異世界から故郷に帰ってきたはずが、パラレルワールドに来てしまったみたいなんだが。   作:水野 四十坂Q

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彼岸:2

 俺は、『あちら側』で、様々な人物と出会った。

 俺を鍛えてくれた師匠のヨハン。喧嘩友達のバッツ、クリフ。俺の剣を打ってくれた名工のテオじい。腐れ脳みそのラファエロ。薬屋のナタリーさん。レックス、ベア、ジュリエット、グレゴリー、ジル、ナタリー……

 そして俺の最愛の、ミラ。

 

 俺は、彼らから色んなことを教わった。彼らと一緒にいて、幸せだった。満足していた。日本に帰られないのは残念だったし、暴力と酒が飛び交うクソみたいな毎日だったが、それでも、俺が作った、確かな居場所。

 

 テセウスの船という言葉がある。

 船があったとして、それが傷ついたため、新しい木材を使って補修したとする。

 それを繰り返す。いつしか、船には一番最初に使われていた部品は一つもなくなる。

 その時、その船は最初の船と同一のものであると言えるのか? そんな話だ。

 

 俺も同じだ。

 肉を食べた。酒を飲んだ。喧嘩を繰り返した。体を鍛えた。剣を振るった。魔法を学んだ。その場での確かな人間関係を構築した。

 体を鍛えて、言葉を交えて、肉体も精神も、きっと、『あちら側』のそれに置き換わってしまっていたんだ。

 もう、俺は『あちら側』に漂着した当初の、現代日本の高校生である貝替晴翔ではなくなっていた。

 いつしか俺は、城塞都市の戦士のハルトになっていた。

 

 そう。だから。

 俺は一緒に、終わりたかったんだ。

 あの時。

 あの時に、俺も。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「……み、ミラ。ミラ、なのか。ほ、本当、に」

「ええ」

 

 ミラがこちらへ歩いてくる。

 

 思わず、後ずさる。

 

「……? どうしたの?」

「あ、いや。……その、……あまり、近づきすぎると、君が消えてしまうんじゃないかって。怖いんだ」

「なに馬鹿なこと言ってるのよ」

 

 苦笑。

 俺が狼狽えるのにも構わず、ずんずんと、そのまま距離を詰められる。

 頬に手を当てられて、何かを拭い取られる。

 

「あ……」

 

 涙だ。

 もう片側の目元も拭われる。

 

「うん、これでよし」

 

 泣いていたのか、俺は。

 

 全く、気付けなかった。

 

「……少し、歩きましょ」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「気持ちのいい風ね。冷たいけど、寒くない。ちょうどいいわ」

「そう、だな」

 

 ミラと二人で谷底を歩く。

 

 ミラの言う通り、ここは比較的心地の良い風が吹き込んでいた。谷だからだろうか。陽の光が当たらないこともあってか、ちょうどいい塩梅の風が服を揺らす。

 

「最近どう? ご飯はちゃんと食べてる?」

「……まあ、そこそこかな。最近は色々あって、また、昔みたいな食生活に戻ったよ。割と健康的に過ごしてる方だと思う」

「それは良かったわ。あなた、私と会う前も相当酷かったでしょう? 心配だったのよね。……それに、また、人と関わる気になれたのね。嬉しいわ」

「……成り行きだよ。なんていうか、色んな偶然が重なって。俺が頑張ったとか、そういうわけじゃない」

「それでもよ」

 

 ミラの後ろを歩く。

 

「……なあ、ミラ」

「待って」

 

 ……

 

「鍛錬は続けてるの? 素振りとか、トレーニングとか」

「……いや、最近は全然。ミラと暮らしてた頃は師匠の言いつけもあって続けてたけど、最近は筋肉がつかないし、衰えもしないんだ。だから、あんまりそういうのは」

「……ふうん。なんていうか、変わったのね」

「そりゃ、まあ。時間が経ったんだよ」

「へえ」

 

「魔法は? ちゃんと魔力は練り続けてるのかしら? それももうやめちゃった?」

「まあ、そうかも。最近魔法は全然使ってないんだ。抑えることばっかりで。でも、抑えることは逆に誰よりも得意になった自信あるから、実は魔力の扱いも上手くなってるんじゃないかな」

「そういえば、さっきから全然余剰魔力が漏れてないわよね。ちょっとびっくりしちゃった」

「今の習慣みたいなものなんだ」

 

