ピックアップガチャ(固定)スキル持ちの転生TS美少女が行く、激動昭和なお話 作:葛城
──エマにとって、恐怖の大王と名乗った彼女の行動、やる事なす事、すべてが新鮮で、すべてが想像の外であった。
「あんた、朝ご飯は食べたの?」
「いえ、それはまだ」
「じゃあ、立ち食いそばを奢っちゃる、来い来い」
「え、あの、そんなの悪い……」
「子供が遠慮するな、来い来い」
その言葉と共に、ワープ……そう表現するしかない感覚と共に、気付けばホテル前から、人通りの多い店の前にエマは居た。
まったく、周囲に見覚えが無かった。
キョロキョロと周囲を見回してみるが、結局何も分からず……彼女に手を引かれるがまま、後を付いてゆく。
初っ端から、言葉を無くすくらいの……そりゃあ、当たり前だ。瞬間移動という、自分のソレとは桁違いの『力』を体験したからだ。
まあ、それは置いといて。
まず、朝食を取るためにわざわざ立ち食いソバ屋に行く……というのが、エマにとっては初めての事であった。
何故ならば、エマにとって朝ご飯とは家で食べるモノであり、外で食べるモノではなかったからだ。
もちろん、普通は……という前置きではない。
ただ、エマにとってはそうだった。あるいは、単純に仕事の関係で……とかなら、まだエマは納得出来た。
でも、彼女はそうではない。
ただ、ホテルでは済ませず、勝負の日は立ち食いそばという謎のジンクスも意味が分からなくて。
それに、エマにとって、立ち食いそば屋は大人が利用する店で、外から外観を見ることはあっても、中に入った事もなかった。
本当に、何もかもが未知の世界で……だからこそ、エマにとっては何もかもが驚きの連続なのであった。
──へい、らっしゃい。
威勢の良い声に、エマはビクッと肩を震わせた。
初めて入った立ち食いそば屋の店内は、エマがこれまで母に連れられて利用した店にはない、独特の空気がこもっていた。
まず、店内があまり広くない。それなのに、客がけっこうみっちり入っている。
時刻は、まだ8時を少し回ったところ……客層は、エマが知るそれとは異なり、スーツや作業着を着た男の人、2人ほど女性の姿があるだけであった。
なんというか、大人の臭いがした。それ以上に、なんだろうか……あまり嗅いだことのない、美味しそうな匂いがした。
(わ、本当に椅子が無いんだ……)
立ち食いそば屋という名称は知っていたので、椅子が無く立ったまま食べるというのは知っていたけど。
改めて、本当に立ったまま食事を取る場所なのだと実感して……呆然としていると、彼女に手を引かれた。
「出入口の近くで立ち止まらない。こういう店はさっさと開いているカウンターに行くの」
「え、あ、うん」
それもまた、初めて知ることだ。
エマの知るお店では、店員から空いている席に案内されるのが普通で、自分から空いている席に勝手に座る(この場合、立ったままだけど)という考えが無かったから。
促されるがまま、店の一番奥……なにやら踏み台がある場所を陣取ったので、エマもその隣へ──っと。
「暖かいそば、生卵にかき揚げ」
実に手慣れた様子で彼女が注文した──のを見て、彼女は慌ててメニューを──メニュー表が、無い?
(え、置かれてないの? じゃ、じゃあ、壁に掛けられている……え、えっと……)
視線をさ迷わせ……ふと、エマの視線が隣の……というか、他の客たちが食べているソレへと向けられ──エマは目を瞬かせた。
(う、うどん? え? みんな、うどん食べている……そば屋じゃないの、ここ?)
いや、でも、彼女は普通にそばを──っと。
「そば? うどん? どっち?」
「え、えっと、たぬきそばでお願いします」
「おおきに、すぐ作るさかい、待っててや」
カウンターの向こうより強面の店員から声を掛けられた彼女は、慌てて──目に留まった『たぬきそば』を注文した。
まいど──という声と共に調理を始めた店員の背中を見て、エマはホッと安堵して──直後、首を傾げた。
(おおきに? おおきにって……漫才の言葉?)
