先だけの慰めなんて必要としていなかったから、こんな姿を見せたのがヘルタ相手でよかった。
「手放された……ってことなんだよね」
「……」
銀狼の言葉を信じるなら、苦渋の決断の後に、カフカは私を手放した。
……それなら、残ったあの少年はどこへ行ったのか。
選ばれなかった方は肉体を得られなかったのか、それとも星核の器として存在していないだけで、実際はカフカの傍にいるのではないか。
…………。
もしも、
後者だったなら、
私は、
「──あなたがここでいくら悩んだところで、答えなんて出ないよ」
ともすれば冷たくあしらうような、そんな声が降ってくる。
首の骨を軋ませながら見上げたら、ヘルタこそ泣きそうな表情で私を睨みつけてきていた。
不謹慎だけど、可憐だなと思ってしまった。
「どうしたらいいの?」
「私が知るわけないでしょ。本人に聞きなさい」
至極尤もな提案を受け入れて、また床に寝そべった。
それをヘルタが不思議そうに見下ろしてくる。
「……どうしてまだ行かないの?」
「生まれた場所に戻ってきたんだから、ちょっとくらい余韻に浸らせてよ」
カフカに奪われるまでは、ヘルタが保管していた星核。
それならたぶん、この人は私の…………。
「別にいてもいいけど、仕事の邪魔はしないでよね」
「しないよ」
さっき勝手に触ってたくせに、とかなんとか呟かれたのは気のせいということにしておこう。
床に横になったまま、スマホを取り出して開拓者チャットを開いた。
返信せずにいたカフカとのメッセージには、消えることのない通知が表示されている。
──なんて切り出そうか。
あの少年のことを尋ねたい気持ちはある。
それは、嫉妬とかそんな生易しい感情ではないだろう。
カフカにとっての『運命』が私である必要はなく、あの少年でもよかったのは確かにショックだった。
ただ言い換えればそれは、あの少年である必要もなかったということになる。
意味を見出だされて生まれてきた生命なんて、ルアン・メェイの創造物より厄介だ。
──どうして『私』を選んだのか、それが知りたい。
そうだ、私はカフカについて知らないことが多すぎる。
だから信用できない、心を許したくないんだろう。
自分からは一方的に切るくせに、いつまでもいつまでも私からの返信を待っているそのアカウントにメッセージを送信する。
長文で送ったつもりはなかったというのに、待てど暮らせど一向にカフカから返事は来ない。
気づいたときには床の上で眠っていて、なぜか腹部にヘルタの帽子が載せられていた。
本人はオフラインらしく、リモート人形はいつも通りここではないどこかを見つめていた。
その不器用な優しさに苦笑しつつ、帽子を抱いてもう一度瞼を閉じる。
──今度起きたときには……返事が来てるといいけど。
+++++
「さっきからずっとスマホ相手ににらめっこしてるけど、なにかあった?」
「……うん? ああ、私の
「彼女、別にあなたの物じゃないと思うけど。……聞いてる? うわ、顔ヤバいことになってるし。ええ……なにを言われたらここまでなるの?」
「君相手でも、これだけは……見せられないわね」
「ふうん? まあ機嫌良さそうだしどうでもいいか。それよりカフカ、早く返信してあげたら?」
「そうねぇ……。…………」
「カフカ?」
「…………」
「わかった。私が代わりに返信しよう。そうだそうしよう」
「銀狼、急かさないで。私が選択を下さないとダメなのよ」
「そんなこと言うけど、星ならカフカからの返信がなくて飽きて眠ってそのまま忘れそう」
「……、……」
「容易に想像できる事態を口にした途端カフカがめちゃくちゃタイプし始めてウケる。ねえ、なんて返したの? それも秘密?」
「そんなに気になる?」
「だってさっきのカフカの顔、すごいことになってたよ。なにを言われたらあんなになるのか気になるし、それをどう収束させたのかも気になるでしょ」
「大層なことは言われてないし、私もたいしたことは言ってないわ。ただ……」
「ただ?」
「星が、女の子みたいな可愛らしい態度を取ってきたのが意外だっただけよ」