異世界から故郷に帰ってきたはずが、パラレルワールドに来てしまったみたいなんだが。 作:水野 四十坂Q
「それじゃあお兄ちゃん。この武器の中から好きなものを選んで」
翌日から、俺たちの陰陽師としての訓練が始まった。
「あれ、俺のは?」
「永塚さんはまだ妖気に耐性がありませんから武器を持つにはまだ早いです。まずは妖気に体を慣らしていくことと、基礎訓練からですね」
「ふ、不公平だ!」
「お兄ちゃんはこの前の家出騒動の間ずっと異界にいたみたいなので……動けもするみたいですし」
「戦いに憧れる気持ちは分からんでもないけど、戦わないでいいならその方がいいからな、厨二病」
「うっさいうっさい! そういう態度の方がむしろ厨二感出てるんじゃい!」
くだらない会話をしながら、適当に武器を取ってみる。美緒が持っていたものと比べると若干穏やかな気配ではあるものの、やはり曰く付きと言って差し支えないような、怪しい気配を感じる。
「なあこれってやっぱ呪いの武器とかなんかなの?」
「呪いの武器っていうか、怪異を封じ込めた武器だね。封じ込めた怪異から力を抽出して強くなれるんだよ」
「怪異を封じてる!? やっぱそういうのって武器との対話とかしたり、怪異側から乗っ取られたりすんの!?」
「いや、怪異からの抵抗は完全に封じてますけど……そういうのあったら危ないじゃないですか……」
「漫画の読みすぎだろ」
ていうか、地味にえげつないことしてるな。化け物と同類みたいな存在とはいえ、生きた電池みたいに扱っているということか。
刀を取ってみた。……うっっっす。こんなんすぐ折れそう。美緒はよく使えてるな。
斧……もなあ。強度はありそうだけど、魔法とかで身体能力盛らないと振り回されそう。いや、話によれば持つだけでこっちを強化してくれるみたいだしアリなのか……?
クナイとか、なんかよく分からん二股の棒? みたいな武器もあるけど、あんまリーチない武器は好きじゃないしなあ。ぶっちゃけ素手で戦うのと変わらんし。
弓もあるけど、飛び道具扱ったことないから論外かな。どうせ怪我しないんだから前出た方がお得だし。
「消去法で刀かなあ」
「いいんじゃない? それ、結構いいとこの刀匠さんが作ってくれたやつなんだよね。多分長く使えると思うよ」
「へー」
俺が愛用してる剣も城塞都市の鍛治屋のおっさんに頼んで作ってもらったやつなんだけど、あれと比べてどっちがいいんだろうか。
流石にあっちかな。バカ高かったし。荒くれ連中からもお祝い金だ! って感じで費用出してもらってようやく買えたんだよな。なつ。
「ところでこれの力ってどうやって使うんだ?」
「んー、なんとなく?」
「なんとなくて」
「だってスイッチとかがあるわけじゃないんだから説明できないじゃん」
なんとなく、なんとなくね……
にぎにぎ。
こうか? 違うか。こう?
