序盤ボスの悪役貴族に転生したので裏ボスに媚び売ってたら婚約することになった件   作:三つ眼の荒木

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卓球

 金色の光が刃を包む。

 

 アイン君は瞬き一つせず、その輝きを見つめている。やがて自分の剣を構え、私の呼吸も魔力の運びも、そっくりそのままなぞり始めた。

 

 その精度に、私は舌を巻いた。一度見ただけの動きをその場で完璧に写し取る。私にはできない芸当だ。

 

 けれど、彼の刃は金色に灯らなかった。

 

 彼は数度それを繰り返し、やがて剣を下ろした。

 

「……なるほど。これは無理ですね」

 

「あっさり諦めるのね」

 

「できないものはできません。動きは盗めても、中身が空っぽですから」

 

「でも、空っぽと言うのが憚られるほどの才能よ。少なくとも私にはできない」

 

 世辞ではなく、素直にそう言った。私の剣を一度で写し取れる人間を、私は彼のほかに知らない。

 

「それでも【王の剣】だけは、君には無理。君のせいじゃないのよ」

 

「血、ですか」

 

 察しがいい。

 

「アムストラクト家は王家の分家。その血を継ぐ者が、高潔な意思とそれに見合う研鑽を重ねて、ようやく黄金の魔力を宿せる。【王の剣】は、その魔力をさらに限界まで圧し縮めた一手よ。器のない君がいくら形をなぞっても、灯すものがないの」

 

「なるほど。血筋と、意思と、努力の三つ揃い、と」

 

「ええ。君に足りないのは、最初の一つだけだけれど」

 

 言ってから、少し意地の悪い言い方をしたと思う。けれど彼は気を悪くするどころか、楽しそうに笑った。

 

「ええ、なんとなく分かっていました。【王の剣】は勇者でも真似できませんから」

 

 彼なりの賛辞なのだろうけれど、妙な言い回しだ。まるで勇者を見たことがあるみたいな。

 

「教えていただいて、ありがとうございます。……図々しいついでに、もう一つ」

 

 彼は剣を鞘に納め、居住まいを正す。

 

「会長は、アブファイル・ハイターの剣も使えますか」

 

「護神流ね」

 

 あの男の剣なら、嫌というほど見せられてきた。見合いの席でも、生徒会でも、婚約者の実力自慢に付き合わされたものだ。アイン君ほどの才能がなくとも、型をなぞるくらい造作もない。

 

「見せるだけならいいわ。君の決闘相手の剣でもあるものね」

 

 

 結論から言えば、私はアイン君を地面に這わせた。

 

 護神流の型で受けに回り、彼の攻めを一つ残らず捌く。それだけで、彼の剣がどれだけ危ういかが手に取るように分かった。

 

「アイン君。今の【一文字斬り】、私には来る方向が丸見えだったわ」

 

「……はい」

 

「【三日月斬り】を予測させたかったのは分かるけれど、魔力の流れが乱れていて丸わかりだった。源流剣術は基礎ゆえに魔力の流れも無駄がない。だから行動を読まれやすいの。使うなら、あえて魔力を乱すのも手よ」

 

 彼は攻めのタイミングと身のこなしで、それを隠しているつもりでいる。格下相手なら通用するだろう。緩急も間合いのずらし方も、正直、私が舌を巻くほど巧い。

 

 けれど、見る者が見れば次の一手はすべて読める。しかも――

 

「それに、当たっても芯を外している。今の一撃、私なら相手が剣で受け止めても、衝撃を体まで通せる。速さばかりに気を取られて、剣の重さが乗っていないの」

 

 彼は歯を食いしばって、また立ち上がる。

 

「もう一度、お願いします」

 

 私は何度も剣を重ねた。彼の癖を一つずつ暴き、その度に地面へ沈める。隠しているつもりの弱さを、隠しきれないところまで引きずり出す。

 

 そうして、彼が本当に立てなくなるまで付き合った。

 

 

 目を覚まして最初に思ったのは、夢であってほしい、ということだった。

 

 畳の匂い。見覚えのない天井。隣では、稽古で気を失うように眠ったアイン君が、規則正しい寝息を立てている。

 

 夢では、ない。昨日と何一つ変わらない、迷宮の朝だ。

 

 懐中時計の針は、相変わらず凍りついたように動かない。外の世界ではまだ、夜も明けていないのだろう。それなのに私たちには、丸一日が過ぎていた。

 

 私は静かに身を起こす。

 

 嘆いても扉の数は一つも減らない。泣き言を並べたところで、この畳一枚さえ外へは繋がらない。それなら、やることは一つだ。

 

 できることを一つずつ。少しずつでも、前へ。

 

 絶望に慣れる必要はない。ただ、絶望したまま立ち止まるのは、私の性に合わなかった。

 

 私は眠る彼を起こさないよう、そっと部屋を出た。

 

 

 迷宮の探索は、根気だけがものを言う作業だった。

 

 魔力探知は、ある距離を超えると霧散して使い物にならない。だから範囲を欲張らず、届く手前を丹念に探る。歩いた道、開けた襖、曲がった角。頭のなかに、少しずつ地図を描いていく。

 

 いくつか分かったことがある。

 

 一つ。まっすぐには進めない。直進しているつもりでも、いつの間にか横へ、後ろへとねじ曲げられている。

 

 二つ。襖や扉――つまり結界を一つまたぐたびに、まるきり別の場所へ飛ばされる。景色が繋がっていない。

 

 三つ。それでも再現性はある。同じ手順を踏めば、ちゃんと元の場所へ戻れる。複雑なだけで、法則はあるのだ。

 