 ざくざく、とすとすと、荒野の乾いた地面を踏みしめる音を背景に、ミラと雑談のようなものをする。

 

「でも、良かったあ。思ったより元気そうね。案外、杞憂だったかしら?」

「……ミラ」

「ヒゲも剃ってるみたいだし。目が見えるようになった分、あの頃よりそういうことはちゃんと気にしてくれるようになったのかしら?」

「ミラ。話があるんだ」

「……もうちょっと、もうちょっとだけ歩かない? 少しだけでいいのよ」

「……わかった」

「ありがと」

 

 しばらく、お互いに無言で歩を進めた。

 立ち位置は先程と変わらず。ミラが前、俺が後ろ。この位置からミラの表情は見えない。ミラも俺の顔は見えていないだろう。

 

「もうすぐよ」

 

 谷を逸れて、脇にあった坂道を登る。どこか、目的地があるのだろうか。

 

「よい……しょ! ここよ!」

 

 歩いて、よじ登って、また歩く。そんなことを繰り返しているうちに、谷の上層部へと出た。

 

 ひときわ強い風が、頬に当たる。

 

「ここは……」

「どう? 中々綺麗でしょう。ここを見せたかったの」

「……そうだね」

 

 異界にも、夕暮れという概念があるようだ。谷から抜けた場所は一気に視界が開けており、ちょうど落ちかけている太陽が地平線の向こう側からこちらを照らしていた。

 

 風が荒野に吸い込まれてゆく。

 

 ミラがこちらを振り向く。

 

 長くて艷やかな髪が、谷風にたなびく。

 空が紫に染まりつつある夕暮れ。その明かりを背景に、彼女がその輝きにも勝るとも劣らぬ表情を向けていた。

 俺がこの世で見た何よりも、どれよりも、最も、綺麗な光景だ。

 

 君は、そんな顔で、笑っていたのか。

 

「……」

「……」

 

 荒野の風が、耳と髪の毛のちょうどあいだ(・・・)の部分をすり抜けていった。

 

「……なあ」

「……なあに?」

 

 先程からずっと言おうとしていたことだ。

 

「ミラ。また、一緒に暮らさないか。今は前と違って結構人に囲まれてるけど、賑やかなのもそれはそれで悪くないんだ。俺は……今はちょっと、立場も金もないけどさ。何年かしたら家を買おう。それで二人で、ずっと、一緒にいよう。ずっと、ずっと、どこまでも。いつまでも」

「……」

 

 返事はない。

 

 ミラがひとつ、大きく息を吸う。

 空を見上げる。

 

「……すごい魔法ね、これ。凄まじく複雑で、巨大で、そして原始的な魔法。芸術的ね。ここまでのものは初めて見たわ。きっと、使い手は人間じゃないわね」

 

 気付けば拳を握りしめていた。

 握る力が強すぎて、腕が震えていた。

 

「ハルトも分かっているでしょう? これは、魔法よ。死者を(・・・)蘇らせる(・・・・)魔法(・・)。まさか、貴方に別れを言える日が来るなんてね」

「……違う、違うよ、ミラ。これは奇跡だ。奇跡が起こったんだ。なあ、そうだよ。そうなんだ。そうなんだよ」

「そうね。奇跡だわ。本来、最後の別れはそこでおしまいだから最後なのに、ね。死ぬから生きる、生きるから死ぬ。命に干渉する魔法という意味では一族の秘術に通ずるところがあるけど、正直格が違うわ。理を捻じ曲げている、とすら言っていいでしょう」

「……わかんないよ」

 

 ミラは魔法に関して未だ俺の届かぬ高みにいる。彼女が魔法について語るとき、俺はいつもついていけなかった。今だって、彼女の言っていることは、ひとつとして、理解することができない。

 

 

 

「ハルト。あの時できなかったお別れ。しましょうか」

 

 

 

 おれには、きみのいってることが、ひとつもりかいできない。

 

 

 

「……嫌だ」

 

 

 

「ハルト」

「嫌だ」

「……ハルト」

「いやだ!!」

 

 彼女の言っていることが理解できない。

 

 お別れ? 何故? 今会ったばかりなのに? これから俺たちは二人でずっと一緒にいるべきなのに? どうして? 何故? 何故? 何故?

 

 何故、俺だけが生きているんだ?