理由は、店員が発した言葉……方言が分からなかったからである。
そう、エマは気付いていなかったけど、現在エマが居る場所は東京ではない。関西の、彼女が行きつけにしている立ち食いそば屋に居た。
ワープしたという事は察していたエマだけど、まさか地方を飛び越えてそこまで移動している事にまでは……ちなみに、だ。
ここで少し話が逸れるけど、実は1987年頃……現代のように『方言』が日本中のいたる所で知ることが出来る環境ではなかった。
言うなれば、『方言』はテレビの向こうの言葉であり、どこか遠い世界の話し方という意識があったのだ。
これはまあ、致し方ない事であった。
現代のようにまだインターネットが整備されていなかった(というか、まだ構築されていない)のだから。
だから、若い世代などでは『関西弁=漫才師の話し方』という認識の者も居たというのだから、なんとも不思議な話である。
ちなみに、だ。
先ほどエマが周囲の客が食べているモノ(うどん)を見て困惑していたが……これもまた、当時としては不思議な事ではなかった。
いったいどういう事か──ぶっちゃけてしまえば、この頃の関西においての『立ち食いそば屋』というのは、『うどん』だったのだ。
つまり、関東では『立ち食いそば屋』が主流であり、関西では『立ち食いうどん屋』が主流であった。
もちろん、そばも普通に用意されていたのだけど、店によっては『立ち食いうどん』だけでそばが無いというのも、珍しくはなかったのだ。
だからまあ、関東民が関西に来て、そばが食べたいと店に入ったら『うどん』しかなくて驚いた……という話もあったりして。
実際、客の注文の7割くらいが『そば』ではなく『うどん』だったというのだから、驚きである。
加えて、だ。
現代では基準というか、関東に居ようが関西の料理を、関西に居ても関東の料理を、食べようと思えば食べられるので、認識が曖昧になっているけど。
「へい、お待ち」
「ありがとうござ──?」
水と一緒にドンと置かれた丼を受け取ったエマは……思わず目を白黒させた。
というのも、1987年頃は現代よりもそこらへんの境目が強くて。
関東において『たぬき』と言えば『天かす(揚げ玉など)』で、関西においては『油揚げ』であった。
なお、関西において『たぬき』と言えばほぼ100%でそば、関東ならうどん・そば、どちらかを選べたりしていた。
(あ、油揚げ……立ち食いそば屋って、そういうものなのかしら?)
で、話を戻すのだけど。
困惑しっぱなしのエマを他所に、彼女は気にした様子もなく食事を始める……ので、エマも見習って食べ始める。
(──っ!? え、味が違う? 立ち食いそばって、こんな味なんだ……)
もちろん、ソレもあるのだけど、ソレだけが理由ではない。
単純に、関東と関西とでは味付けに違いがあって、関東は濃口しょう油、関西は薄口しょう油を使い。
ダシとして使用するカツオと昆布の割合も異なっていた(関東はカツオなんだとか)ので、同じ『そば』でも味がかなり異なっていた。
そして、エマは東京で暮らし、関西の味付けに触れる機会(特に、そば等)が無かったから、驚くのも無理はなかった。
……なんというか、とても不思議な感覚であった。
食べ歩きすら片手でおさまる程度しか経験したことないのに、店の中で立ったまま……その事を誰も気にしない。
なんとなく、自分がちょっとだけ大人の仲間入りをしたような気がした。
「あの、御馳走様でした」
「いいよ、いいよ。それじゃあ、行こうか」
「えっと、どこへ?」
「競馬場」
「え?」
「『春木競馬場』」
「あの、そこって、関西の……ここ、東京ですよ?」
「うん? ここは関西だよ、気付いていなかったの?」
「えぇ……えぇ……!?」
気がしたのだけど、なんか思っているのと少し違うような気がしてきて、エマはどうしていいのか分からなかった。
……。
……。
…………電車を乗り継いてやってきた『春木競馬場』は、エマが想像していた以上に人々でごった返していた。
休日だからなのか、老若男女の区別なく、駅を降りて商店街を抜けてまっすぐ突き進む人々の流れに合わせて、エマは場内に足を踏み入れ……っと。
「二人で100円ね」
「楽しんで行ってや~」
これまた、手慣れた様子で100円をチャリンと受付台の箱に入れた彼女に手を引かれて中へ。
どうやら、競馬場内に入るには入場料が必要らしい。支払おうとしたけど、「いいから、いいから」と言われ、甘えることにした。
