異世界から故郷に帰ってきたはずが、パラレルワールドに来てしまったみたいなんだが。 作:水野 四十坂Q
「美緒。ここから離れろ」
父さんを投げつけ、美緒にそう伝える。
「え!? なんでここに、いや、何!? どういうこと!?」
「……もう一回だけ、言うけど。父さんを連れて、ここから、離れろ。あそこにいるデカいやつとは俺が戦っておくから」
「『竜』のこと!? なんで知ってるのかは置いておくけど、分かってるなら変なこと言ってないで早く逃げるよ!」
「……俺さあ」
美緒を眺める。
相変わらず、可憐な容姿だ。とても俺の妹だとは思えない。まあ俺の妹ではないのだが、あの父さんの娘であるとはどうにも考え難い。
美緒は、砂塵と血に汚れていた。戦いの結果だろう。幸いにして大怪我こそないものの、かなり消耗しているように見える。継続的な戦闘は厳しいだろう。
瞼を閉じた。
瞼を開いた。
美緒を視界に再度、収めた。
「今まで黙ってたけどさ、俺、お前の兄貴じゃないんだ。ごめんな」
ごめんな。
「俺はお前に、死んだ妻のことを重ねていたんだ」
声がそっくりだったから。
「俺は少しの間だけ、お前が考える、『美緒の兄貴』ってやつを、演じていたかっただけなんだよ」
明るいところも少しだけ、似ていたから。
「俺の醜い我が儘に付き合わせて、本当に、ごめん」
轟音が響いた。
背後から爆風が吹き荒れる。風が、俺達の間を通り抜けていった。
振り向けば、爆心地にはよく見覚えのある、蒼い剣が突き立っていた。飛んできたのだろう。歩き寄って、柄を握り、地面から引き抜く。
行こう。
きっと、多分さ。
お前の炎なら、今度こそ俺の魂ごと、焼き切ってくれるよな?
「今までありがとう。二人はできるだけ距離を取ってくれ。あれは俺がなんとかするからさ」
行くか。
「じゃあ──」
じゃあな。達者で。
そう言おうとした。
「せっ」
「説明しろーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーッッッッッッッッッッッッッッ!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!」
ぼかん!! と、いっそ間抜けすぎて逆に暴力的ではないのかと感じるような音を響かせて、後頭部を殴られる。
当然俺はそんな行動を取られるとは露ほども思っていなかったため、思わず前につんのめった。
「……!?!????!!!?!? は!? え!? なに!?」
「何はコッチの台詞なんだけど!?!? 今更兄妹じゃないとかどうでもいいこと言い出すし、ていうか妻って何!? 本当に何!? 結婚してたの!? そんなわけないでしょ!? 彼女じゃなくて!? ステップ飛ばし過ぎじゃない!? いやていうかそんな人私は知らないんだけど!?!?」
「……いや、知らないのは当然だろ……『向こう』で会った人だし……つーか、兄妹じゃないのがどうでもいいってどういうことだよ……」
いや普通兄と思ってたやつがそうじゃなかったってとんでもないカミングアウトじゃないか……?? どういうことだよ……
とまでは、続けられず。凄まじい剣幕で胸ぐらを掴まれたからだ。
「『向こう』って、何!? というか本当にさっきから何の話をしてるの!? 説明して!! 全部!! 一から!!」
「……『向こう』は、『向こう』だよ。異世界? なんか、異界みたいに日本とは別の場所だけど、魔法があって、人が生きてる、全く別の場所。俺も詳しくない。ある日気が付いたらそこにいたんだ。そこで十三年暮らしてて」
「じゅう、さんねん!?!?!? どういうこと!?!?!? だって、お兄ちゃんって一週間で帰ってきたでしょ!?!?」
「その辺も何も分からん……こう、死ぬために次元の裂け目に落ちてみたんだ。まあ結局いつもみたいに死ねなかったんだけど、代わりにここに来たんだ。時間も全然経ってないし陰陽師とか怪異とかわけのわからんものはいるし、俺の知らない妹が家族にいるしで、平行世界とかパラレルワールドってやつに入り込んだんじゃないかって、思ってる」
「パラレルワールド!?!? ていうか知らない妹!?!? え!?!? じゃあお兄ちゃんってお兄ちゃんじゃないの!?!?」
「いやだからそう言ってんじゃん……というかそれ以外どういう意味だと思ってたんだよ……」
「え、いやだって、私とお兄ちゃんって血は繋がってないから。何今更そんな話してるんだろーって」
「そーなの!? 俺はそっちの方が驚きなんだけど!? 義理なんかい!」
「いや私の方が絶対驚かされてる自信あるけど……え? じゃあ何? お兄ちゃん今何歳?」
「三十代です……」
「オッサンじゃん」
「若者ぶってて本当にすんません……」
「若者ぶっててっていうか、なんか、三十代の割には本当に若くない?」
「俺、妻がかけた魔法とか竜を殺した関係で、不死身になってまして、その関係で歳全然取らなくて……」
「え、いーじゃん。羨ましい。ずっと肌キレイなままなんだ」
「いや俺もう死にたいんすけど……」
「さっきも言ってたけど、なんで? 奥さんが、亡くなったから?」
ここだ!!!!