あ、力流れ込んできた。出来たわ。
「うぇ……
永塚がグロッキーになっている。
俺たちは美緒に案内され、異界の比較的安全だという場所に連れて来られていた。
「お兄ちゃんはやっぱ慣れてるんだねー」
「そりゃな」
異界の妖気とやらに慣れるというのが目的だったらしいが、来てみてわかった。
妖気とは要するに魔力だ。
大気中に満ちている、誰のものでもない魔力。
これ、一切魔力に触れたことのない状態から一気に吸いすぎるとめちゃくちゃに体調崩すんだよな。今の永塚みたいに。
『あちら側』に行った当初の俺も散々悩まされた。最初はマジでずっと重めの風邪にかかったみたいに、食欲も無いわ平衡感覚もなんかおかしいわと本当に酷い目にあったし、それが収まった後もなんだかんだ丸一年くらいは身体中の違和感と戦ってた気がする。あの頃、師匠に助けてもらってなかったら普通に死んでたな。追い剥ぎとか獣とか化け物とかに遭って。
ただ、これに完全に慣れると自分で魔力が練れるようになる。体が適応したというか、新しい感覚が生えてくるような感覚だった気がする。ともあれ、魔力が練れるようになると一気に話が変わるのだ。『あちら側』では生まれつき魔力に触れ続けていて、練れないやつなんていないので、むしろそれができてようやく人間である、くらい言ってもよい。強弱の差こそあれ、無意識にフィジカルを強化する魔法を使ってる人ばっかだから、魔力が練れないとあまりにも貧弱すぎるんだよな。相対的に。
この訓練も、完全に「まっさら」な状態の永塚に魔力を触れさせてどんどん慣れさせていって、強くなるための下地を作るというのが目的なのだろう。といっても完全に順応するまでここに放り投げるわけではなく、ちょっと異界へ入って帰って、を繰り返すようなのでちょっとずつ慣らしていく、と言った感じか。気の長い話ではあるが、体に負担をかけない方針なら確かにその方が良いのかもしれない。俺が一年で順応しきってしまったのも、逃げ場がなくてそうならざるを得なかったという感じだったし。
「しかし、異界ってこんな感じなんだな」
「あれ? お兄ちゃんが迷い込んだところは違うの?」
やべ。
実際に異界に入るまで俺の中では「異界=『あちら側』」という理解だったのだが、どうにも違うようだった。大気中に魔力が満ちているという点こそ同じだが、『あちら側』は逆に言えばそれ以外はあまり地球と大差ない、ハビタブルな場所だ。地形や環境がほぼ同じ、とでも言えばいいだろうか。
対して異界は違う。読んでそのまま違う世界と言った具合。もうなんか常に変な霧がかかってて常に薄暗いし、緑も特に見当たらない。怪異は湧いているようだが、逆にそれ以外何もない、とすら言っていいかもしれない。明らかに人の住める場所ではなく、地球のどことも違うだろう。
「あーいや、俺がいた場所はもっとこう、明るかったりしたから」
「ふーん。まあ、一口に異界って言っても色々あるしね。
「なるほど」
勝手に納得してくれたようだ。ラッキー。
あれ、永塚が震え出した。
「おぼろろろろろ……」
うわきったね、吐きやがった。まあこんな場所だし掃除しなくていい分マシか……?
あ、遠くにいる怪異が反応した。ゲロの匂いに気付いたのか。結構距離あるんだけど、めっちゃ鼻いいな。
「美緒、向こうの怪異が近づいてきてる」
「え、どれ? あー、ほんとだ。永塚さんも限界そうだし、今日はこの辺にしとこっか」
「わかった。ほら、帰るぞ」
「ちょっと待って……」
立ち上がる元気もねえのかよ。
しょうがねえな。
歩くことも出来なさそうな永塚をおぶって運んでやることにする。
「もう絶対こんなところ来ねえ……」
運ばれてる間、うわ言のようにそれだけを繰り返していた。根性ねえな。でもこれ乗り越えないと強くなれないぞ、頑張れ。自分で化け物退治やるって言ったんだから。
「今日はお父さんに来てもらいました! わーパチパチ」
「美緒と晴翔の父の
「陰陽師一家!?」
マジか。
父さんも陰陽師だったのか……
「え、貝替!? お前んちめちゃくちゃファンタジーなんだけど!? なんで教えてくれなかったの!?!?」
「いや俺も今初めて聞いたんだけど」
「俺が黙ってたからな。美緒以外に教える気はなかった」
へー。
わざわざ美緒だけってことは、美緒には才能があって俺にはなかったとか、そんな感じなんだろうか。
「あれ? じゃあなんで貝替に教える気になったんスか?」
「そこのバカが異界に迷い込んだからだ。関わらないならそのままで良かったが、こうなると話は別だ。君もそうだが、怪異に関わっていくつもりなら死なないために力が必要になる。俺にはこの地の先達として君たちを鍛える義務がある」
「お、お手柔らかにお願いします……」
……父さん、めちゃくちゃ立派では?
一人だけ強くなって誰かを鍛えたりとか一切しなかった
いや、城塞都市では新人をいびってたから、それが鍛えてるといえば鍛えてた、のか……? いやそんなことはないな。アレ普通にイジメだろ。我ながら。勝手に強くなっていくやつとかはいたけど、見なくなったやつとかもいたし。でもそれは俺もされたし、それがあの荒くれ集団では普通だったんですね。終わってらー。
「とりあえずお前らの実力を見る。二人がかりでいいから、本気でかかってこい」
「とりあえず晴翔は論外だな」
酷くね?