 

「嫌だ、別れたくない! ずっとそばにいて欲しい!! 君のことを探していた、十年間、ずっと!! ひと目でいい、死んでいてもいい、姿が見えなくて声だけだとしてもそれでもいいって! 君が死んでからずっと、君と会うためだけに生きてきたんだ!

 

 ……違う、本当は、俺も同じことを考えていた、本当は、本当は、俺も、君と最後に言葉を交わせなかった後悔をどうにかしたかっただけだったんだ! 最後に話せればそれでいいって、頭では考えていたんだ! でも、駄目だ! 無理だ! 耐えられない! これからも一緒にいたい! 離れないでくれ! ずっと隣にいてくれ! 俺を支えてくれ! 一緒に生きてくれ! ずっと、ずっと!」

「……仕方のない人ねえ」

 

 ミラが柔らかく微笑む。

 

 期待してしまった。「仕方がない」。そんなセリフに。彼女が何かをやってくれるのではないか。望みを叶えてくれるのではないか。そんなありもしない可能性を夢想してしまった。

 

 ミラが俺を抱きしめる。

 後頭部にその手が当てられる。

 

「全く、そんな姿を見せられると私まで未練を持っちゃうでしょう? ……聞いて。この魔法は絶大だけど、絶対じゃない。時間制限があるの。だから、無理なのよ。わかってちょうだい。……私、最後に貴方の笑った顔が見たいわ。両目が無かった頃しか、知らないし。……あんまり自分のものを褒めるのも変な気持ちだけど、すごく、似合ってるわよ。格好いいわ。ね。笑って」

「あ、ああああ、あああ……!!」

 

 限界だった。

 

 ミラを抱きしめる。

 

「……泣いてなんて、言ってないわよ」

「ごめん、ごめん、ごめん……!! あの時守れなくて、ごめん……! 俺だけ生きて、ごめん……!!」

「……よし、よし」

 

 抱きしめた腕から、密着した胸板から、熱が伝わってくる。肉体の柔らかさが伝わってくる。髪越しに、ミラの細い指の、肉と骨の存在感が伝わってくる。

 温かい。温かいのに。確かにミラは、ここにいるのに。今ここに、存在しているのに。

 もう、会えないなんて。嘘だ。詐欺だ。トリックだ。夢幻だ。信じられない。信じたくない。だって、こんなにも、ちゃんと、「いる」のに。それが、なくなってしまうだなんて。

 幽霊とは、実体のないものであるとばかり想像していた。そこにいるのかいないのかもわからない霞のような存在で、ただひと目、見るだけで幽霊であると分かって、それで、本当にミラは死んでしまったのだと実感できて、俺も区切りがつくのだと。

 

 だが、これは、なんだ。

 幽霊? 死者を蘇らせる? そんなレベルではない。ミラは、あの日の姿と寸分違わず、あの時のままで存在している。そこには確かな存在感がある。完全な蘇生に成功した、と言われればそっくりそのまま信じるだろう。その方が自然だからだ。

 なんなんだ。

 だって、残酷じゃないか。こんな、こんな。希望を持たせるような形で会えるなんて聞いてない。

 こうやって、会話をすればするほど、否応無く明日続く日常を一緒に過ごす想像をしてしまうのに。

 もう少ししたら消えてしまうだなんて。

 もう、会えないなんて。

 

 両腕に込める力を強くした。

 

 どこかへ行ってしまわないように。

 消えてしまわないように。

 

「あのね、ハルト」

 

 彼女が語りだす。

 

「私はね、あれでも幸せだったのよ。貴方と二人で、あの寒い森の中で過ごして。薪を割って、掃除をして、ご飯を作って、食べて……同じことを繰り返すだけのつまらなくて退屈な生活だったけど、貴方が来てくれて、ずっと退屈だった日常が、すごく色鮮やかになったの。短い間だったけど、楽しかったわ……まあ、端からすれば傷の舐め合いに過ぎなかったのでしょうし、最後も、あんな終わり方になってしまったけどね……でも、私はあれで良かったと思ってるわ。だって、貴方を、救えたのだし」

「良くない、良くないよ……!! 君が生きていなきゃ、何の意味もない……!」

「……困ったわね。貴方の足枷になりたかったわけじゃないのに」

 

 視界の端に映るミラの姿が、薄れ始める。

 これから何が起きるのか、理解してしまった。

 