天性の閃き。天啓。岩の楔の打ち目。
ここしかない。この、やけに弛緩した空気を戻すには。もうこのタイミングしかない。
一世一代。今まで数えるほどもないくらい、全身全霊を以て俺は雰囲気の巻き戻しを図った。
「そう! 俺は、死にたいんだよ!! ミラだけじゃない! もう、『向こう』で出来た仲間がみんな生きてないんだ!! みんな死んだ! 俺だけ生きてても仕方ないんだよ! もうさっさと死んじまって、早いところみんなのところに帰りたいんだ!!」
美緒を突き放して、叫んだ。
なりふり構わなかった。
多分俺は、人生の中でも屈指に、いや恐らくは史上最大で、みっともない姿を晒していたと思う。
超年下で、自分を兄と慕う女の子のことを実は亡き伴侶と重ねていたとかいう、クソほど気持ちの悪い発言までしてしまったのだ。俺にはもう何も残っていなかった。これ以上重ねる恥がなかった。とにかくさっさと、邪竜のところへ行ってしまいたかった。無心で剣を振るいたくて仕方がなかった。
「ふーん」
対する美緒はそれを聞いて、あまり動揺した様子は見られなかった。むしろ、落ち着いていた。
「お兄ちゃんさあ」
「私たちのこと、仲間とか、友達とか、家族だと思ってなかったんだ。なーんか残念」
……はあ?
「いや、だって、違うだろ。俺はこの世界の貝替晴翔じゃない。お前たちが知ってる人間の振りをしてただけの別人だ。なら、違うだろ」
「でもお兄ちゃん、楽しそうだったじゃん」
「……いや、俺、そもそもお前の兄じゃないし」
「んーん。お兄ちゃんもお兄ちゃんだよ」
「……本当に何を言ってるんだよ」
分からない。全く、理解できない。
俺には美緒の言いたいことが。
「お兄ちゃんさあ。戻ってきてから一緒にいたけど、普通にお兄ちゃんじゃん。別人だって、パラレルワールドの人? だって言ってるけど、逆に言うけどパラレルワールドの同じ人なんでしょ? 『この世界の貝替晴翔じゃない』なんて言ったけど、向こうの世界の貝替晴翔で、お父さんとお母さんの息子で、永塚さんの友達なんでしょ? そうじゃなきゃ説明がつかない」
「……いや、まあ、それは合ってるけど」
「やっぱりそうなんじゃん。じゃあさ、お父さんとかお母さんとかと会って、嬉しくなかったの? その時もずっと死にたかったの? お母さんのご飯食べたときに泣いてたのって、演技だったんだ?」
「……いや、あれは本当に嬉しかったですけど……」
「うんうん。そうだよね。じゃあさ、永塚さんとも一緒にいて楽しかったんじゃない? 十三年も異世界にいたんでしょ? 帰りたいと思ったことはなかったの? まあ……確かに、お兄ちゃんにとっては本当の友達や本当の家族とは違う人だったのかもしれないけど、私にとってお兄ちゃんがお兄ちゃんだったみたいに、お兄ちゃんにとってもその人たちと会えたのは嬉しいことだったんじゃないの?」
「……まあ……嬉しくなかったと言えば、嘘になりますけど……」
「だよね? ならさ、まだ家族も友達も仲間も、いるじゃん」
「待て……待て!! 本当に待て!!」
慌てて距離を取る。後ろに後退する。
危険だ。
あまりに危険すぎる。
このままでは俺は美緒の論理に流されてしまう。
一刻も早く軌道修正をせねばならない。
いいか? 俺は今から邪竜と戦いにいって、死ぬんだ。邪魔をしないでくれ。マジで。頼むよ。本当に。
