異世界から故郷に帰ってきたはずが、パラレルワールドに来てしまったみたいなんだが。 作:水野 四十坂Q
夏休みのことである。
兄が突然、失踪した。
私は
光が照らされれば、その後ろには影ができる。大多数の人たちが明るい場所で幸せに暮らす代わりに、影の部分を担当するのが私たち陰陽師だ。異界からやってくる怪異を退治したり、街の気の流れを整えたり。そういう、オカルト的なことを生業として、人知れずみんなの生活を支えている。
詳細は省くが、私は昔、同じく陰陽師である父によって拾われた。その時から父の弟子として、また家族の一員として暮らしている。
母や兄は陰陽業について知らない。仕事は部活動ということにしてあるし、学校側からもサポートを受けている。母はやはり父の伴侶であるからか色々察している様子ではあるが、逆にそれ以上踏み込んでこない辺り、父がそうなるようにしているのだろう。
逆に、兄は本当に何も知らない。ごくごく普通の一般人。父は元々陰陽業を自分の代で終わりにするつもりであったらしく、正真正銘二人の息子である兄は、それらのことを一切知らされず育ってきたらしい。
まあ、私もそれでいいと思う。私みたいに生まれつき関わってしまっていて、どうにも逃げようがなくこの業界にいるしかないとかであればともかく、自由に生きられるなら自由に生きた方がいいのだ。誰だって、じめじめした暗い場所にいるより、明るい場所に住みたいだろうから。
だから、兄が夕飯の時に帰ってこなくても、ついに厨二病を拗らせて家出するに至ったんだな、と楽観的に考えていた。兄も思春期である。そういうこともあるのだろう。実際、兄の部屋にはファンタジーを題材とした娯楽小説や漫画、ビデオゲームがあったので、そういうのに影響されてちょっと旅とかしてみたくなったんだな、と思った。父どころか母や私にも一切連絡をせずにいなくなったのはちょっとだけ兄の本気具合を感じて、不安な気持ちになりもしたが。ナイショにしててあげるから私くらいには話してくれてもいいじゃん、と当時は文句を垂れていた。
母も困った様子で、父に至っては母さんの料理を粗末にするとは何事であるか、などと大変怒っていた様子であったが、それでもそれからの日を考えれば緩んだ空気が流れていた。みんな、一晩どこかで泊まって明日になれば帰ってくるだろう、と思っていたからだ。
ところが、次の日も、その次の日も、兄は帰ってこなかった。
ここまでくると大事である。三日間帰ってこない、それも一切の音沙汰なしとは尋常なことではない。もはや陰陽がどうとか関係なく、普通に事件である。父は警察に何やら手続きに向かい、私も兄の友人をあたったり、陰陽師としての力も使って捜索してみたりなどして、大騒ぎとなった。
結果、兄の当日の居場所までは割り出すことが出来た。どうやら普通に近くの町にいたらしい。県外に行ったとか、山で遭難したとかの線は非常に薄いものとなった。
だがそれからの足取りが追えない。その日の夕方までの居場所は分かった。実際に居たであろう現場にも行った。なんなら僅かに残留する『気』すら呪符で確認している。
そこからどこに行ったのか全く痕跡が無いのだ。人に聞いても知らない、見てない。兄の移動の痕跡も、あるポイントを境に唐突に途切れている。誘拐なども考えられなくはなかったが、痕跡を抹消したにしては消え方が綺麗すぎた。それに、それまでの痕跡には一切手をつけていないことへの説明もできなかった。
まるで、その場で消滅してしまったみたいであった。
兄が、怪異や異界に関わってしまった可能性が出てきていた。
そうこうしているうちにも、成果の得られぬまま、一日、また一日と時間が過ぎてゆく。既に一週間が経過しようとしていたが、未だ兄が帰ってくることも、なにかしらの連絡が来ることもなかった。
父や私も異界に繋がりそうなところを探していたが見つからず。既に私たちは絶望的な考えに襲われていた。
鍛えた陰陽師ならともかく、一般人が異界の中で一週間も過ごすのは無理だ。
単純に怪異がうようよ湧いていて危険というのもあるし、異界の空気自体が私たち人間にとって毒というのもある。異界に満ちた妖しい気は人間を蝕む。長い時間をかけて異界に触れ、その体に馴染ませてきたならばともかく、ずっと表側で過ごしていた、いわば「まっさら」な状態でいきなり異界に長時間滞在すれば確実に体調に異変をきたす。それだけで死ぬことはあまりないにしても、そんな状態では怪異から隠れ・逃げるのは難しいだろう。一般人が異界に迷い込んでしまい、生存したケースもあるにはあるらしいが、そのほとんどが早期段階で陰陽師に保護されたために助かった、というものだ。
つまり、もしも兄が異界に行ってしまっていた場合、その生存の可能性は限りなく低くなっているということだ。もはや心境としては、死体や遺品を探している時のソレだった。