「い、いやだ!! 嫌だ!! 頼む! 行かないでくれ!!」

「無理よ」

「な、なら……なら! 俺も連れて行ってくれ!! 君なら出来るだろう!? この魔法を解いてくれ!! あれ以降、ずっと死ねないんだ!! もう、俺しかいないのに、一人だけ残されて、辛いんだ! もう俺も消えてしまいたいんだよ!! いい加減俺も君と、みんなと同じところへ行かせてくれ!!」

 

 ミラが生前、俺にかけた不老不死の魔法は今も続いている。

 恐らくは彼女の命を代償にして放たれたそれは極めて強固なもので、俺は心臓を貫かれようが脳を潰されようが全身を焼かれようが死ぬことはないし、その傷も瞬く間に治癒する。その魔法は、常に俺のことを守り続けた。

 

 邪竜と殺し合った時も、飢餓状態で旅を続けた時も、氷河や火山を歩いた時も。

 いつだって、俺は、この魔法のせいで死ななかった。

 

 だが、それも、今日で終いだ。なんたって、術者本人が目の前にいる。流石に彼女に解けないということはないだろう。これで終わりだ。終わりにできる。俺としては、彼女と再び一緒にいれればそれでいい。その場所が現世だろうが、冥界だろうが、大した違いではない。

 

 だが、果たして彼女は、俺の想定とは違う反応を見せた。

 

「……え? いや、そんな筈は。そもそも、一族の秘術はそんなに長く続くものじゃないわ。ちょっと見せてみて」

 

 ミラが俺の額に手を当てて、俺の目を覗き込む。

 彼女はしばらくそれを眺めた後、少し離れて、目とこめかみを押さえた。

 

「……ハルト。まさか、貴方、あの黒き竜を弑逆したわね?」

「え? あ、ああ。そりゃ、ミラを殺したやつのことなんて、許せるわけないだろ」

「なんてこと……迂闊だったわ。いえ、普通逃げると思うでしょう。どうやったら人が竜を(ころ)せるというのよ」

「いやだって……俺はあの時から不死身だろ? そりゃ、何度も挑んでればいつかは殺せるさ。現にそうなったし」

「そんな大層な術があるわけないでしょう! 聞きなさい、貴方の魂にはあの竜の血と、怨念がこびりついているわ。貴方が死ねないというのはそのせいよ。死なせないようにしているということね。なんの因果か、副作用か、そのせいで私がかけた秘術も未だに効力を保っているようだけど……しかも、あの時の病魔の呪いや、どこで拾ってきたかも分からないこまごまとした神秘や奇跡がツタみたいに絡みついてる。ああ、源泉もこんなに濁って……ああ、だからこんなに魔力を無理やり抑えているのね……こんなの、そうそう解呪なんてできないわよ」

「──は」

 

 なんだ、それは。

 

「じゃ、じゃあ、ちょっと待ってくれ。俺はこのままなのか? ずっと? 君と今、会ったっきり? これから、ずっと? 一人で? こんな死ぬこともできない体を引きずって、ただ生きていかなくちゃいけないのか?」

「ねえ……そんなに悲観しないで。これはラッキーなことでもあるのよ。むしろ、不老不死だなんて、すごいじゃない。時のどんな支配者だって叶えられなかった奇跡だわ」

「そんなもの俺は望んでない! 俺はもう生きていたくない! 眠っていたいんだよ! こんなもの! 今更持っていたってどうしようもない!」

 

 こんなもの、今更与えられてどうしろっていうんだ。

 

 使い道も、守りたいものももう、残ってないのに。

 

 俺はただ、土に入って眠っていたいだけなのに、それすら許されない。

 

 俺はどうすればいいんだ?

 

 教えてくれ。助けてくれよ、ミラ。

 

「そろそろ、時間ね……」

 

 そう言って空を見上げるミラの体は、先ほどと比べて明らかに薄くなっているようだった。

 彼女の透き通るような銀髪は今や本当に透き通っており、青暗く染まりつつある空を、その向こうに映し出していた。

 

「じゃあね、ハルト。あなたの笑う顔が見れなかったのは残念だけど、でも、またあなたと話せて良かった。──できるだけ、ゆっくり来てね」

「待って、待って……待ってくれ──」

 

 そして、彼女は唐突に消えて。

 

 その残滓も、確かにそこにあったはずの温もりも、空に溶かし込まれていった。

 

「俺を、置いて行かないでくれよ……」

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