「なんと言われようが俺は考えを曲げる気はないぞ。俺は邪竜と戦って死ぬんだ」
「意固地になって来てるじゃん……じゃあさ、お兄ちゃん、お兄ちゃんとは別人なんでしょ? 責任取ってよ」
「は?」
「いや。だから。私を騙した責任取って。ちゃんと本物探してよ。お兄ちゃんが私のこと騙してたせいでその分の時間捜索してなかったんだから。今度から捜索手伝って」
「いや、なんでだよ……俺今から死ぬっつってんだろ……だいたい、こっちの俺って異界とかに消えたんじゃないのか? 生きてんの? こっちの俺って不死身じゃないだろ」
「分かんない。でも、異界はあれからも色々見たけど、お兄ちゃんの痕跡とかは相変わらず全然ないんだよ。それで……さっきお兄ちゃんの話聞いてて、思っちゃった。お兄ちゃんも、実は向こうのパラレルワールドとか、異世界とかに行っちゃったんじゃない?」
「はあ……??」
いや。
いくらなんでもそれは、楽観的すぎるだろう。
ハッキリ言うと俺は、こっちの俺に関しては、既に故人であると思っている。
だいたい俺がこっちに来たのは割と能動的な行動の結果だ。こっちの俺がパラレルワールドに行くような行動をするとは、というかそんな発想が出てくる知識がまずあるとはとても思えない。
だから異界に紛れ込んでしまって、そのまま怪異に喰われて死んだというのが、俺の主張するところなのだが。
「お兄ちゃんさ。人の追跡とかしたことある? 気の痕跡とか追ったことは?」
「気……いや、ないな。動物はよく追いかけてたけど、そういうのどうにも。探偵じゃないし」
「素人じゃん。あのね。異界に入り込んでも基本的に痕跡っていうのは何かしらの形で残るものなんだよ。そりゃ町中を歩いているような状態と比べばばつんと……紙をハサミで切ったみたいに? 不自然に痕跡が途切れるけど……でも、異界の中には普通に残るわけだし。あの後も見つからないのはやっぱり、おかしいよ」
「はあ……? じゃあ、どうすんだよ。パラレルワールドとか『向こう』への行き方とか知らないぞ。こっちに来たのも偶然だし」
「だーから、それを一緒に考えてって言ってるの! お兄ちゃんその魔法とかがある異世界でずっと過ごしてたんでしょ!? じゃあ行く方法の、研究とか、なんかそういうことの手助けしてよ! お兄ちゃんしか知らないこといっぱいあるでしょ!?」
「あると思うけど……いや、待て。だから俺はやらないぞ。俺は今から死ぬからな」
「強情だなあ……ふーん。じゃあいいよ。行けば?」
「お、おう……? それなら良かった。じゃあ、達者でな。うん」
よ、よし。よく分からないが許して貰えたらしい。いやー悪いな邪竜。待たせちまって。待った? 今からリベンジマッチ開催するからな。首洗って待っとけよ。
「あーあ! わたし残念だなー! おにーちゃんが私のこと!? 奥さんと!? 同一視してた!? なんて!!」
「あ、あの、美緒……さん?」
ギ、ギ、と。ゆっくり、ゆっくり振り向く。
俺が既に走り出していたから、届くように大声を出したのか。そのセリフは嫌に遠くまで響いていた。
「あーあ! ホントショック!! 三十路だっけ!? オジサンじゃん!! みんなに言いふらしちゃおーっと!!」
「あの!! 美緒さん!! 本当にそれ!! やめて!?!? いただけませんか!?!?」
ただでさえ妹と親父がいる場で喋ったことを後悔しつつあるんだよ俺は!!!!!