ところが。
夏休み最終日の夜、なんとなく手かがりがないかと兄の部屋に入ってみれば、なんとそこには兄が帰ってきているではないか。
消えた時と同じように、また唐突に。
今までどこに行ってたのとか、なんで連絡の一つも寄越さないのとか、こっちは本当に心配してたしめちゃくちゃ探したんだよとか怒りの感情もあったが、それ以上に兄が無事で安心したことと、喜びの感情の方が大きかった。父も表面上は怒っていたが、安堵したのは同様だったように思う。
とはいえ、問題が全て解決したわけではなかったのだが。
兄は、明らかに失踪前後で変わっていた。何故か深夜に帰ってきてさらに窓から抜け出そうとしていた変人性はともかくとして、あれだけ好きな様子だったゲームを全然やらなくなり、逆にあれだけ嫌っていた運動を積極的に行うようになった。
兄に聞いてみれば、「家出の結果考えが変わった」とのことで、納得できなくもない理由ではあったが……まだ他に、そんなことでは全く説明のつかないこともある。
まず目の色。兄は典型的な日本人らしい容姿で、髪の毛は真っ黒だし、瞳も若干茶色混じりの黒色だった。それが、帰ってきた時にはエメラルドに似た透き通った緑色へと変化している。どう考えても普通ではない。
それに……もっと大きな問題。
気配だ。兄のソレは、明確に怪異のものへと変貌していた。
前提として、異界からやってきた怪異は気配もこちらのものとはかなり異なる。異物感、と表すべきか。エネルギーを伴って存在感があるというか、とにかく、違う。
だが、兄はそれとは話が全く違う。
目を瞑って気配だけで判断するなら、怪異であるとしか答えようのないほどの、純度が高い、異界の気配。一週間異界にいたから適応したとか変わってしまったとか、そういうレベルの変化量ではない。
そう、それこそまるで、目の前の男が、兄のフリをした怪異である、とでも言うような。
だから私は、しばらく兄のことを監視していたのだ。
表面上はいつも通りの私らしく、パーソナルスペースを詰めて、元気に、明るく。
気が張っていたせいか、普段と比べてわざとらしくテンションを上げすぎなのではないかと我ながら不安に思っていたが、幸いにして兄に気付かれた様子もなかった。だが、今までの兄であれば指摘してきてもおかしくないので、これも違和感。
監視するにあたって、意識すべき点は二つに絞った。一つはこれまでの言動と比べておかしい部分はないか。もう一つは異界や怪異に対して反応を示したり、明らかに人間ではない力を行使しないか。
そうして兄を見続けてみれば、違和感はそれなりに多く見つかった。兄は授業が分かっていないのか、うんうんと唸る様子を見せたり、ペンがまるで進んでいないようだった。それだけではない。兄は頻繁に隣の席の女子に助言を求めるようになっていたのだ。これは以前では絶対になかったはず。兄は気さくに隣の席の人間に話かけるような人物ではない。そもそも兄は勉強はそれなりに適当にやっていればいいというスタンスで、成績もそれで問題ない程度には出来ていたはずだ。あんなに分かりやすく困っているところは初めて見たし、最近の兄は勉強自体に熱心すぎる。
加えて、同じ部活に所属していると聞いていた
流石に怪しかった。兄が異界と関わったのはもはや確実であるとして、さらに加えて何かがあるように見えて仕方がなかった。
そして、監視を続けて一週間のこと。ついに決定的な瞬間が訪れた。兄が怪異と遭遇したのである。兄の友人である
果たして、兄は限りなく『シロ』と言える行動を取った。友人を助け、超常の力も使うことなく一人で怪異と戦ったのである。明らかに戦い慣れした様子ではあったが、むしろ異界で生き延びたどころか単独で帰ってきたことを考えるとそれくらいできない方がおかしい。
兄は本当に最後まで──死が目の前に迫っているその瞬間でさえ、ただの人であった。
左腕を折られ、顎を砕かれ、回避行動を封じられてもなお。人として抗おうとしていた。
私が間違っていた。
仮に兄が人に化けた怪異だった場合、ここまで隠している理由も、永塚さんを助けた理由もない。
恐らく、兄は本当に兄で、正真正銘本物の
兄に対して、目の前の鬼が棍棒を振り下ろす前にその振り上げた腕を切り飛ばす。動きの流れで、鬼の首、そして兄の脚を掴んでいた小鬼を断ち切った。
普通に怪異に襲われれば死にそうになるくせに、五体満足で帰ってきてくれただけでも奇跡的なのに、そんな兄のことを私は疑ってしまっていた。本当は、あの時に本心から祝うべきだったのだ。それが家族として当然だった。
「お兄ちゃん大丈夫!?」
なのに、まだ私は、こうして兄への演技を続けてしまっている。
私は愚かだ。