異世界から故郷に帰ってきたはずが、パラレルワールドに来てしまったみたいなんだが。 作:水野 四十坂Q
暗闇だ。
月のない夜、夜中の森、洞窟の奥深く。
それらを想起させるような、うすらとすら光の差さない、真の暗闇。
だが、視界に反して他の感覚は明瞭だった。
刺すように冷たい風が肌を撫でる感触。土や草木、雪の匂い。霜柱を踏み割る音に、暖炉で弾ける薪の音。
「ふぃーっ、こんなもんかな」
カラン、と割り終わった薪を積み上げる。
ここ最近でようやく、こういった力仕事もこなせる程度には今の状態にも慣れてきた。案外目が見えなくともなんとかなるものだ。触覚にしろ嗅覚にしろ聴覚にしろ、存外、『ヒント』は多く転がっているものだということを知った。
「お疲れ様。悪いけど、火を起こしてもらえるかしら?」
「ん、ああ。わかった」
うーさみさみ、と独りごちながら家の中へと入る。暖炉へ薪をいくつか放り込み、いつものように軽く魔法を練り上げる。控えめな火炎の形を象って現出したそれは、瞬く間に薪を燃え上がらせた。
「相変わらず、綺麗な火ね」
「そう?」
「いつも言ってるでしょ。あなたの火は、私が見てきた誰が扱うそれよりも綺麗だわ。魔力の流れが淀みないもの。私が言うんだから、間違いないのよ」
「そっか。ありがとう」
声変わりだとか、身長が伸びるさまだとか。
どうにも、人間という生き物は自分のことに疎くて仕方がない。正直、俺は彼女が褒めてくれるように自分の魔法が綺麗であると言われても、いまいち実感が湧かない。だが、それでもいいのだ。こんなことでも、彼女が喜んでくれるならば。いくらでも見せようとも。
「お昼ご飯は今から作るからちょっと休んでて。今日は昨日獲ってきてくれたウサギをシチューにしようと思ってるの」
「お、そいつは楽しみ」
狩りは薪割りと並んで俺の数少ない、ちゃんと家事に協力していると言える事柄だ。盲目なのに狩りとはこれ如何に、と言いたいところだが罠をかけて獣を捕らえるのであれば目が見えなくてもできる。なんなら、五感の一つが失われたせいで他が活性化したのか、音や匂いで仕掛けるべき場所が意外と分かるのだ。不便なのか便利なのかよくわからない。とはいえ、彼女の生活の一助になれるのであればそれは素晴らしいことだ。
ともあれ、仕事道具を片付けて、言われた通りゆっくりして、待っているとしよう。彼女が作る料理は絶品だ。ここのところの俺の生き甲斐そのものである、とすら言っていいのだから。
……酷く、懐かしい感覚だ。
家のいたるところから寒気が侵入してきているというのに、まるで、気分だけはぬるま湯に浸かっているかのような。
「いただきまぁす」
「ふふ。召し上がれ」
ほかほかと湯気の立つそれを、口に運び──
「……ああ、随分と、久しぶりに」
目が覚めた。
相変わらず、視界は鮮明だ。
あの時からずっと、薄緑のベールがかかった綺麗なまま。
掛け布団をまくり、上体を起こす。
窓を開けると、早朝にも関わらずぬるく温まった風が入り込んできた。
寒い。
「あれ、
「悪かったな。お前に勉強を教えようとわざわざ来てやった優しい優しい人が俺だけで」
「ごめんて」
翌日の勉強会は俺と永塚だけによる開催となった。
とはいえ、別におかしなことでもないだろう。用事があって都合が悪いのかもしれないし、単に気分じゃないのかもしれない。俺はあくまで厚意に乗っかっているだけの立場なのでその辺に感して何かが言えることもない。
ところで、本日は永塚が何やら本を持ってきているようだった。
「なにそれ」
「ん? あー、これな。いや、俺、結界とか勉強してみようかなって。借りてきた」
「へえ」
古めかしい装丁の本だ。恐らく、陰陽寮とやらから借りてきたのだろうか。美緒を頼ればできるだろう。
「なんか、