「えー、でもお兄ちゃん、もう死ぬんだから関係なくない? 死人に口なしって言うし。耳も無いよね? なら関係ないじゃん? ほら、行ってきたら?」
「い、いや……ほら! 死者にも尊厳はあると思うんですよ!! あのね!? 人が死んだらお墓建てるでしょ!? 俺が死んだ時も、可能な限り!? 最低限の!? 尊厳くらいは、守って欲しいかなって!!」
「えー……でもお兄ちゃん、私を騙してた最低最悪のクズ野郎だし……そんなの守る義理もないかなって……もしかしたらお兄ちゃんのせいで本物のお兄ちゃんも死んでるかもしれないし……」
「ごもっとも!!! ですね!!! 俺もそれに関しては!!! 大変!!! 本当に!!!! 心から!!!! 申し訳ないと!!!! 思って!!!! ます!!!!」
「じゃあ償ってよ」
「はい?」
「償って。さっきも言ったでしょ。お兄ちゃん探すのに協力して。それくらい出来るよね? 心から申し訳ないと思ってるもんね? 誠意を見せろよ、おい」
「は、はい……」
「約束して。はい。指切りげんまん」
「指切り、げんまん……」
「うそついたら針せんぼんのーます」
「嘘吐いたら、針千本飲ます……」
「飲んでね」
「飲みます……」
「はい。指切った」
「指、切った……」
哀れ。俺は所詮塵芥。美緒に口論で叶うわけがないのだ。
今日、たった今、家庭内での序列が確定した。
「うん。よし。じゃあ帰ろっか。とりあえずはアイツから逃げないと」
「え、あー……そうだな」
俺達がバカなやり取りをしている間に、アレの気配は随分と近くに来ていた。最早、わざわざこちらから出向かずとも、遠くないうちに遭遇するだろう。
「いや。やっぱり、アレは俺が倒すよ。美緒は二人で先に帰ってな」
「え……いや、無理でしょ。もう約束忘れたの? 言いふらしていい?」
「いや違うから!! そもそも俺はアイツに一回勝ってるから!! 倒せんだよ!! 普通に倒してくるから!! あと俺、全力で戦闘すると魔力……瘴気による周辺の汚染がマジでシャレにならないから、本当にさっさと距離取っとけよな! あと爆撃の魔法とかも使うから、そういう意味でも出来るだけ距離取ってくれ!」
「え、そうなんだ。お兄ちゃんって実はすごい強いの?」
「これでも今まで会ってきた人の誰よりも強い自信あります……」
竜を殺してからというものの、明らかに魔力が人外の領域に突入しとんねん。副作用の汚染含め。
冗談抜きで世界最強だぞ、俺は。
まあ多分不死身なかったら邪竜よりは弱いけど。
「ふーん。じゃあ先に帰ってるけど、本当に戻って来るんだよね? 夕飯作ってていいよね?」
「いいです!! 俺、死なないんで!! まあぶっちゃけ、どうせあの竜に焼かれても死ねねえんで!! さっさと倒して帰ってきます!!」
久しぶりに握る愛剣を肩に担ぐ。
身体強化を前提として作られ、大質量を備えるはずのそれはなんだか、記憶にあるよりも随分と軽く感じられた。
「じゃあ、またね」
「おう! また後でな!」
美緒が父さんを担いで離脱する。
そして俺は、剣を構えたまま立っていた。
わざわざこちらから会いに行くまでもない。俺がその気配に気付いているように、どうせ向こうも気付いているのだから。
それに──リベンジマッチは、挑戦者から足を運ぶのが礼儀だ。
「悪いな。本当はお前に華を持たせてやるつもりだったんだけど」
「また、俺のために死んでくれ」
黒い鱗に包まれた巨大な竜が姿を現す。
その憎悪に塗れた視線と俺の目が、交差した。