「永塚くんは、まあ、最初はこんなもんだろ。体力はあるみたいだし、動きはこれから慣れていって、って感じだな。とりあえずいっぱい走り込みして組み手しろ。美緒とか晴翔とかに付き合ってもらえ。俺も暇な時は手伝う」
「う、ウス……」
俺と永塚は普通にボコられた結果、土まみれになって大の字で寝ていた。
父さん割と強いな。『あちら側』の住民と同じで無意識レベルの肉体強化もやってるっぽいし、純粋に体捌きがかなり突き詰められてる。魔法抜きじゃ勝てんわ。
「俺にはなんかないの?」
「真面目に稽古やらんやつにアドバイスも何もねえわ。適当に武器の使い方の練習でもしてればいいんじゃねえの」
バレテーラ。
いやだって俺、表向きは一週間しか失踪してないことになってるし……
「今日は二人に仕事があるよ!」
佐山さんに手伝ってもらいながら勉強を頑張ったり、たまに露草先輩と駄弁ったり、あとは放課後に訓練をする毎日。
訓練といっても永塚の走り込みに付き合ったり(一人だけでやらせるとサボるようだ)、妖気に慣れるために異界に入ったり、後は刀の使用感を確かめるために流れ込んでくる魔力の感触を確かめたり、素振りをするぐらいだ。
「お、ついに俺も陰陽師としての初仕事!? 何と戦うの? 鬼?」
「まだ武器も持てない人が何言ってるんですか。今回は
「じ、地味……」
「陰陽師と言っても結局は仕事なので。こんなものですよ。万が一怪異と遭遇したら絶対に戦わず、私に連絡してくださいね」
美緒が俺に近づいて、永塚に聞こえない程度の音量で話しかけてくる。
(お兄ちゃん、もし戦闘になることあったら時間稼ぎよろしくね)
(おう、任せろ。なんなら倒しちゃってもいいぞ)
(ダメ。いくら動けて再生もあるからって、油断したら簡単に死んじゃうんだからね。私か他の人が到着するまで死なない程度に頑張るくらいでいいからね)
(あんまり信用されてねえなあ)
(まさか。むしろ信頼してるから頼めるんだよ。今は武器もあるし、時間稼ぎくらいなら余裕もってこなせるくらいの強さはあるでしょ、お兄ちゃん)
(思ったより評価されてたわ)
「ねえ、俺だけハブられてて悲しいんだけど」
「永塚をどう鍛えるかって話してたんだよ。本人にそういうの聞かせると無駄に意識しちゃってよくないからな。とりあえず、さっさと行って終わらせてこようぜ」
初仕事で怪異に遭遇!
なんてこと、あるはずもなく。
俺たちはいたって順調に、渡されたリスト通りのチェックをこなしていった。
「退屈すぎる」
「そんなこと言うなよ。この結界って街の気を整えたりとか怪異の侵入を防止してるって話じゃん。結構大事な仕事だろ」
「でも実際の絵面としては地味じゃん! 指差し確認ヨシ! するだけじゃん! もっとこう、超能力とか使う感じのことしてえよ!」
「ホントにお前なあ……」
退屈=平和ってことだからな。化け物みたいなのが出没する環境でそれがどれだけ貴重な環境なのか分かってないだろ。
「じゃあ美緒に頼んで異界行く頻度上げてもらうか? あそこ行きまくれば嫌でもそういう力が使えるようになると思うけど」
「いや、あそこはマジで本当に行きたくねえ。ちょっといるだけでマジで気分悪くなるじゃん。思い出すだけでもゲロ吐きそう。ていうかなんでお前と美緒ちゃんは平気そうなんだよ」
「慣れだよ慣れ。もっと行けば平気になるって」
「絶対嘘だろ」
ホントだよ。なんなら24時間居続ければ一ヶ月もしないうちに魔力の感覚掴めるようになるよ。
文字通り血反吐吐く思いすることになるけど。
「あ! そうだアレアレ! この前もらってた日本刀見せてくれよ! なんかアレもそういう力込められてるんでしょ?」
「……まあ、それくらいならいいか」
ポケットに入った、刀の形をしたキーホルダーを取り出す。一見するとおもちゃにしか見えないが、その実これは先日支給された、怪異の力が籠った日本刀。なんと、そういう魔法で小さくなっているらしい。