「わあ、広い……こんなに広かったんだ」
「ん? 来た事あるの?」
「えっと、子どもの頃に……あまり覚えていないけど」
──そりゃあ、ママがここのオーナーだし。
その言葉を飲み込んで曖昧に答えたら、それで彼女が納得してくれたのか、それ以上はツッコんではこなかった。
ていうか、ちょっとドキドキしてきた。
毎回居るわけじゃないけど、ここって母の仕事場なわけだし、もしかしたら母が来るかも……どうか、見つかりませんように。
で、まあ、話を戻すけど、エマはその辺りの年頃から、『春木競馬場』にエマが来たことはなかった。
単純に、小学校や友達との交流で忙しかったのもあるけど、母の千賀子が連れて来なくなったからである。
たぶん、変に己が悪目立ちしないようにとのことなのだろうけど……うっすら記憶にあるソレよりも、眼前の光景はとても広かった。
なにせ、入場口から出てもまだまだ歩く。人々の声は聞こえるけど、馬の姿はまったく見えない。
そのまま歩いて、歩いて、歩いて……遠くから見えていた大きな建物に入れば、また景色が一変した。
ズラーっと横に伸びた売店、新聞を売っていたり、食べ物飲み物を売っていたり、ベンチが並べられていたり。
ていうか、イートinスペース、めちゃくちゃ幅広い。
立ち並ぶ店も同じではなく、いったい何店舗入っているのか分からないくらいに多く、既にけっこうな行列が出来ていた。
「よっしゃ、行くぞ」
「え、あ、はい──あれ、その新聞紙、どうしたんですか?」
「そこの売店で買った」
「……? ここでニュースを読むんですか?」
「違う違う、買ったのは競馬新聞。ほれ、こんな感じ」
「はえ~……何が何だか分かりません」
紙面を見たエマは、首を傾げた。
見慣れている人からすれば分かるのだろうけど、初めて見るエマからしたら、暗号かナニカにしか見えなかった。
「ほれ、どれにする?」
「え?」
「1着になりそうなやつを二つ選べ、単勝で買ってやる」
「え? え? あの、私、未成年なんですけど……」
「買うのは私だ、子どもが選ぶこと自体はなんら問題ではない。さあ、選べ」
「そ、そんな屁理屈……う~ん、じゃあ、4番と8番で」
「どっちが1位になりそう?」
「たぶん、8番……かな?」
「よし、ちょっと待って──そうだね、向こうの席に座って待ってな。もうすぐ、次に走る馬たちが出てくるから」
「あ、はい」
言われて、屋根のある建物から出て、指示された席へと座る。既にいっぱい人が集まっていたけど、運良く席が空いていて良かった。
そこは段差ごとに座席が設置され、一番下には……柵で囲われた楕円形の広場が──っと。
「あ……」
見ていると、広場の中へと……人に引かれた馬がぞろぞろと出て来た。
馬自体は、見たことある。でも、エマの知る馬は、もっとぽちゃっとしていた。
そう、それに比べて、広場に出てきている馬はどれもこれも……素人のエマにも、引き締まった身体をしているのが分かった。
(競走馬って、あんな感じなんだ……あ、4番と、8番はあの馬……やっぱり、8番が1位になりそう)
視線をあたりに向ければ、けっこうな人たちが、真剣な目で馬の歩く姿を見つめている……みんな、馬が好きなのだろうか?
しばし圧倒されていると、戻って来た彼女に手を引かれ……そこで、エマは初めてを体験した。
それは、ギャンブルだ。ギャンブルの熱気である。
やっている事は、よ~いドンで走った馬たちのゴールの順番を当てるだけ。本当に、ただそれだけ。
それなのに、その熱気は……エマの知る、様々な熱気とは根本から異なっていた。
ただ、馬がゴールへと近付くだけ。
それだけなのに、周囲の人々が一斉に声を張り上げ、真剣な眼差しを馬たちに向けて──歓声、悲鳴、怒声、様々な声が──そして。
ゴールを過ぎれば、風船が萎むように瞬く間に静まってゆき……その中でエマは、周りに引っ張られて、とても心臓を高鳴らせていた。
笑顔、無表情、苛立った顔、様々な表情を浮かべた人たちの中で、エマは。
「…………ショウブハマダマダコレカラ」
「あ、あの?」
「……ああ、貴女のは当たっていたよ。1万円ずつ賭けたから、7万円の払い戻し、純利益5万円ね」
「え、ええ!?」
「ヨシ、次だ」
(い、今ので2万円使って、7万戻って……え、え、今ので、今の一瞬だけで!?)
ちょっとだけ大人に近づいたような気がしたけど、それと同じくらい、ギャンブルって怖いなあ、と思ったりもしたのであった。
※ この頃でも、未成年は馬券購入出来ません。