フリーナが蛍にパスタを振る舞うだけの話。
毎日パスタを食べている、と蛍に伝えたら、かわいそうなものでも見る目を向けられてしまった。
そりゃあ確かに僕は料理が得意じゃないけど、だからってあんな、あんな憐れみをあらわにした視線を寄越さなくてもいいじゃないか!
……。
第一、彼女は勘違いしている。
僕が言ったのは『パスタ』であって『スパゲッティー』じゃない。
パンにも様々な種類があるように、パスタにだっていろいろあるんだから。
そう、ペンネとかラビオリとか、ラザニアとか。
ソースが同じなら全部同じ味になるだろう、という指摘は聞きたくない。
パスタはそれぞれの食感の違いを楽しむのが常識だ。
それなら、たとえミートソースが一週間、トマトソースが一週間続いたとしても問題はないよね?
うん……どうやら蛍は、璃月や稲妻にスパゲッティーと似た麺料理があるから、パスタ=スパゲッティーと混同していたみたいだ。
形状や特質が違っていても小麦粉なんだし、主食であることに変わりはない。
だから蛍には、あんな悲しい顔をしてほしくなかった。
*****
「──そういうわけでキミに僕の手料理を振る舞おうと思う」
「そんなことで冒険者協会に依頼出さないで……」
普通に誘って断られたら寝込む自信があったからわざわざ依頼を出したのに、なんて言いぐさだ。
呆れた顔で額に手を当てている蛍と僕がいるのは、僕の現在の住居であるアパートメントハウスの一室……ではなく、爆発炎上しても被害が最小限に抑えられる洞天の邸宅内。
パスタを茹でるためには火を使う必要があるから、僕の持つ水元素と万が一にも作用でもすれば水蒸気爆発して、明日のスチームバード新聞の一面に載って炎上已む無しだろう。
でも、洞天の厨房を借りればそんな事態はおそらく防げる。
……というか、先に璃月の白髪の女性が料理をしていたんだけど、なぜか厨房が凍りついていてだいぶ時間を取られてしまった。
その人は麺料理を作っていたみたいで、出来上がったそれを主室で待機していた蛍のところへ持っていってしまった。
──いやいやいや、ちょっと待って!
そんな器一杯で蛍が満腹になるわけはないけど、僕が作ろうとしているのも麺状のパスタなんだぞ!
なんなんだ、いったい……。
でも指摘して文句と受け取られて怒らせたら、氷のように冷たい眼光を向けてくるその人に勝てる自信がなかった。
それで蛍が完食したのを見届けたその女性が満足そうに去っていくまで、僕はカウンターの下に隠れてやり過ごすしかなかったわけだ。
「で、なにを作るの?」
「それは出来てからのお楽しみっていうものだよ」
蛍は厨房に備えつけられている椅子に腰かけてなぜか腕組みしていた。
──うぅ、見られていると緊張するんだけどな……。
「ぼ、僕が出した依頼は『手料理を食べてくれること』っていうものだったから、別に過程を見なくてもいいんじゃないかな?」
念のために愛想笑いを浮かべてみたけど、蛍は無表情のままだった。
僕はたまに、彼女が人形なんじゃないかと錯覚してしまう。
「今までの経験上、調理過程で素材を取りに行かされるか『火加減を調整しろ』とか言われる可能性がある」
「…………」
どんな困難に突き当たったのか、蛍の目は遠くを見ているみたいだった。
他国の料理事情が杜撰すぎて、不甲斐ないことになにも返せなかった。
僕としては、出来上がった料理をセッティングした状態で彼女を招く予定だったから、依頼を出したそばから手を引かれて洞天に連れ込まれたのは本当に予想外としか言いようがない。
「……」
沸騰した水に塩を加えて、鍋にカペッリーニをバラバラと投入する。
かなり細めのパスタであるそれは、色合いも太さも金色の髪のように見える。
ちょうど、蛍のものに似ていた。
──意識したわけじゃないんだけど……。
だとしたら、無意識だったのかもしれない。
蛍が椅子に座ったままバッグの中身を整理していてくれて、よかった。
*****
「ほら、出来上がりだ!」
僕が作ったのは、あらかじめ用意していたソースと、トマト、それからマルコット草を切ったものをカペッリーニに絡めただけの簡素な料理だけど、無意味に手が込んでいないから素材の味を活かせていると思う。
特別な点を挙げるとすれば……ソースもパスタを茹でる水も、僕が作ったものということくらいかな?