 四つ。ただし、同じ数部屋をぐるぐる回るだけの、出口のない環のような道も混じっている。

 

 法則がある、と分かったのは収穫だった。法則があるなら、いつか解ける。そう思えるだけで、指先の冷たさが少し和らいだ。

 

 ……もっとも、これだけ歩き回って埋まった地図は、掌に収まるほどの狭さだ。この調子で旅館の全容を掴む頃には、いったい何度、朝を数えるのだろう。

 

 考えないことにした。今は目の前の一手だ。

 

 地図があらかた埋まった頃、私はようやく引き返すことにした。

 

 覚えた手順をたどる。この襖を開ければ、稽古に使った広間――彼の眠る部屋に出るはずだった。

 

 私は襖に指をかけ、引く。

 

 すると湯気が頬を撫でた。

 

 白く立ちのぼる湯の向こう。朝の湯を使っていたアイン君が、水音とともにゆっくりこちらを振り返る。

 

 一糸も纏わない姿で。

 

 時間が止まった。

 

 広間のはずだった。何度も念を押して、確かにここへ戻れると地図に書き込んだ、その襖の先が。

 

 私の頭は、目の前の光景を処理するのをあっさり放棄した。

 

「――――っ!! ご、ごめっ、ごめんなさいっ!!」

 

 叩きつけるように襖を閉める。その勢いのまま、私はずるずるとしゃがみ込んだ。

 

 顔が熱い。耳まで熱い。

 

 見た。見て、しまった。頭のなかで、たった今の一秒が勝手に何度も巻き戻る。やめて。やめなさい、私の記憶。

 

「あ、あの、ユリさん!? だ、大丈夫ですか!?」

 

 襖の向こうから、慌てた声がする。その声にすら、私はびくりと肩を跳ねさせた。

 

「だ、大丈夫っ! 大丈夫だから、そのっ……ゆ、ゆっくり、上がってきて、ちょうだいっ……!」

 

 声がみっともなく裏返った。

 

 ……何をしているの、私。数多の魔物を前にしても眉一つ動かさなかった、アムストラクト公爵家のユリ・スーン・アムストラクトが。襖一枚を隔てて、膝を抱えて真っ赤になっている。

 

 落ち着きなさい。落ち着くのよ。

 

 深呼吸を一つ。二つ。三つ数えても、火照りはちっとも引いてくれなかった。

 

 

「……本当に、ごめんなさい。わざとではないの」

 

 浴衣に着替えて出てきた彼と広間で合流し、私は顔を見られないまま頭を下げた。

 

「いえ、鍵のない扉で油断した私が悪いんです。……でも、妙ですね」

 

「妙?」

 

「ええ。その扉は昨日の広間ではなく、別の居間に繋がっていたはずです」

 

 その言葉で、火照っていた頭がすっと冷えた。

 

 私もそうだ。あの襖は何度も確かめた。開ければ広間に出る、と。再現性はある、と結論づけた。その舌の根も乾かぬうちに、同じ襖が温泉へ繋がったのだ。

 

 実際、その後しばらくして同じ襖を開けると、いつもの広間に戻っていた。

 

「……再現性があるわけではない? そうなると、探索がかなり難しくなるわね」

 

「……というより、今回が特別だったのかもしれません。まるで、私とユリさんを引き合わせたような……」

 

 法則はある。けれど、その法則を平気で踏み越えて、私を狙った場所へ引きずり込む何かがある。まるで、誰かが後ろから背を押しているような。

 

 私が眉を寄せて考え込む横で、アイン君も黙って考え込む。

 

 そして、何かに気づいた顔で口を開いた。

 

「ユリさん」

 

「何か、分かったの?」

 

「卓球をしましょう」

 

「……は?」

 

 

 卓球台は、広間の隅にあった。

 

 なぜ人を閉じ込める迷宮に娯楽の台があるのか、もう問うだけ無駄だと諦めている。問題はそこではない。

 

 台を挟んだ向かいのアイン君が、湯上がりの浴衣のまま、帯をゆるく締めているのだ。

 

 軽い音を立てて、白い球が飛んでくる。私はそれを難なく打ち返す。

 

 簡単だ。目で追って返すだけ。剣を握れば私は誰にも負けない。この球遊びごとき、負ける道理がない。

 

 ――はずだった。

 

 彼が腕を振り上げる。その拍子に、合わせの浅い襟がつと肩へ滑った。稽古でついた薄い痣の残る、まだ細い首筋が覗く。

 

 ……見てはいけない。

 

 そう思った瞬間には、もう球は視界から消えていた。

 

「一点」

 

 アイン君が涼しい顔で言う。

 

 次の球。今度こそ、と目を凝らす。凝らした先で、また襟がずれる。私の視線は意思とは裏腹に、そちらへ引き寄せられていく。

 

「……二点」

 

 いけない。盤面を見なさい。球を見るの。首筋ではなく。

 

 言い聞かせるほど、目が言うことを聞かない。家の騎士たちが訓練でいくら肌を脱ごうと、私は一瞥もくれずに通り過ぎてきた。何の感慨もなかった。それなのに、どうして彼のは、こう――。

 

 こく、と喉が鳴る。その隙に。

 

「三点」

 

 白い球が私の脇をすり抜けていった。

 

 結局、私は面白いほど負けた。打てば掠り、拾えば逸れ、視界の端でちらつく襟元のせいで、球はまるで台に乗らない。

 

 最後の一球を見送って、私は静かにラケットを握り直す。

 

「アイン君」

 

「はい」

 

「もう一戦。……今のは、手加減してあげただけだから」

 

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