「ほーん」
「アドバイスとか……ないんですか……?」
「だって俺そういう学者っぽい技術全然分かんないし。でも、役割分担はいいことなんじゃねーの」
どうやら、今回は俺が勉強を教わるだけではなく、永塚も陰陽師としての勉強を兼ねて来たようだ。残念ながら俺は脳筋なのであまり教えられることがないのだが、個人的に応援したいと思う。
しばらく、俺がたまに質問をしながら問題を解いたり、永塚が本をめくるだけの時間が続く。
「……なあ、
「え? いや……別に?」
これまた唐突な質問だ。どうしてそんなことを聞くのだろうか。
「いや、佐山さんって貝替……あー、貝替とすげえ仲が良かったじゃん。勉強会も毎回来てくれて、めちゃくちゃ熱心に教えてくれてただろ。なのに今日になって急に来なくなったからさ。喧嘩でもしたのかと思って」
「いや……?」
してないし、そもそも俺が佐山さんと喧嘩なんてするわけがない。
「流石に考えすぎじゃないか? 佐山さんだって用事の一つや二つあるだろ。都合が悪かったとか、乗り気じゃなかったとか、そんなんじゃね?」
「……」
おいなんだその目は。無駄に腹立つ表情をしてからに。
はぁ〜〜〜〜と、かなり長めのため息をつかれる。
「俺、ちょっと用事できたわ」
「ん? おう」
俺も最近はちょっとずつ問題集に取り組めるようになってきて、一人でもそれなりに勉強が捗るようになってきたのだ。
そのため、この様な言い方は恩知らずな感じがして若干アレだが、多少永塚がいないくらいは問題ない。付き合ってもらってる側なので特に口を出せないのもある。
家に忘れ物でもしたのかな、と適当に考えた後、再び勉強に戻る。ちなみに今やっているのは数学だ。集合がなんちゃらかんちゃら。Uの向きを変えただけのパターンで記号が作ってあったり、ド・モルガンの法則がうんたらかんたらだのと、今まで触ったものの中でもとにかくややこしい。だいたいなんで集合が数学なんだ。数字使えよ。
確率も意味わかんねーな。いや解説込みなら全然分かるし計算も比較的単純なんだけど、初見でその解法に辿り着ける気がしない。ていうか俺が考えたらルートの何が悪いんだ? 答えが違うから過程も多分間違ってる、くらいしか言えねえ。もはや解法暗記ゲーだろこれ。文系科目じゃねーか。
三角関数、いくらなんでも公式が多すぎるだろ。2倍角だの余弦定理だの。各々が好き勝手考えた式を寄せ集めてないか? 詩集じゃねーんだぞ。しかも微妙に見た目が似てるやつがあって覚えにくいし。
……
ぴろん。
ん?
ポケットから携帯の通知音がしたため取り出してみれば、チャットの履歴が。
永塚からだ。
『校舎裏』
『はよこい』
……なんだよ。
『俺今勉強中なんだけど』
『いいから』
『はよこい』
何かのトラブルか? こうも強く呼ばれることは珍しい。だが、緊急事態なら電話でもいい気がするが。
よくわからないが、行ってやるとするか。
しょーがねーなとため息をつきつつ、勉強道具を片付ける。
荷物は……どうせだから持っていくか。もうそれなりにいい時間だし、そのまま帰るのが吉だろう。
さて、どんな出来事が待ち構えているのやら。
「ん」
「なんだよ」
「はよ行け」
???????
呼び出された場所に行くとそこには永塚がいたが、これといった説明も受けず背中を押される。
本当に、なんなんだ。
押し込まれるようにして移動させられると、そこには佐山さんが立っていた。
「あ、佐山さん」
「かいがえ……くん」
なんだ、妙に気まずい。
重苦しい空気が流れている気がする。
そもそも佐山さんって今日は何か用事があったんじゃ……? いや、それはあくまで推測だったか。
「その、あの、えっと……そ、その! 貝替くんって、彼女さんいるんですか……?」
「え?」
いませんけど……?