個人的にはこの縮小魔法に大変驚かされた。体積が小さくなって持ち運びが簡単になっているどころか、重さすら見た目に応じたものになっている。完全に『あちら側』になかった技術だ。この魔法があれば行軍は遥かに楽になっていただろう。
力を込める、というか引き出すようにするとキーホルダーから本来の日本刀に変わる。この操作も何回もできるらしく、かなり有用だ。
「ほい」
「おお〜。完全に使いこなしてんな」
「いうほどでもないけどな。流れてくる力がクセあって難しい」
「あれ、そうなんだ」
異界に満ちていた妖気の正体が魔力であったように、刀から流れ込んでくる力も魔力という馴染み深いものではあったのだが。
怪異から搾り出すという方式のせいか、既に練られてる魔力しか流れてこないんだよな。
本来、魔力とは割と万能な存在だ。練り方一つ、魔法の組み方一つで様々な現象を引き起こせる。火を起こすこともできれば水を凍らせることもできるし、運動能力を増強したり、身体を再生させたりすることもできる。
ただそれは、あくまで練られていない魔力の話である。既に練られている魔力は特定の用途にしか使えない。電気と家電製品の関係に近いだろうか。電気はスマホの動力にもなるし、エアコンで部屋の空気を温めたり冷ましたりもできるけど、エアコンでスマホを動かすことはできない。できるのはスマホを温めるか冷やすかの二択だ。そんな感じ。
だから、刀から流れてくる魔力はあくまで怪異がその通りに練ったようにしか使えないのだ。これは使用者が魔力を練らなくて良かったり、使い方を考えなくてよいという利点こそあるものの、魔力の万能性を大幅に削いでいる。
あと、武器から魔力を引き出して自分に流す、という使い方がいまいち慣れなくて気持ち悪い。俺や『あちら側』の知り合い達にとって魔力とは自分の内なる部分から湧き出るものであり、自分の魔力を武器に流す、という使い方だった。陰陽師はまるっきり逆だ。まるで俺が武器に使われているかのような錯覚すら覚える。
そんなわけで、魔法にある程度の造詣があるにも関わらず、俺はあまりこの武器を上手く使いこなせていないのだ。ちょっと身体能力が強くなるただの長い刃物である。
「まあこれ持ってるだけでもちょっと強くなってはいる。ほら」
試しにぴょーんとジャンプ。1メートルちょいくらいの高さまで跳べた。
落ちる時も強くなったフィジカルを使って大きな音も立てず着地できる。
「サラッとやったけど今人間やめてる動きしなかった?」
「いやこれくらい多分力込みなら全然できると思うぞ。多分父さんとか美緒も普通にできるだろ」
刀をキーホルダーに戻す。
「ま、現状こんな感じ。あんま面白いもの見せられなくて悪いな」
「もしかして『全然凄いことできません』みたいな意味で言ってる??」
「いやほら、前に美緒も言ってたけど俺この前異界にずっといたから。妖気への適応度合いで言えばもう陰陽師水準なんだよ」
「なんか俺だけめちゃくちゃ置いていかれてる気がする……」
「俺は帰れないから慣れざるを得なかっただけだし、ゆっくりできるんならゆっくり強くなっていけばいいんじゃねえかな」
なんなら別に戦わなくてもいいと思うけどな。普通に学生やっとけ。
「ま、次行ってさっさと終わらせようぜ。こういうのも後々で力になんだろ」
魔力に触るって意味なら、結界の点検でもできるわけだしな。
「マーーーージでなんも分からん……」
「貝替って前から地理苦手だったけど、ここ最近輪をかけて酷いよな」
「言ってはなんですが、本当に前期40点取れてたんですか……?」
「これ多分今やったら学年最下位だろうねえ」
取れてたらしいよ。あまりにも昔のことすぎて何も覚えてないけど。
最近、佐山さんとの勉強会は場所を変えて囲碁将棋部で行うようになっていた。そしてそこに露草先輩と永塚の二人が参加するようになっていた。
「もうこれは中学の内容からやり直した方がいいんじゃないでしょうか」
「流石に時間かかりすぎるんじゃね? 極論赤点だけ回避できればいいんだから、テストの範囲だけ丸暗記させればいいっしょ」