水の味に煩いヌヴィレットでさえ僕の水には称賛の言葉を使ったんだから、これで蛍も少しは見直してくれるはず。
「さあ、とくと味わうといいよ」
「…………申鶴が作ってくれた料理も、こんな感じに細い麺を使ってた」
目の前に置かれた特製カペッリーニの冷製パスタを見て、蛍がそう言った。
──なんてことだ……形状どころか太さまで似ていたなんて!
「そ、そうなんだ。でも彼女の料理は冷製じゃなかったんだよね?」
「申鶴、氷元素……」
──終わった……ッ!
演技でもなんでもなく、僕は膝から床に崩れ落ちて呆然とどこかを見つめるしかなかった。
蛍に知り合いが多いのは知っていたけど、まさか僕より料理が上手でしかも氷元素相手に勝てるわけないじゃないか……。
ああ……今夜、僕は涙で枕を濡らすんだろう。
「どうしたの?」
「…………」
こんなことになるなら依頼なんて出すんじゃなかった。
後悔先に立たずとは言うけど、今日の僕は運が悪すぎたみたいだ。
同じような料理を出されたから蛍だって内心うんざりしているだろうし、せめてその顔を見ないように俯けばダメージも少ないっていうのに。
……そうだっていうのに、焦点が合って見えた蛍は、なんだか美味しいものを食べているみたいに表情を綻ばせていた。
「……なんで食べているのさ」
「え? これが依頼内容でしょ?」
「……、……」
──はは……冒険者っていうのは律儀だな……。
そんなにがっついて食べなくても依頼は完了しているようなものだし、依頼人である僕のご機嫌取りのために美味しそうに食べなくてもいいのに。
僕が水龍なら今頃、洞天の中は降るはずもない雨で一切の音が掻き消されていただろう。
蛍の優しさが、ただ悲しくて仕方なかった。
「もういいんだ……無理しなくていいよ蛍」
「別に無理なんかしてないけど」
「キミに手料理を振る舞うのはこれっきりにするから……だからどうか、その悲しい表情をやめてほしいんだ」
「ちょっとなに言ってるかわからない」
蛍は本当に律儀に完食していた。
その優しさが悲しいけど、酷く尊いものにも思えて胸が苦しくなった。
「……キミの口には合わなかっただろう?」
「そんなことないよ」
「でも直前に、璃月の人がかなり手の込んだものを作っていたじゃないか。調理法には詳しくないけど、あんなにも時間をかけたってことは、当然……キミに対する想いも相応に強いってことで…………」
胸の中が痒いようなこの感覚は、なんなんだろう?
無意味に五百年も生きてきたとは思わないけど、この感覚がなんなのかすら僕にはわからない。
──不快、ではないけど……。
蛍は優しいから、こんな僕にも手を差し伸べてくれた。
そんなキミに、僕はなにをしてあげられるんだろう?
気持ちばかりが先走ってすぐに傷つく自分が、嫌で嫌で堪らない。
「なんで落ち込んでるのかわからないんだけど……フリーナが作ってくれた料理は美味しかったよ?」
「……」
蛍。
キミの笑顔は、どうやら僕には眩しすぎるみたいだ。
「トマトの酸味とマルコット草の甘みが絶妙にマッチしてて、この冷たくて細いパスタと絡めたらさっぱりしてて美味しかった。連心麺はハムとか鳥肉を使ってあって脂っぽい部分があるから、ちょうどよかったよ」
──そういう解釈もあるんだ。
なんだか蛍は必死そうに言葉を選んでいる気がした。
ああ、僕を慰めようとしてくれているんだろう。
俯く僕の傍に、蛍が近づいてきた。
覗き込んできたその目は琥珀色で、髪はやっぱりカペッリーニにそっくりだった。
口の端にわずかにソースが残っているのが見えて、それすら拭ってやれない自分の弱さを自覚した。
「ねえ、フリーナ」
そんな僕の事情なんてお構いなしに、いつもより少しだけ低く、蛍が声を発した。
「私と──元素共鳴しようか?」
「えっ……?」
僕は知っている。
フォンテーヌへ来てから一度も、もしかしたらその前からずっと、蛍は岩元素としか共鳴していなかった。
その瞳の色と似ているから、服の色に似合うから……そんな理由を持ち出して、僕は今まで自分を騙していた。
それなのにキミは、ああ……。
「初めてが僕で、いいの……?」
「うん。フリーナがいい」
震えながら差し出した手を、蛍は僕の体ごと引き寄せた。
蛍の体はあたたかかった。
これは、人形なんかじゃない。
「じゃあ、行こうか」
「そうだね…………必ずキミを満足させると、誓うよ」
その日、トリックフラワー・炎は思い出した。
蛍に引っこ抜かれていた屈辱を。
水中に落とされて溺れさせられていた恐怖を。