「こ、この前、花屋さんで、エンキョリレンアイ、してるって」
「……あー」
なるほどな……
そういえば帰る時佐山さんが通りかかってたな。聞こえてたのか。
アレは花屋に対して適当に話を合わせただけというか、本当に今現在俺が誰かと交際しているわけではない。というか日本にはつい最近帰ってきたらばかりだし。恋愛をする気もない。
ううむ。
さて、なんと答えるべきか。
いや、ここは大人しく──
「……なんで、黙ってるんですか」
「え?」
いやちょっと待って今話そうと──
「黙ってちゃわかんないじゃないですか。説明してください。付き合ってる子がいたんですか? どうして今まで教えてくれなかったんですか? 付き合っている子がいたのに軽々しく私に話しかけたんですか? 私とどういうつもりで話してたんですか? ねえ。教えてください」
「ちょ、ちょっと落ち着いて──」
「落ち着いて!? 落ち着けるわけないでしょう!?」
は、話を聞いてくれない……
永塚ァーッ!!
お前、お前とんでもない状況を作りやがってーッ!!
こんなの俺にどうしろと。
「わたし、わたしは! 貝替くんの力になりたかったんです! だから勉強を手伝いました! たくさん準備をしてきました! いつでも協力しました! 私は、私はこんなに貝替くんのために行動してきたのに、こんなのって酷いです……」
「──え?」
ああ、うん?
参ったな、その可能性は全く頭になかった。
つまり──
「佐山さん、俺のことが、好きだったのか」
「……」
返ってきたのは肯定でも否定でもなく、沈黙。
だが、そこにある表情を見れば、それは肯定していることと同意義だった。
そうか。
そういう、ことか。
「ごめん」
「──っ」
佐山さんの顔が歪む。
「俺はしばらく、いや多分この先一生、恋愛とか色恋とか、そういうことをする気にはなれなくて。だから多分、そういうことは意図的に考えないようにしてたんだと思う。だから、それで君を傷付けてしまっていたんだとしたら、本当に、ごめん」
「……どういう、こと、ですか」
…………
…………そう、だな。
話そう。
「俺は……佐山さん!!」
「えっ」
佐山さんの肩を掴んで強引に引き寄せる。
俺と佐山さんを比べたとき、当然だが、俺の方が体躯が大きい。背も横幅も体重もある。
だが、差があるというのはそれは、例えば30キロ以上違うだとか、そういう、余りにも大きな差ではない。
作用と反作用。重い物を引っ張るとき、自身もまた引っ張られる。俺は佐山さんを手前に引っ張ったことにより、位置を入れ替える形で前方へ飛び出し、結果として。
唐突に影から飛び出してきた、デカい蛇の怪異に丸呑みに近い形で噛み付かれた。
──クソが、またコレかよ!? 人里だぞ!? いくらなんでも遭遇頻度が多すぎるだろ、結界はどうなってんだ!?
「かいっ──」
「だいじょ──」
大丈夫、と口にする間もなく、影の中へと引きずり込まれる。
大蛇を腹の内側から切り刻んで外へ出てやると、そこはどことも知れぬ場所だった。
鬱蒼、という表現がまさしく相応しいだろう。陽の明かりすら薄っすらとしか入ってこないような深い森の中だ。
辺りの植生も普通ではない。葉の色は緑ではなく、薄明るい紫。幹は灰色だ。それに、空気中に漂う濃い魔力。恐らく、ここは異界だろう。まるで見たことのない景色だが、あの蛇に連れてこられた影響だろうか? ともかく美緒がかつて言っていたように、未だ異界という土地には俺が知らぬ場所が多く眠っているようだ。
ああ、囲まれているな。
ざく、ざく、という足音。ぐるる、ほーほーといういくつかの鳴き声。聞こえているのではなく、聞かせているのだろう。
「……夕飯までには帰れるかなあ」
「多すぎだろ……」
怪異たちを殺して回りながら、森の中を駆ける。もうすでに20体は軽く屠った。だというのにも関わらず、辺りには殺気が、鳴き声が、獣臭が満ちている。
ここまで数が多いと、流石に全て殺しきってから帰り道を探すというわけにもいかず。不本意ではあるものの、俺は怪異の集団から逃げる形で移動していた。
しかし、ここは何処なのか。