「それじゃ力にならないじゃないですか! だいたい貝替くんは学習意欲は見せてるんですから失礼ですよ! ここは多少大変でも土台をしっかり作っていくべきです!」
「えー……でも、勉強なんてテストの点数出してればそれでよくね……?」
「何言ってるんですか! 社会に出た時基礎教養が必要になるんですから! 将来のためです!」
「お堅いなあ」
おー、二人が言い合ってる。
佐山さんってあんまりこういう語調強くするイメージなかったけど、やっぱり人は見かけによらないんだなあ。
それとも二人の相性がいいんだろうか。
「貝替くん自身はどっちがいいんだい?」
「え? あー、俺はそうですね。できればちゃんと理解したいです」
地形の形成要因とかはぶっちゃけ興味ないけど、地形の法則とかは知っておくといいことありそうだし。
山とか森って視界が閉じてるせいで信じられないくらい簡単に迷うんだよな。そういう時に進路を決める指針になったりしそう。
「ならそうすればいいんじゃないかな。佐山ちゃんも手伝ってくれるだろうし」
「いや、なんかそこまで付き合ってもらうのは申し訳なくて」
「そんなことないですよ! 私の時間なんていつでも空いてるので、遠慮せずじゃんじゃん頼ってくださいね!」
「ほら、本人もこう言ってることだし」
「じ、じゃあよろしくお願いします」
佐山さん、めちゃくちゃ勉強熱心だな……
「ただいまー」
「あ、おかえり」
「あれ、美緒だけ?」
「うん。お父さんは仕事が長引いてて、お母さんは買い物行ってる」
「なるほど」
父さんの『仕事』とは陰陽師の活動なんだろうな。聞いたところだが、今までのオフィスで会社員をしているというのは全部表向きの建前のようだったし(事務作業はしているらしいが)。地元の消防団に行っているというのも実はそういうのが忙しかったことに対する言い訳の一つなんだろうな。
「そういえば美緒ってさ、学校はどうだ? 大変じゃないか?」
「なに? 急にどうしたの?」
「いやほら、美緒って割と陰陽師としてバリバリ働いているんだろ? その仕事しながら学業もこなすって辛くないかって思ってさ」
「そういう。いや別に大変じゃないよ。授業受けた後も頑張ってるのって結構普通なことじゃない? 部活動やってる子とかとだいたい同じじゃん。私は日中も退治に行かなきゃいけない時とかもあるけど、そういう時は先生が融通効かせてくれるからむしろ楽な方だよ」
「へー」
「逆に、お兄ちゃんは大変じゃないの? 急に色々変わっちゃって」
「……まあ、大変と言えば大変だけどな。でも俺は慣れたっていうか、
「マグロじゃん」
「泳いでないと死ぬってことかよ。笑える」
………………………………………………いや、本当に笑えてくる。
「もうそろそろ『めちゃヤバ』始まるんじゃね。洗濯俺やるわ」
「あ、忘れてた! ありがとお兄ちゃん!」
「ただいま〜」
あ、母さんが帰ってきた。
「おかえり〜」
「おかえり」
「ただいま。二人とも帰ってきてたのね。今日は肉じゃがよ」
「やった〜」
「肉じゃがめっちゃ久しぶりに食べるわ。ありがとう」
「そういえばお兄ちゃんこの前いなかったもんね!」
こうしてまた、一日が終わっていく。
「……おぇ、うげぇぇ」
深夜。家族が全員寝静まった後、俺は一人洗面台で吐いていた。
母さんの料理がもったいねえ。何やってんだ。
最近、
水を流して洗面台を綺麗にする。内容物の一切が排水口のどこにも引っかかっていないことを確認して、タワシで全体を洗って綺麗にした。
──寒い、寂しい、苦しい
「──し、あーくそ、やめろやめろやめろ。そういうのダメだって。落ち着け。寝ろ。メシ食った。ベッドも柔らかいし広い。寝れるだろ。黙って寝ろ」
顔を洗う。多少だが、さっぱりした分マシな気分になった。これで多分眠れる。
「は、ひでえ顔」
鏡に映る自分を見て、笑いが溢れた。十分な休息と食事を摂って以前よりも心身ともに健康になっているはずなのに、その表情はまるで亡霊のようだ。
鏡の向こうから、碧玉の瞳が俺を見つめていた。
「……ミラ」
寝よ。