脚を動かす傍ら、空いた脳の片隅のスペースでそんなことを考える。帰る場所がない……というわけではないはすだ。あの蛇は自由に向こうと異界を移動していたわけなのだから。脱出した時点では帰り道が分からなくなっていたが、理論上、同じ場所を辿れば問題ないはずである。後方に敵が集まっている以上、単純に下がることは出来ないのだが、ぐるりと大きく円を描くように移動することで、元いた場所へと戻る。それが現在の狙いだった。
左脇から、青い肌の鬼が出てくる。駆け抜けざまに首をかっ切る。
枝の間を塗って猿の化け物が飛びかかってくる。体を捻ってかわし、適当に胴体に刀を突き入れておく。
無数のコウモリの群れが噛みついてくる。視界を遮るものだけ斬り殺す。身体に取り付き、血を吸ってくるがあまり問題ではないので無視をする。多少余裕ができた時に引き剥がして踏み潰す。
キリがない。
爆炎の魔法でも派手にぶちかまして、森ごと消し飛ばしてやりたい気分だった。それが出来れば爽快極まりないのだろうが、生憎と考慮に値しない。
突然、視界が開ける。
崖だ。
一瞬、迷う。
着地は問題ない。
だが、戻れるか? 少なくともここからでは下が見えない。飛び降りれば確実に帰宅の難易度は上昇する。時間もかかるのは確実だ。これ以上美緒や両親に心配をかけたくないという思いが浮かぶ。
その一瞬の遅れが仇となったのか。背中に何か──直前に少しだけ見えたが、イノシシの怪異のようだ──が激突し、背中の骨が粉砕される激痛と同時に、身体が宙へ舞う。
「……クソ」
そのまま俺は、奈落へ落ちた。
「いってぇ……」
全身の骨が砕け、内臓が飛び出たかのような激痛。
いや、実際、直前までそのような有り様だったのだろう。上を見上げれば、俺が飛び降りたであろう場所は遥か遠くに見えた。どうやらちょうど谷になっていたようで、その底まで来てしまったらしい。後ろを見れば、俺を突き飛ばした犯人であろうイノシシが臓物をぶち撒けていた。イノシシ頭、とはこのことだろうか。さんざっぱら俺の血を吸っていたコウモリたちも、潰れたのか衝撃で逃げたのか、今は一匹もいないようだ。
痛みを多少でも誤魔化すように、肩を回して適当に谷底を歩く。とりあえずは、地上へ戻りたい。もはや夕飯までにどうこうという話ではなくなっている気もするが、それはそれ。何かしら行動を起こさねば、そもそも異界からの脱出すら怪しくなってくるだろう。それに、移動を続ければ陰陽師と遭遇できるかもしれない。
幸いにして、この谷底には怪異たちは少しも湧いていないようだった。静かなものだ。散歩に近い。なんだか、こうして荒れ地を一人で歩いていると少し前のことを思い出す。探し物を欲して、よく旅をしたものだ。車やバイク、自転車など便利なものも無ければ馬もいなかったので、移動手段は徒歩が常だった。色々な景色を見たと思う。今考えれば、あれはあれで人によっては凄まじい贅沢であったに違いない。絶景と呼べる場所も数え切れないほど巡ったものだ。
……良くないな。こうしていると、過去に思いを馳せてしまう。それは俺にとってあまり良いものではない。楽しい記憶、嬉しい記憶、温かい記憶。もちろんそれらが眠っていないわけではないが、同時にそれと同じくらい、いやそれ以上に、悲しく、冷たく、寂しい記憶が入っているのだから。後ろなど、無闇に振り返るものではないのだ。
嗚呼、だが。
ここも、見ようによっては、いい景色だ。
願わくば、一人ではなく、君と共に──
「ハルト?」
後方から声。
酷く馴染みのある声だ。ここ最近ずっと聞いている。美緒の、鈴を転がすような美しい声。やはり移動して正解だったらしい。誰かと遭遇できないかと思っていたが、美緒と会えたのならば帰るのも容易でたすか──
俺よりも頭半個だけ小さい、可愛らしい背丈。
銀細工を溶かして作ったかのような、艶のある銀髪。
この世で最も美しい宝石をそのまま閉じ込めたと形容すべき、透き通った緑の双眸。
世界中の芸術家を集めても絶対に再現できないであろう、完璧なまでに整った顔立ち。
素朴ながらもどこか気品を感じさせる衣服。
あ。
いや。
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「ミ、ラ?」
「……久しぶり。そんな顔、するのね」